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全日本プロレス8月27日両国国技館大会観戦記

 全日本プロレスの8月27日両国国技館大会を観戦してきました。興業の終了後にもいろいろ考えさせることが多かった大会だったのですが、各種報道やネット上での他の人の感想なども読んで回った結果として、私の感想も残しておきたいと思うに至りました。このブログでプロレスのことについて書くのはごくまれにしかないですが、今回は記録という意味も含めて残しておきたいと思います。
 ……と、言うのも……実は、今回の大会が始まる前から私が個人的にその動向に非常に注目していた人物が一人いました。そして、その人の行動を追っていた結果、なんとも驚くべき場面に遭遇してしまったのですが……少なくとも私が見て回った範囲内では、そのことに言及しているものは皆無なのでした。
 というわけで、そのことに関して書き残しておきたいのですが、この件は、少なくとも私個人にとっては、「人は全日本プロレスという団体とどのようにして関わり合うのか」ということをどこまでも考えさせられてしまう、衝撃的な事件であるのでした。


 さて、まずは、興業全体の感想はどうだったのかと先に述べておきますと、これは多くの全日ファンとだいたい同じだと思うのですが、「新日本プロレスと関わりのあった部分以外はほぼ全てよかった」というものでした。
 いや~ほんとによかったです、新日本プロレスと関わった部分以外は。ということなので新日本プロレスとはもう関わって欲しくないですし、それから、私個人としては、新日本プロレスという団体には、今後、何があろうとも1円たりとも落とさないと決意しました。
 そして、とりあえず興業全体の中から「新日本プロレスと関わった部分」を消去してみて、全日本プロレスという団体がどのような興業を目指していたのかを考えてみると……秋山社長の考えは、やはり、「90年代の全日本プロレスの日本武道館大会をいかにして復興するか」ということだったのだと思うのですよ。
 秋山社長が以前「週刊プロレス」にコラムを連載していたときに非常に強調していたのが、「90年代の全日本プロレスの興業が全体としてみたときに、いかによかったか」ということでした。興業全体を一つの流れとして観戦したときに非常にバランスがよく、観戦を終えたときの満足度が非常に高い。これはもちろん会場で観戦して全体を見ないとわからないことなのですが、94年以降は全日本プロレス中継が30分になってしまったこともあり、興業全体の最後の最後のクライマックス部分だけが抜き出された中継を見て「全日は大技だけで試合を組み立てている」とかほざき出すアホどもが続出することにもなりました。TVしか見ていなかったファンの方がはるかに多かった結果、この偏見はいまだに残っています。見てなかった人間が安易に「四天王プロレスは~」とか言い出すときはほぼ例外なくこれだということは注意しておくべきでしょう。例えば、(TV中継が入らずジャイアント・サービスから直販の映像しか世に出なかった)阪神大震災直後の川田対小橋の60分フルタイムドローの試合とか見れば、いかに四天王が基本に忠実で、クラシカルな攻防だけでも試合を成立させられるかなどということは、一目瞭然なのです。
 まあそれはともかく、秋山社長が目指している理想は、たぶん自分と同じなんだろうなあということを意識させられた出来事が、今年に入ってから一つありました。それは何かというと、3月27日の新木場大会です。私自身はその興業は見に行けなかったのですが、メインにトップレスラーばかりが集結した6人タッグが40分以上の死闘になったことを耳にし、「ああ、これは、あのころの全日本だ……」と感傷的になってしまったということがありました。
 あれは今から20年以上前のこと、チャンピオン・カーニバルの公式戦として、「スタン・ハンセン対スティーヴ・ウィリアムス」というカードが組まれていた後楽園大会がありました。ところがウィリアムスの突発的な来日中止によってこのカードは流れてしまったのですが、その代わりに用意されたのが、トップレスラーのみで編成された特別な6人タッグ。そして、過酷な公式戦の合間を縫っての試合にもかかわらず、出場したレスラーが全員全力を尽くした壮絶な死闘の末の60分フルタイムドロー。それを見ていた私は「全日本プロレスという団体はここまでやるのか!」と衝撃を受け、ますます全日にのめりこむきっかけとなったのでした。
 そして、今回の両国大会は、あのころの全日本のビッグマッチである武道館大会と全体のデザインが同じ方向であることが目指されていたと思うのです。技術が未熟な新人の熱い試合で始まり、前座にコミカルな試合があり、その後も色々なタイプの試合を楽しめた上で、メインの三冠戦では全日ならではの重厚な試合で締める。
 今回の両国に、全日の所属選手ではない外部からのゲストが多すぎたことに否定的な声もあったようですが、私はそれには異論を唱えたいと思います。……というのも、もともと全日は「外人天国」とまで言われた団体だったわけですが、これはあくまでも、「日本人と外国人」という分け方をしたときの見方だからです。
 もともとアメリカのプロレスはテリトリー制で、当たり前のことですが各テリトリーが異なるスケジュールで動いています。そのスケジュールのズレを調整して全米からトップレスラーをかき集めていたのが全日本プロレスだったのですから、「豪華には豪華だがツギハギの寄せ集め感」というのは、実はこれこそが本来の姿なのではないか、と。むしろこれに関しては、アメリカがWWFとWCWの寡占体制になってしまってトップレスラーの大量招聘ができなくなってしまった90年代の方が、全日としては例外的な状態だったはずです。
 そして、そんな豪華だが寄せ集め感が凄い雑然とした興業を締めるのはもちろん三冠戦であるわけですが、ここにもう一つ、興業全体の核となる試合があります。私は、この部分にこそ、興業全体をデザインする秋山社長の強い意志を感じたのですがーーそれは、中盤に組まれる世界ジュニアです。私は、今回の両国大会で、改めて「90年代の全日ジュニア」とはなんだったのかに思いを巡らせてしまったのでした。


 ……などということを考えていると、ほんとーに、「新日本プロレスとの関わり合い」さえなければ、全体として非常にいい興業になっていたのだと思います。……なのですが、実は、私が興業前から注目していたとある人物の動向は、まさにその「新日本プロレスとの関わり合い」の中にこそありました。
 セミファイナルに組まれた諏訪魔対小島の試合が物議をかもすような試合になってしまったことは、既に色々なところに書かれています。……その試合が終わった後、敗れた諏訪魔がまだリング上で大の字になって倒れていた時のことです。たまたま今回は奮発してリングサイドにいた私は、リング上にいるその人物を背中の側から眺めながら、「今この瞬間、この人はどんなことを考えているんだ?」と考えていました。
 もうすぐにリングから降りるであろう状況で、その人がリングの片隅から改めてリングの中央に向き直った次の瞬間、驚くべきことが起きました。
 ……海野レフェリー、謝ってましたよ……。
 無言のまま頭を下げる海野さんの先にあったのはリングの中央ですが、対角線上には、倒れたままの諏訪魔の姿がありました。ですから、それは「全日本プロレスという団体への謝罪」とも取れますし、「諏訪魔という個人への謝罪」とも取れます。いやそれ以前に、自分が所属しない他団体でレフェリングしたのだから、単に礼儀を尽くす意味でお辞儀しただけと取ることも可能です。……しかし、私には、あれは「謝罪」の仕草としか見えなかったのですよ……。
 海野さんは、いったい、この日、どんなことを考えていたのか。様々な偶然の巡り合わせが重なって古巣で再び仕事をすることになった海野さんの来歴を改めて思い起こしてみれば、「人は、いかにして全日本プロレスという団体と関わるのか」ということを考え込まずにはいられません。
 私自身もある程度の年月を生きてきて改めて思うのですが、自分の人生のどこかで「天龍源一郎と全日本プロレスのどちらを選ぶのか」とか「三沢光晴と全日本プロレスのどちらを選ぶのか」などという選択を迫られるのは、絶対にイヤです。……だから、それを迫られたことがある上で、あっさりとその後の進路を決めることができたのならともかく、悩んだ末になんとか決断を下さなければならなかった人間のことは、どちらの決断を下したのだとしても否定しないことに、個人的に決めたのです。
 だから、天龍を追って全日本をあとにした海野さんも、本当は仲間なんだと思いたい。……しかし、新日本の選手が出場する大会に帯同するレフェリーとして派遣されてきたということは、これはもう、全日本に向けて放たれた刺客に決まっているわけです。個人としての心情はどうあれ、仕事としてはその役割を果たさなければならない。
 ではなぜ、その海野さんが、新日本とは関係のない第9試合の世界ジュニア、TAJIRI対ウルティモ・ドラゴンのタイトルマッチを裁くことになったのか。……そんなん、全日の側の海野さん個人への配慮に決まってるでしょうよ。
 海野さんが全日を辞めた後、その先のSWSやWARでともに過ごしたウルティモ・ドラゴンとの思い出にまでわざわざ配慮して仕事を振ってもらえた。……そりゃあね、WARという団体の存在を覚えている人間なら、ウルティモ・ドラゴンが大舞台でタイトルマッチをやるのはもしかすると最後かもしれないというような状況で海野レフェリーがたまたま居合わるようなことがあったら、これは試合を裁いてもらわなければダメだと、誰だって思うでしょう。……しかし、そこまで気を使ってもらえたのだとしても、当の海野さん自身の役割としては、「全日本プロレスへの刺客」でしかない。いくらなんでも気の毒すぎるでしょう、これは……。
 だいたいさあ、海野さんがわざわざ「レッドシューズ」を名乗ってるのだって、別にレッドシューズ・ドゥーガン本人へのこだわりじゃないでしょう。これはあれでしょ、かつて京平さんが初めてレフェリーをやることになったときに、最初の練習で言われたのが「レッドシューズ・ドゥーガンの動きをやってみろ」ということだったことにちなんででしょ? WARもなくなり馬場さんも亡くなってしまって、海野さんの業界生活の前半生にあったものが全てなくなってしまったその後でわざわざ「レッドシューズ」と名乗ることにしたのは、偶然ではないと私は思ってます。
 そんな人物が、興業に関するどこかの時点で、どうしても謝りたくなってしまうような何らかの役割を果たさざるを得なかった。それも、よりによって京平さんの目の前で。これではあまりにも辛すぎるし、その後の海野さんは、京平さんとどんな風に接したのか、いや、そもそも会うことすらできたのか……。
 この試合を終えた後の小島が、「悲しい」だって? ……いやいや、それほどのことはないと思うよ、海野さんの置かれた状況に比べれば。だって小島の場合は、自分が置かれた状況について堂々と大っぴらにすることができるじゃない。その時点で全然違う。海野さんの場合は、自分が置かれた状況がどんなものであるのか気づかれることすらない。……いや、正確に言えば、この日実際には何が起きたのかということを知り得た上で、それに関わる人々の過去の経緯を全てわかっていて照らし合わせることもできる数少ない例外として小佐野さんがいたりするわけですが、まあさすがに、これはどこにも書けないでしょう。とうことは、結局のところ海野さんは、自分のこの日の気持ちを明らかにすることもできず、どんな役割を果たしたのかもまで含めて、たぶん墓場まで持っていかなきゃならない。
 今の海野さんの立場からすれば、確かに、リングを降りる直前に黙ったまま頭を下げるという以上のことはできないんでしょう。もちろんそれは、今の自分の役割の中で自分の仕事をすることを選んだということなんだから、それが海野さんの人生だということです。だから、仮に海野さんに責任がある何ごとかが明るみに出るようなことがあったとしたら、全日ファンから批判されてもしょうがない。……しかし、これは、あまりに悲しすぎる……。


 結局、こういうことを考えてると、「諏訪魔というレスラーにどのように接するのか」という部分に、その人が全日本プロレスという団体をどのようにとらえているかということがはっきりと現れると思うわけです。
 全日本プロレスを一度も辞めもせず、捨てもせず、裏切ることもせず、ただ守り抜いてきた……という点では、(今の全日の生え抜きの若手を除けば)現役のレスラーだと、もう渕さんと諏訪魔しかいないわけですよ。特に、諏訪魔がいなければ、全日本プロレスという名称自体が存続していなかったわけです。そしてそれを、天龍源一郎に心酔している男がやったということは、ほとんどありえないはずの奇跡的なことなわけですよ。
 もちろんそれは、諏訪魔が不器用な生き方しかできないからでしょう。全日ファンとしても、何でそういうときにそういうこと言うかな~みたいなことを思わせる言動も、正直ちょいちょいありますよ。……しかしですよ、全日本プロレスに何らかの形で関わり、何らかの事情で悩みながらも去っていった数多くの人々にしてみれば、諏訪魔の生き方にはどこかまぶしく感じさせるところすらあるんじゃないかと私は思います。あまりにも不器用すぎるし自分がそんな生き方を選ぶことはできないけれども、しかし、もし可能であれば、その生き方を選んでもみたかった、という。
 改めて考えてみるまでもなく、海野さんは龍原砲の両方の最後を看取った人であるわけですから、諏訪魔について何も思うところがないなんてことはありえないだろうってことですよ(……しかし、よくよく考えてみれば、私自身も、その二つの試合の両方とも、最後に海野さんが3カウント入れるのを直接見てたんだよな……)。
 実は、この文章を書くに当たって、だいぶ記憶も薄れていたので、阿修羅原が引退したころのWARの映像を見返してみたんですけれども。特に、阿修羅の最後の試合となった壮行バトルロイヤルは、それはそれは壮絶なものでした。
 最終的に龍原砲のパートナー同士が一対一でリングに残った状況で、天龍は、阿修羅をボッコボコのズタボロにしてしまいます。しかし阿修羅は、そもそも体がガタガタだから引退するはずなのに、天龍にやられるたびに、歯を食いしばって何度でも立ち上がってきてしまう。……そして、海野さんはと言えば、試合を裁くレフェリーであるにもかかわらず、「原さん、もうやめましょうよ!」などと叫び出してしまう。
 何ともいえない神妙な表情になりながらも、攻撃の手は全くゆるめない天龍。終盤になると泣きながらレフェリングしている海野さん。……改めてこの試合を見ちゃうと、海野さんに対しては、天龍革命によって全日本のその後の闘いを変えた男たちが出て行ってしまった先の終焉の地で、同じく全日本出身の人がちゃんと最後まで立ち会ってくれたことについては、ただただありがとうとしか言えないですよ。
 そして、ほんとはこんなことを改めて書かなきゃいけないこと自体がいやなんですが……龍原砲のために泣いたことのある人にとっては、諏訪魔こそが、本来なら同志になっていたはずの人間だっていうのは、当たり前のことのはずなわけです。
 だから、なんの躊躇も葛藤もないままに、無邪気に諏訪魔を罵倒したり頭から全否定したりすることのできる人間は、全日本プロレスが云々という以前に、それまで生きてきた中で何かを守ったり、守らなければならないはずのものを守りきれない自分に悩んだり……などという類の経験が全くないんだろうと、私なんかは思うわけです。


 ……ず~っとプロレス見てきて、なんでこんな悲しい思いをしなきゃならないんだ……と、そんなこともちらっと思いはしたんですが、ずっと見続けてきたからこそ、ある試合が実現するまでの昔からの背景にまでさかのぼって、深く深くわかることもある。今回の両国大会だと、(海野さんのことを除いても)世界ジュニアのタイトルマッチが、実にどこまでも味わい深い試合であるのでした。
 正直なところ、最初にこの「TAJIRI対ウルティモ・ドラゴン」というカードが組まれたときには、「ビッグマッチだから外部のビッグネームに頼っちゃうってことか~」くらいにしか思っていませんでした。……しかし、いざ試合を見終えた今となっては、おそらく秋山社長の興業全体のデザインの意志が最もズバリとはまったカードだったんじゃないかとすら思っています。
 そして、改めてここに書いておきたいのは、ここ最近の間、全日に定期的に参戦することになったTAJIRIの仕事は大変すばらしいものだったということです。6人タッグだろうがなんだろうが、一つ一つの試合にどのように取り組むのかを、毎回徹底して考え抜いて試合に臨んでいたと言いますか。
 ただでさえ、プロレスも最近はエンターテインメント性の側面ばかりが強調されることが多い。なおかつ、6人タッグのように勝敗の行方にあまり注目のいかない試合形式だと、さらにそのあたりはおろそかにされがちです。……しかし、全日本での試合に臨むTAJIRIの態度は、全日本の試合の前提となるPWFルールを尊重し遵守した上で、その枠内で勝利を目指すためにはどのように試合を構築するのかということが入念に考えて一つ一つの試合に丁寧に取り組んでいたように思えたのです。
 これは言い換えれば、プロレスの競技性を重視するということでしょう。例えば反則攻撃によって勝利への最短ルートを進もうとするのだとしても、試合の流れの中でレフェリーの死角を生み出した上で、その隙を活用して行わなければならない(……ヒールなのに、たったそれだけのことができないレスラーが、今やどれだけいることか……)。また、自分が最終的に勝利するために、ある試合の途中経過であるやり方を採用したとしても、また他の試合になると異なる選択肢を取ることもできるということをいちいち示していたりもしていました。つまり、自分の戦い方には複数の選択肢があり得るということも、一つの戦術としてきちんと提示していたということです。……結果として、同じ会場での異なる興業でTAJIRIの試合を続けて見ることになった同じ観客は、異なるタイプの試合を見ることになりました。……つまり、プロレスの競技性を重視するからこそ、結果として観客に何を見せるかという意味でのプロ意識もまた同時に満たすようなことが実現できていたわけです。
 では、そんな風にして、試合の構築の仕方、自分の見せ方を徹底して考え抜いていたTAJIRIは、ウルティモ・ドラゴンとの試合で何を見せるのか。……ウルティモ校長と言えば、最近はジャベを中心とした重厚なスタイルで試合を組み立てています。そして、それに対してTAJIRIが選んだのは、あえてグラウンド中心の戦いを選んだ上で、なおかつ寝技中心の攻防でウルティモ校長を圧倒するという離れ業なのでした。
 一方のウルティモ校長は、グラウンドで主導権を握られたと見るや、スタンドの攻防になると、ふだんよりも明らかにスピードを乗せた打撃を連打することで、寝技中心のゆったりとした試合展開を一気に変調させ、流れを完全に変えた上で高速で畳み込んで自分の側に勝利を引き込むという、これまたすばらしすぎる試合巧者ぶりを見せつけてくれたのでした。
 ……などという風に、全くもってすばらしい試合を堪能できたのですが、同時に、この試合がこのようなものになったことを最も喜んでいるのは秋山社長なのではないか、とも思えたのです。それはどういうことかと言うと、この試合は、90年代の全日本の武道館大会で、メインの三冠戦より前の中盤で実施される世界ジュニアが興業全体の中で持っていたのと同等の意味を持っているように思えたからです。
 90年代の全日ジュニアにおいては、渕やクロファットや小川のような職人的な選手によって、飛び技やら派手な大技やらなどといったものなどほとんどないままに、地味ながらも異様なまでにテクニカルな攻防が繰り広げられていました。……そして、まさにそのことによって、興業全体の中でいつも全日本プロレスは「プロレスの真髄」「プロレスの本質」のなんたるかを提示し続けていたように思うのです。
 既に書いたように、90年代の全日の試合を大雑把に「四天王プロレス」と呼んで「大技ばかり」などと言う者は後を絶たないのですが、これは、シリーズ全体の最終戦の興業の中でも最後の試合のクライマックスのダイジェストしか見ていない者の無知に基づく偏見でしかありません(WWEですら、レッスルマニアのメインならフィニッシャー乱発になることなんてよくあるんですけどね……)。しかし、興業全体の流れの中で見れば、まずは世界ジュニアでプロレスの本来のあり方に基づいた攻防がじっくりと見せられた上で、「プロレスの基本を突き詰めても勝敗がつかない、さらなる超越世界」として、終盤になるとどれだけ大技を投下しても決まらない三冠戦が提示されていたわけです。……つまり、90年代の全日において三冠戦の権威を担保していたのは、実は世界ジュニアの存在だった(ということは、細かいことを言うと、全日が馬場体制から三沢体制に変わって「小川良成の扱い」が変化したことは興業全体のデザインが変質する大事件だったということになるのですが、今回はこのあたりのことは掘り下げません)。
 そして、現在に至って、「90年代の全日ジュニア」が担っていた役割を、ウルティモ・ドラゴンとTAJIRIが担うことになる……このことには、私としては非常に感慨深いものがあるのです。


 日本のプロレスの歴史の中でも、90年代のジュニアヘビー級とは、ジュニアがジュニアならではの独自の価値を見いだされた初めての時代であったと言えます。……もちろん、それ以前にも、例えば初代タイガーマスクは大変な人気をもたらしたわけですが、それはあくまでもタイガー個人の人気がありきのもので、ジュニアという階級そのものが独自の価値を認められたというわけではありませんでした。
 一方、90年代の新日ジュニアは、もともとクリス・ベノワやエディ・ゲレロなどの超一流のレスラーを(なぜか意味不明のギミックを与えつつも)擁していたのみならず、獣神サンダーライガーの主導の元で多くの他団体と友好的な交流の輪を広げることで、巨大な流れを作っていったのでした。
 あまり交流のなかった団体同士でも「ジュニアのみ」という限定でなら垣根が取り払われ、新日以外のレスラーにも平等に脚光が当てられ、ユニバーサルから派生したみちのくプロレスの多くのレスラーが和製ルチャを評価されるようになり、ハヤブサという新たなスターも生まれ……そして、ジュニアのみの大会でも日本武道館や両国国技館すら埋まるほど、「ジュニアの独自の価値」が確立していったのでもありました。
 そんな中、「ジュニアのみ」という枠組みであってもかたくなに交流の輪に混じろうとしない全日ジュニアに非難の声が挙がることもたびたびありましたが……全日以外のほとんどの団体が交流戦によって切磋琢磨し、派手な飛び技や高度な攻防がエスカレートしていく中で、逆に多くのレスラーの試合が相互に影響を与えあって均質化していくようなこともあり……結果として、「ジュニアのみ」というくくりをすると、全日ジュニアはほとんど異次元世界のような異様な空間になっていたのです。
 だから、何年か前の全日の分裂騒動で選手もいなくなる中に参戦してくれたウルティモ・ドラゴンが、渕さんとの試合を強く望んでいたことに、私としては非常に嬉しい気持ちがしたのです。ウルティモ校長のような、90年代のジュニアという潮流の中での中心人物の一人にしてみれば、90年代の全日ジュニアについて「あれはいったい何だったのか」という疑問がいまだに残っているのに違いない、と。
 一方の、TAJIRI……というか、渡米する前、まだ線も細かった頃の田尻義博にしても、キャリアが浅い内からその才能は明らかなで、めきめきと存在感を発揮していました。そしてそれは、90年代の日本のジュニアの複雑で派手な攻防にあっさりと対応できるという意味でのものだったのですが……ある日突然、ふらっと海外へ旅立ってしまったのでした。


 ……しかし、こんな風に書いといてなんなんですが、90年代の新日ジュニアを中心とした動きには、実は私自身は、結構早い段階で冷めていたのです。そして、そのことには、はっきりとした原因があります。……実は、エディ・ゲレロのECWでの試合を見て、大きな衝撃を受けたからです。
 ECWと言えば、レスラーが自分のやりたいことの何をやってもいい団体です。団体のカラーや都合に合わせて、試合スタイルの変更を迫られたり、強制的にギミックを押しつけられることはありません。……そんな団体で、エディが例えばディーン・マレンコなんかと戦うときに見せるのは、グラウンドでの技術のしのぎ合いにこだわり抜き、あるいは、一見すると地味な基本技の精度を磨き合う、そんな試合なのでした。
 ぱっと見は地味でも実際には高度な技術が披露されると、会場全体で拍手喝采が送られる……そんな、ECWアリーナの観客たちの前でのエディの試合をひとたび見てしまえば、二代目ブラックタイガーというマスクマンとして新日ジュニアの派手な試合に完璧に適応した姿は、実はエディ自身が本当にやりたかったことではないであろうことは明らかなのでした。
 まあ、当時の新日ジュニアにも保永のようなテクニシャンもいたわけですけれども、「新日ジュニアの主流スタイル」に合わせていることは明らかでした。しかしエディの場合は、今にして思えば、団体の色に合わせてスタイルを根本的に変えてみせることなどいくらでもできるクラスの選手だったのでしょう……当時の私には、新日ジュニア向けにスタイルを変えてきていること自体にすら気づけなかったのです(……しっかし……改めてこういうことを考えていると、「レッスルマニア20」のラストにあんなとんでもないものを持ってきてくれたWWEのことは、やっぱり根本的に否定することはできんのですよ。私の考えとしては、あれは「90年代の日本のプロレス全体にとってのエピローグ」ですよ。泣きますよあんなん。ていうかアメリカのプロレスしか見てないほとんどの観客はよくわかってなかったでしょあれ。あれは私にとって、会場で生で見たわけでもないのに映像だけでもあまりにも感動してしまったプロレス二大場面の一つですよ。ちなみにもう一つは、エディ・ゲレロ対ディーン・マレンコのECWラストマッチです)。
 そして、世界の様々な場所で戦い、長い遍歴を経た末にたどり着いた場所は、ウルティモ・ドラゴンにしてもTAJIRIにしても、「エディ・ゲレロの本来の姿」に近かったのではないでしょうか。
 だから、もしも、この二人の中で「90年代の全日ジュニアとはなんだったのか」という疑問が未だに残っているのなら(さすがに渕さんも体力的にはキツすぎるから、戦っても当時のことはあんまわかんないと思いますし……)、全日ファンの私としては、お二人に伝えてあげたいことは、非常に簡単です。それはもちろん、「今のあなたたちがやってることです」ということになります。


 さて、それでは、この日のメインの石川対宮原が、全日本の看板たる三冠戦としてどうだったのかというと……もちろん、十分以上にいい試合ではあったわけですが、それでも、特に宮原の試合としてはそれほど上位にくるものではなかったかなあ、とも思いました。
 宮原健斗というレスラーに関して、棚橋との比較をするのは色々なところでしょっちゅう目にしてきましたが……まあ、そういうのからわかるのは、むしろそれ言ってる人々の方こそがパフォーマンスだけしか見ておらず、試合そのものは見てないってことですよね。さらには、試合前後のパフォーマンスにしても、最近のやつを見ていると、棚橋というよりかはアメプロの見せ方を相当熱心に研究して色々なところから取り込んできているのが明らかなんですけれども……。
 宮原の試合に関しては、昔からの全日ファンもわりと支持している人が多いのは、試合が始まるとパフォーマンスはほぼなくて闘いの動きだけで内容を見せており、なおかつカタいことも結構やるからでしょう。……そしてもう一点、宮原の試合スタイルの大きな特徴は、「タッグパートナーと対戦するときにも平然とえげつないことをする」ということです。これは全日の中で言うと天龍や川田や秋山の系譜なので、鶴田や三沢や小橋とは異なる流れなんですよね~。
 川田にしても秋山にしても、どこかの時点で「自分は三沢さんより下でいいや」「自分は小橋さんより下でいいや」と思っちゃったふしがある(というか川田の場合は、「ぶっちゃけ二番手ぐらいが一番おいしい」などと公言しだす始末)。そういう意味では、今の宮原を見ていると、「川田と秋山が本気で天下を取りにいっていたら、いったいどこまでいったのか」という夢想を重ねるという楽しみもあるわけです。
 で、そんな宮原の最近のシングルで特に重要な試合だと思えたのが、チャンピオン・カーニバル開幕戦での、ジェイクとの公式戦でした。この日のメインは諏訪魔と石川による公式戦で、すさまじいパワーがぶつかり合う肉弾戦が展開されており大評判でもあったのですが、実は私としては、宮原対ジェイクの方が面白く見ることができたのでした。
 まず、宮原の異常なまでに緻密にコントロールされた試合の組み立てにうなったということがあるのですが、同時に、タッグパートナーのジェイクにえげつない攻撃を連発して突き放していくスタイルが非常によかった。宮原のキャリアを振り返るときには、このジェイク戦と潮崎戦とはきちんとおさえておくべき試合だと思えたのでした。
 そんな宮原のシングルでも、諏訪魔戦とジョー・ドーリング戦と石川修司戦に関しては、それほど優れたものではないとも私は思っています。……というのも、この三人は今まで相手をぶっこわさないようにある程度パワーをセーブして試合をしてきたと思いますが、宮原だと受けきれるので、全力を出してくる。そして、宮原も受けきれることはできるのですが、試合をコントロールすることまではできていないのです(……そう考えると、体格は宮原よりさらに劣るのに、潮崎はいかにとんでもないことをしてたのかっちゅーことですな……)。
 一方、そういうことを考え合わせると、石川の三冠戦を見てて思ったのは「危険技を連発しすぎ」ってことでした。もともと、全日本で一線を越えた危険技が解禁されるようになったのは、体格で劣る三沢や川田が鶴田やハンセンと戦わなければならなくなり、その状況を打開するためでした。石川の場合は明らかに「鶴田やハンセンの側」なんですから、体格差を帳消しにして基礎体力以上のダメージを相手に与えることのできる危険技を使ってはいかんでしょう。石川の場合、飯伏とかと同じことやろうとしちゃダメですよ~(ついでになりますが、90年代後半に向けてさらに過激になっていった四天王の闘いについて後知恵で危険性ばかりを強調して批判する連中は、いったいなんなんですかね。鶴田も天龍もブロディもおらず、ゴディも離脱しハンセンもさすがに衰えてきているが、アメリカからトップレスラーを呼ぶことはできない……という状況での生き残り策として過激なプロレスがあったはずなわけですが、それがダメなら、じゃあどうしていたらよかったんでしょうか? 無策のままに全日本プロレスそのものが滅びていたらよかったんでしょうか。……いや、そういうことを言う連中は、本当に「滅びていたらよかった」とか思ってそうだな……)。


 今回の両国大会については、全体としてはおおよそ以上のようなことを考えていたのですが、なんせダークマッチを含めると14試合もあったので、それ以外にも色々と見所はありました。
 例えば、プロレスとは関係ないところで耳にして気になっていた、トランプ支持者ギミックのサム・アドニスが見られたのがよかったです。……で、実際にアドニスの試合を見てみると、「真面目な人だな~」という印象を持ちました。なんというか、「プロレスのヒールというものは、こういう状況ではこういうことをやるべきだ」というのをいちいち守り、律儀に「ヒールとしてやるべきこと」を積み上げていく人だったのです。そして、「今私はこういう悪いことしてますよ~」というアドニスの動きをいちいち拾って、律儀にブーイングしていく全日ファンも最高だと思いました。
 あとは、ね……う~~~~ん…………タイチ対青柳の試合なんですけれども。ネット上での感想を見ていくと、好意的な評価が結構多いようだったんですが、それに関しては、私としては理解に苦しみます。秋山社長は青柳くんのタイチ挑戦については「もういいんじゃないか」とのことのようですが……いや~、秋山さん、社長という立場じゃなかったらブチギレてますよね?
 私自身は、タイチの試合なんてずーっと見てなかったんですが、今回の試合を通して見た感想を一言で言えば、「日本人が根本的に勘違いしてできた偽アメプロの、ダメな部分のみを抽出・濃縮してできたような試合」ということになります。
 ……いや、正確に言えば、アメプロでもこういう試合はありましたよ。しかし、ダメだったから、淘汰されて滅びたんすよ……。なんで、今さらこんな試合ができるんだ……。
 しかも、アメプロの場合、こういう試合をするレスラーも、筋力だけ見れば化け物クラスであったりはするわけです。しかし、実際にタイチの試合を見ててすぐに思ったのは「基礎体力がねえなあ」ということだったんですよね。
 そんで、格上のはずなのに基礎体力の面で青柳くんについていけず、ろくにダメージを与えていない側のタイチが、「十分経過」のアナウンスを聞くやいなやフィニッシャーを出そうとしたのには、さすがに呆れかえりました。で、まだ突き放すことができていないと見るや繰り出したのが、ステップキックやらジャンピングハイやらパワーボムやらの、川田の技だったわけです。
 ……これ、「川田へのオマージュ」なんて、そんないいものであるんですかねえ? 私はむしろ悲しかったんですけれども。基礎体力がない人が川田の技を本当に型をなぞるだけで繰り出してくるなんつーことは、どう考えても、川田自身のプロレスとは対極にあります。
 川田が格下や若手相手にセミより前とかで試合をするなら、パワーボムを出してくるなんてことは絶対にありません。ジャンピングハイも出さない。ましてや、ジャンピングハイをつなぎ技に使うなんてありえない。ステップキックなら格下相手にも使うでしょうが、それがあまり効いていないようなそぶりをちょっとでも相手が見せようものなら、逆ギレしてさらにえげつない威力でステップキックを繰り返して、痛い目をみせてきます。
 映像ではあまり残ってもいないような、川田のセミより前とかでの格下相手のシングルって、あまり覚えられてないというか、そもそもあんまり見られてないんでしょうか……。川田がこういう試合を組まれると、まず、露骨なまでにものすご~く不機嫌そうな表情で入場してきます。タイトルマッチで羽織ってくるようなジャンパーとかを身につけてくることもなく、上半身裸のままで出てきてそのままリングに上がるだけです。そんで、いざ試合が始まると、チョップやキックなどの基本攻撃だけをひたすらカタく入れてきて(今思い出しましたが、若い頃のRVDが全日に初来日したときには、川田の蹴りが痛すぎて素で泣いてたことは有名です)、それだけで体力が削られます。
 で、先述したようなステップキック連打とかで相手が戦意喪失しかけてきたら、今度は起き上がり小法師チョップの連発でリング中を引きずり回します。倒しては起こし倒しては起こし倒しては起こし……をうんざりするほど繰り返し、もう相手が自分の力で立てなくなっても無理矢理引っ張っては立ち上がらせてはまた倒し、本格的に立てなくなったら、リングの中央にまでずるずる引っ張っていって、ストレッチプラムでありえない角度に体をねじって、相手にギブアップさせるか、見かねたレフェリーに止めさせるかします。
 そして、大の字になって倒れたままの相手には一瞥すらくれることはなく、さっさとリングから降りると、汗でも拭きながらすたすたと控え室に帰っていきます。……これこそが、川田の試合ですよ! これこそが、デビュー直後からスーパールーキーとして大きな期待を寄せられた秋山準を、一分で沈めた男ですよ! しかも、そんな試合をした理由を聞かれれば、「新人のくせにチヤホヤされまくっててムカついたから」などというだけのことなんですよ! そりゃあこんな試合ばっかしてたら、三沢にも素で嫌われますよ! そして、そんな風に三沢に忌み嫌われてこその川田なんですよ! 一方、川田のせいでプロレスやめたいとまで思い詰めた秋山さんはと言えば、のちには自らがKENTAをかつての自分と同じような心境に追い込むことになるわけですよ! 最高だろこの系譜!
 川田イズムを継承するということは、技の形をなぞるということではありません。むしろ、最近の試合で私が最も川田イズムを感じた試合と言えば……何年か前に全日の横浜ラジアントホール大会の第一試合で行なわれた、青木篤志対めんそ~れ親父です。この試合、たぶん試合前になんかあったんだと思いますが、のっけからなぜかブチキレていた青木が、めんそ~れ親父を一方的に攻めまくってボッコボコにしてしまいます。
 で、翌日の後楽園大会でめんそ~れ親父が泣きながらマスクを脱いで素顔の中島洋平に戻ったんですが、「そりゃ、一から出直したくもなるわ……」と思わせるのに十分な試合でした。それにしてもこの青木は川田っぽいな! と思いましたが、よくよく考えてみれば、川田はこういう試合はしょっちゅうやってたわ……とも思い直したのでした。
 そういう意味では、青柳くんなんかのさらなる成長に必要なのは川田イズムの注入ということ自体は正しいと思うんですけれども……秋山さんが「川田さんと闘って自分は成長した」という言葉は色んなところで引かれてますが、その前の部分の、「当時は大嫌いだったけれども」という部分も忘れてはいかんと思うのです。今の青柳くんもずいぶん成長してきたとは思いますが、それでも、全盛期の川田なら、確実に三分以内で仕留めにきますね。……そんで、試合後にコメントを求められると、タオル回しについてネチネチネチネチ嫌みを言い続けるわけです。


 ……まあ、そんなこんなで、なんだかんだで全体としては楽しめたのが今回の両国大会だったわけですけれども、やっぱ諏訪魔が微妙な感じだと、なんともモヤモヤしたものが残るのも事実ではあります。
 私、なんとなく以前から感じていたんですが、全日本プロレスにおける諏訪魔の位置づけって、『スラムダンク』の赤木みたいだな~と。身体能力の高さを買われてはいるんだけれども、あまり日の目の当たらない弱小チームに入って、あまりいい目ができるわけでもない。そんで、ようやくチーム全体の戦力が整ってきたと思ったら、今度は個人的に悩んで停滞し、不甲斐ない試合をしちゃったりする、という……。
 諏訪魔に対して「華がない」とか延々言い続ける連中って、ほんとにアホかと思いますよ。例えば『スラムダンク』を一読してみても、赤木や魚住に華があるわけないだろ! というね。流川や仙道みたいなキャラだけだったら面白くないだろ~!(……まあ、「流川や仙道みたいなキャラしか出てこない」というようなタイプの漫画もあるんでしょうけれども)
 私としては、諏訪魔がなんともふっきれない消化不良の姿を見せるたびに、「諏訪魔……!」「諏訪魔だ……!」「諏訪魔よ、全日本プロレスの魂はお前なんだ……!」などという観客の声が脳内に響くわけですよ。
 そういう風に考えてみると、両国とかの大会場に満員の観客が詰めかけるようになったときに諏訪魔が感無量の表情をしていても、横から「ずっとこんな仲間たちが欲しかったんだもんな……」とか声をかけてくれる人もいないわけですよ。……うう、雷陣はいったいどこに行ってしまったんだ~……
 宮原が潮崎の顔面を兼ね備えていたら、間違いなく流川だったのだが……などと思いつつ、他団体にまで目を向けてみると、思うところがあったのです。……あれ……岡林、もしかして魚住なの……?


 岡林「今日のお前は今までで最低だ諏訪魔! こんな出来のお前を倒してもなんの自慢にもならん。勝って当然だからな!」


 おお、岡林が活を入れてくれている……ん? それに続いて、どこからか声が聞こえてきたぞ……


 「たとえ諏訪魔が不調だろうと、全日本にはさらに手強い男がいることを忘れんなよ!」


 ……の、野村ーーーーーッ!? ……え、とうことは野村くん、もしかしてこんなことも言ってる……?


 野村「相手がWWEだろうと新日本だろうと、わが全日本は絶対勝ァーーーつ!」
 青木「お前……自分が何を言ってるのかわかってるのか?」
 野村「おめーらプオタの常識はオレには通用しねえ! シロートだからよ!!」


 ……やべえ、野村くん、めちゃかっこいい……。そうか……ということは、全日本プロレスの道場では、きっとこんなことが起きていたのに違いない……


 渕さん「ボディスラム2万本です」
 「なにいーーっ!!?」
 野村「2万で足りるのか?」
 「なにーーっ!?」


 初心者として全日本プロレスに入門して以来
 受け身・ロープワークなどの地道な基礎練習を続けてきた野村
 その彼にとって
 ボディスラムの練習は楽しかった


 (くそ……あんなに腰が痛そうなのに、なんで渕さんはあんなにきれいに投げられるんだ……?)


 ……などということからもわかるように、今の全日本プロレスの主人公は、野村直矢なのであります。今回の両国大会で私が最も感じたことは、実はそれだったのです(うぅ……ということは、いつか、野村くんが「渕さんの栄光時代はいつだよ……世界ジュニア14連続防衛のときか? オレは今なんだよ!!」などと言う日もくるのだろうか……)。
 しかしほんとに真面目な話、今の野村は、小橋が最強タッグに初優勝した頃より少し前ぐらいの状態には、既に到達していますなあ。





『DCユニヴァース:リバース』の邦訳に関して一言

 先ごろ『DCユニヴァース:リバース』の邦訳が出版されたということ自体は望ましいことだと思うのですが、その邦訳を読んでいて、一点どうしても気になる部分がありました。
 DCユニヴァースの時空の改変にまつわる事件の影響で現実世界から弾き飛ばされたウォリー・ウェストが、自分がいなかったことになり誰も自分のことを覚えていない世界を外から眺めながら、自分をこの世界にとどめてくれるかもしれない、自分にまつわる人々の間を次々に飛ばされていく――というのが、『DCユニヴァース:リバース』の大筋です。
 しかし、改変された世界では誰も自分のことを覚えておらず、かつて光速を突破しスピードフォースに飲み込まれながらも、その絆によって何度も帰還したリンダとの関係すら、記憶がない以上どうにもなりません。
 リンダとの絆すら失われた中で、現実世界への帰還を諦めたウォリーが最後に飛ばされることになるのがバリー・アレンの元だったのですが……この際、邦訳では、バリーが「この事件の張本人」と訳されており、思わず、「こ、この訳は、ちがーーーーーーう!」などと叫び出しそうになってしまったのであります。
 コミックの翻訳というものは、フキダシのスペースという物理的な制約がある以上、ある程度内容をはしょった意訳になること自体は仕方のないことです。しかし、この場合、長さの制約とは無関係な部分で、作品全体の読解に影響が出てきてしまうようなことが起きているのです。
 原書では、この部分で、バリー・アレンが'the man who started it all'と表現されています。ライターのジェフ・ジョンズは、いったいどのような意味で、バリー・アレンをこのように表現したのでしょうか。


 ヒーローコミックの時代区分には、人によって色々な区分がなされますが、「ゴールデンエイジ」と「シルヴァーエイジ」の間の区分に関しては、ほとんど人によっての意味のブレがなく、ほとんどの場合で定義の一致が見られます。
 これはなぜかというと、ゴールデンエイジとシルヴァーエイジとの間には明確な断絶があるからです。ゴールデンエイジの終結とともにヒーローコミックはいったんほとんど消滅し、スーパーマンやバットマンやワンダーウーマンなどのごく限られたキャラクターだけが継続的に出版され、ジャンルとしてのまとまりのようなものは失われていたからです。
 一方、シルヴァーエイジを基準にしてみると、現在に至るまで切れ目なくヒーローコミックは存続してきています。そして、主要なキャラクターの設定やチーム編成、ありがちなストーリーの定型なども、その多くはシルヴァーエイジに築かれています。例えばスーパーマンを取ってみると、現在でも使われている設定の多くは、ゴールデンエイジからそのまま引き継いだものではなく、シルヴァーエイジになってからモート・ワイジンガーが編集を統括していた時代に整備されたものです。
 では、そのシルヴァーエイジはいかにして始まったのでしょうか。……これに関しては、既にこのブログでも以前に引用したことがありますが、『フラッシュ:リバース』の設定資料にジェフ・ジョンズが書いた言葉を引くのがいいでしょう。


 Barry Allen's first appearance in SHOWCASE #4 was the original "rebirth" of the DC Universe. Barry Allen ushered in the Silver Age. His success arguably saved super-heroes.
 「ショーケース」4号でのバリー・アレンの初登場が、DCユニヴァースにおけるオリジナルの「リバース(再生)」だ。バリー・アレンは、シルヴァーエイジの先駆けとなった。疑いなく、彼の成功こそが、スーパーヒーローたちを救ったのだ。




 既にヒーローコミックがジャンルとして事実上消滅しかかっていたとき、新たな始まりを告げた者こそ、バリー・アレンに他ならなかったわけです。バリーの登場によってヒーローコミックが復興したからこそ、その影響が他社にまで波及したときに、ファンタスティック・フォーやスパイダーマンやXメンなどが登場できることにもなりました。
 だから、ヒーローコミックの現在におけるあり方を見るとき……コミックの外部にまで広範に進出することになり、次々に実写映画化されることによってその文化的影響力が世界中に莫大な影響を与えるまでになった、もはや誰一人としてその全体像をとらえきることなど不可能なあまりにも巨大なジャンルにまでなっていたとしても、少なくとも、その全てが始まったそもそもの起源、それだけは特定することができるわけです。
 ある夜バリー・アレンが雷に打たれスーパーパワーを授かったこと、そして、子供の頃から読んでいたコミックにあやかって「フラッシュ」と名乗ることにしたこと――そのことをきっかけとして、その後のなにもかもが始まることになりました。
 だから、ジェフ・ジョンズが自作の内部に――それも、よりによって、作品の内部のことと外部のこととを同時に考えなければ読み進められないような作品の内部に――バリー・アレンとは'the man who startd it all'であると書き込むとき、それが、「作品の内部で、一連の事件のきっかけとなる『フラッシュポイント』という事件を引き起こした」というだけの意味であるはずがありません。
 ここでの'it all'とは……今まさに、現在の我々の目の前にあるもの、見通すことすらできないほどまでにあまりにも巨大に膨れ上がったジャンル、その何もかもをひっくるめた、「全て」であるはずです。つまり、ここでい述べられているのは、文字通りの意味で「全てを始めた男」であるということです。
 だから、ジェフ・ジョンズがバリー・アレンのことを'the man who started it all'と表現した上で、そこから数ページに渡って展開されるバリーの描写は、そのような意味での、はじまりのヒーローがいかなる存在であるのかについての一種の宣言として読まれるべきだと私は思うわけです。


 ……などということを考えていたのは、もちろん『DCユニヴァース:リバース』の邦訳を読んだからですが、実はそれだけが理由ではなく、ジョシュア・ウィリアムスンのライティングによる最近の「フラッシュ」の展開を読んでいて思うところがあったからでもあります。
 『DCユニヴァース:リバース』を、単に「その後のDCコミックスのストーリーの共通の出発点」としてのみとらえるのではなく、そこに書かれていることを細かく読み込んで、何度でも立ち返ることによってジョシュア・ウィリアムスンの「フラッシュ」のライティングは成立しています。そして、『DCユニヴァース・リバース』を徹底して読みこむことが、そのまま、「フラッシュ」誌が積み上げてきた莫大な量のバックナンバーに帰属しそこから恩恵を引き出すことに直結してもいるのです。
 ……ということで、実はジョシュア・ウィリアムスンによる最近の「フラッシュ」について書こうと思っていたのですが、ここまででも結構な分量になってしまったので、ここでいったん一つのエントリとしてアップして、続きは次回にまわすことにします。










絓秀実『タイム・スリップの断崖で』に見る、日本の文芸批評の問題点(下)

 蓮實と柄谷の少し下の世代として両者の多大な影響を受けることを回避できなかったの絓の批評には、両者に板挟みされた者に特有の逡巡があるように私には思える。
 小林秀雄の批評の最悪の部分には、自分の分析能力を超えた作品の分析を放棄し、作品に遭遇する体験を神話化して流通させるような面が確かにあった。……一方、絓より若い世代の聡明な批評家は、しばしば、単に作品の分析そのものを放棄する。明晰な理路を備えた単線的な言語からなる批評ならば分析を拒むようなこと自体がありえないため、そのような対象だけを選べば、高度な議論はどもることなく淀みなく展開される。
 絓秀実の批評にあるのは、この両極のどちらにも振り切れない態度だろう。作品の分析に手をつけるスガは、自身のそれ以上の分析を拒むような真に優れた作品に遭遇すると、その核にまで行き当たってしまう。良くも悪くも、そこに絓の批評の限界がある……そして、そのとき初めて絓は、自身の逡巡に対する照れ隠しの意味もあるのだろうか、フィクションとしての駄法螺を吹き始めるのだ。
 このような点で、絓秀実は、しばしば似たようなポジションにあると見なされる渡部直己とは決定的に異なっている。両者の決定的な違いは、それぞれの著作のタイトルを見ていけばすぐにわかる。……渡部は、作家名を冠し単独の(もしくはいくつかの)作家に冠する単著を幾冊も上梓してきた。これに対して、絓は、(とりあえず今のところは)このような著作を書くことはなかった。絓が自身の著作に固有名をまぎれこませるような場合、そこにあるのは常に、先行する批評家の固有名であったからだ。
 もちろん、このことは、渡部の優位を意味しない。というのも、渡部は、特定の小説家を取り上げ小説の具体的な内容に即した記述をするに際して、テクストそのものを平然と裏切るようなデタラメを何度も書き連ねてきたからだ。
 具体例を一つ挙げてみよう。これまで渡部は、いたるところで、大江健三郎の『万延元年のフットボール』を同趣旨で批判してきたが、これがなんとも愚かで無惨なものなのである。……渡部によると、大江が『万延元年のフットボール』の中核に置いているのは「表象不可能性」であり、それは「本当のことをいおうか」という言葉で何度も繰り返されているのだそうだ。決して表象することができず言葉にできないことを「本当のこと」として作中に配置することによって、時代状況に制約された素朴な疎外論的文脈を形成してしまっている、のだそうだ。
 しかし、大江が「本当のこと」という言葉の引用元とした谷川俊太郎の詩には、「本当の事を云おうか/詩人のふりはしているが/私は詩人ではない」と書かれているのにすぎない。また、『万延元年のフットボール』の作中でも、鷹四は確かに「本当のこと」の実態を述べずに意味ありげにほのめかしつ続けはするものの、いざその内実に言葉を与えてみると、蜜三郎によって一笑に付されてしまうような大したこともないこととされている(……というか、作中で鷹四は「オレハ本当ノ事ヲイッタ」というはっきりとした言葉を残してすらいるのに、なんでこれが「表象不可能」なんだろうか……)。
 本来なら当たり前のことのはずなのだが、「表象不可能なこと」と「表象困難なこと」とではまるで異なる。そして、多少なりともまともな作家であれば、当然のこととして、「表象困難なこと」をいかにして表象するのかに腐心する。その技術的な努力の部分をすっ飛ばして、あたかも作家が何でもかんでも「表象不可能性」のカテゴリーに放り込んでいるなどと見なすのは、「表象不可能なこと」と「表象困難なこと」の差異を見極めようとすることすらしない、怠惰な読み手の側の愚かさにすぎない。
 『万延元年のフットボール』を作品の具体的なテクストに即して見ていく限り、疎外論の文脈によって限定された表象不可能性の問題などというものは存在しない。それは大江の問題ではなく、渡部がもともと持っていた自分の問題を勝手に大江の小説に投影した挙げ句、大江の側の問題だと勝手に誤読して罵倒しているのにすぎない。渡部は、自分の内部の愚かさを勝手に外部のテクストに投影し、自らの愚かさの鏡像を叩いているのにすぎないわけだ。


 ……以上のようなことは、なにも渡部直己だけに限られることではなく、至る所で何度も繰り返されてきたことであるだろう。そういう意味では、絓なり後続する批評家なりが、安易な分析を拒むテクストの分析を回避しつつ明確に分析できる対象のみを取り上げることは、相対的には明らかに優位に立つことであるし、無駄に他人の作品を貶めないという意味では誠意のある行動であるとすら言える。
 とはいえ、絓の著作に即して見るとき、核心部分で特定の対象への分析を回避することが、著作の全体への影響をも及ぼしているようなこともあるのである。そのことを、少し具体的に見てみたい。
 非常にトリッキーでありなかなかに独創的であるゆえに、絓の批評のスタンスが明確に表れているように私に思えるのが、文芸誌「すばる」で連載されていたチャート式文芸時評である(単行本としては、『文芸時評というモード』に収録)。
 この文芸時評における絓は、その月に文芸誌に発表された小説を縦軸と横軸の二つの観点から点数化して評価し、その全体の位置づけをチャートとして提示し、一望する図を与えてみせる。
 その際、横軸は「技術」で一定しているのだが、縦軸はと言えば、正月には「おめでたさ」、ある時には「共産主義」、野球になぞらえたいときには「リーグ優勝可能性」、などと、テキトーきわまりないものである。
 もちろん、この毎月ころころと変わり続ける縦軸は、数値化の根拠などというものは何ら存在しない、駄法螺の類のものである。その意味で、この二元的に数値化されたチャート表が意味することは、ごくシンプルな一つのことでしかない。……すなわち、同じ月に文芸誌で発表された小説を完全に同一の基準で見てみれば、どんぐりの背比べにすぎない大半のゴミと、安易な分類を超えたごく一握りの優れた作品の二つが存在しており、その両者の決定的な溝は埋めがたい……ということである。
 以上のような性格を持つチャート式文芸時評を単行本化した『文芸時評というモード』は、絓の著作の中では最も「アジビラ」としての側面が強い(なおかつうまくいっている)ものだと思うが、しかし、ここには、実はかなり根深い問題が残っている。……絓による文芸時評は、実は、もともとは渡部直己が「物語内容」と「物語言説」の二つの価値基準から点数化することを前提とした文芸時評が非難轟々たる反応を得た後で、その数値化の前提を踏襲しておこなったものだったのである。つまり、絓は、「文学作品を厳密に点数化する」という形式を踏襲しつつも、実はその判断基準などいくらでも適当にこじつけることができるということをパロディとして実演しているわけだ。
 だが、絓がパロディを実演しているのだとして、それは何に対するパロディなのか。絓は、『文芸時評というモード』の冒頭に、そもそも文芸時評という日本に固有の奇妙な制度とは何なのかという原理論をも収録している。そこには、次のような記述が見られる。


 近年にいたるまで、日刊紙=全国紙における文芸時評の存在意義が、繰り返し疑問に付されてきた。しかし、寡聞にして、どこかの日刊紙=全国紙が文芸時評という制度を廃したという話も聞かない。これにはやはり理由があると考えるのが妥当なのであって、私見によれば、文芸時評とは――とりわけ、日刊紙=全国紙のものは――「天皇制」のごときものと位置づけることができよう。それは、まさしく「国民的象徴」なのであって、かつて湾岸戦争についての反対署名を「天皇制」の一語で総括しようとした者がいたが、彼がその批判の分析の対象を文芸時評に向けたとしたら、多少は実り多い成果が得られたのではないかと、今となっては惜しまれるのである。
 つまり、文芸時評なる制度が、新聞の配布先たる全国民に伝達しようとしているメッセージは、日本国民が、国民として付与された特質にもとづいて、月々自発的に、「文学」(=芸術)という富を算出しているということそれ自体であって、その意味において、文芸時評は「国民的象徴」なのである。この場合、時評に取り上げられた作品がどのようなものであるかは、さしあたり、問われる必要はない。文芸時評とは、天皇とおなじく、国民レヴェルにおいて、存在することに意義があるものなのである。確かに、こんなことが制度的に保証されている国は、ほかにはあるまい。(『文芸時評というモード』、p8~9)



 文芸時評という制度とは、天皇制のごときものである。絓は、はっきりとそのように述べている。ならば、そこに存在する前提を転倒しパロディによって全体像を覆すという作業をしているのだとしても、いったんは天皇制を受け入れていることは否定できない。
 文芸批評もまた何らかの制度の内にあることに自覚的でありつつその制度を内部から転倒してみせるようなパロディをテクストそのものの水準で実演してみせることに関しては、おそらく蓮實重彦の影響が強いのであろう。しかし、それぞれがどのような活動をしどのような発言をしてきたのかを照らし合わせてみれば、天皇制をいったんは許容した上で活動することに関して、どちらの方が批判されなければならないのかについては、言うまでもないほどに明らかだろう(……とはいえ、現在の時点での絓は、そういうことまで考えた上で、文芸誌からも大学からも収入を得ていないのかもしれないが……)。
 だが、問題は、絓の言行不一致にのみあるのではない。正直なところ、左派による天皇制の利用を生真面目に批判する絓より、『文芸時評というモード』において適当な駄法螺を展開する絓の方がよっぽど面白いとすら私は思う。……にもかかわらず、私が『文芸時評のモード』という著作を肯定しきれないのは、ここで実演されるパフォーマンスが、絓が本来なら論じるべきであるはずのことを覆い隠す煙幕として機能しているように思えるからだ。
 絓によるチャート式文芸時評は、ひとたびパフォーマンスを取り払ってしまえば、「同時代的に文芸誌で書かれ続ける大半のゴミ」と「一握りの小説家による真に読まれるべきテクスト」を選別することしかなしていなかった。そして、ゴミのゴミたるゆえんは、それなり以上に優れた批評家であれば、誰でも明快に述べることができる。
 一方、絓は、一握りの優れたテクストをテクストに即して念入りに分析する作業は、肝心の所で回避する。日本語という言語に対する自己言及的な分析に基づく文学作品であるならば天皇制という制度そのものに亀裂を入れることすらありうるのかもしれないのにかかわらず、絓はそれを正面から論ずるのではなく、自身の言説をもフィクションと化しつつ、パロディとして距離を取っているというエクスキューズをつけながらも、天皇制への加担に自らもまた加わってしまう。


 絓が、重要作家の重要作品に対して、肝心の部分での分析を回避してしまっているということは、文芸時評よりも主著での記述に即して見ていく方がいいだろう。もちろん、文芸時評においては作品の具体的な分析があるのだが、絓の場合には、分析しないことではなく、肝心な部分で核を回避するというところに問題があるので、主著の長い記述の方が例としてはよいわけだ。
 以前から私が気になっていたのは、『革命的な、あまりに革命的な』における、絓による大江健三郎への読解なのであった。……もともと、『革命的な、あまりに革命的な』という単行本にまとまる原稿は、鎌田哲哉が「進行中の批評」を連載していたのと同時期に、「早稲田文学」に連載されていた。そこで、鎌田の側から提出された批判と同時進行で進むのを読みながら、絓の大江の作品に対する扱いに驚くということが、私の中であった。
 『革命的な、あまりに革命的な』という著作の主眼は、1968年の日本で起きていた状況を分析することにある。そういう意味では、一小説家である大江への言及が主要なものとならないことは問題ではないのだが……絓が大江に関して言及するのは、主に、1968年の学生活動家たちに影響を与えた若い世代の小説家、という側面に注目してのことになる。
 当時の学生活動家より少し年長の世代の大江が後続する世代に影響を与えたのは、大江が学生時代に書いた初期作品『われらの時代』であるとされる。その上で、その内容が批判的に分析されることになるのだが……もちろん、『われらの時代』という作品そのものは、大江自身のキャリアの中では、若書きの初期作品にすぎない。
 では、当の大江は68年に何をしていたのかと言えば、「走れ、走り続けよ」「核時代の森の隠遁者」「狩猟で暮したわれらの先祖」などのその時期に書いていた中短篇を『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』として出版することなのであった。
 絓は、大江の初期作品『われらの時代』の、とりわけ作中での「われら」という言葉の持つ含意が68年の日本の学生活動家たちにもたらした悪影響について論じてみせる。しかし、大江自身が68年に『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』という連作集のなかでやっていたのは、自身が初期作品で提起した「われら」という言葉の迂闊さを自己批判し、解体してみせることだったのである。
 つまり、大江自身が68年になしていたことをの実態を作品に即して分析しようとするならば、同時代的な現実と同調するわかりやすい見取り図を描くことなどできなくなる、ということだ。だからこそ、絓の『革命的な、あまりに革命的な』という史論においては、「大江の若書きが68年に与えた影響」の記述はあっても、「大江自身が68年に出版したテクストの分析」は含まれない。
 とはいえ、このことについては、絓自身が著作の内でエクスキューズをつけてはいる。……絓によれば、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』に先立つ『万延元年のフットボール』の時点で、大江は同時代的に影響を与える知識人としての立場から離脱したのだという。それゆえ、『万延元年のフットボール』以降の大江は、同時代的な状況を分析する上では参照する必要がないのだ、と(ついでに言うと、大江の『万延元年のフットボール』の位置づけに関して、絓は、「疎外論的な文脈にある」という渡部の評価を共有している……のだが、むしろ、そのことによって同時代的な責任を放棄するデタラメさがあるということをこそ評価しているのである。こういうことを見て改めて思うのは、渡部が本人としては大まじめにテキトーなたわごとを述べだしたら、絓がとりあえずそれを引き受けつつパロディ化してギャグに作り変えてあげる、ということが繰り返されてきている、ということだ。……しかし……なんというか、これは、ボケとツッコミの役割が完全に逆転していると思うのだが……)。
 以上のような状況をふまえつつ、それでもなお絓の大江に対する対応にもどかしさを覚えるのは、絓が「読めていない」からではなく、むしろ逆に、「読めている」からである。
 何人かの文芸評論家が集まった座談会の席で、福田和也が大江について「クヌート・ハムスンやセリーヌなどの真の偉大さに比べると、その一歩手前にいる」という趣旨で評したことがある。それを受けて絓は、次のように述べているのだ。


 たとえば『狩猟で暮したわれらの先祖』のあたりは、これ意外とセリーヌに近い感じがしませんか。(「小説の運命Ⅰ」、『皆殺し文芸批評』所収、p128)


 ……いやいやいや、だから、やっぱり、わかってんじゃ~ん! 大江の核心がどこにあるのという話になると、真っ先に持ち出してくるのは、スガにとっては、やはり『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』から、ということになるのである。にもかかわらず、いざ68年の史論を書くとなるとこの作品には一言も触れないということにこそ、絓秀実という批評家の限界があるように思えてしまうのだ。


 絓秀実の批評を以上のようなものとしてとらえていくと、後続者としてそれを批判する鎌田哲哉の立場にも、従来とは異なる評価を下さなければならないように思える。
 鎌田の絓批判によれば、絓が同じ論旨での悪循環を繰り返しているのには、「翻訳」や「法廷=議論」という契機が欠如しているからなのだという。しかし、これらが、絓以前から繰り返されている「分析困難なテクストの回避」の一形態だと考えてみると、鎌田自身もそこから免れてはいないことが明らかになるのである。
 論争的な局面での舌鉾の鋭さと論理の切れと説得力という意味では、恐ろしいまでの強さを持つのが鎌田哲哉という批評家なのであった。……しかし、鎌田の批評のほとんどにおいて、何度も繰り返されるきまった型が存在していた。
 鎌田は、自分が批判する対象の弱点をえぐり出すと、いかにしてその弱点が成立していいるのかをギリギリまで論理的に記述する。……しかし、最終的に対象を否定する際にするのは、「そのような弱点を備えていない、豊かな価値を備えたテクスト」を持ち出し、否定する対象にぶつけることである。
 鎌田のデビュー作「丸山真男論」において、丸山の弱点に対してジョイスの『ユリシーズ』をぶつけて以来、鎌田はこのレトリックを何度も繰り返していた。しかし、「否定されるべき対象の弱点」を免れているものとして提示されるテクスト(その大半は著名な文学作品である)は、無条件に肯定されるべきものとしてのみ参照され、なぜそれが肯定されるのかはそれ以上分析されることがない。
 言い換えれば、鎌田にとっては、「肯定されるべきテクスト」はあらかじめ無謬なものなのであり、それ以上の分析は許されていない。……そういう意味では、その核心部分において、鎌田の批評は教条主義的なものであると言うほかないのだ。


 私自身、鎌田哲哉の批評の多大な影響を受けてきはしたものの、そういう意味では、やはり鎌田哲哉よりも山城むつみの方が優れた批評家であると言わなければならないだろう。山城は、向かい合うべきテクストに実直に向かい合い愚直に分析する批評をなすからだ……しかし、その帰結として、ぱっと見のわかりやすい面白さはない。
 このあたりのことに関して非常に良くないと思ったのが、既に引用したインタヴューの中で、蓮實が山城の批評を「まったく興味がわかない」「とにかく面白くない」とボロクソにおとしていたことだ。
 既に言及したように、同じインタヴューの中で、蓮實は、日本の文芸批評における具体的なテクストの分析の欠如を問題にしていた。とはいえ、もちろん、そのこと自体は誇張である。実際には、テクストを具体的に引きつつ作品を論じる批評家は掃いて捨てるほど存在するが、その大半は箸にも棒にもひっかからないものであり、どうしようもない単純素朴な誤読をなしており、そもそも取り上げるのにすら値しないということだ。
 そういう意味では、相対的に見れば、山城むつみは、まともにテクストが読めるという意味で希有な批評家であると言わなければならない。しかし蓮實は、今度はそれが「面白くない」と難癖をつけだす――それも、まともな分析ができていない側の渡部直己あたりを聞き手としながら、である。平然とダブルスタンダードを行使しているここでの蓮實には、党派性しかない。
 具体的なテクストの分析を愚直にやったところで、読み物として面白くなるはずがない。単純な面白さを求める多数の読者を呼び込むはずがない。現にというか、このインタヴューからしばらく後に蓮實は実際に『「ボヴァリー夫人」論』を出版することになったが、あの書物にはまともな読者などほとんどついてはいないではないか。
 実直な作品論であり、長大にして難解な議論をも含む『「ボヴァリー夫人」論』は、そもそも通読した者すらほとんどいないような書物であるだろう。蓮實の主著がそんなものであるのだから、蓮實の活動の全体像を俯瞰できる者などほとんど存在しないはずであるにもかかわらず、『伯爵夫人』のようなしょうもない小説が世に出ると、『「ボヴァリー夫人」論』については沈黙を決め込みんでいながらも、とりあえず小説だけ読んだら「遂に蓮實について語れるぞ!」とばかりに鬼の首でも取ったかのようにはしゃぎだすアホどもに対しては、私としては、呆れる以外の反応はない。しかし蓮實は、この手のアホどもをコントロールし煽動し動員することによって自分の権威を築いてきたことも今となっては否定できないだろう。
 『「ボヴァリー夫人」論』は、「面白くない」……それは山城むつみの批評が「面白くない」のと、同じ意味に置いてである。あるいは、かつての蓮實によって激しく否定された小林秀雄の「遭遇のメロドラマ」にしても、批評家として飯を食っていくために選択された方法論でしかなかっただろう。小林を肯定する者も否定する者も、その大半は、小林の人目に立つパフォーマンスやレトリックの部分しか見てはいない……それは、小林からしてみれば、そういう読者は動員されている側の者でしかないと言うことだ。そして、『「ボヴァリー夫人」論』と『伯爵夫人』の読者の配置を見る限り、蓮實もまた、結局は小林のあり方を繰り返している。
 そういう意味では、そのことに自覚的であろうとなかろうと、誰もが「日本の文芸批評」の磁場に囚われていることは確かだ。……だが、仮にも批評家としての道を選んだ者は、フィクションの分析が行き詰まった地点で、自らがフィクションの実演に逃げ込むようなことはやはりやめるべきだとは思う。少なくとも、絓秀実が『タイム・スリップの断崖で』という書物の核心で書いていたこととは、近代国家なりの天皇制なりの分析をするのに当たって、フィクションの分析こそが必要不可欠であるということなのだった。
 現実社会の分析という局面ですら、文芸批評にしかできないようなことが確かにあるのならば、なぜそれを回避する必要があるのだろうか。


 訂正 大江健三郎の小説についての書誌情報で微妙に不正確な表現があったので訂正します。大江が主に68年に執筆・発表していた作品群が『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』として単行本になって出版されたのは、翌69年になってからでした。失礼しました。









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