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映画『ワンダーウーマン』に対する日米での温度差について(上)

 パティ・ジェンキンスの監督による映画『ワンダーウーマン』をとりあえず3回見たのだけれど、最初に見たときの率直な感想は、「これはアメリカ以外では受けんわ……」というものだった。
 おそらく、アメリカ以外では、この映画の根本的な美点であり、なおかつ明らかに最も労力が注がれている部分は、ほぼ理解されないであろう。……ではそれはなにかと言うと、「あのあまりにも有名であり一種の象徴的な存在ですらあるワンダーウーマンを、初めて単独の実写映画にするなら、それはどのようになされるべきか」という部分が、とんでもなく高い水準でクリアされているということだ。
 つまり、「ワンダーウーマンとは説明不要の存在である」という前提を共有している観客にとっては、この映画は大変すばらしいのである。しかしそれは、逆に言えば、その前提を共有していない観客にとっては、おのずと作品の見え方が異なってくるということでもある。……正直なところ、純粋に映画としてのみ見れば、『ワンダーウーマン』はちょっとした佳作程度のところにとどまる、ということになってしまうであろう。
 そういう意味では、映画『ワンダーウーマン』のあり方は、リチャード・ドナー版『スーパーマン』に近いものであると言えると思う。あの映画はそれなりによくできてはいたが、とてつもない大傑作というわけではなかった。しかし、あの映画は同時に、原作者の片割れでありながらもスーパーマンというキャラクターの権利を保持することができず不本意な扱いを長年に渡って受け続けたジェリー・シーゲルが、完成試写会で涙を流すことになるようなものでもあったのだった。
 そして、この『ワンダーウーマン』から本格的にDC映画の舵取りをすることになったというジェフ・ジョンズはリチャード・ドナーの弟子であり、ドナー版『スーパーマン』をこそ理想の映画と見なしているであろうことを考えると、ジェフ的にはやりたいことを十分できたのが映画『ワンダーウーマン』であった、ということになるのだろう。


 映画『ワンダーウーマン』が、原作コミックの世界を実写映画の世界に移し替えるにあたって凝らした巧妙な工夫の数々は、映像そのものの水準においても、明確な形で現れている。
 ワンダーウーマンの故郷、パラダイス島ことセミッシラは、作中の現実においては神話の世界と地続きであり、なおかつ外界から隔離された場所として設定されている。
 そんな世界に闖入してきて平穏を破ることになるのが、アメリカ軍人のスティーヴ・トレヴァー大尉であるわけだが……第一次世界大戦の渦中にありドイツ軍に追われているトレヴァーによって外部の世界が示されることによって、それまでの時点で、パラダイス島はある明確な指針の元に映像化されていたことが明らかになる。
 というのも、第一次大戦が進行中である外部の世界は、まさに戦争映画が描いてきたようなくすんだ色彩の元に描かれているのだが、外部から隔離されたパラダイス島はと言えば、さんさんと陽光が降り注ぎどこまでも青い海が広がる、美しくも牧歌的な世界として描かれている……そして、このことは、トレヴァーの闖入の時点で事後的に明らかになるのだ。
 神話の約束ごとがそのままに展開される荒唐無稽な絵空事の世界としてのパラダイス島と、実写映画のリアリズムの極地の一つであるとも言える外部の場所としての、戦争映画の世界。この両者は、明確に異なる場所として、全く異なる方針で設計された色彩と照明の表現によって、あからさまなまでに対比的に描かれている。
 荒唐無稽な絵空事がまかり通り、社会組織の運営にまつわる軋轢など意識もされず、子供の倫理がそのまま通用する世界とは、けばけばしい原色とともに描かれた、ヒーローコミックの原初的な世界である。そのような場所としてのパラダイス島を出て、無実の人間も次々に死んでゆく第一次世界大戦に介入するために、ダイアナはヨーロッパへと旅立つことになる。
 言うまでもないことだが、ヒーローコミックにおいて古くから存在するキャラクターのそもそもの設定は、幼稚にして荒唐無稽なものだ。だからこそ、その設定を「よりリアルなものに」「大人の鑑賞に堪えるように」改変され、派手な衣装は現実に存在しても不自然でない程度の穏やかなものに改変される。スーパーマンは派手な原色の衣装を身に纏わず、幼きバットマンが運命の日に家族で『怪傑ゾロ』を見に行くこともなく(現行の設定ではこれは元に戻ったが)……そして、よりにもよってあのキャプテン・アメリカが、無実の人間全員を救うことを諦めることにすらなるだろう。
 映画『ワンダーウーマン』が採用するのは、これとは全く異なる方法論である。……そもそもが荒唐無稽な絵空事の世界観をリアリティ重視の実写映画の世界観に接合することが不自然極まりないことであるのなら、両者の世界観を両者ともに妥協させて、いかにも自然に接合できるような中間地点を探る必要などない。そうではなく、全く異なる世界を全く異なる世界としてそれぞれバラバラに描き出し、異なる世界観の衝突そのものを作品の根幹に据えればよい。……そして、このことは、映像そのものの水準においても、作劇の水準においても、並行して突き詰められることになるだろう。
 映画『ワンダーウーマン』の根幹にあるのは、子供の倫理と大人の論理との衝突であるのだと言ってもいい。……そして、その衝突の末にどちらに軍配が上げられるのかということにこそ、この映画が取る本質的な態度がある。
 対峙する両軍が膠着するノーマンズランド、そこに存在する塹壕をめぐっての描写は、映画史上数多くの作品で展開されてきた。……なるほど、塹壕の中での過酷な現実を前にすれば、子供の幼稚な願望をなんでもかんでも充足させることなどできはしない。たやすく戦況を覆すことなど「不可能」であり、「自分にできることだけをやる」ことが精一杯なのであり、悲惨な境遇にある人がどれだけいようとも、「全員を救うことなどできない」。
 しかし……「それでも私は行く」、と、アメリカン・コミックスが描いたありとあらゆるヒーローたちの、誰でもがそのように言うだろう。いや正確に言えば、そのような状況でそのように躊躇なく言うことのできる者だけが、ヒーローになる意味がある。
 荒唐無稽な絵空事の世界と厳しくも残酷な現実の世界、きらびやかな原色の世界と曇天の下のくすんだ世界、子供の倫理と大人の論理……異なる世界を映像の水準でも脚本の水準でも越境し続けてきた存在としてのダイアナは、このときになって初めて、ワンダーウーマンになる。
 今や、二つの世界の狭間で、コミックの幼稚な願望、たとえ不可能だろうとなんだろうと弱き人々のために立ち上がるという原初的な衝動が、何よりも価値あるものとして最優先される。コミックは現実に勝つ……というより、救いのない現実に希望を照らし出す存在として夢想されたものこそがアメリカのヒーローコミックであった、その原点が当たり前のこととして確認されたというだけのことでもある。
 大人たちの現実世界の中では「恥ずかしいもの」として徹底して覆い隠されてきた、ダイアナがその身に纏うパラダイス島のきらびやかな衣装は、ようやくその姿を露わにする。……つまり、この場面においてこそ、作品全体が映像の水準でも脚本の水準でも描いてきた二つの世界の葛藤が完全に解消されたということだ。そして、その解消そのものが、映像と脚本の問題が同期するポイントと一致している。
 しかし、ここには、二つの世界の妥協に満ちたすりあわせなどというものは微塵もない。子供の倫理は、大人の論理に対して全面的にかつ完全な形で、あらゆる点で勝利したのだ。


 ……などというようなことを考えてはいたのだが、それだけではなく、映画『ワンダーウーマン』に関して、私としては非常にひっかかっておりとりおえず述べておきたいことが、とりあえず、まだ二つある。
 まず一つは、ジェフ・ジョンズがDCコミックスの映画化の全権を任されたと報じられているのを既に色々なところで見てきたのだが、実際の映画化を見てみると、どう見てもそんな風な感じにはなっていなかったということだ。『ワンダーウーマン』の場合、この映画の最大の見所であるノーマンズランドの場面に関しては、あのあたりの脚本を書いたのは100%間違いなくジェフなのだが、他にはそういう場面はなかったし、最終的には脚本のクレジットから外れてすらいる。……そして、パティ・ジェンキンスのインタヴューによると、あのノーマンズランドの場面すら、作品から削ろうとする圧力がワーナー内部に存在し、残すために全力で守ろうとしなければならなかったらしいのである。……つまり、いったんジェフ・ジョンズに映画化の舵取りを任せることにしておきながら、実際には全権委任などしておらず、足を引っ張る行為がそこかしこで行なわれていることだ。このようなことは、もはや映画がどうこうという問題ですらなく、ダメな組織においてありがちなことでしかないだろう。
 そして、このことに関しては、マーヴルの方の『スパイダーマン:ホームカミング』との比較が興味深いと思う。私は以前、ジャンルとしてのヒーローコミックが成立する前提とはなにかについて述べたのだが、それについては、『ワンダーウーマン』と『スパイダーマン:ホームカミング』の両方がクリアしている。その上で、コミックと映画の関係に関しては、この両作は対照的なものとなっていると思えるのだ。
 そして、もう一つは、作品そのものというよりも、作品を巡る周囲の状況に関することだが……日本でのこの映画の紹介のされ方は、いくらなんでも酷すぎる、ということだ。……などというように、もう少し書きたいことがあるので、それらのことは次のエントリに続きます。 







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 読んだ本、見た映画の感想をつづるブログ。基本的にネタバレありです。

 

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