Latest Entries

『バットマンvsスーパーマン』を見て、ジャンル内での傑作と凡作のあり方について考えた

 映画『バットマンvsスーパーマン』を、2D・字幕の上映で見てきた。
 ……う~ん……う~~ん……う~~~~ん……とりあえず、見終えた直後の感想を一言で言うならば、「ジェフ・ジョンズの権力が足りなかった……」ってことですかね……。
 映画が始まってすぐの冒頭部分で語られるのは、この映画に登場するヴァージョンのバットマンのオリジンです。クライムアレイで強盗に射殺されるウェイン夫妻が描かれる中で、そこに不可欠の要素として存在しているのが「怪傑ゾロ」と「飛び散る真珠」であったという時点で、劇場の中で涙腺がゆるみ始め、「……お、おれはこの映画を絶対に否定しないぞ!」という断固たる決意が芽生えたのではありましたが……正直なところ、個人的に盛り上がったピークは、その最初の部分だけだったのでありました……。
 それから、映画を見た後に監督のザック・スナイダーの発言を見てみたら、冒頭近くでロイス・レーンがアフリカに取材に赴いた際、同行していたカメラマンがあっさりテロリストに射殺されるという描写があるんですが……「あれは実はジミー・オルセンなんだ」とか言っていやがったので、即座に、バットマンのオリジンが帳消しになってプラマイゼロになってしまいました。
 映画の全体としての印象は、サム・ライミの『スパイダーマン3』に近いものがありました。……と言うのも、「全体として内容を詰め込みすぎであるため、元ネタ知らんで見る人にはわけわからんじゃないの?」っつーことですね。
 とはいえ、なぜ「内容詰め込みすぎ」になったのかという原因に関しては、両作で異なるのではないかとも思います。『スパイダーマン3』に関して言うと、私の予想というか妄想としては、サム・ライミの巨大な勘違いによるものなのではないかと。スパイダーマンの映画化の大成功に気をよくしたサム・ライミ、「なんだ、やっぱみんなスパイディ大好きなんじゃん! ということは、宇宙からぶよぶよした黒い物体が飛来した時点でエイリアン・コステュームのオリジンまで誰でもわかるし、そこから新聞記者エディ・ブロックが出てきた時点でヴェノム登場までは誰でも展開を読めちゃうんだから、そんなに細かく描写する必要ないよな~。だったらアレもコレも入れられるぞ!」とか思ったんじゃないでしょうか。実際あの映画、詰め込みすぎだと言われるのはその通りだと思うのですが、元ネタ知ってると別に混乱することもなくふつうに見られるんですよね……。
 そして、『バットマンvsスーパーマン』にもそういう場面はありまして、例えば「少し未来の時点のバリー・アレンが時空を越えてバットマンの元を訪れてこれから起きる出来事に警告を与える」という『クライシス』オマージュがありましたが、あれなんか、この映画の観客の99パーセント以上はわけわからずポカーンとするだけなんじゃないでしょうか。そもそもこの映画の中ではブルースとバリーはまだ出会ってもいないわけで、その時点で「近未来のバリー」をいきなり出すのはどうなのか……。とはいえ、この映画のその後の展開を照らし合わせてみると、ジャスティスリーグ結成の根本的な起源となるのは時空を越えたバリー・アレンであるということになり、「……そ、それは、DCコミックス的には非常に正しいぞ! うふふ」などと思わず頬が緩んでしまうのでもありました。
 ただし、『バットマンvsスーパーマン』の脚本の内容詰め込めすぎによる混乱は、単に情報量が多いということだけによるのでもないように思えます。というのも、そこで語られる内容のテーマ面を整理してみると、明らかに相互に矛盾するような場面がいくつも出てきているのです。と、いうことは、製作総指揮や脚本に数多くの名前がクレジットされているこの映画、全く異なる全体の方針が統一されずにごちゃごちゃのまま無理矢理盛り込まれてしまったのではないでしょうか。……そう、私の脳裏には、既にありありとイメージが浮かんでいます……会議室で机を両手でバンバン叩きつつ、異様なテンションのジェフ・ジョンズが「ちがうんスよ! ちがうんスよ! バットマンのオリジンには、絶対に何が何でも「怪傑ゾロ」と「飛び散る真珠」がないとダメなんスよ! というかそれ以前の話として、前の映画版だと「怪傑ゾロ」がカットされてウェイン一家がオペラに行ってたことになってましたけど、あれいったいなんだったんスか! なんスかオペラって! もともとコミックの方でなんで「怪傑ゾロ」が出てきたかって言ったら、バットマンの発想源の一つに対するオマージュだったわけじゃないスか! アクション映画へのオマージュを持ったコミックを映画化するにあたって、なんでわざわざそのオマージュをカットしなきゃいけないんスか! わけわかんないじゃないスか! んなことしてる時点で、既に敵を作ってるってことがなんでわかんないんスか! そう、だからこそ! それを変えるだけで! ちゃんとバットマンのオリジンを「怪傑ゾロ」に戻して冒頭に置く、ただそれだけのことで、おれら……じゃなくてDCコミックスのファンのみんなはとりあえずおおっぴらに文句は言わなくなるんスよ! 簡単なことじゃないスか!」などと口角泡をとばしつつしゃべり倒すという一幕が演じられていたはずなのです。
 そう、間違いない! バットマンのオリジンを「怪傑ゾロ」と「飛び散る真珠」に戻した上でわざわざ映画の冒頭にねじ込んだのは、ジェフの仕業です! それから、『マン・オヴ・スティール』でのスーパーマンが二次被害のことなどまるで気にせず都市を大破壊していたその陰でブルースが奔走していたことをその直後に置いたのも、たぶんジェフです! ……しかし、悲しいかな、ジェフの権力では、その程度のことをねじ込むのが限界だったのです……(涙)。
 実際のところ、『バットマンvsスーパーマン』という映画は、「漠然とした全体の正義のために細部での個人の犠牲に目がいかない」というスーパーマンの姿勢を危険視したバットマンが対立する……という前提の元始まったはず、なのに、そのテーマが深められたりストーリーの中心で展開されるようなことがありません……。というかそれ以前の問題として、映画公開の少し前に何かの記事で監督のザック・スナイダーのインタヴューを読んでたら「スーパーマンのような強力な存在を前にすると、バットマンも、銀行強盗のような小さな事件はどうでもよくなってしまうんだ」とか言ってて、「やっぱこの人、なんもわかってねえ……」と痛感させられることがあったのでした。そもそもの話として、自分が監督する映画に出てくる主要なキャラクターの行動として既に予告されているような部分に関して、根本的な部分からよくわかってないではないかと。……というかさ、今更ですが、ザック・スナイダー、こんなこと言ってるってことは、『ウォッチメン』を監督しておきながら、ロールシャッハの姿勢とかもまるっきりわかってなかったってことよね……。
 まあ、おそらくはそんな感じでてんで異なる見通しが一つの映画製作の中に相乗りした結果、「スーパーマンのヒーローとしての姿勢に対する疑問が投げかけられる」→「その後の話の本筋には特に影響なし」とか、「スーパーマンの立場に対する説明を求める公聴会が実現」→「爆破事件でとりあえずウヤムヤ」などという風に、あるテーマの元で描かれた場面がその後の展開で打ち消され無意味になるようなことが繰り返されてしまったのではないかと。
 おそらくこの映画の製作にあたって、情報量が詰め込みすぎであるということは製作側もわかっていたんではないかと思うのですよ。というのも、冒頭あたりのスーパーマン関連の描写などを見ていると、ハリウッドの古典的な脚本術の省略テクニックが使われているのです。前作『マン・オヴ・スティール』においてはクラーク・ケントとロイス・レーンの関係はそれほど掘り下げられることはありませんでしたが、今作になると、ロイスが自宅で入浴している最中にクラークが自然に入ってくるような描写を盛り込んでいくことで、前作からある程度時間が経過した時点でクラークとロイスの関係がどのように変化したのかということを、ロイスがスーパーマンの正体を知っているということまで含めて、直接的な説明がなくとも自然な展開の中で観客がわかるように構成されているのですな。
 で、そのあたりの描写を見ていて「なかなかよく考えてあるな~」などと思っていたんですが、途中からはもう、脚本面での工夫ではどうにもならんほどに情報量が溢れすぎて説明不足・消化不良のままにストーリーがどんどん展開していってしまうのでありました……。
 「各場面ごとのつながりは消化不良なまま、とりあえず編集でつないじゃったんだろうな~」と思えるようなことは、結構いろいろありまして……。個人的に一番納得いかなかったのは、ゴッサム大学でアメフトする場面があり実際の撮影も済ませたという情報まで明らかになっていたのにもかかわらず、結局画面の片隅に一瞬チラッと写っていただけ……ということでした。それって間違いなくブースター・ゴールドを今後登場させるための伏線だったはずなんですが、できあがった映画を見ているとクラークが頑としてアメフトの取材に赴かず、思わず画面の中のペリー・ホワイトが激怒するごとに同調し、「まさにチーフの言うとおり! クラーク、アメフトの取材しろやあ~!」と腹を立ててしまったのであります(……それにしても、これは、ジェフが会議室で机バンバンしながら「今後のDCヒーローの展開を考える上で、ブースター・ゴールドは絶対の絶対に必要なんスよ~!」とか熱弁しても、「誰だよバスター・ゴールドって」ですまされてしまったんでしょうか……「だいたいグリーンランタンの映画化なら既に失敗したじゃないか」「だからグリーンランタンじゃねえッ!」みたいな)。
 その他にも、スーパーマンがロケットを救出する場面とか、明らかに結構な手間も費用もかけて撮影してあるっぽいのに、回想でほんの一瞬だけ写るだけとか……。あるいは、スーパーマンの起こした二次災害で半身不随になったブルースの元部下の人とか、スーパーマンと直接やり取りするために人前に出てきたのに、結局一言も会話することなし、とか……。結局のところ、いろんな人がいろんな構想の下に考えたそれぞれが独立して関連性の薄いようなシーンが無数にあり、それを全部つなげていくととてもではないが一本の映画にはまとめきれないので、それぞれのシーンをそれぞれ中途半端なところにまでカット、そのため、どのシーンもそれぞれ消化不良に……みたいなことになっちゃったんではないでしょうか。……これが、船頭多くして船山に登るというやつなのか……。
 そういえば、公開直前くらいに漏れ出てきた情報として、撮影現場で「こんな脚本が使えるかぁ!」とかキレ出したベン・アフレックがバットマンの衣装を着たまま脚本を書き直しだした……などという出来事があったことが伝えられていました。……まあ、それ自体は、むしろバットマンぽい感じがするエピソードではあると思えるんですが……。
 バットマンぽいと言えば……まあそんな感じの映画だったということもあり、全体を通してその首尾一貫した整合を追求してみれば、バットマンの行動が支離滅裂であることは一目瞭然ではあるわけですが……しかし、しかしですよ? 自分が追求しているヒーローのあるべき姿の理念をゴリゴリに唱え、理知的なアルフレッドにどれほど諭されようとも執拗にスーパーマンを非難し、それでいていざ自分個人の身内にまつわる主観的な感傷を刺激されるような事件があったらあっさり手の平を返して百八十度異なる態度を突然取り始めながらも何ら悪びれることなく堂々と居直ってみせ(「え、お前の母ちゃんもマーサなの? マジで?」)、挙げ句の果てにはマーサ・ケントを救出すると「いや~お母さん、実は僕、お宅の息子さんの友達なんスよ~」などといけしゃあしゃあと言い出し始める、死ぬほど頭がいいくせに感情の赴くままに行き当たりばったりに行動するからかえって無駄に大勢の周囲を巻き込みまくって迷惑すぎるその姿を見るにつけ、むしろ、「いや~……これは、バットマン全開だなあ!」などと思ってしまったのであります。


 ……しかしですねえ、いざ、「このくらいデタラメやりまくって傍迷惑な人の方が、かえってバットマンらしいな~」と思ってみると……この『バットマンvsスーパーマン』は、一本の映画としては、内容がとっちらかってしっちゃかめっちゃかなダメな作品だとは思いますが、「でも、アメコミの世界で社運をかけた規模の超大作なんて、たいていの場合、こんな感じのばっかだよな……」と思えてきました。最近だと、DCコミックスの『コンヴァージャンス』にしてもマーヴル・コミックスの『シークレット・ウォーズ』にしても、話の大筋について行くために読者は膨大な量のコミックの購読を要求され、そのために大量の費用と時間をはたいてなんとかついていっても、読み終えてからいざ冷静に振り返ってみると「……これ、そこまで苦労してつきあうようなものだったのだろうか……?」と自分の生き方に疑念が生じるようなイヴェントだったではありませんか(『エイジ・オヴ・アポカリプス』とか『ノーマンズ・ランド』のような「内容的にも成功した巨大クロスオーヴァー」なんて、例外中の例外ですからね……)。
 要するに、「アメコミだからいい」ということも、逆に「アメコミだから悪い」ということもないのです。ヒーローコミックだけに限定してみても、多くの人間が関わって多くの作品が送り出されているわけですから、当然のことながらピンからキリまであるわけです。いいものもあれば悪いものもあり、多数の人間の利害が絡んだ超大作では意思統一が計れずに混乱が生じるようなこともあり、逆に、小規模な作品が少人数のスタッフに自由裁量が与えられたゆえに予想外の成功を収めるようなこともあるのです。
 そういう意味では、『バットマンvsスーパーマン』という映画のダメな部分は、ヒーローもののアメコミを題材としている限りうまくいかなかったケースだと当然陥るような罠にはまっているという意味で「割とありがちな失敗作」なのであり、それ以上でもそれ以下でもないように思えてきました。今回の映画化では、元ネタとなる原作を読んでたら怒り出すようなテキトーな引用もなかったと思います……それはまあ、ジェフが水面かで奔走して防いでくれたんだと思いますが、それでも防げなかったのがジミー・オルセンの件だったということなのでしょう(……というか、作中ではジミー・オルセンという役名自体は作中に出てきていなかったので、ザック・スナイダーが映画の公開後に独断で「実はあれはこうだった」という裏設定として言い出した可能性もあるとは思いますが)。
 アメコミもまた一つのジャンルとしてある程度の広がりをもっている以上、傑作から凡作まで質にムラがあるのは当然のことであるわけです。ジャンルの定型にしたがってはいるもののうまいこと処理できずに凡作が生まれてしまうような機会もある、そんな間口の広さがあるからこそ、傑作が生まれてきうる土壌も存在しうるわけで。特定の様式を持った特定のジャンルから傑作だけがボコボコ生まれるはずもなく、凡作や駄作の存在も認めなければ傑作が出てくる余地はありません(むろん、だからといってなんでもかんでも認めるべしというわけではなく、読んだら怒り出すようなタイプの凡作・駄作も当然あるわけですが)。
 で、もちろん、なんらかのフィルターで選別されたあとの傑作・秀作にしかふれるつもりはない、そういうものにしか金を落とす気はない……というのもわかるんですが、そういう人が、同時に、自分が傑作・秀作にしか触れてこなかったジャンルの「ジャンルとしての全体像」について大上段で語り出すのは違うんじゃないですかねえ。アメコミの場合、商業的もしくは批評的成功を収めた作品しか邦訳というフィルターは通らないですし……ごく一握りの上澄みにしか接するつもりもなくジャンルの全体像の大部分を占めるゴミの山と根気よくつきあう気もないような手合いほど、的外れな「ジャンルの全体論」を語りたがるように見えるのはなんでなんでしょうかね。


 とはいえ、私自身、「ジャンルの全体像を把握しようとするならば、凡作・駄作にも接しなければならない」という己への戒めを、割と最近まで忘れていたような気がするのです……そしてそれは、まさに今回の『バットマンvsスーパーマン』の製作総指揮の一角に名を連ねているジェフ・ジョンズによって引き起こされていたことだったのです。
 テキトーに扱われてストーリーラインがぶち壊されたようなキャラクターを引き継いでは奇跡の復活を遂げさせ、「グリーンランタンがDCコミックスで一番人気のヒーローに」とか「アクアマンが売り上げでスパイダーマンを抜く」などという意味不明のミラクルを次々に実現させ、ジェフはアメコミ界のトップライターとして君臨するに至りました。そういうわけで、ここ十年くらいのDCコミックスの巨大イヴェントの多くはジェフがライティングを担当する事になった結果、その手の巨大イヴェントで箸にも棒にも引っかからないようなしょーもない代物にあたる率が激減していたわけです。
 だからこそ、そんなジェフが『バットマンvsスーパーマン』の製作に食い込んだことで、「ジェフならここから奇跡の大逆転を見せるのではないか」などと期待してしまっていたわけですが……いざ蓋を開けてみるとジェフがコントロールできているような部分がわずかであることは明らかであるのとともに、「でもアメコミ業界で鳴り物入りの超大作がこんな感じであることって、そういやふつうのことだよなあ~」と我に返るに至ったのでした……。
 しかし……しかし、であります。まだ、希望の光は消えてはいないのです……『バットマンvsスーパーマン』をめぐる一連の動きの中で、ジェフのことを高く評価し始めた人物が存在するのです。
 そう、我らがベン・アフレックは、リサーチのために結構細かくDCのコミックを読み込んでたらしいのですが……そのことについて、ジェフと色々と話し合っていたらしいのです。そんで、「そういやあのコミックは面白かったな」「あ~、それ書いたの俺だわ」「また別のあれも面白かったよ」「それも書いたの俺だわ」「俺の気に入るコミックはみんな君が書いてんのか~い!」などとじゃれあうようになったみたいです。
 そうか、と、いうことは……ベン・アフレックも、『フラッシュポイント』の結末で涙したり、『グリーンランタン:リバース』を読んで「ハル、ふっかぁ~~~つ!!!」などと絶叫したり、トレヴァーさんの財布をすったらワンダーウーマンの写真が出てきちゃって自分とバッツの関係を思い出してしんみりしちゃったキャットウーマンを見て切なくなったり、「そりゃメラが怖いのはわかるけど、アーサー、目ェ泳いでるゥ!」とか言ってみたり、「聖ウォーカーの決め台詞'All will be well.'を拝借していいのは、世界広しといえどもバリーだけ!」などと断言してみたり、「ブースター・ゴールドの世紀の大発見たる「シネストロには褒め殺しが効く」という衝撃の事実をいつの間にか認識した上で易々と使いこなしてまでいるとは、やっぱルーサーさすがだな!」とか言ってたりするわけか~。……ベン・アフレック、最高だな!
 挙げ句の果てには、きたるべき企画に向けての共同作業についてジェフのことを聞かれたベン・アフレック、'I love him. He's the best.'などと公に愛を表明しだしたりまでしちゃってますからねえ。
 ……と、いうわけで、今回の『バットマンvsスーパーマン』に関しては、もうこうなっちゃったものはしょうがないとは思いますが(ただしジミー・オルセンの件は除く)、ベン&ジェフの真価が発揮された暁には、まだまだ優れたヒーロー映画が出てくる期待は残しておいてもいいように思えるのでありました。



関連記事


コメント

スパイダーマン3はライミとしては元々サンドマンとバルチャーという子供の頃から慣れ親しんだキャラをメインの敵にしたかったのに、ベノムなんていう最近のキャラを出すようにプロデューサーからねじ込まれたのでやる気を無くしちゃったんですよ。

僕もバットマンのオリジン再現で涙腺刺激されてエンドクレジットでジミー・オルセンの名前を見てガッデムザックと叫びました…
ザックは今の世界観を展開する上でジミーの場所は無いと述べたみたいですが別の方法は無かったのでしょうか。バットマンで言えばバッツの友人兼話相手であるゴードンを切るようなものですし
そういえばジェフがメインで?舵を切ったドラマ版フラッシュなんかはあの世界観でコールドをメタヒューマンではなく普通の人間にしたりバリーの話相手にアイリスの父親を配置して疑似親子関係で話を膨らませるあたり何処かしらジェフのこだわりが感じられましたね
(ジェフ脚本回で犯行声明を出す際ノリノリでキャプテンコールドと名乗るレナードさんが最高)
映画版フラッシュもできればジェフがメインでやってほしいです、是非ともグリーンランタンの仇を取って頂きたい…

スーパーマンの二次災害問題については、連作ですし今後語られるのかもしれません。ですがせめてバットマンがそれにどう納得したのか、しっかり描写してほしかったですね。
未だになぜバットマンがスーパーマンを許したのか、明確な答えが自分の中でてません。

Re: タイトルなし

> 木村さん

 あ〜そうだったんですか。ヴェノムはオリジンの経緯だけじゃなくてヴィジュアル面でも適当な感じがしましたが、そういうことだったんですね〜。


>名無しさん

 あちゃ〜……オルセンはエンドクレジットに名前出ちゃってたんですか……。
 「フラッシュ」の映画版はレゴムービーの人で決定ということで、正直私としては期待してないんですよね……。レゴムービーは映画として優れていることはわかるものの、ちょいちょい出てくるアメコミキャラへの愛着の類は皆無だったもんで…。
 ジェフにしても、「ダークサイド・ウォー」と「リバース」でコミックのライティングの現場は一旦総括しちゃうんではという悪い予想の方だけが当たっちゃったぽいんですが……映画版を完全コントロールするところまではできないんなら、もう贅沢は言いませんから、コミックの現場で仕事しててくれ〜!(涙)

はい。お久しぶりです、Howard Hoax様。いかがお過ごしでしょうか、そろそろ花粉の季節ですのでご自愛くださいませ。こうアメコミ関連だけ、特にこういった映画ものだけに感想を入れるなんて正直、お恥ずかしい限りですが、やっぱり書きたいものは書きたいので、ここに書こうと思った次第です。

基本的には自分の感想もこのエントリどおりなんですが、(特にライター陣に権力が集まらなかった下り。ジム・リーのクレジットをあんな場所に置くなんて信じられません。それと同時にワーナー本社がDCのことをどれくらい軽んじてるのがよくわかります)個人的にはバットマンに関してもうちょっとだけザックが如何に愚かな判断をしているのかというところがあります。
それはやっぱり実写映画故の宿縁なのか、「バットマンが殺人に近い行動に出ている」。それに「バットマンの行動がしっちゃかめっちゃか」、です。

ちなみに私たちのスモーラーヴィルに関していえば、『スーパーマン死亡でみんな悲しんでる!』という部分で完全に諦めてます。・・・つーか、終始、ロイスや身内のピンチにしか必死に動かないって完全にgod among us のスーパーマンですやん。という気持ちで見てました。あと、ルーサーに脅されたとき、まったく躊躇なく殺そうとしたね君。ていう感じでした。

さて、話を戻して「バットマンが殺人に近い行動に出ている」というところなんですが、実は映画を見る前に記事でザックが「少なくとも今回は殺してないよ!」なーんて宣うもんですから、誰かがまた頓珍漢に「バットマンは昔から人殺ししてるからへーきへーき」なんて言わせないようにちゃんと頑張るんだな。うれしいな、やっぱりバットマン映画単独でやるときジェイソンの話をやるから丁寧な配慮するんだ、と思っていた時期が私にもありました。
蓋を開けてみると擁護しきれないようなシーン(バットモービルで相手の車を爆発させながら引き裂く。バットウイングでガトリングガンを爆発させる。銃で相手の火炎放射器の爆発を誘発する)を多分に含んでおり文字通り絶句してしまいました。
特にひどかったのはスーパーマンをクリプトナイトの槍で刺そうとするあたりは、こいつバットマン読んだことないだろ。と疑ってしまうほどでした。正直、バットマンならあのあまたクリプトナイトを槍なんかに使わずに、ちいさな部屋なんかに煙として充満させておいて、レッドサンのように閉じ込めると思うんですけどね。やっぱりまだまだ自分がにわかなせいでそういう場面を知らない無知な認識だという可能性も捨てきれませんが。

次は「バットマンの行動がしっちゃかめっちゃか」。これはまぁ、Howard Hoax様のいう通りある意味、バットマンらしいちゃらしいんですけど、でもそれってある意味、DCコミックスを読み込んでる自分のような人たちが「あーわかるわー」的な感じですし、初めてバットマンに触れる人にとっては「なんのこっちゃ」てなると思うんですよ。
それに家族の問題では彼の行動がしっちゃかめっちゃかに見えて実は・・・みたいな補てんがつきものなのにこれにはそれらが無く、一番、えーてなったのはクラークケントがバットマンのことを「ブルース」と名前を呼んでいたのに、そこから数分後でマーサの名前を聞き「何で知ってるんだよ!おまえ!」って言いながら殴りかかっているのは、もう・・・ねぇ。

それに頑固ってことに関してはDC内でもトップを争うこの男がたった一日で意見変えて尊敬までするっていうのもいただけませんでしたね。

そして、落ちとしては未だにシリアス路線での実写版バットマンは出てきていない。そんな風に受け取れましたね。

エンドゲームでいうところの"Neither of us",ですね。


ただ、ただですねやっぱりこの映画で評価したいのはキャスティングです。ブルースに関してはあのRETURNSの常に怒りを目に宿している力強さ、表情。恐らく実写での一番近いバットマンじゃないでしょうか。

それにトーマス。犯罪者に対して怒りを露わにしこぶしを振り上げるのは、「あ、俺こいつのことフラッシュポイントで知ってる!」という感じに感動すら覚えていました。

そんなベン・アフレックが俺たちのジェフ先生と一緒にバットマンの単独映画をつくる発表してくれました。

これは個人的には期待せざるえません!

そして、私は思うんです。こういったダメな部分見せられても「しょーがないなー、次に期待してやるよ」。という感じな気持ちになった時、初めてファンになると思うんです。

それでいてこのジャンルがどういったものなのかを再認識させてくれるものでもあると思うのです。

もちろん、ジャンル全体の把握なんて軽く語れるものではありませんし、簡単に総括できるものではないというのは重々に承知です。

だから接しなければならないと強く思うのではなく普段は出会うたびに真摯に批評することが傑作、凡作、駄作が生まれる流れや必然性を見ることができる土台になるとおもうのです。

そして、本腰を入れてジャンルの全体の把握をするときに、理解を深める要素になると思うんです。特にHoward Hoax様のようなベテランの方こそ、無理に読もうとしなくともいいと思います。

逆に、凡作、駄作に拘りすぎるのもなんだか違うと思いますし、読まなきゃいけないということはそれだけジャンルに浅いという意味とも取れると思います。

Howard Hoax様はDCの酸いも甘いも知り尽くしているからこそ、今まで通りに読んでいくことが重要だと思うのです。

つまり、ここ最近、Howard Hoax様が下手なライティングをそんなに読めていなかったのはDCの全体的な質が近年、非常に高かった、という説をここに提唱したいと思います。

あと、グリーンランタンって人気なかったんですね・・・知らなかった・・・。なんだかDCの代表的ヒーローの一人!ジャスティスリーグでは絶対外せない!みたいなイメージが強かったんでびっくりしました。

長文、失礼しました。そしてなんだか生意気なことを言って申し訳ありませんですた。

Re: タイトルなし

 この映画でのバットマンの行動のおかしさが気になる人は多いってことなんですかね……まあ不殺の件については、「この映画のバットマン」はこれが初登場で詳細な説明がないので、不殺の人でなくともおかしくはないと思っております。でもDCの出した前日譚のコミックでは不殺が明言されていたので、やっぱり設定の統一ができてないんですけどね〜。


>通り過ぎたがりのRさん

 「ゴミも読め」という言い方だとやや語弊があるかもしれないですが、要は私が言いたいのは、「事前情報での偏見をいったんカッコにくくって、作品にはあくまで虚心で接するべし」ということなんですよね。
 あるジャンルについてそれなりに詳しくなってくると、作品の周辺の状況を見るだけで、実物がだいたいどんな感じになってるのか予測がつくようになり、秀作だけ狙って効率よく金を落とせるようにもなってきます。しかし、未知の作品でとんでもない奇跡が起きている可能性は常にあるので、そことの遭遇の体験を自ら放棄してしまうことになるのではないかと。
 とりあえす、作品を読むときには「たぶんダメだろう」という事前の状況判断は捨てて純粋に作品を読まねばならない、9割がたは「やっぱゴミでした」という確認にしかならないのだとしても……と、思います。
 あと、今のDCはジェフ・ジョンズとスコット・スナイダーとトム・キングのライター3強が優秀過ぎて目立ちにくいかもしれませんが、駄作だって毎月大量に垂れ流してますよ! 私のこのブログでも、わざわざ紹介までするものは、読んだ中からだいぶ絞り込んだものだけですので……。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://howardhoax.blog.fc2.com/tb.php/203-8d503a4d

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

このブログについて

 ・毎月第1・第3土曜日に更新しています。それ以外にも不定期に更新していますので、月に2~3回程度の頻度で新しい記事を載せています。


 ・コメント欄は承認制です。管理者の直接の知人でもないのにタメ口で書き込まれたようなコメントは承認しませんのであしからず。


 ・なにか連絡事項のある方は、howardhoax(アットマーク)yahoo.co.jpまでどうぞ。

 

プロフィール

Author:Howard Hoax
 読んだ本、見た映画の感想をつづるブログ。基本的にネタバレありです。

 

全記事表示リンク

広告

 

最新コメント

カテゴリ

月別アーカイブ

広告

 

検索フォーム

 

 

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

 

QR