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前回のエントリの続き

 このエントリは、前回のエントリの続きになります。前回書いたことだけで十分かと思ったんですが、「批判された著名人が、まともに論理的に応答せず話をすり替えて逃げる」というのには正直うんざりしたので、容赦なく続きを書きます。

 というのも、前回のエントリで多くの間違いを指摘した福嶋亮大という人が、自分のtwitterのところでこのブログに関すると思われることを色々とつぶやいていたからです。以下に、このブログに関係あると思われるツイートを引用します。


 (1)佐藤さん、はじめまして。フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」第二六節を読み返していただければ。RT @tamanoirorg うん、全くその通りだ。 http://d.hatena.ne.jp/HowardHoax/20110408

     ※これは、佐藤亜紀氏に対してのツイートです。

 (2)あと、僕が書いたのは「十九世紀の文学は、マージナルな存在を決して書くことはなかった」という意味ではなく「19世紀の文学には決して出てこないような”タイプの”マージナルな登場人物」という意味です。変なブログに惑わされないでください(笑)@tamanoirorg

 (3)あと、Googleを哲学的ないし認識論的問題として捉えられない哲学者は全然ダメだと思うがねぇ。そもそも、ITの源流だって遡ればライプニッツにあるわけだから、フーコーの言う「エピステーメー」の問題と(ということは西洋のある種の理想と)直結してる。好き嫌いで排除できるものではない。

 (4)もうねー、偉そうに批判するならフッサールくらい読んどいでくれよ…。単純にいい迷惑なんだよ…。


 あんな「変なブログ」での批判なんて読む意味ないのだというイメージを身の回りの信者的人たちにばらまいて逃げる気なのでしょうが、残念でした。きちんと論理的に反論します。というか、福嶋大先生、さらに傷口が広がっちゃってます。


 まず、そもそも指摘された間違いの中でも、最も致命的なことにはだんまりを決め込んでいるらしいことが一番まずいと思います。私、ド文系なもので、ピンチョンの小説をまとめて読もうとしていたときに、文系でも読める程度の「情報理論」の入門書を読んだ程度の知識しかないのですが。その程度のレヴェルでも、大先生の「情報についての議論」と「情報理論」の混同については首を傾げざるをえないのですよ。これについては完全スルーですか。ああそうですか。

 (2)に関しては、別に言うことはありません。そもそも、福嶋大先生の意見には別に賛成でも反対でもないと明言していますからねえ。すばらしいご意見だと思います。

 で、(1)と(3)に関してです。ここで福嶋大先生がおっしゃっていることからすると、私の、大先生は「超越論的」という言葉を誤用しているのではないかという指摘は、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(以下、『危機』と表記)の第二十六節を読みさえすれば、即座に誤った指摘であったと判明するはずです。

 私自身は、前回のエントリでこう書いていました。


 もちろん、「超越論的」という言葉自体は、時代を経るとともに、多くの人々が使っているし、それとともに多少の意味のブレも含むだろう。しかし、「思考はいかに可能か」という問いが、常に超越論的であるはずはない。

 なぜかというと、例えばこのような問いは、いっさいの超越性を認めない、イギリス経験論においても提起されているからだ。あるいは、まさにスピノザの哲学がそうである。スピノザにおいては、あらゆる概念は「唯一にして無限の実体=神」に内在するものとしてとらえられるのだから、超越的なものであろうが超越論的なものであろうが、神を超出するものなどあるはずがないのである。つまり、スピノザにおいては、「思考はいかに可能か」という自己言及的な問いもまた、内在的なものであるのだ。


 上で書いた「多くの人々」には、当然のことながらフッサールやメルロ=ポンティが含まれます。ただ、後期フッサールの提起した多くの概念に対しては、膨大な量の批判が積み上げられているので、きちんとフォローできている専門家以外にとっては地雷がいっぱいあるわけです。私はそれをわかっているのでフッサールの名は挙げなかったのですが、大先生は自信満々のようですね。さすがです。

 私自身はこれまで現象学にあまり興味が無かったので、概説書のような二次文献を通しての通り一遍の知識しかなく、フッサール自身の主著もあまり読んでいません。まあ、フッサールを読んでいるか読んでいないかと言われれば、読んでいますが。『危機』を読んでいないというのは事実です。

 そんなわけで、今日は休日だということもあるので、フッサールの『危機』を読み始めました。すると、驚くべきことがわかりました。まだぜんぜん途中なのですが、既に福嶋大先生の言うことはおかしいことが判明してしまったのです。

 まず、福嶋大先生イチオシの、第二十六節を見てみましょう。なお、私の持っている邦訳では「先験的」と訳されているので、それはすべて「超越論的」に置き換えます。


 わたしはここでまず、次のことを注意しておこう。「超越論的哲学」という語は、カント以来普通に用いられるようになっているが、そのさいその概念は、カント哲学の型に方向づけられている普遍的哲学の一般的名称として用いられている。わたし自身は、この「超越論的」という語を、最も広い意味にとって、デカルトを通じてあらゆる近世哲学に意味を与えるものとなっており、いってみればそこで自覚され、真正で純粋な課題の形態をとり、体系的に展開されようとする、あの上述した原初的な動機に対する名称として用いている。それは、あらゆる認識構成の究極的な源泉へと立ち帰ってそれに問いを向けようとする動機であり、認識者が自己自身ならびに自己の認識する生へ自己を省察しようとする動機なのである。


 なるほど、ここだけ見ると、いかにもフッサールは「超越論的」という用語をヨーロッパ近代哲学の認識論全般に使えるかのように定義している、ように見えます。しかし、『危機』という著作を冒頭からここまで読み進めたならば、あるいは後期フッサールの哲学史上の位置づけを知っていたならば、そのような解釈は間違っていることもわかります。というか、ここだけ文脈から切り出して人に勧めるのは、「超越論的」という用語への誤解を広めることにしかならないと思います。良心的知識人であればまずできない振る舞いであると言えるでしょう。

 さて、『危機』でフッサールが言っている普遍性とは、かなり偏ったものです。例えば六節においては、フッサールは次のように書いています。


すなわち理性が実際にじゅうぶんな自覚をもって、自己本来の形であらわになったのであるならば――理性が整合的で必当然的な洞察において進行し、必当然的な方法によって自己を自己自身によって規制する普遍的哲学という形であらわになったのであれば――、上述したことは現実的といえるであろう。そのことによってはじめて、ヨーロッパ的人間性が、絶対的な理念をうちに担っており、たとえば「中国」だとか「インド」だとかいった単なる経験的な人類学的な型ではない、ということが決定されるであろう。さらにまた、あらゆるほかの人間のヨーロッパ化という現象は、それ自体のうちに絶対的意味が支配していることを告げているのであって、それこそ世界の意味であり、世界の歴史が偶然そうなったという歴史的無意味ではない、ということが決定されるであろう。


 要するに、フッサールの言う意味での「普遍性」や「理念」や「世界の意味」とは、ヨーロッパ近代においてスタンダードであったタイプの思考が絶対的に上位におかれることによって成立しているわけです。

 それにしても、『危機』でのフッサールの記述は本当に反動的ですねえ。まじめに中国やインドの研究にいそしんでいる方々を侮辱しているとしか思えませんね。

 さて、そんなわけですから、フッサールの言う意味での「普遍性」は、実はヨーロッパ自体の中でも全てにあてはまるわけではないということになります。ゆえに、『危機』の二十六節で「超越論的」という用語を予備的に定義する前の段階で、フッサールはイギリス経験論について詳細に検討しなければならなかったわけです。「超越論性はヨーロッパ近代哲学において普遍的」などといった瞬間、どこからどう考えてもイギリス経験論が例外になるからです。ゆえにフッサールは、イギリス経験論者に対しては、立論上、かなり否定的に言及しているわけです。

 例えばフッサールは、二十七節では次のように書いています。


もしわれわれが、ヒュームのような否定主義的、懐疑主義的哲学を別にするならば、事実上カントの体系こそ、高い学的良心によって遂行された、真に普遍的な超越論的哲学の試みなのである。


 いや~、フッサール自身が「超越論性」という言葉を使えない対象を明示してくれているので、実にわかりやすいですね~。

 では、フッサールはスピノザについてはどのように考えているのでしょうか。『危機』の二十一節には、スピノザに関して次のような記述があります。


 さてわれわれは、デカルトから発する発展方向の跡をたどってみよう。そうすると「合理主義的な」一つの発展方向は、マルブランシュ、スピノザ、ライプニッツを経て、ヴォルフ学派を通過し、転回点としてのカントにいたっている。この方向においては、デカルトによって植えつけられた新しい性質の合理主義精神が熱心に受けつがれ、大きな体系として展開している。ここに支配しているのは、「幾何学的精神」の方法によって、超越的な「即自」として考えられた世界についての、絶対的に基礎づけられた普遍的な認識を実現できるという信念である。


 現代の哲学研究者で、ここでのフッサールの記述を肯定する人はほとんどいないものと思われます。そもそも、デカルトからカントまでをひとつなぎで捕らえてしまうことが粗雑で、乱暴すぎます。そして、後半の要約部分は、多くの哲学者をひとからげにまとめあげてしまっているので、スピノザ自身の哲学の要約としては適切でありません。

 私がその記述に信頼を置いている哲学研究者であるところの木田元先生が、どこかで「フッサールはハイデガーなどとは違って、哲学史への素養はあまりなかった」などということを書いていた理由がよくわかりました。もともとフッサールは数学基礎論の方から哲学に近づいていった人ですしね。

 さて、ここで改めて、私の前回のエントリでの記述を確認してみましょう。


 もちろん、「超越論的」という言葉自体は、時代を経るとともに、多くの人々が使っているし、それとともに多少の意味のブレも含むだろう。しかし、「思考はいかに可能か」という問いが、常に超越論的であるはずはない。

 なぜかというと、例えばこのような問いは、いっさいの超越性を認めない、イギリス経験論においても提起されているからだ。あるいは、まさにスピノザの哲学がそうである。スピノザにおいては、あらゆる概念は「唯一にして無限の実体=神」に内在するものとしてとらえられるのだから、超越的なものであろうが超越論的なものであろうが、神を超出するものなどあるはずがないのである。つまり、スピノザにおいては、「思考はいかに可能か」という自己言及的な問いもまた、内在的なものであるのだ。


 あれ? ……フッサールを読むことによって、むしろ私の記述の正しさが強化されたような気がするんですが、気のせいでしょうか?

 さて、ここで少し問題としたいのは、フッサールの立ち位置への後の時代からの批判的検討です。フッサールの『危機』や『幾何学の起源』には、デリダなどによる批判的検討があるわけです。そして、まさにフッサールが依拠しているような、一昔前の哲学史への認識によってその可能性が過小評価されてしまっていたスピノザやヒュームの読み直しが、ドゥルーズなどによって行なわれたわけですね。

 そして、ドゥルージアンとして知られている國分功一郎が、デカルト的なヨーロッパの中心的立場からのズレを含む可能性をスピノザの中に詳細に検討したのが、『スピノザの方法』という書物だったわけです。そして、福嶋大先生は、『スピノザの方法』が、フッサール的な意味での「超越論的」な試みである、と。……え? もしかして、壮大な哲学史の背景に裏打ちされた嫌味ですか?

 私自身には、福嶋大先生が『スピノザの方法』に対して悪意のある嫌味を展開しているのか、それとも単に二十世紀後半の哲学で重要なトピックになっていた議論を知らないだけなのか、判断はつきません。まあ、「フッサールくらい読んどいでくれよ」などとおっしゃる方に限って、後者のようなことはありえないとは思いますが。


 あー疲れた。それにしても、私、フランス現代思想なんて大ざっぱな知識しかないんですがねえ。そんな私の目から見ても、福嶋大先生のありがたいお言葉は、粗が見えすぎてしょうがありません。というか、休日の昼間に何時間か勉強しただけで次々にボロが明るみに出る福嶋大先生に対しては、失笑を禁じえません。本当は、付け焼刃の知識に基づいて何かを書くことはあまりしたくないんですが、大先生のおかしさを指摘するためには、付け焼刃で十分でした。

 まあ、私自身は大学時代にヒュームを一生懸命勉強したつもりではありましたが、フッサールによるイギリス経験論の検討には目を通していなかったので、いい勉強にはなりました。

 今日は完全にヒマなので、とりあえずここまででアップしますが、このあと文学についての反論もアップするつもりです。

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