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凡人は神話を語りうるか?――『ジャスティスリーグ:ザ・ダークサイド・ウォー』(中)







 『ジャスティスリーグ:ザ・ダークサイド・ウォー』(ハードカヴァーとkindle版)

  ライター:ジェフ・ジョンズ
  アーティスト:ジェイスン・フェイボク、フランシス・マナプル


 というわけで、前回の続き。『ダークサイド・ウォー』の本編がどのようになっているのか、具体的に見ていきたい。
 『ダークサイド・ウォー』の全体の構成として、各号が各章として割り当てられているのみならず、いくつかの章が連結されて一幕を成し、全体として三幕構成を形作っている。これは、古典的な悲劇の構成にならったものであるだろう。
 そして、第一幕の結末として衝撃的な事件が起きることになり、ここを境として、作品の内容も急展開することになる。


 さて、第一幕を通して展開されるのは、DCユニヴァース全体の存亡を揺るがす規模ですらあると言える、ダークサイドとアンチモニターの闘争である。……しかし、実は、「ダークサイドとアンチモニターが正面から一騎打ちで覇権を争う」というのは、うまく処理するのがなかなかに面倒な題材であるのだ。
 もともと、アンチモニターとは、1986年の『クライシス・オン・インフィニトゥ・アース』において発生した宇宙全体の存亡の危機、その全ての黒幕としての役割を果たすために登場したキャラクターであった。そして、この『クライシス』は多元宇宙にまたがるDCユニヴァース全体の危機とされており、DCユニヴァースの全てのストーリーがこの作品を結節点として連結されることが売りの一つでもあったのだから、当然のこととして、ジャック・カービイが描いた「フォースワールド」、そこに登場するニューゴッズの面々もまた同じ世界観の中にいることになる。しかし、そこにダークサイドが登場した際にはあくまでも脇役程度の役割しか与えられておらず、アンチモニターとダークサイドの関係がどのようなものであるのかは今一つ明らかではなかった。
 『クライシス』とは、複雑化しすぎたDCユニヴァースの世界観を全てまとめて整理した上でいったんリセットするためのイヴェントであったはずなのだが、「フォースワールド」の収まる位置はそれほど明確ではなく、ぎこちない位置づけのままに残されていたのだ。……そして、『ダークサイド・ウォー』を読み終えて改めて振り返ってみると、DCユニヴァースの全体像を調整することを目的とした数々のイヴェントにおいても、「フォースワールド」の位置づけがきちんと確定されたことは遂になかったように思えてくるのだ(グラント・モリスンは『マルチヴァーシティ』において提示したDCユニヴァースの全体像の地図ではうまいこと整合性のある設定を作りえていたんだけれども、「フォースワールド」も含めてストーリーの形を取った『ファイナルクライシス』の方はと言うと、アレだし……)。
 まず『ダークサイド・ウォー』が決定的に抜きんでている点として、時には相互に矛盾し複雑に錯綜する様々な相互を丹念に解きほぐし、完全に統一された設定を与えた上で、それでもなおそれほど背景知識がなくともするすると読み進められるほどまでに整理されたストーリーの形式を与えている、ということがある。そもそもの前提として、この、「整理され統一された世界観を提示した」ということだけでも凄いことなのだ。
 例えば、「フォースワールド」において、ダークサイドは「アンチライフ・イクウェイション(反生命方程式)」なるものを求めているとされるし、「死」そのものを表す存在としてブラックレイサーというキャラクターが提示されてもいる。一方で、当然のことながら『クライシス』はDCユニヴァース全体の存亡や、そもそもの宇宙の起源に関わっているはずであるし……さらには、ジェフ・ジョンズ自身が担当していた時期の「グリーンランタン」は、大ヒットしてどんどん話がデカくなっていった結果、「生」や「死」の概念そのものが具現化された力を巡る争いまでが展開されることにもなった。設定的には「グリーンランタン」の内部だけにとどまることもなさそうなことであったのだが……驚くべきことに、ジェフ・ジョンズは、それら全ての設定を「なかったこと」にするようなこともなく、全て「あったこと」であるまま、強引に統一された説明を与えてしまったのである。
 かくして、宇宙の存亡そのものに関わるような壮大な話が展開されてきた「クライシス」も「フォースワールド」も「グリーンランタン」も、完全に同一の世界観の内部で語りうる基盤が整えられてしまった。……とはいえ、錯綜した設定を整理整頓し統一するために、既存の設定に微妙な再解釈が加えられたり、新たな設定が書き加えられたり、変更がなされていたりする部分もある。実際のところ、アンチモニターのそもそものオリジンに関しても、新たな説明が付け加えられている。
 そして、まさにその点……統一された基盤の元で、対等な立場でダークサイドの前に立つことになったアンチモニターの正体が、どのような存在であるとされていたのかということ。まさにこの点に、DCユニヴァースがその内に抱え込んだ秘密が暴露されてしまっていたのだ。


 もともと、『クライシス』において巨大な災厄を引き起こした遠因とされていた出来事とは、ガーディアンズ・オヴ・ザ・ユニヴァースがそう名乗る以前のオア人の一員であったクロナという人物が、禁忌を破り宇宙のそもそもの起源を時間を遡って観測しようとしたことにあった。……そして、今回の『ダークサイド・ウォー』において、アンチモニターのオリジンは、この出来事に対応したものであることとされたのだ。『クライシス』において反物質宇宙から襲来し正物質で満たされた多元宇宙を滅ぼし尽くしかけたアンチモニターとは、最初からそのような化け物じみた存在ではなかった。メビウスなる人物が反物質宇宙の起源を観測しようとした結果、超常的な力にとらわれ変貌した存在こそアンチモニターであったのだ。……つまり、率直に言ってしまえば、多元宇宙を滅ぼし尽くす力を備えたアンチモニターとは、分不相応な力を備えてしまった凡人にすぎなかったのである(……もっとも、そうは言っても、ニューゴッズの一員としてあらゆる知識を収集するメトロンの前任者であったことが明らかにされているので、単なる常人というのとも違うのだが)。
 DCユニヴァースが統一されるための全体の結節点となり、全てのヒーローが一致団結して打倒すべき恐るべき怪物は、その実、統一された世界観の元でいざダークサイドと対峙してみれば、たまたまの偶然で巨大な力を手にしてしまった凡人に過ぎなかった。ここで明らかにされてしまったアンチモニターとダークサイドの違いとは、そのまま、「クライシス」と「フォースワールド」の違いでもあるだろう……それは、DCユニヴァースにジャック・カービイの神話世界をうまく組み込むことができなかった、根本的な差異である。そもそもDCユニヴァースの内部には、凡人しかいなかったのだ。……よりはっきりと言うならば、そこには、ごく一握りの傑出した才能の持ち主によって独創的に創造されたキャラクターなどというものは、全く存在していなかったのである。


 アメリカン・コミックスの歴史をアメリカの同時代的な文化現象と照らし合わせてたどってみれば明らかなことだが、実は、スーパーマンやバットマンですら、独創的なキャラクターというわけでは全くない。コミック・ブックより以前から存在し隆盛を極めたパルプ・マガジンを舞台にして人気を博したヒーローたちに、その元ネタの多くはある。時には何のひねりもなくあからさまにパクり、受けるネタを寄せ集めて無理矢理継ぎ合わせて強引にデッチ上げられたというのが、そもそもスーパーマンとバットマンが創造された時点での実態であっただろう。
 しかし、にもかかわらず、スーパーマンもバットマンも、先行した元ネタのパルプヒーローたちよりもはるかに広範な影響力を持ち、普遍性を備え、今日にまで生き続けることにさえなった。これはつまり、スーパーマンやバットマンがはからずも備えてしまった普遍性とは、作者たちの構想や才能によってコントロールされる範囲をはるかに越え出ていたということであろう。大不況のさ中で貧しいティーンエイジャーが自分たちの好きなものを無邪気に寄せ集めて創造したからこそ、広くアメリカ人が欲望するものが奇跡的に具現化されたキャラクターが誕生してしまったのだ(そういう意味では、私の見解としては、スーパーマンとバットマンの誕生の数年後、ジョー・サイモンとジャック・カービイによってキャプテン・アメリカが創造された時点で、ようやくヒーローコミックは独自のジャンルとしての道を歩み始めたのだと考えている)。


 アメリカのヒーローコミックの源流たるDCコミックスは、アメリカ文化の実状と結びついた普遍性を備えるような、原型的なヒーローを幾人も擁する。しかし、いずれの場合もそれらの起源は天才の独創性の産物によるものではない、言い換えれば、凡人の夢想が、凡人の夢想であるからこそ広範な影響力を持ちえることにもなり、結果として分不相応なまでの力を得ることになったものだ。
 『ダークサイド・ウォー』とそれに続く「DCユニヴァース:リバース」において、ジェフ・ジョンズは、そもそもDCユニヴァースとはなんであるのか、その根本的な部分から定義付けたのだと私は思う――すなわち、DCユニヴァースとは、取るに足らない凡人たちが見た夢の集合体であるのだ。
 だからそれは、ごく一握りの傑出した才能が生み出し、独創的であるゆえに時に人の心を打ち時に揺さぶるような特別な作品とは異なる。だから、「クライシス」と「フォースワールド」を完全に統一し、一つの巨大な物語として語ることはできない。両者は対立するしかないーーだからこそ、アンチモニターとダークサイドには、完全に決着が付くまで死闘を演じるしかない。
 そして、分不相応な力を得てしまっただけの凡人が、常に不利であるというわけでもない……かつて凡人たちが、時代に取り残されてしまったジャック・カービイを抹殺してしまったのと同じく、アンチモニターは、死闘の果てにダークサイドを殺害するだろう。
 しかし、これは結末ではない。「ダークサイドの死」とは、全てが終結する最後の出来事ではなく、さらなる出来事が起きる前触れとなるのに過ぎない。『ダークサイド・ウォー』は、そのような題名がつけられているのにもかかわらず、「ダークサイドの死」によって、第一幕が終結するのに過ぎないのだ。









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