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映画『ワンダーウーマン』に対する日米での温度差について(中)

 映画『ワンダーウーマン』は、何の予備知識もなくとも独立した作品として見ることができるものになっている一方で、作品に備わる数多くの美点の大半は、もともとワンダーウーマンというキャラクターを知る観客にとってこそ価値のあるものになっている。
 このことは、アクション演出の水準にまで及んでいる。その中でも特筆するべきなのは、ワンダーウーマンの両腕のブレスレットに関するものだ。……ワンダーウーマンというキャラクターを多少なりとも知る者ならば誰一人として知らないことはないほどまでに有名なのが、彼女がブレスレットで銃弾を弾く場面なのである。これは、「胸板で銃弾を弾くスーパーマン」や「バッタランを投げるバットマン」などといったものと同等と言えるほどまでに超・有名なアクションの見せ場なのであり、ファンからすれば「説明不要!」と思えるような要素の一つなのだ。
 ……そう、だからこそ、映画『ワンダーウーマン』は、この件について説明しないのである(とは言え、ノーマンズランドの場面さえもがカットしようとする圧力に絶えずさらされていたのなら、「両腕のブレスレットに意味付けが与えられる場面」も元々はあったのにカットされてしまったのかもしれないとも疑ってしまうのだが……)。ブレスレットで銃弾を弾く場面こそがワンダーウーマンにとってのアクションの最大の見せ場であるからこそ、あの手この手でそのような場面を作中に盛り込み、少しずつ見せ方を変えながら、何度も何度も繰り返して描き続けている。……つまり、ワンダーウーマンを知る観客にとっては死ぬほど盛り上がりまくる名シーンとなっているのだが、逆に、ワンダーウーマンのことを全く何も知らない観客にとっては、何も感じずに見過ごすだけの場面となってしまっているだろう。


 アクション一つを取ってみてもそのように描かれている『ワンダーウーマン』と比較すると、『スパイダーマン:ホームカミング』は、原作となるコミックのことを全く知らなくとも鑑賞できるように製作されている。……正直なところ、コミックをいかに参照したのかという部分を全く考慮に入れず、純粋に映画としてのみ評価するならば、『スパイダーマン:ホームカミング』は、あらゆる面で『ワンダーウーマン』を上回っているとすら思う。
 『ワンダーウーマン』という映画は、全く予備知識がなくとも鑑賞できるように製作されていながら、その真価を楽しめるのは、ワンダーウーマンについてある程度の予備知識を持っている観客である。……一方、『スパイダーマン:ホームカミング』のコミックとの関係は、奇妙に入り組んだものとなっている。この映画は、コミックにおけるピーター・パーカー=スパイダーマンのことを何も知らなくとも鑑賞できるようになっているーーしかし、コミックにかんする予備知識は必要なくとも、これまでのマーヴル映画を観客が見てきていることが話の大前提となっているのだ。その意味で、コミックへの参照が大幅に刈り込まれている一方で、観客に事前に予備知識を備えていることを要求していないわけではないのだ。
 そのようなことは、『スパイダーマン:ホームカミング』の冒頭の時点で既に端的な形で現れている。作品の開幕を告げつつ、何やら聞き慣れない音楽が鳴り響く……と思いきや、しばらく聞き続けてから、その曲が何であるのかに気づいて驚くことになる。冒頭で流れていたのは、アメコミファンにとっては極めてなじみ深いものであるはずの、あのスパイダーマンのテーマであったのだ。つまり、ベースとして昔ながらのスパイダーマンのテーマが使われてはいるものの、あまりにもアレンジをかけ過ぎた結果として、それがスパイダーマンのテーマであるということにすら、すぐには気づけなかったのだ。
 『スパイダーマン:ホームカミング』の原作コミックへの参照の仕方は、全体としてそのようなものである。……例えば、スパイダーマンの神話を構成する不可欠の要素の一つとして、ベン伯父さんをめぐる挿話があることは言うまでもないだろう。ベン伯父さんが死ぬ事件を通じて、ピーターは教訓を得て、スパイダーマンとなる。ベン伯父さんの死とスパイダーマンの誕生とは不可分に結びついている。……しかし、『スパイダーマン:ホームカミング』は、ベン伯父さんの死を描かず、ピーターは既にスパイダーマンとなっている。
 つまり、ここにあるのは、「ベン伯父さんの死」ではなく、単に「父親が不在の家庭」なのである。あくまでも「父親が不在の家庭で暮らす少年」としてピーター・パーカーが描かれるからこそ、父親の役割を代行する存在として、トニー・スタークがその場におさまることになる。……かくして、スパイダーマンの誕生にまつわる本来の文脈はほとんど抹消され、「多くの作品によって構成されるマーヴル映画の内の一本」として、マーヴル映画の内部の文脈にこの映画が位置づけられることになるわけだ。
 『スパイダーマン:ホームカミング』という映画は、実質的に、『アイアンマン』シリーズの続編と見なした方がいいと私は思う。もともと『アイアンマン』シリーズでトニー・スタークの精神面を描く上で主要なテーマの一つとなっていたのが、微妙な距離感を抱えたまま死別した父親との関係性なのであった。そして、シリーズが進んで『アヴェンジャーズ』でマーヴル映画が合流することになると、若き日の父親が心酔していた存在が現代に蘇ったキャプテン・アメリカとの関係性に、父親への葛藤が投影されていたわけだ。
 そのように描かれてきたトニー・スタークが今度は擬似的な父親の役割を果たそうと悪戦苦闘するのが『スパイダーマン:ホームカミング』なのであり、だからこそ、映画はあのような出来事をもって実質的に終わることになる(……と、いうことは……『スパイダーマン:ホームカミング』にああいう形で登場することになった、スティーヴは……ピーターの、おじいちゃんだったのか……)。
 ……というふうに見てみると、『スパイダーマン:ホームカミング』はあくまでもマーヴル映画全体の中での一本という色合いが強いものなのであって、原作コミックが存在することの必然性は限りなく希薄なものになっていると言うことができると思う(……とは言え、クライマックスの戦闘に向かう直前の部分で、「アメイジング・スパイダーマン」33号の超有名な場面にオマージュを捧げたのはよかった)。


 マーヴル映画の一部分としてコントロールされつつ製作された『スパイダーマン:ホームカミング』は、しかし、最近のマーヴル映画に私が抱いていた共通の不満がほとんど解消されている作品でもあるのだった。
 『アイアンマン3』以降のほとんどの映画に共通していた照明の問題もなかったし、脚本の設計も極めて巧みなものだろう。……で、なぜこんな風にマーヴル映画の問題点が改善されたのかと考えると……これに関してはあくまでも純然たる憶測なんですが、ジェフ・ジョンズの映画化への進出を最も脅威に感じていた人物こそがファイギだったんではなかろうか、と。
 だってですよ、明らかに映画化されたもののことしか知らん連中が「DCコミックスと言えば暗いイメージ」などと言うたびに私などは殺意を抱いてきたわけですが……実際には、『アイアンマン』以降のマーヴル映画の全体的な方向性というものは、映画のみならずアメコミ業界全体の動向を照らし合わせるならば、DCコミックスにおいてジェフ・ジョンズが(とりわけ『グリーンランタン:リバース』において)確立した潮流に全面的に乗っかったものであることが明らかなわけです。
 もちろん、ジェフ・ジョンズの作風に明らかに影響を与えているカート・ビュシークやダーウィン・クックの仕事にまで遡ってもいいわけですが、いずれにしてもはっきりしているのは、マーヴル映画の方向性は、アメコミ業界の全体の潮流からすると、出てくるべくして出てきたものだった。また、コミックの局面だけを見ると、そういう方向性に関しては明らかにDCの方が一歩も二歩も先を行っていたことは明らかなわけです。
 それが映画になるとどうですか。今回の『スパイダーマン:ホーミカミング』の冒頭にしてもね……『アヴェンジャーズ』のニューヨークでの大決戦の残骸がその後与えた影響から始まった時点でね……正直、「あ~、たぶんジェフが『バットマンvsスーパーマン』でやりたかったであろうことが取られた~!」と思いましたよ。
 だって、『バットマンvsスーパーマン』の冒頭で、前作でのヒーローの破壊的活動への批判的視点を盛り込むところから始めようとするアイディアって、たぶんジェフのものでしょう。それが、どうみてもいろんなテーマがごちゃごちゃ入り組んでいる迷走感の結果、なんであんなオープニングで始まったのかもわからんようなグダグダの展開に。それに比べれば、『スパイダーマン:ホームカミング』の方は、うまいことそのアイディアを脚本の内に取り込むことに成功しています。
 ……以上のようなことをふまえて、これまた憶測にすぎないわけですが、にもかかわらず私としてはほとんど確信していることがあります。
 映画『ワンダーウーマン』におけるノーマンズランドのシーンは、私の見たところ、脚本面での特徴は(あそこだけは)ジェフ・ジョンズの作風が全開でした。しかし、ワーナー内部では「意味がわからない」「荒唐無稽」と批判されてカットしようとする圧力が大きかったのだと言います。
 これを受けて、私にはどうしても思い出されることがあるのです。……というのも、ベン・アフレック&ジェフ・ジョンズの共同執筆によるバットマン映画の脚本は既にお蔵入りが決定していますが、この脚本に関して、完成後にワーナー内部で「意味不明」「支離滅裂」「映画の脚本として成立していない」などと批判する声が大きかったと報じられてもいました。
 ……ちょっと待て……これ、どう考えても、ノーマンズランドの場面を削ろうとしたのと、ジェフジョンバットマン脚本を叩いてたの、同じ連中だろ~っ!!! ということは、逆に考えれば、お蔵入りになったバットマン脚本って、「ノーマンズランドの場面のノリが最初から最後までずっと続くようなもの」だったってことじゃないの!?
 もうね……ワーナーはクソ! 本当にクソ! どうしようもないクソ! ……うぅ……これじゃあ、いくらなんでも、ジェフ・ジョンズの才能の無駄遣いじゃ……(涙)
 繰り返しますが、あくまでも仮説の域を出ないんですが、私としては、「結局のところ『ワンダーウーマン』の脚本をジェフ・ジョンズがコントロールすることはできなかったので、原作コミックへのリスペクトを残すことを優先して闘い、後は妥協してできた結果があれだった」という推測に落ち着いています。原作コミックへのリスペクトを残しつつ、なおかつ一見さんにも面白いということは、ちゃんとジェフに全権を与えてたらクリアできてましたよ。だって現にドラマ「フラッシュ」では実現してるじゃないすか。
 『ワンダーウーマン2』の脚本にしてもね、既にパティ・ジェンキンスとジェフ・ジョンズが共同で草稿を書き上げたそうですが。そこからさらに、新たに脚本家を呼んで改変を加えるそうですね。……うん、うん、その過程、全部無駄だね! ワーナーよ、もうそれ以上いじるな!


 今回で最後まで書き終わるかと思ってたんですが、微妙に忙しかったこともあり書ききれなかったので、このエントリはまだ次に続きます。日本における紹介のまずさと、それからフェミニズムに関することについても続きで書きます。







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 読んだ本、見た映画の感想をつづるブログ。基本的にネタバレありです。

 

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