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ヒーローの継承不可能性について――『バットマン:アイ・アム・ゴッサム』

 DCコミックスの現状を大幅に刷新する今年のイヴェント「リバース」を経て、長年に渡って「バットマン」誌のライティングを担当していたスコット・スナイダーが降板し、新たにライターに就任したのは、近年急速に頭角を現しつつあるトム・キングなのでした。「リバース」以降はDCコミックスの中心的なタイトルの多くが隔週間で出版されていることもあり、「バットマン」誌の1号から6号にかけて展開された最初のアークが早くも完結したので、紹介してみようと思います(単行本にはワンショットの「バットマン:リバース」も収録)。





 『バットマン:アイ・アム・ゴッサム』(TPBとkindle版)


  ライター:トム・キング
  アーティスト:デヴィッド・フィンチ


 さて、「リバース」を経た最初のストーリー、その冒頭で語られたバットマンの姿とは――それは、ゴッサム市街地上空で発生した、飛行機事故であるのでした。
 飛行機事故と言っても、それは凶悪なヴィランによって引き起こされたわけでもなければ、悪辣なテロ組織の犯行でもなければ、巨大な陰謀が蠢いているわけでもありません。これは、完全にただの事故に過ぎず……そして、スーパーパワーを持っているヒーローにしてみれば、ごくあっさりと解決できる、日常的に処理するべきことでしかありません。
 しかし、折悪しく、ジャスティスリーグの同僚たちは、誰もが緊急の任務をそれぞれが抱えており、ゴッサムに救出に訪れることはできません。そして、単なる常人に過ぎないバットマンにとって、飛行機事故を防ぐための孤独な闘いは、自身の命を懸けたギリギリのものにならざるをえません。
 そして、その渦中で明らかになるのは……どれほど些細な事件に見えようが、派手なことなどないごく普通の事故のように思えようが……無実の人間の命を救うためには他に選択の余地がないのであれば、バットマンは、いつでも自分の命を躊躇なく差し出す覚悟ができているということなのでした。
 ……それはつまり、それがどれほどありきたりの事件に思えようとも、無実の人間の命がかかっている限り、あらゆる闘いはバットマンにとっての最後の闘いになりうる、ということなのでした……。


 自らの解釈によるバットマンの新たなストーリーを始めるにあたって、最初に以上のようなエピソードを置いたトム・キングのライティングには心を鷲掴みにされたのですが……もちろん、これは、その後に続く事件の発端に過ぎませんでした。
 間一髪でバットマンを救ったのは、見慣れないコステュームに身を包みスーパーパワーを持った兄妹、それぞれ「ゴッサム」「ゴッサム・ガール」と名乗る二人だったのです。
 ゴッサムという都市そのものの名を名乗り、先輩ヒーローとしてのバットマンに敬意を表して教えを乞い……しかしバットマンとは異なることとして、スーパーパワーを持っている……そんな二人の出現を前にして、ブルースの心が揺れ動くことになります。


 There're going to be others, Alfred. Other planes. Asteroids. Aliens.
 これからも他の事件は起きるだろう、アルフレッド。他の飛行機が。小惑星が。エイリアンが。



 I won't be able to stop them. I'll die. Then Dick will take my place.
 私には、それらを止めることはできまい。私は死ぬ。そしてディックが私を継ぐだろう。



  Then he'll die.
  そして、彼も死ぬ。



  I can't...there's nothing I can do.
  私にはできない……私にできることは何もないのだ。



 ゴッサムが真に必要としているのは、何のてらいもなく、ゴッサムの守護者たることを望むがゆえに「ゴッサム」と名乗るスーパーパワーを持った若者なのではないかということに、ブルースの心が揺らぐことにもなるわけです。
 若さゆえに未熟さをも見せるゴッサムとゴッサム・ガールに厳しい言葉を投げかけつつもその動向を見守るバットマンでしたが、その均衡が崩れたのは、サイコパイレートがゴッサムに現れたときでした。
 サイコパイレートの介入によってゴッサムに混沌がもたらされ、善意を持って動いても自身の思う通りに事が進まないことに絶望したゴッサムは狂奔し、むしろこの街の破滅をこそ願うことになります。
 もちろん、そんなゴッサムと生身で対立しなければならないのは、バットマンです。自ら「ゴッサム」とまで名乗っておきながらたやすくその街に絶望し、スーパーパワーを持ちながらそれをうまく活用することもできない……そんな若者を前にしたとき、ある意味では己を取り戻したと言えるバットマンは、勝ち目のない闘いの中でボロボロになりながら、次のように言うことになるのです。


  Fine. Fine. Do it, then. Kill Gotham.
  いいだろう。いいだろう。ならばやれ。ゴッサムを殺せ。



  But this city--it's just brick and concrete. It didn't free the Pirate. Or hurt those soldiers. And it damn well didn't murder your parents.
  だが、この街は――ただの煉瓦とコンクリートだ。この街がサイコパイレートを解放したのではない。あの兵士たちを傷つけたのでもない。そしてお前の両親を殺したのでもない。



  The Pirate was here because I couldn't stop the chaos that bleeds this city. You hurt those soldiers because I told you to fly to them. And your parents...they were murderd because I couldn't save them!
  サイコパイレートがここに来たのは、私が、この街をさいなむ混乱を止められなかったからだ。お前があの兵士たちを傷つけたのは、私が彼らの元へ向かうようお前に命じたからだ。そして、お前の両親は……彼らが殺されたのは、私が救えなかったからだ!



  You want to kill Gotham?! For being weak! For being afraid! For failing again and again and again!
  ゴッサムを殺したいと望むのか!? その弱さゆえに! その臆病さゆえに! 何度も何度も何度もしくじってきたがゆえに!



  I am Gotham. Kill me.
  私がゴッサムだ。私を殺せ。



 ……そう、『アイ・アム・ゴッサム』とは、常人としての力の限界ゆえに、単なる個人としての自分が「ゴッサムの守護者たること」が可能であるのか揺れ動いた末に、自分一人しか「アイ・アム・ゴッサム」という言葉を発することのできる者はいないこと、その言葉を自分だけのものとして取り戻すまでの物語だったのです。


 ……さて、トム・キングがこれから展開していくことになる自身のバットマン像の冒頭に据えた以上のようなイメージは、非常に感動的であるのと同時に、極めて危うい点をも秘めているように、私には思えます。……と言うのも、ここで描き出されているのは、バットマンというヒーローの特殊なあり方は、別人によっては継承されることのできないものだということだからです。
 トム・キングが出世作となった「グレイスン」誌でやってきたこととと合わせて考えるならば……結論から言うと、私の考えでは、トム・キングのバットマン解釈は「ディックはブルースの後継者ではない」という前提に立っていると思えるのです。
 このことに関して最も決定的なのは、「グレイスン」誌の「フューチャーズ・エンド」タイインの回でしょう。現行の時点から数年後の世界を描き出すワンショットにおいて(この時間軸自体は『コンヴァージャンス』によってリセットされちゃいましたけれども)、恐ろしく複雑に入り組んだストーリーテリングの技術を用いることで、驚嘆すべき内容が密かに語られていたのでした。
 トム・キングという人はアメコミの過去の名作を念頭に置いたライティングを割とよくするので、これはおそらくはアラン・ムーアの『キリング・ジョーク』の語り方が前提にあるのだと思いますが、しかし複雑さ自体は『キリング・ジョーク』より錯綜しているほどの(とはいえ、いったん解釈できると意味は一義的に決まるので、読み解くまでが複雑だということ)ストーリーを解きほぐしたときに、そこで語られているのは……「ディックは、自身の両親を殺害した人間を野放しにしたゆえにさらなる無実の人間が殺戮されるようなことがあれば、一線を越えて殺人を犯す」という、ちょっと驚くべきことなのでした。
 実はこのことは、トム・キングが直接ライティングに参加しているわけではない「リバース」後の「ナイトウィング」誌にも継承されておりまして、とある出来事に関してブルースと意見が衝突した際、ディックは、「あなたが絶対に倫理上のある一線を越えないのは、自分がそこを越えたら絶対に戻ってこられないことをわかっているからだ。僕はあなたとは違う。人生の光と影の両方を知っているから、たとえ一線を越えたとしても戻ってくることができる」と言い放っているのです。
 つまり、ディック・グレイスンとはもはやディック・グレイスンという独立した人格なのであって、「ブルース・ウェインの後継者」なのではないということです。……そして、ジェイスンはあんなだし、ティムは(少なくとも表向きは)死んじゃうし、ダミアンもあんなだし……ということで、実は現状のバットマンは、ファミリーが多い割には、自分の価値観を引き継ぐ明確な後継者がいない……ということになっているのです。


 そして、以上のように考えてみると、トム・キングのバットマン解釈は、既に、スコット・スナイダーのバットマン解釈とは全く異なる立場に基づくことが明らかにされていると思えるのです。
 というか、私としては、この『アイ・アム・ゴッサム』を読むことによって、全体としてはその高い完成度をほめたたえながらも、どこかにわずかに感じていたスコット・スナイダーのバットマン像への違和感が何であったのか、ようやくわかったのです。……それは、一言で言えば、スコット・スナイダーは、バットマンという存在がいかにして誕生しいかなる行動原理で活動しているのか、その全てが理解可能であり分析可能であるという前提に立っていたということなのでした。このことが頂点に達したのが『スーパーヘヴィ』でしょう。バットマンがどれほど驚異の存在であろうとも、それが常人である以上はその原理を分解し解析することが可能である、だからこそ、それを再現することもできれば、別人が継承することも可能である……。
 一方、トム・キングは、バットマンのような常軌を逸した存在がいかにして誕生し、なぜこんな人物が存在しうるのか、全くわけがわからない――という前提でキャラクター造形をなしています。だからこそ、バットマンを継承することなど、誰にもできない。
 正直なところ、この『アイ・アム・ゴッサム』を最初に一読して、そのストーリーが結構ゴツゴツしてぎこちないことにかなり驚いたものでした。……しかし、よくよく考えてみれば、トム・キングほどの卓越したストーリーテリングの技術を持った人物が、単なる初歩的なミスを犯してそんな仕事をしてしまうなどということは、ありえないわけです。
 つまり、トム・キングほどの技術の持ち主ですらスムーズに語りきれずゴツゴツとしたストーリーになってしまうのは、そもそもが語りえないはずの対象を無理に語ろうとしているからなのではないか、と。……もしこれが正しいのならば、トム・キングが長期間に渡って「バットマン」誌を担当するのであれば、その最高到達点はスコット・スナイダーを凌ぐことにすらなりうるのではないか……と、私には思えます。


 単なる常人でありながら、スーパーパワーを持ったヒーローたちと同等の責任を果たすことを自身の当然の使命とみなし、そんな存在として振る舞いうるために、いつでも死ぬ覚悟を携え続け……ゴッサムという一つの街がはらむその悪も闇も汚辱も、それら全てが自分の責任であるとすら見なし、己の身の丈を越えた妄執にとりつかれた男。そして、その肉体は精神に追いつかない通常のものにすぎないからこそ、いつか必ず死ぬ。……そんな狂気じみたあり方しかできないからこそ、バットマンは、自分が他の誰とも異なること、他の誰も自分を継承することなどできないことを確認した上でしか、そのぎこちないコミュニケーションを始めることはできないのです。
 ひとまず、事件が終結し……その余波で、かつての幼き頃の自分にと似た境遇に陥り心が折れてしまった人物が生まれる、そんなときにどのように接すればよいのかわからなくなったブルースは、アルフレッドに助言を求めることになります。アルフレッドに冷静な言葉を突きつけられたブルースは、自分が何者であるのかを改めて客観視する……それは苦い認識であるのですが、しかし、やはり、バットマンのストーリーとは、ここからしか始まりえないものなのです。


  Alfred. When it happened. Mother and Father. How did you...help me?
  アルフレッド。あれが起きたとき。母と父のことだ。お前は……どうやって、私を救ったのだ?



  Master Bruce, with all due respect...
  ブルースさま、しかるべき敬意を持って申し上げますが……



  ...each night you leave this perfectly lovely house and go leaping off buildings dressed as a giant bat.
  ……毎晩、あなたは、この完璧なまでに心地よい家を後にし、巨大な蝙蝠の装束で建物の上を飛び跳ねに赴きます。



  Do you really think I helped you?
  あなたは本当に、私があなたを助けたとお考えなのですか?









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コメント

少し気になったので質問しても宜しいでしょうか。

バットマンがどれほど驚異の存在であろうとも、それが常人である以上はその原理を分解し解析することが可能である、それを再現することもできれば、別人が継承することも可能である……。

個人的にはここに疑問を抱きました。もちろん、スコットスナイダーがバットマンを分析解析したのは『ゼロイヤー』から続くストーリーラインでも確かだと思います。
しかし、スナイダーはすでに『スーパー・ヘヴィー』でのブルース・ウェインが『バットマン』になる。という過程ですでにブルース以外でバットマンの器足りえない、継承は無理に近いと書かれているように思えました。でなければあそこに立っていたのはゴードンでもよかったとも思うのです。
むしろ、自分としてはスナイダーとトムキングの違いはブルース・ウェインの扱いではないかと思います。スナイダーはhowadhoax様も仰っていた通り「ブルース・ウェインはバットマンではなく、完全に別人である」という考えで、トムキングは「ブルース・ウェイン=バットマンである」と見受けられました。
不躾で非常に浅薄な考えかもしれませんが、気になってしまい書いてしまいました。

宜しくお願い致します。

……あ、あとどうでもいいのですがやっぱりモリソンが思案していたダミアンバットマン計画はもうなくなったんですかねぇ。

Re: タイトルなし

> REBIRTHしたRさん

 まさにその、スナイダー的にはバットマンとブルース・ウェインとが異なる存在だということが、バットマンの継承可能性ということだと思います。ゴードンには無理だったとはいえ、『スーパーヘヴィ』で登場したシミュレーターの負荷に耐える精神があれば、原理的にはブルース以外がバットマンになることも可能、というのがあの話でしたから。実際、シミュレーターの内部では「我々の知る、あのブルース」ではない別世界のブルースもバットマンになりうることが描かれていました。
 まあアメコミは元々パラレルワールドが前提なので、ブルース・ウェインという固有名がどの範囲を指示するのかは実は明確ではないわけですはけれども。とはいえ『スーパーヘヴィ』の場合、アルフレッドの役割がジョー・チルに置き換え可能なところまで描かれていましたから。ということは、例えば成長したダミアンがあのシミュレーターに耐えるならやはりバットマンは生まれうるというのが、あの話の前提になっていると思います。
 しかしそのダミアンは、スーパーパワー持ってジョン君と戯れたりしてるので、なんかもはやモリスン未来には到達しそうもないですね……。
 それにしても、あのジョン君をお産で取り上げたのは『フラッシュポイント』のトマスだから、ブルースに伝えれば一瞬で掌返すはずなのに、そのことに気づかないとは、やっぱあのスープスは偽物かもと思えてきました……。

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