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『DCユニヴァース:リバース』の邦訳に関して一言

 先ごろ『DCユニヴァース:リバース』の邦訳が出版されたということ自体は望ましいことだと思うのですが、その邦訳を読んでいて、一点どうしても気になる部分がありました。
 DCユニヴァースの時空の改変にまつわる事件の影響で現実世界から弾き飛ばされたウォリー・ウェストが、自分がいなかったことになり誰も自分のことを覚えていない世界を外から眺めながら、自分をこの世界にとどめてくれるかもしれない、自分にまつわる人々の間を次々に飛ばされていく――というのが、『DCユニヴァース:リバース』の大筋です。
 しかし、改変された世界では誰も自分のことを覚えておらず、かつて光速を突破しスピードフォースに飲み込まれながらも、その絆によって何度も帰還したリンダとの関係すら、記憶がない以上どうにもなりません。
 リンダとの絆すら失われた中で、現実世界への帰還を諦めたウォリーが最後に飛ばされることになるのがバリー・アレンの元だったのですが……この際、邦訳では、バリーが「この事件の張本人」と訳されており、思わず、「こ、この訳は、ちがーーーーーーう!」などと叫び出しそうになってしまったのであります。
 コミックの翻訳というものは、フキダシのスペースという物理的な制約がある以上、ある程度内容をはしょった意訳になること自体は仕方のないことです。しかし、この場合、長さの制約とは無関係な部分で、作品全体の読解に影響が出てきてしまうようなことが起きているのです。
 原書では、この部分で、バリー・アレンが'the man who started it all'と表現されています。ライターのジェフ・ジョンズは、いったいどのような意味で、バリー・アレンをこのように表現したのでしょうか。


 ヒーローコミックの時代区分には、人によって色々な区分がなされますが、「ゴールデンエイジ」と「シルヴァーエイジ」の間の区分に関しては、ほとんど人によっての意味のブレがなく、ほとんどの場合で定義の一致が見られます。
 これはなぜかというと、ゴールデンエイジとシルヴァーエイジとの間には明確な断絶があるからです。ゴールデンエイジの終結とともにヒーローコミックはいったんほとんど消滅し、スーパーマンやバットマンやワンダーウーマンなどのごく限られたキャラクターだけが継続的に出版され、ジャンルとしてのまとまりのようなものは失われていたからです。
 一方、シルヴァーエイジを基準にしてみると、現在に至るまで切れ目なくヒーローコミックは存続してきています。そして、主要なキャラクターの設定やチーム編成、ありがちなストーリーの定型なども、その多くはシルヴァーエイジに築かれています。例えばスーパーマンを取ってみると、現在でも使われている設定の多くは、ゴールデンエイジからそのまま引き継いだものではなく、シルヴァーエイジになってからモート・ワイジンガーが編集を統括していた時代に整備されたものです。
 では、そのシルヴァーエイジはいかにして始まったのでしょうか。……これに関しては、既にこのブログでも以前に引用したことがありますが、『フラッシュ:リバース』の設定資料にジェフ・ジョンズが書いた言葉を引くのがいいでしょう。


 Barry Allen's first appearance in SHOWCASE #4 was the original "rebirth" of the DC Universe. Barry Allen ushered in the Silver Age. His success arguably saved super-heroes.
 「ショーケース」4号でのバリー・アレンの初登場が、DCユニヴァースにおけるオリジナルの「リバース(再生)」だ。バリー・アレンは、シルヴァーエイジの先駆けとなった。疑いなく、彼の成功こそが、スーパーヒーローたちを救ったのだ。




 既にヒーローコミックがジャンルとして事実上消滅しかかっていたとき、新たな始まりを告げた者こそ、バリー・アレンに他ならなかったわけです。バリーの登場によってヒーローコミックが復興したからこそ、その影響が他社にまで波及したときに、ファンタスティック・フォーやスパイダーマンやXメンなどが登場できることにもなりました。
 だから、ヒーローコミックの現在におけるあり方を見るとき……コミックの外部にまで広範に進出することになり、次々に実写映画化されることによってその文化的影響力が世界中に莫大な影響を与えるまでになった、もはや誰一人としてその全体像をとらえきることなど不可能なあまりにも巨大なジャンルにまでなっていたとしても、少なくとも、その全てが始まったそもそもの起源、それだけは特定することができるわけです。
 ある夜バリー・アレンが雷に打たれスーパーパワーを授かったこと、そして、子供の頃から読んでいたコミックにあやかって「フラッシュ」と名乗ることにしたこと――そのことをきっかけとして、その後のなにもかもが始まることになりました。
 だから、ジェフ・ジョンズが自作の内部に――それも、よりによって、作品の内部のことと外部のこととを同時に考えなければ読み進められないような作品の内部に――バリー・アレンとは'the man who startd it all'であると書き込むとき、それが、「作品の内部で、一連の事件のきっかけとなる『フラッシュポイント』という事件を引き起こした」というだけの意味であるはずがありません。
 ここでの'it all'とは……今まさに、現在の我々の目の前にあるもの、見通すことすらできないほどまでにあまりにも巨大に膨れ上がったジャンル、その何もかもをひっくるめた、「全て」であるはずです。つまり、ここでい述べられているのは、文字通りの意味で「全てを始めた男」であるということです。
 だから、ジェフ・ジョンズがバリー・アレンのことを'the man who started it all'と表現した上で、そこから数ページに渡って展開されるバリーの描写は、そのような意味での、はじまりのヒーローがいかなる存在であるのかについての一種の宣言として読まれるべきだと私は思うわけです。


 ……などということを考えていたのは、もちろん『DCユニヴァース:リバース』の邦訳を読んだからですが、実はそれだけが理由ではなく、ジョシュア・ウィリアムスンのライティングによる最近の「フラッシュ」の展開を読んでいて思うところがあったからでもあります。
 『DCユニヴァース:リバース』を、単に「その後のDCコミックスのストーリーの共通の出発点」としてのみとらえるのではなく、そこに書かれていることを細かく読み込んで、何度でも立ち返ることによってジョシュア・ウィリアムスンの「フラッシュ」のライティングは成立しています。そして、『DCユニヴァース・リバース』を徹底して読みこむことが、そのまま、「フラッシュ」誌が積み上げてきた莫大な量のバックナンバーに帰属しそこから恩恵を引き出すことに直結してもいるのです。
 ……ということで、実はジョシュア・ウィリアムスンによる最近の「フラッシュ」について書こうと思っていたのですが、ここまででも結構な分量になってしまったので、ここでいったん一つのエントリとしてアップして、続きは次回にまわすことにします。








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