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『キン肉マン』全巻を通読して、アメリカへの憧憬を見い出した

 少し前、電子書籍のキャンペーンで、『キン肉マン』が1巻から29巻まで期間限定で無料、というものがありました。それで一通り読んでいたんですが、売る側の思惑にまんまとのってしまいまして、結局電子書籍で最新のぶんまで一気に通読してしまったのであります。
 実は私、もともと『キン肉マン』に関しては、最初にいったん完結したときのぶんまでしか読んでいませんでした。これにははっきりとした理由がありまして、最後の結末の改変に納得がいっていなかったということがあります。ネットで軽く調べただけの感じだときちんと確認はとれなかったんですが、私の記憶にある限りだと、もともとの王位継承編のラストは「マッスルスパークでスーパーフェニックスを倒す→王位継承の証のマントを血染めにした時点で、即座に終了」というなんとも即物的にブツっと終わるもので、ハッピーエンドとは言えない「苦い勝利」というような感覚がむしろよいと思えていたのです。それがいざ単行本になってみると、スーパーフェニックスは生きていて和解が成り、アタル兄さんを始めとして死んでいった人々もみんな復活……と、「そりゃねえわ~!」と思えるものになってしまっていたのでした。
 そんな、結末の改変に対する微妙な思いもあったため、『キン肉マン』が(続編ではなく)王位継承編からの直接の続きを再開してからも、なんとなく読まないままできていました。……それが、今回一気に王位継承編から続く完璧超人始祖編を通読してみたわけですけれども。これは要するにアメコミで言うところのレトコン(事後からの遡及的な設定改変・再整理)が徹底されたものになっていたのですが、マッスルスパークに関しても、「単なるものすごい威力の技」ではなく「究極の峰うち」という新たな意味付けが与えられていたので、改変後のストーリーの辻褄が合うことになる再解釈が与えられていたので、私としては納得がいくということもありました。
 ……しかし、実は、私がいざ『キン肉マン』の全編を通読してみて最も大きな印象を受けたのは、確かに高い完成度を持つ完璧超人始祖編ではなく、むしろ荒削りで完成度も低い初期のあたりの方だったのです。
 よくよく考えてみると、私が『キン肉マン』を読んでいたのは2回目の超人オリンピックあたりからのことなのであって、「初期はギャグ路線で始まったから別物」という評判だったこともあり、全くその内容を把握していませんでした。
 今回、改めて一番最初から『キン肉マン』を通読してみると、なるほど、初期の漫画としての完成度は低いです。……とはいえ、アメコミのヒーローものと日本の特撮などとの文脈を融合し、なんとかして共通の場を作り上げようとしている試行錯誤の部分は、私としては単純に否定できないものであります。
 ……しかし、実はそこで目指されていることが非常に壮大な試みであることに本当に気づいたのは、アメリカ遠征編に突入してからのことなのでした。……超人オリンピックの優勝者として世界中で防衛戦を展開することになったキン肉マンは、ハワイを皮切りに全米に乗り込むことになります。しかし、そこに待ち受けていたのは、かつての権威を失い、アメリカの内でもごく一部のテリトリーしか管理できていない、失墜した超人協会の姿……。そして、キン肉マンを迎えた超人協会会長は、ドーロ・フレアース……。
 ……ドーロ・フレアース……
 ……ドーロ・フレアース……
 …………
 …………
 ……ろ、ロード・ブレアース…………!?
 そう、私のような四天王直撃世代の感覚だと、全日本プロレスが運営するタイトルマッチを認定する責任者にして、ほぼ全ての認定書は「代読」ですまされながらも、たま~に来日しては生存を確認させてくれる初代PWF会長こそ、ロード・ブレアースに他なりません。
 もっとも、『キン肉マン』作中でドーロ・フレアースが会長をしている超人協会は、明らかにPWFではなくNWAがモデルではあるのですが。そこは、熱烈な馬場派として知られるゆでたまごの両先生のこと、全日本プロレスとNWAの関係性をふまえた上で、フィクションの内部でそのような設定を作り上げていることは明らかでしょう。
 ……とはいえ、キン肉マンの渡米後も、超人協会のテリトリーは削られてしまい、最後の最後に残された唯一の場所とは……セントルイス!
 ……せっ、セントルイス!? ……そう、セントルイスと言えば、かつてのプロレス界の世界最大の権威、NWAの総本山。各プロモーターが自分のテリトリーを持って独立して活動し、プロモーター同士の連合組織として成立していたのがNWAです。それが、80年代の産業構造の変化によって、テリトリー制は崩壊し、NWAもまた実質的に滅び去ったのでした。
 つまり、アメリカ遠征編におけるキン肉マンの役所とは、現実のプロレス界の状況を照らし合わせるならば、「テリトリー制の元にあった古きよき時代のアメリカン・プロレスの没落に立ち向かう、日本出身の、最後のNWAチャンピオン」ということだったのです! ……これはもう、どこからどう考えても、馬場派プロレスファンだけが持ちうる悲願であり夢であるわけです。このことに気づくだけで、既に泣けてきます。
 そして、『キン肉マン』という漫画が特にアメリカ遠征編において極めて野心的であると言えるのは、プロレスという題材を通して日本とアメリカの関係性を描き出そうとしていることだけが理由ではありません。……実は、ギャグ展開が基調だった最初期のテーマも、密かにここで合流しているということこそが、真に重要なのです。
 キン肉マンのアメリカ遠征中、何度も登場することになり、重要な試合の立会人を努めたりすることにもなったりする人物がいます。新聞記者のクラーク・ケンタ氏であります。
 このクラーク・ケンタ氏なる人物が、スーパーマンことクラーク・ケントのパロディであることは言うまでもないでしょう。……しかし、セントルイスをめぐるストーリー展開の中でクラーク・ケントのパロディキャラを登場させるということには、単に有名なアメコミキャラを盛り込んだという以上の、アメコミの文脈に対する深い理解があると言えるのです。
 赤子の頃に惑星クリプトンから地球へとやってきたスーパーマンが育ったスモールヴィルは、カンザス州にあります。そしてまた、このあたりのアメリカの中枢部の地域は、アメコミ的には、歴代フラッシュと深く結びついた地域でもあります。
 歴代フラッシュが拠点としたキーストーン・シティおよびセントラル・シティも、おおよそこのあたりの地域にあります。両都市の正確な位置は時代ごとに設定が微妙に異なるのですが、最もオーソドックスな設定だと、両都市は川を挟んで隣り合っていることになっています。そして、隣とは言え、実はそこに州境があり、キーストーン・シティはカンザス州の東端、セントラル・シティはミズーリ州の西端にあるのです(ついでに言うと、この州境の橋こそが、初代フラッシュことジェイ・ギャリックと二代目フラッシュのバリー・アレンが出会った場所であることになっているのですが、ドラマの「フラッシュ」は、ちゃんと見ると、そのことをきちんと踏襲していることがわかります)。
 セントルイスはミズーリ州の東端にあるため距離的には少し離れていますが、大きく見れば同じ地域にあると言ってもいいでしょう。……ただし、ここで注意しなければならないのが、なんとなくこのあたりの地域を舞台に選ぶことで、それにまつわる異なる分野のキャラクターを寄せ集めている、というわけではないということです。事態は、むしろ逆です。
 つまり、プロレスとアメコミを完全に同一の地盤に統合して一つの作品の内部に導入するためには、必然的に、このあたりの地域を舞台にするしかない、ということなのです。


 プロレスとアメコミは同じである、と、私は結構前から言い続けてきました。……しかし、そんなことは、独創的なことでも何でもありませんでした。ゆでたまご先生の手になる『キン肉マン』は、そんなことはとっくの昔に当たり前のこととして打ち出し、プロレスとアメコミの融合によって、日本文化とアメリカ文化とがいかなる相克関係にあるのかを描き出そうとする、極めて野心的にしてなおかつ壮大な構想を持つ漫画だったのであります。
 ……しかし……そのように考えると、深く納得がいってしまうことがあります。
 ……そうか……そうだったのか……
 ……ニック・スペンサー、アメリカのゆでたまごだったのか……
 ……そうです、「キャプテン・アメリカは、実はハイドラのスパイだったのだ!」という展開を、前後の展開を知らない非読者がバッシングするということがありましたが、なんのことはない、あれは、「悪魔将軍の正体は、なんと、盗まれたと思われていた黄金のマスクだったのだ!」「ゲェーーーーーーーッ!!!」的な展開にすぎなかったのです。
 ……まあ、それはともかく、『キン肉マン』の初期における野心的な挑戦は、内容的な意味でも商業的な意味でも成功したとは言えず、結局は頓挫することになり、作品は異なる方向に向かっていくことになります。
 そういう意味では、子供のころの私が、2回目の超人オリンピック以降の展開しか読んでいなかったということは、ある意味では必然的なことであるとすら言えます。『キン肉マン』初期の、アメリカ文化への憧憬を基盤に据えた野心的な展開から方向転換し、日本の漫画市場で生き残れる方向性、「少年ジャンプ」のありがちな設定へと型をはめることによって、人気のある作品として生き残ることに成功したわけですから。


 それにしても、現在の視点から振り返ってみると、『キン肉マン』の方針変更の持つ意味は、日本ではあまり理解されないものであるように思えます。
 初期『キン肉マン』の試みは大変野心的なものだとは思いますが、当時のゆでたまご先生は、その野心的な試みをうまく作品に結実させるだけの技量は持っていなかったように思えます。……しかし、仮に当時のゆでたまご先生に、それこそ現在のニック・スペンサー並の構成力があり、巨大な構想が優れた作品に見事に落とし込まれていたとしても、やはり商業的な成功はありえなかっただろうと私には思えるのです。
 それがどういうことかというと、初期『キン肉マン』で全面的に打ち出されていたアメリカへの憧憬、それも主に「プロレス」と「アメコミ」という視点からそれを表明することは、少なくとも当時の日本では、まるっきり理解もされず、ひたすら馬鹿にされるリスクを持ったことだったということです。
 このことは、日に日にわかりにくいことになっていると思われます。アメコミに関しては、実写映画化が世界的な規模で大成功を収め続けてからというもの、「アメコミキャラは無条件で馬鹿にしてもいいもの」という偏見はどんどん薄れていき(ある一定以上の世代にはいまだ根強く残っているとは思われますが)、「なかったこと」への道をたどっているように思えます。しかし、ろくに語学ができるわけでもなければ、外国のコミックにもほとんどふれた経験がない人々が、とくにアメコミのことをひたすら馬鹿にし侮辱し続けてきたことは、きちんと記録されておくべきことです。
 そして、このことと同様のことについては、実はプロレスの方がより酷いものになっているのです。プロレスに関しては、これは「現在進行形で進んでいること」ではもはやなく、「完全になかったこと」に既になってしまっているのです。
 日本におけるプロレスの受容において、長年に渡って、「アメリカのプロレス」は「無条件で馬鹿にしていいもの」「日本のプロレスより劣るもの」であったのでした。この状況が変わった時点ははっきりしています。”ストーン・コールド”スティーヴ・オースティンとザ・ロックのブレイクが世界的に波及し、日本にも多大な影響を及ぼし始めた時点です。この両者の成功によって日本でも新規の観客が開拓されたことーーさらには、後述するもう一つの結果として、「日本のプロレス業界の主流派はアメリカのプロレスを徹底して馬鹿にし続けてきたこと」は、いつの間にか、完全になかったことになりました。
 そして、日本のプロレス業界においてこのような偏見が強固に形成されたのは、なんとなく自然にできあがってしまったというわけではありません。そこには、日本のプロレスの歴史を強固に方向付けた、一つの明確な起源が存在したのです。


 アメコミの文脈で、アメコミがどういうものなのかをよくわかっていない人々は、平然と「バットマンとスーパーマン」という表記をします。私自身は、スーパーマン派かバットマン派かと言われると明確にバットマン派なのですが、それとはまた別の話として、単に両者を並列するときには、スーパーマンを先に置くことが当然のことです。
 これは、日本のプロレスの文脈で言うと、「猪木と馬場」と表記してしまうことに相当します。……今回、『キン肉マン』を通読してみて改めて確認できたのは、さすがにゆでたまご先生は、日本のプロレスに言及する文脈では、必ず「馬場と猪木」と表記しているということです。「馬場と猪木」と書くのか、それとも「猪木と馬場」と書くのかということは、その言葉を発する人物のプロレス観が問われてくる、本質的な問題なのです。
 プロレスとは、極めてアメリカ的なジャンルです。そして、アメリカ遠征に単身乗り込んだ若き日のジャイアント馬場は、全盛期のアメリカン・プロレスの世界で、トップクラスにまで登り詰めました。それは偶然でも何でもなく、馬場がアメリカのプロレスの技術体系を完璧に修得していたということでもあります。
 それに対して、ジャイアント馬場の後進のアントニオ猪木がしたこととは、価値評価の基準そのものを変えることでした。実際、自身もアメリカ遠征を経験している猪木にしてみれば、「アメリカのプロレス」という枠組みの中では馬場に勝る部分などないことは自明のことです。……だからこそ、猪木は、「アメリカのプロレスなど偽物である」ということを強烈に打ち出したわけです。
 「アメリカのプロレスの多くは、ショーマンシップを全面に打ち出している偽物である」「ゆえに、馬場のアメリカでの実績など大したことはない」「ゆえに、実は馬場は弱い」「ゆえに、アントニオ猪木の新日本プロレスこそが本物である」……この種の主張が声高に何度も繰り返されたことが、日本のプロレス業界のある種の傾向を決定づけることになりました。
 プロレスはショービジネスですから、観客を喜ばせるための技術体系も、当然のこととして存在します。しかしそれとは別に、様々な利害関係によって生じる現場関係者間でのトラブルに対処するために、純粋に人体を破壊するためのみの技術体系も、観客には見せる必要のない「裏」のものとして存在します。
 観客から代価を取って見せるものならなんでも「ショー」なのですが、なぜか日本では、「ショー」という言葉に侮蔑的な意味が込められていると思いこむ人々が多いようです。……そして、猪木の戦略は、日本の市場においては大成功を収めることになりました。「表」の技術の追求は投げ捨てて、本来なら観客に見せる必要のない「裏」の技術を大々的に誇示して、自分たちこそが真面目に真剣勝負を追求しているとしたわけです。
 ……これは、逆に言えば、猪木のやることは、実はそもそもプロレスである必要はないということでもあります。実際、日本では、猪木新日本のプロパガンダを真に受けた人々の中から、完全にプロレスから脱却し純粋な総合格闘技の流れすら生まれてくることになったわけです。
 猪木にとってのプロレスとは、先行者たる馬場を打ち破り上に行くための、乗り越えるべき共通の土台を設定しているものにすぎません。言い換えれば、たとえプロレスなど存在しなくとも、猪木はいずれかの手段によって、自分がのし上がる道を見つけていたことでしょう。……しかし、馬場は違います。馬場のプロレスは、プロレスというジャンルそのものの本質と結びついた形としてしか存在することができません。プロレスがなければ、偉大なる存在としてのジャイアント馬場は存在しえないのです。


 実はプロレスなどというジャンルが存在する必要はないということこそが、新日本プロレスの本質です。……だからこそ、純粋な総合格闘技に打って出て、惨敗し、急速に訴求力を失って倒産寸前に追い込まれてからのちは、あれだけ馬鹿にしていたはずのアメリカン・プロレスの、それも商業的な成功を見込んで最も露骨にショーアップされた部分ばかりをパクりまくることによって、売り上げ的に立て直すことによって存続してきたわけです。
 ……そのように考えると……『キン肉マン』という漫画もまた、商業的な成功のために露骨な方針転換をしたことは確かではあります。しかし、『キン肉マン』の場合には、決して変わることのない核が存在していたと言えると思うのです。
 コミックなりプロレスなりの文脈でアメリカへの憧憬を堂々と打ち出すことは、当時の日本では、馬鹿にされ蔑まれることでしかなかったわけです。……そして、だからこそ、そのような部分をきれいにぬぐい去り、「少年ジャンプ」の典型的なバトル漫画のスタイルに自らはまっていくことによって、『キン肉マン』は人気漫画としての地位を確立しました。
 しかし……『キン肉マン』という漫画が描き続けてきたことは、「馬鹿にされたら、馬鹿にしかえせばいい」「蔑まれたら、蔑まれないようにのし上がればいい」「のし上がるためには、周囲を食い殺せばいい」ということだったでしょうか。……もちろん、馬鹿にされ蔑まれること自体がいいことであるわけはないが、だからといってそのような生き方を選択せずに生き続けることこそ、核として『キン肉マン』が描き続けてきたことだったわけです。……そして、私としては、そのような部分にこそ、『キン肉マン』の馬場全日本との深い共鳴を見て取りたいのです。
 なぜ、『キン肉マン』という漫画は、その核を失わずにいることができたのでしょうか? ……もちろん、心に愛があるから、というのも、一つの答えです。しかし、実際に作品の内部に具体的に描かれていることにも、はっきりとした痕跡があるはずです。
 馬場全日本とアメリカン・プロレスとの本質的な結びつきを、いつまでも証し立て続ける何ものか……『キン肉マン』という作品が展開するにつれ、「超人レスリング」という形式の、「超人」の方ばかりが重要性を持つようになり、それこそ常人には不可能な、超人にしかありえないド派手な必殺技が展開されるようになり……そんな中、どう見てもプロレスそのものとしかとらえられない技、それどころか、アメリカのある地域の郷土性すらぬぐい去りようもなく刻印された技ばかりを頑固に使い続ける、一人の人物……スピニング・トーホールド、カーフ・ブランディング、そして、テキサス・クローバーホールド……
 ……そう、今や私は、テリーマンの偉大さについて語らなければならないでしょう。


                    (つづく)





日本映画史における伊丹十三の評価を確定することの困難さについて

 蓮實重彦の映画批評は、原理的に、そもそも分析の対象として俎上に乗せることすらできないものをはらんでいる。……しかし、私の知る限り、このことを指摘した論者は今のところ存在しない。
 蓮實重彦の映画批評が原理的に内在させるとある欠陥が特に言及されることもせずにきたことには、蓮實の映画批評と文芸批評とを相互に参照する読者が極めて少ないことに原因があるように、私には思える。なるほど、蓮實の映画批評と文芸批評とはそれぞれが多大な影響力を持つに至ったが、映画批評を読む者は文芸批評家としての蓮實を知らず、文芸批評を読む者は映画批評家としての蓮實を知らず、結果としてその全体像はほとんど知られない(しかし、蓮實の全体像を総括するようなことを迂闊に口にするような者自体は非常に多い)ということがまかり通ってきたように思えるのだ。
 文芸批評家としての蓮實重彦の主著から文学史に関する態度を取りだしてきたとき、一つの明確なことがある。……それはすなわち、蓮實重彦という人物には、ある一時期以降の日本映画史を論じることが本質的に不可能である、ということだ。


 蓮實自身が、『「ボヴァリー夫人」論』と並んで自身の主著と見なす書物として、『凡庸な芸術家の肖像』がある。蓮實自身の述懐によれば『「ボヴァリー夫人」論』を準備する過程での副産物として生まれてきたというこの書物は、『ボヴァリー夫人』の作者たるギュスターヴ・フローベールではなく、その才能を欠く友人としてのみ文学史に記憶されてきたマクシム・デュ・カンの人物像を中心に据えたものになっている。
 『凡庸な芸術家の肖像』において蓮實がフローベールよりもデュ・カンの方をこそ中心的に論じるのは、なにもデュ・カンの才能が過小評価されているからではない。見過ごされて埋もれてきた隠れた才能を発掘するなどということに蓮實の取り組む問題があるのではなく、むしろ、相対的に才能を持つ作家を記憶しそうではない作家を忘却することによって成立する文学史という制度そのものをこそ問題にしているのである。
 フローベールとデュ・カンとの間には、明確な才能な優劣がある。そのこと自体は覆しようもないことなのだが、しかし、両者が同時代的に共有した社会的な時代背景は、明確に両者が共有するものである。才能の落差のみに注目して才能あふれる作家のみを称揚することによって見落とされることになるのが、フランスの第二帝政期の状況であるということなのだろう。……そして、蓮實は、第二帝政期に成立した諸々の文化・制度の類は、本質的に現代に至るまで地続きのものだと見なしてもいる。
 フローベールを称揚しデュ・カンを忘れる、ときにデュ・カンを思い起こすことがあっても侮蔑と罵倒の言葉のみを投げかけるような言説のあり方について、蓮實は次のように書いている。


マクシムの記念すべき写真集を手にしたとき、だから彼は、「写真家が勲章をもらうご時世ですから」と皮肉まじりに慨嘆するばかりだ。そして、後生の文学史的な言説の多くのものも、このギュスターヴの慨嘆に同調しながら、マクシムの浅薄さ、名誉欲、功利主義的傾向を嘲笑するのが普通である。事実、マクシムはいかなる文学的な業績も残さなかったではないかと彼らは宣言する。だが、二十世紀のわれわれに必要とされるのは、いわゆる傑作と傑作の頂点を結びあわせながら、それにはさまれた谷間に棲息する無数の失敗者たちをときに応じて無視したり、再評価したりすることではなく、彼らがともに同じ一つの文化的な環境を生きつつあった事実を確認した上で、その環境が性質も才能も異るだろうあまたの存在どもをどんなふうに分節化していったか、またその分節化がいかなる物語として語りつがれることになったかを見きわめることにある。「歴史」とは、この物語の説話論的な磁力を身をもって生き、その分節化作用がどこまで波及し、かつまたどの点以上には波及しえないかを物語自身に語らせようとするもっぱら説話論的な体験なのだ。(『凡庸な芸術家の肖像』、講談社文芸文庫版、上巻p182)


 相対的な才能の優位を持つ者のみを特権かし称揚する言説によって取りこぼされた「無数の失敗者たち」は、単に評価されないのみならず、特権的な才能の持ち主の周囲を巡る物語を語る際には、その語りにとって都合のよいように実態をゆがめられさえする。……そのようなことについて、蓮實は次のようにも書いている。


 おそらく人は、ここでマクシムの功利主義的な人格を語りたい誘惑をおぼえるかもしれない。写真によって「知」の領域拡大に貢献し、同時にそのことで自分の地位を特権化したいと目論む功利主義者マクシム。すでに、ボードレールが彼に捧げた詩篇「旅」に触れつつそうした点を指摘しておいたように、マクシムの側にある種の有効性信仰があったことは間違いのない事実である。それが詩集『現代の歌』の主旋律をかたちづくっていたことも見たとおりだし、また、そんな心的傾向が誇張されて解釈され、後生のマクシム像が必要以上にゆがめられてしまったことも事実である。エジプトの砂漠に無心の視線を注ぐギュスターヴのかたわらに、小心翼々たる写真家マクシムを配し、名誉欲ともまったく無縁ではなかろうその有効性信仰を醜悪なものと断ずるというのが、伝統的なマクシムの肖像なのである。実務的な能力にたけ、何でも計画ずくでやってのけるが、そのぬけめのなさにみあったぶんだけ作家としての繊細さを欠き、結局は何一つ文学史に残る作品を書きえなかったと誰もが思っているマクシム。勘定高く写真機など持ち歩いたりせず、もっぱら視線に徹しきった同行者ギュスターヴは、この中近東旅行を想像力の実験室として生き、帰国後に、文学史に残る傑作小説の執筆にとりかかろうとしている。だが、マクシムが持ち帰ったものはといえば、一冊の写真のアルバムだけではないか。(同、上巻p177~178)


 マクシム・デュ・カンに文学的な才能などというものがない、ましてやフローベールに勝ることなどありえないというのは、単に当たり前の事実である。しかし、フローベールを特権化する言説によって実態以上におとしめられたほどまでに、積極的に悪いものであったというわけでもない。
 ……しかし、ならば、文学的な才能がないこと自体は明らかなデュ・カンはなぜそれでもなお文学に携わることを続けたのか。そのことについては、蓮實は次のように書く。


詩人として生まれたわけでもなければ小説的才能に恵まれてもいないのに文学を愛することを教えこまれてしまった人間が、いくつかの不毛な試みののちにその才能の欠如に気づき、にもかかわらず書くことを放棄しきれなかったことの悲劇が、いま、マクシムによって演じられ始めているのである。その歴史的な悲惨さがわれわれを感動させる。(同、下巻p29、ルビは省略)


何も書くことができなくなったとき、さらに書き続けるために残された唯一の途は、何も書きえないというそのことじたいを書くことでしかないだろう。そうでなければ、黙る以外にない。にもかかわらず人に黙ることを選ばせず書くことへと向かわせるとき、文学はあからさまに政治的となる。文学にとどまらず、あらゆる言説は、というべきかもしれないが、その事実を、われわれは百年かかってもいまだに体得しえずにいる。誰も、凡庸なマクシムを笑う自由など持ってはいない。実際、これまでマクシムを嘲笑してきた連中は、等しく彼と同程度に凡庸な人間ばかりである。(同、下巻p30)


 ……以上のような議論を現在の視点から改めて検討してみると、ここでの蓮實は、明確に嘘をついている。蓮實は、デュ・カンのごとき人物の「歴史的な悲惨さ」に「感動させ」られてなどいはしない。むしろ蓮實は、「誰も」持ってはいないはずの、「凡庸なマクシムを笑う自由」を存分に行使してすらいる。ただし、「百年かかってもいまだに体得しえずにいる」という言葉に自分自身を含める限りにおいて、「彼と同程度に凡庸な人間」の範疇に蓮實自身をも含むのだというのならば、蓮實の言明は適切なものであるのだと言える。
 そのことは、蓮實による文学史という制度への取り組みを、日本の映画史へと適用してみることで明らかになる。


 映画史を検討する際に一つの重要な転換点となるのが、撮影所システムが崩壊する時点である。
 資本主義的な商品として映画が定期的かつ大量生産されることが可能になるためには、映画会社が撮影所を保持することが重要となる。そして、撮影所の内部でコンスタントに映画が製作され続けるためには、様々な役割を担う撮影スタッフのそれぞれが、自分の役割に求められるプロフェッショナルとしての高度な技術を持ち寄ることもまた必要になる。
 しかし、それは逆に言えば、撮影なり音響なり美術なり演技なり脚本なりに関わるそれぞれのスタッフが、自分の役割を越えることまで深く考える必要もなく、映画の成立や自分の職分を自明視することができ、映画の製作そのものの困難な状況に投げ出されることもない、ということでもある。
 とりわけハリウッドにおいて撮影所システムが確立したことによって映画の内容にも影響が及び、映画が物語をつづるに際しての古典的な文法が確立することにもなった。……そして、時を経て撮影所システムが崩壊することになると、当然ながらそのことは映画の内容にも変容をもたらすことになったのだった(このあたりの事情については、もちろん蓮實自身も、『ハリウッド映画史講義』において詳細に論じている)。
 映画を大量生産し大量消費されることが可能になった場所であれば、ハリウッドでなくとも撮影所システムは成立してきたし、その崩壊に関する事情には多かれ少なかれ共通点がある。もちろん日本の事情もまた例外ではないのだが、しかし、日本の撮影所システムの崩壊に関しては、ポルノ映画ややくざ映画によってなんとかその崩壊を先送りにしてきたという事情がある。
 TVの台頭などによって映画を定期的に大量消費する需要が激減する中で、性や暴力を売り物にすることによって産業の延命をはかるということ自体は、それなりにわかりやすい話ではあるだろう。製作者の側からしても、ポルノ映画なりやくざ映画なりに求められる扇情性を保っていれば、それ以外の内容についてはある程度の自由を保障される体制を進んで受け入れる人々も一定数存在していたわけだ。
 そして、そのような撮影所システムの延命措置すら崩壊したさらにその後で映画業界に足を踏み入れることになったのが、例えば黒沢清なのであった。……ならば、黒沢は、どのようにして映画を製作してきたのか……自身の映画批評などをまとめた著作『映像のカリスマ』の「読者への挑戦」と題された序文において、黒沢は次のように書いている。


 さて、学生時代から始まり、十数年の歳月を経て書き溜められた短い物語の数々が、ここにこうして一同に並べられた。語彙の貧しさと見聞の浅薄さはいかんともしがたい。あからさまな矛盾が大手を振ってのし歩いている。にもかかわらず……ここからが重要だ……物語は作者の思いなどはるかに越えたところで、時としてとんでもない芸当を演じてみせる。一読し終わって、私は心底慄然となった。とりとめもなく書き綴られてきたこのいい加減な物語の中に、それらすべてを貫いて見え隠れする恐るべき陰謀と、それを周到に企てた真犯人の存在とが、忽然と浮かび上がってきたのだ。こんなことがあるだろうか。私自身、知らず知らずその真犯人に操られ、世紀の陰謀に加担させられていたのだろうか。しかし、間違いなく文章のはしばしにその痕跡が書き込まれているのである。(『映像のカリスマ 増補改訂版』、p3)


 この「真犯人」なるものが何者なのかについては、後に、黒沢自身が種明かしをしている。蓮實重彦との対談において、真犯人は蓮實重彦であるのだと黒沢自身が述べているのだ(その対談は、蓮實の対談集『映画に目が眩んで 口語篇』に所収)。
 ……もちろん、ここでの黒沢の自己認識は決定的に正しい。黒沢清という映画作家は、自分がどのような立場で日本の映画史に関わっているのかを、明晰に自覚している。……しかし、黒沢はそこに問題があるとは考えてはいないようであり、私にはこの態度はほとんど居直りのごときものとして感じられるのだ。
 撮影所システムが崩壊した後の状況に置いては、映画を製作することを自明視することなどできない。だからこそ、世界中で多くの映画作家が、そもそも映画を製作しようとすることそのものの時点から始まる苦闘を強いられてきたわけだ。しかし、少なくとも、映画を製作するにあたって、映画が存在することそれ自体は決して疑わずにすむ方法なら存在する。……それは、例えば、「蓮實重彦の影響を受けたシネフィルになること」である。
 TVのようなメディアも存在しない時代に、日常生活の中で定期的に映画を消費する観客に商品を届けたのが撮影所システムであるならば、シネフィルとは、その時期の観客とは全く異なるあり方をする観客になっている。膨大な量の映画を消費し続けることによって、映画の消費に関して選ばれた存在だとまで自任しうる一握りの観客が、最低限の価値判断を共有する趣味の共同体を形成する。そのような趣味の共同体の内部にいれば、映画の存在意義を根本的に疑うことなどは起こらず、(ほとんどフィクションとして)映画の自明性は固定されることになるだろう。


 あるとき、蓮實重彦は、「黒沢清の『カリスマ』または植物的な暴力について」という短い文章を書いたことがある(『映画狂人、神出鬼没』所収)。黒沢清の『カリスマ』を論じた短文に関してむしろ私が呆れたのは、蓮實門下の映画研究者が、蓮實の文章のキレのなさ、その弛緩したありさまに驚いたことを表明している文章を別のところで読んだときのことだった。
 この文章における蓮實重彦は、黒沢清の映画の特徴として「およそ時間の厚みを欠いたぶっきらぼうな空間」というものを挙げ、『カリスマ』の空間的な特徴とそれにまつわる演出面の問題ばかりを集中的に取り上げている。……これはもちろん、「黒沢清の映画を、時間性とそれに関わる脚本の面で論じたら救いようがない」ということでもある。
 なるほど、『カリスマ』における黒沢の演出は、黒沢の多くの作品におけるのと同じく、非常に優れたものであることは疑いようがない。しかし一方で、日本を代表する映画監督が、日本の戦後史を総括するような脚本を自ら執筆するに際して、似たような題材を先行して扱った日本文学に関しては全く無知であるとともに無頓着であることを露呈してしまっているのである。
 有り体に言ってしまえば、『カリスマ』の脚本を書いた時点での黒沢が『万延元年のフットボール』も『地の果て 至上の時』も読んでいなかったことは明らかだし、読んでいないからこそ、それらの作品と類似しつつもはるかに下回ったテーマを扱った脚本を、およそ幼稚な水準で展開していることは明らかだ。
 極めて高度な演出と幼稚な脚本とがアンバランスに同居する作品に対する蓮實の歯切れの悪い態度は、「擁護」と言うよりは、むしろ「保護」と言う方が適切なものなのではなかろうか。おそらく蓮實は、そのようなチグハグさの責任の一端が自分にあることなど、百も承知なのだろう。
 「シネフィルであること」という保護膜によって、黒沢清を始めとする多くの(演出家としての才能を欠いているわけではない)映画作家が、映画の自明性を全く疑わずにそのキャリアを築くことができた。黒沢を含め、彼らの多くが性や暴力を搾取し利用する映画に携わることでそのキャリアを始めたことは、偶然ではない。たとえ表面上で語られていることがポルノややくざであろうとも、映画の演出の価値は、それらの単純な内容とは別の面に見いだすことができるからである。
 もちろん、「シネフィルであること」によって撮影所システム崩壊後の状況を生き延びたのは、彼らが最初ではない。ヌーヴェルヴァーグこそが、初めてシネフィルになった人々である。しかし彼らは、いつまでもその立場に固執することはなかった……やがて、彼らの共同体は解体された。その後のゴダールにせよ、あるいは、それとはまた異なるギリシャの状況でのアンゲロプロスにせよ、映画の自明性を前提することなどできず、映画以外の様々な芸術なり文学なり思想なり哲学なり歴史なりを不断に学び続けることによって、かろうじて映画の継続的な製作を可能にしてきたわけだ。
 そのような厳しさ、困難な状況を回避する保護膜を後進のために形成しつつも、自分がしていることが何であるのかを明らかにすることもなく、演出とは別の側面で露呈してしまう無惨な有様をも、密かに保護し隠蔽を計ってきたこと……これは、映画批評家としての蓮實重彦の罪の一つであるだろう。
 蓮實重彦の映画批評は、「撮影所システム崩壊後の日本映画史」を分析の対象とすることは、原理的にできない。……私がそのように考えるのは、「蓮實重彦の映画批評」それ自体が、(少なくとも作り手の側の水準で)「撮影所システム崩壊後の日本映画史」に多大な影響を及ぼす要素の一つとなってしまっているからだ。
 しかし、蓮實が日本映画史との関連の中で犯したさらに大きな罪は、別のところにある。そして、そこで犯された罪があったということ自体が、依然として認識すらされていないように私には思えるのだ。


 撮影所システム崩壊後の日本映画は、ポルノ映画ややくざ映画によって性や暴力を利用し収奪することで、なんとか継続的な製作体制を延命させてきた。
 そのような状況下の日本映画で、性や暴力の収奪に荷担せず、なおかつ商業的にペイすることによって定期的な映画製作を自覚的に継続させることに成功したという、極めて例外的な映画作家が、私の知る限りただ一人だけ存在する。
 このようなことは、完成した映画作品の内容を云々するのとはまた別の水準で、日本映画史の映画製作体制の変遷を確認する上で非常に重要なことである。にもかかわらず、その映画作家は、日本映画史上での重要な存在としての意義を与えることすら不当に看過されてきた。
 なぜそのようなことが起きたのかと言えば、ここには、明確な理由がある。……その映画作家は、シネフィルたちの趣味の共同体の総帥から、実質的な破門宣告を受け放逐された存在であったのだ。


 映画製作の側に携わる人間として蓮實重彦の映画批評の多大な影響を受けたことを公言した初期の人物に、伊丹十三がいる。しかし、すでに著名な俳優であった伊丹が監督業に進出した最初の作品『お葬式』の試写において、感想を尋ねられた蓮實は「最低です」とだけ述べ、以後両者の交流は完全に途絶えたようだ。
 伊丹十三が、例えば、直接的な関わりを持つことになった後進の黒沢清と比較して、映画作家としての演出能力が完全に劣っていることは、否定しようのない事実である。……とはいえ、私の知る限り、伊丹の映画作品は必要以上に貶められ続けてきている。
 蓮實重彦が「具体的に論じるまでもなく全否定する」という身振りを見せたことを模倣してのことだろうか、多くの日本のシネフィルは、伊丹の映画を口を極めて罵ってきた。……しかし、私がこれまで見聞してきた限りでは、伊丹の映画のどのような部分の演出がどうまずいのかを具体的に指摘したようなものは皆無なのであった。つまり、伊丹十三の映画とは、「分析するまでもなく全否定してよいもの」として、少なくともシネフィルの共同体の中ではしばしば扱われてきたのである。
 だが、私自身の評価としては……少なくとも、映画製作の体制が本格的に崩壊し技術者が離散しつつあるような日本映画が続々ととんでもない代物を生産し続けた後の時点から改めて伊丹の映画を見返してみると、「真面目にちゃんと撮ってるなあ」「少なくとも映画を映画として撮ろうとしてるなあ」という感慨を抱くようなものにはなりえている。……これは、言い換えれば、優れた映画作家の高度な演出には及ぶべくもないものの、「積極的に悪いもの」として全否定されるまでのものとは到底思えないということだ。
 蓮實重彦という個人が、伊丹十三の映画に醜悪な印象を受けたであろうということは想像できる。自身の映画批評の熱心な読者であることを公言している人物の演出を実際に見てみれば、自分の映画批評を理解していない部分、誤読している部分、浅薄に取り違えてしまっている部分はいくらでも見つかるだろう。
 それは、まぎれもなくグロテスクな体験のはずである。しかし同時に、作品の客観的な評価とは関係のない、あくまでも蓮實個人の主観的な体験にすぎないことでもある。
 そういう意味では、伊丹十三と蓮實重彦との絶縁の瞬間こそが、撮影所システム崩壊後の日本映画史の一つの重要な転換点であったのだ。最初の監督作品の段階で、シネフィルの共同体の保護膜の内に入ることを拒絶された伊丹は、何ものにも頼らずに映画製作を継続しうる体制の模索に向かった。一方の蓮實は、この時点の段階で、その後の日本映画史を客観的に論じうる立場を自ら放棄したのだ。……そして、伊丹十三の日本映画史上の功績を適切に評価できない歪んだ磁場は、依然として呪いのように残存してしまっているのである。


 改めて、『凡庸な芸術家の肖像』における、蓮實の文学史に関する態度を確認してみよう。


たとえば『現代の歌』の「序文」を書き綴るマクシムは、そうした反=制度的な存在の一人である。少なくとも彼には、文学がもはや才能の問題ではなく、制度的な現象だという点を見極めうる程度には、聡明だったのである。いま、彼の青春の挫折感とともに始まった仮装と失望の時代の構造に注ぐべき視野をそなえているマクシムには、その体系と機能とを記述することが可能だし、そうした環境のもとで演ずべき文学好きの人間の役割がどんなものかをも心得ている。ところがギュスターヴは、そんなことなど想像だにしていない。しかし、それは彼がマクシムよりも聡明さにおいて劣っているからではない。彼は、いま進行しつつある世界の変容に対して、絶対的に誤った視野しか持ちえない。つまり、彼は愚鈍さそのものなのだ。ちょっと軌道を修正すれば相対的な聡明さの域に達するといった知識の欠如とは違った愚かさの中に彼は暮しているのであり、より豊富な知識による教育の試みは決って失敗するしかないだろう。そのかたわらで聡明な身振りを演じてみても、何ら有効な効果を期待しえないはずだ。つまり、いかなる方法も、いかなる実践ももっぱら無効であるしかないような存在こそが愚鈍さなのである。そして、マクシムの聡明さの限界とは、そうした徹底した愚鈍さが世界に存在しうることだけはどうしても理解しえなかった点に存している。目の前に、ギュスターヴと呼ばれる典型的な愚鈍さを見ていながら、その絶対的な現象を相対的な視点でしか捉えることができなかったのである。
 もっとも、その事実をもって、マクシムを非難するのは正しくない。徹底した愚鈍さを前にした場合、われわれは誰だってマクシムのように行動するだろう。三十歳にもなっているんだから、もういい加減にその程度のことは解ってもらわなければ困る。私自身もまた、そうつぶやいてギュスターヴからそっと顔をそむけてしまうに違いない。(同、上巻p228~229)



 ……言うまでもなく、「われわれは誰だってマクシムのように行動するだろう」と述べる蓮實は、嘘をついている。蓮實自身が日本映画の文脈でしたことは、「ギュスターヴからそっと顔をそむけてしまう」などということとは、まさに正反対のことだ。蓮實は、相対的に優れた才能を持つ作家を擁護するために不都合な部分を隠蔽し、なおかつ、聡明であるがゆえの凡庸さに収まる作家を侮蔑し、その評価が必要以上に歪められることに、(自ら手を下しまではしないものの)荷担してきたのである。
 蓮實重彦がしていることとは、デュ・カンへの悪罵を拡大しフローベールの才能を特権化することによって既存の文学史の制度を固定する凡庸な文学史家のなす凡庸な行為と、正確に同一のことなのである。


 公平を期して付言するならば、黒沢清自身は、プロデューサーとしての伊丹十三のあり方についてしばしば注意を促しつつ、伊丹の作品そのものについても正確に評価しなければならないことをこれまで何度も強調してきている。
 それからまた、もともとこの文章は、廣瀬純が『シネマの大義』で提起した「マルクス主義的表層批評」という概念の実態を探ろうとする過程での考えをまとめたものだ。
 しかし、映画史の条件となる製作体制に対する唯物論的視点を導入することによって明らかになるのは、映画を継続的に製作するということが、優秀な商品の完成によって初めて可能となるという、当たり前の事実だ。
 例えば伊丹十三という映画作家は、映画史的な状況に対する自覚を前提にして製作を続けていたわけだが、それはもちろん、資本主義を補完するということでもある。その点に関しては、商品としては相対的に劣りながら作品としては相対的に優れている黒沢清も同様である。あるいは、清順闘争には協力した蓮實重彦も、鈴木清順が映画を満足に製作できさえすれば文句がないことをも公言していたことなども、同様の状況であろう。
 にもかかわらず、作品の画面に映っているものだけを取りだして「マルクス主義的である」「反資本主義的である」と本当に言うことができるのか、私には疑わしく思える。「作品」の観点と「商品」の観点とは、そうたやすく別問題として切り離せない、入り組んだ問題なのではないだろうか。






映画『ジャスティスリーグ』を見たら、とりあえずスーパーマンは完全無欠の本物だった

 映画『ジャスティスリーグ』を見てきました。とりあえず、感想を一言で言ってしまうと、「DCコミックスのファンとして怒るようなところは特になく、とりわけスーパーマンの描写は完璧なものだったのだが、一本の映画として全体を通して見ると特に面白いわけでもない」ということになるでしょうか。
 もともと、この映画に関して、『マン・オヴ・スティール』と『バットマンVSスーパーマン』に続いてザック・スナイダーが監督を務めていたのが途中から離脱し、ジョス・ウィードンが仕事を引き継いで作品を完成させたということは既に色々なところで報じられていました。……そして、完成させた映画を見た結果として思ったのは、「ザック・スナイダーの離脱後にジョス・ウィードンやジェフ・ジョンズなんかが作り直したところはほとんどスーパーマン関連のところだけに限られてて、作品の大半はザック・スナイダーが作った素材をそのまま使ってるのでは?」ということでした。
 これは、言い換えてみれば、DCコミックスの読者がブチキレるような原作の使い方が全部削られていることを除けば、ザック・スナイダーの映画としての根本はあんまり変化してないのでは、ということです(逆に、DCファンがブチキレる描写を必ず盛り込んできてこそのザック・スナイダーによるDC映画なのだとも言えるのかもしれませんが……)。そういう意味では、終盤で製作現場から離脱してもクレジット上ではあくまでもザック・スナイダーの監督になっているということは、明確な理由があることのように私には思えました。


 さて、今回の映画『ジャスティスリーグ』、DCコミックスの擁する有名ヒーローたちが一致団結してチームを作り巨悪を打倒するまでを描いているわけですが、いかんせん、これまでワーナーが製作してきたDC映画を事前にかなり見ていないと話の設定がよくわからないような複雑な部分が多く、お祭り的に気軽にこの映画から見ていけるようなものになってはいないと思います。
 ……で、それぞれが全く異なる世界観の元で活躍するキャラクターたちを統合する過程で、それぞれの世界観がごちゃごちゃに融合してごった煮状態になり、話の前提についていくのにすらかなり骨が折れ、にもかかわらず、かなりの労力を割いて複雑な設定を全て飲み込んで話についていったところで、いざ全てが終わってみると、全体として大したことが語られていたわけでもなかった……という、DCコミックスの巨大クロスオーヴァーが全体的にダメだったときの感じが、『バットマンVSスーパーマン』に続いてこの映画でも実現されてしまっているのでした(……とはいえ、こういう失敗は、DCのみならずマーヴルもよくやってはいますが)。
 私自身は、そういう虚無感・虚脱感を「悪い意味でのDCらしさ」として楽しむこともできるのですが、別にそれを人に勧めようとは思わないのであります。
 たしかに、ザック・スナイダーがこれまで手がけてきた『マン・オヴ・スティール』や『バットマンVSスーパーマン』に比べると、この『ジャスティスリーグ』ははっきりと「明るい映画」になりえています。しかし、これはザック・スナイダーの降板によって事後的に根本的に作り替えられた結果ではなく、もともとそういう製作方針だったということのようです。
 現にと言うか、例えばフラッシュことバリー・アレンなんかは非常にコミカルな役割を与えられてはいますが、そういう類の描写の中には、コミックへのオマージュと思えるようなものは特にないのです。……これはまあ、要するに、今回のリーグにグリーンランタン枠がないもんだから、アホの子ポジションのしわ寄せがバリーに行っていると言うだけのことなんだと思います。
 つまり、全体としては、『ジャスティスリーグ』の「明るさ」なるものは、ザック・スナイダーがそうやれと言われてしぶしぶ方針転換したらこれくらいのものになるんだろうな~と思えるほどのものでしかありませんでした。……しかし、ことスーパーマンの描写に関しては、とてつもなくコミックに忠実に、すさまじい水準で達成されているのでした。


 映画『ジャスティスリーグ』の全体としての作りの緩さ、盛り込まれた諸々の設定が錯綜しっぱなしでひたすら混沌とした有様は、『バットマンVSスーパーマン』から少しテイストを変えてみただけ、というもののように思えます。……しかし、DCコミックスの読者として言わせてもらいますと、スーパーマンの描写に関してだけは、この映画の他の部分との間にはっきりとした断絶があるようにしか思えないのです。
 これはつまり、ザック・スナイダーが降板した後でジェフ・ジョンズやジョス・ウィードンが自分たちにできる限られた範疇の内でやったことは、「とにかくスーパーマンの描写のみに全振りして全身全霊を尽くす」ということだったのではないでしょうか。
 ……いや本当に、この映画、スーパーマンの描写だけは神業です。おそらく、もともとスーパーマンの出番はそれほど多くなかったような感じですから、これに関してだけは、ザック・スナイダーのやったことはほとんど痕跡が残っていない感じなのではないでしょうか。例えば、作品の終盤、『バットマンVSスーパーマン』での死からの復活なったスーパーマンが、ジャスティスリーグが展開中の最終決戦に途中から合流する場面。スーパーマンは明確に役割を振られるのですが、一般市民が巻き込まれていることを確認するやいなや、自分の役割はとりあえず無視して、即座に救出にすっ飛んでいきます。
 これは、ザック・スナイダーが決して描くことがなかったことです。一方で、ジョス・ウィードンはこのような場面を繰り返し描いてきたのですから、付け加えられている場面があるのだとすれば、ここだということになるのでしょう(そういう意味では……中盤で、人質を取った敵との闘いの渦中で、リーグの主力が人質を無視して先頭に突入する場面があってアレッとなったのですが、ヒーロー活動の経験がほとんどなく何をしたらいいのかわからないフラッシュに対してバットマンが「一人でいいから救え」と諭すという場面。あれなんかも、追加撮影によって場面の意味を変えたところということなのではないかと思いました。また、冒頭近くでワンダーウーマンがテロリストから一般市民を救出する場面なんかも、単独映画での成功を受けてのものということになるのでしょうか)。
 スーパーマンとフラッシュの二人だけが画面に映ると、その瞬間、空気はシルヴァーエイジのものになる……そのことが実現できただけでも、ジャスティスリーグを実写化する意味はとりあえずあったのだとは思えます。しかし、この映画で私が最も心を打たれたピークは、一番最初の短い場面であるのでした。
 子供のインタヴューを注意深く聞き、言葉を選んで真剣に答えるスーパーマンの姿……まあ、この場面の脚本を書いているのは、間違いなくジェフ・ジョンズでしょう。そして、脚本以前の問題として、ヘンリー・カヴィル、ちゃんとスーパーマンできるんじゃ~ん! ということに驚きました。これはやっぱり、今までヘンリー・カヴィルがスーパーマンを演じてきたときは、演出する側が悪かったということになってしまうでしょう。
 大して予算もかかっていないであろうごく短い場面に、「DCコミックスとは、これなんだよ」という強い意志がこめられているように思えました。少なくとも私にとっては、それ以降の全ての場面を合わせたよりも、冒頭の場面の方が重いです。
 しかし……長期間を割いて散々な労力を払った結果、完全に自分のやりたいことを実現できているのが、あのごく短い部分だけなのだとしたら……ジェフ・ジョンズ、やっぱもうコミックの現場に戻った方がいいよ、という感想も否めないのではありました。







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 読んだ本、見た映画の感想をつづるブログ。基本的にネタバレありです。

 

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