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映画『バットマンvsスーパーマン』の公開に際して予期しておくべきこと

 映画『バットマンvsスーパーマン』の公開もいよいよ近づいてきた今日この頃ですが、アメリカで公開された三番目の予告編を見て、「ふむ……!?」と、それまで死んだ魚のようだった私の目に活力が取り戻されるということがありました。
 まあ、私のようなDCコミックスのファンにしてみると、ノーラン=ゴイヤー体制によってワーナーのDCヒーロー映画が製作されてきた期間は終わりのない悪夢であり、もはやワーナーのヒーロー映画に対して何一つ期待するようなことなどありませんでした。
 ところが……という話をしたいんですが、ちょっとその前に、何年も前に書いたエントリにわざわざリンクを張って、どういう状況のものだったのかとかその後のやり取りとか全部無視して、ただでさえバカ丸出しな上にそれ何周目だよというような失笑ものの「ツッコミ」を罵詈雑言混じりでやるというような輩がまたぞろ現れたので、ノーラン版バットマンとかのことにいついてはこのブログでは書かないと言ってたんですが、少し前提となる補足をば。


 ノーランとかゴイヤーによるスーパーマンとかバットマンの映画化に対して激怒するファンがアメリカなんかにも大量に存在する理由ってのは非常に単純で、「原作の使い方がめちゃくちゃだから」というのにつきる。
 例えば、原作のよい部分を十分に理解しリスペクトした上で映画の方に大幅に取り込んで成功するようなコミック映画がある(サム・ライミ版スパイダーマンのように)。
 あるいは、原作とはほぼ無関係に、基本設定だけ使って実質的に独立した別物として成功したコミック映画がある(ティム・バートン版バットマンがそうであるように)。
 そして、原作から本来の文脈も無視してめちゃくちゃなテキトーきわまりないコピペをしてきて継ぎ接ぎだらけの映画を作り、原作を踏みにじって肥溜めに突き落として唾を吐きかけるようなコミック映画もある。
 これらいずれの場合でも、「原作と映画の関係」はそれぞれ異なるので、映画化する前の元ネタとの比較が無意味なのかどうかは、それぞれの場合によって異なるというのが、極めて当たり前のことだ。
 ……で、ノーランとかゴイヤーによる元ネタの扱いがおかしいという話を私は最初からずっとしているわけだが、なぜか、別に実際に原作との比較をしたことなどないのに「原作とは関係ない! 映画とコミックは別物! 原作と比較するな!」などと連呼する愚か者が次から次へとひっきりなしに現れてくるわけだ。
 アメリカのコミックのことなどまるでピンとこないのであれば、日本のマンガに置き換えてみると、どういうことなのだろうか。例えば、『ドラゴンボール』をハリウッドで実写映画化したとする(……いやまあ、実際にそれもあったんだけれども、それはいったんおいといて、架空の話として)
 出来上がった映画を見ていると、例えば、クリリンがフリーザに殺される場面なんかは、途中のアクションでの細かい構図まで含めて、コミックで描かれたのをそっくりトレースしたような感じで作られている、と。……そんで、いざ話が進み、死んだクリリンを小馬鹿にしているフリーザと最終決戦に挑むぜ~というような場面で、悟空が、「オ、オラ……フリーザと闘うなんて怖くてできねぇ~」とか言って泣き出しちゃう。
 こんな実写映画を見せられた『ドラゴンボール』の読者が、「なにこれ! ふざけんな!」「こんなことがやりてーんだったら、そもそも原作からの引用なんてすんなよ!」と激怒する。すると、次のような罵声が浴びせかけられることになるわけだ……
 「原作なんて関係ない! 原作との比較なんてするな!」
 「マンガと映画は別物なのに、映画を見たときにマンガの話を持ち出すなんてアホだろ!」
 「自分が気に入る悟空じゃないからってなんで映画が悪いことになるんだよ!」
 「おれはマンガファンだけど、こいつ頭おかしいよ! まあおれは『ドラゴンボール』は読んだことないけど!」
 「こいつ、そもそも『ドラゴンボール』のこと知らなすぎw 『ドラゴンボール』は初期はギャグマンガだったことを知らんのかw」
 「そうだそうだ! 悟空のイメージなんて時期によって全然異なるのに、特定の時期の悟空と違うからって映画を責めるのはお門違いだろ!」
 ……DCコミックスの読者というのは、こういうディストピアを生きているわけだ。


 そもそもの話として、この手の連中は、なぜ自分が口にしている支離滅裂な寝言が他人に対する批判として成立していると思えるのだろうか? ……要するに、話のまともな筋道もわからない、論理的思考もできない、そんな頭の弱い自分ですら、二言三言の単純極まりない罵声を吐くだけで他人に対して有効な打撃を与えて優位に立つことができるなどと言うことを本気で信じてしまうことができてしまうまでに、救いようもなく致命的に頭が弱いということなのだろうか。
 この手の連中が金科玉条のごとく連呼するのって「映画とコミックは違うのだから一緒にするな!」ということだけど、それを主張すれば主張するほどぶっ刺さってしまうのって、他ならぬノーラン自身よね。……うん、映画とコミックはそれぞれ特性が違うメディアである、ということは、コミックとして描かれたシーンをまるまる引っ張ってきて、構図まで含めてそのまんま再現して映画を製作しているような奴のやっていることは、映画監督としておかしいということになるよね。
 例えば、サム・ライミやジョス・ウィードンのように原作コミックに対してリスペクトをもって接している人々は、原作コミックの良い部分を映画で再現するにはどうすればいいのか、という点に労力を割いている。彼らはそのために映画の技術をどのように用いればいいのかに工夫を懲らすから、元ネタのコミックから単純にコピペしてできたような場面は撮影することは、当然ないわけだ。
 それから、なぜかわからんけれどもこれまた何度も何度も何度も何度も言われることとして、「バットマンはギャグ路線の時もあったことを知らないのか!」とかいうことだ。自分が実際に読んだわけでもなく、ただそういうのがあるらしいとうっすら伝聞で得ただけの知識を振りかざすことが、実際に40年代や50年代のアメリカのコミックも読んでる私を叩くことにつながるとなぜ思えちゃうんだろうね。
 それ以前の話として、バットマンがシリアス路線からギャグ路線まで幅広い描かれ方をしてきたキャラクターだとして、なぜそれが「シリアス路線でダメなもの」を受け入れなければならない理由になるんだろうね。シリアス路線で優れたものもあればダメなものもある、ギャグ路線で優れたものもあればダメなものもある、ただそれだけの話なわけだが。だいたい私は、ジム・キャリーがリドラーを演じていたときの映画版なんかは、シリアス路線ではなくギャグ路線であることを理由に批判したようなこともないんだけどね。
 ノーランとゴイヤーの場合、スーパーマンとバットマンのシリアス路線の時期のコミックからばかり引用して映画に入れていたわけだけど、そこで全く参照されていない原作にギャグ路線の時期があったことが、いったい何の関係があるんだろうね? ……それともあれか、私が根本的に勘違いしていただけで、ノーランとゴイヤーによるスーパーマンとバットマンって、全部コメディだったのかね? 悟空に「オラ、フリーザなんかに勝てるわけねぇ~」と言わせるのと同様のことを延々繰り返してきたのって、もしかして、笑うところだったのか?
 なるほど、もしそういうことなのであれば、私が根本的に勘違いしていたことを認めよう。……とはいえ、仮に全部ギャグだったのだとしても、全く面白くもなんともないのではあるが。


 ……と、いうように論理的に話を進めてきて、知識で勝てると思ってたのは勘違いだったし、理屈で間違いを指摘することもとてもできなさそうだということになると、いよいよ人格批判のみに専念することになるわけね。
 で、原作ファンは寛容じゃない! 視野狭窄! とか言いがかりをつけることが始まるわけだけど、これもまあおかしいわな。自分にとっては痛くも痒くもない局面で、他人に対しては無限に寛容であることを当たり前のように要求しつつ、自分が「寛容」でないと認定した他人に対して自分の側はいくらでも罵詈雑言を浴びせかけてもいいという、無惨なまでにあからさまなダブルスタンダード。他人は「寛容」じゃなければいけないけれども、同じ基準は自分自身には絶対に適用しないわけね。
 どんな物事でも多数派・勝ち組に入りたがり、周囲の顔色をうかがいつつ数に任せて少数派を侮辱し続け、反論されたら「寛容じゃない」認定してさらに生卵やら生ゴミやらを投げつける。……こんなことをやりたがる人間ばかりがどんどん増えていくような世の中なら、そりゃあ、罵倒されっぱなしの側の人間の中からテロリストが続々と出てくるようなことになってもなんの不思議もないですわなあ。
 まあそれ以前の話として、俺はガチガチのECWファンなんだからそもそも寛容なわけねーだろバカ野郎! ってことなんだけれども。ノーランやゴイヤーなんぞにスーパーマンやバットマンを好き勝手にいじられたような日にゃあ、ECWワンナイト・スタンドでジョン・シナが入場してきたときの我が同志のみんなと同じ反応をすることにもなるわけだ(試合が始まってからもこれですよ)。


 ……とまあ、そんなこんなで、すっかりやさぐれた気分で過ごしていた昨年末だったわけなもんで、もうすぐ公開される『バットマンvsスーパーマン』にしても、特に意識的に情報を集めるようなこともしていませんでした。
 それでもなんとなく耳に入ってくることとして、作中でゴッサム大学でアメフトをするシーンがあるとか。……すわ、ブースター・ゴールド登場か!? などと一瞬だけものすごく血圧も急上昇したわけですが、ワーナーが俺の喜ぶようなヒーロー映画を製作するわけがない……と、すぐに落ち着きました。
 だって、映画『マン・オヴ・スティール』を見てからだいぶ後で知ったことなんですけど、あの映画でスーパーマンが意味不明な殺人に手を染めるシーンがあるじゃないですか。あの場面、撮影する前の段階で、「こういう状況下でスーパーマンが殺人をすることはありえるか?」と、わざわざDCコミックスに問い合わせたらしいんですな。……で、「それは絶対にありえない!」というDCの側からの返答があった上で、とりあえずそれは無視して当初のプラン通りに撮影するという、自民党の憲法審査会ばりの茶番が展開されていたらしいのですな。
 そもそもそれ以前の話として、『バットマンvsスーパーマン』ってなんやねん! 『スーパマンvsバットマン』やろうが! ってことじゃないですか。
 はっきり言って、私自身は圧倒的にバットマン派であるわけです。……しかし、にもかかわらず、私もこのブログでこの両者を単純に併記する場合には「スーパーマンとバットマン」という書き方しかしたことがありません。この二人は完全に同格ではないので、この順序をごっちゃにしてはいけないんです! 言い換えれば、あの二人はハンセン・ブロディの関係ではなくて、馬場・猪木の関係なんです!
 まあ一つDCファンとしても苦しいこととして、現在DCコミックスから発行されている両者の共演タイトルは「バットマン/スーパーマン」である、ということもあるんですが……。これについても、既に七十年以上もの長きに渡って両者の共演が繰り広げられ続け、「ワールズ・ファイネスト」とか「スーパーマン/バットマン」などといったタイトルで発行され続けた挙げ句、ここ数年に至って初めて「バットマン/スーパーマン」というタイトルになったわけです。それがなんですか、両者が初めて実写映画で共演するのが『バットマンvsスーパーマン』って、そりゃあねえだろう!(……ていうか、コミックの方にもいまだに納得がいっているわけではないので、とりあえず休刊して「スーパーマン/バットマン」でやり直せと依然として思ってるのですが……)
 ……そんなことを思い続けてきたわけですから、当然のこととして、公開が近づいてきてもテンションが上がるわけでもなく、どういう状況でどんなスタッフによって製作されているのかに興味を持つこともなく、公開されても見るかどうかすらわからない……というような感じでした。
 そんな私が、ふと、『バットマンvsスーパーマン』の予告編を見ることになる……。
 ……おや?
 ……ふむ……
 ……これは?
 う~む……前作『マン・オヴ・スティール』において、スーパーマンは、周囲の一般人が巻き込まれるかどうかなどいっさい省みることなくメトロポリス内を破壊しまくっていたわけですが、その大破壊の渦中で、実は地道に人命救助に取り組むブルース・ウェインの姿があった……。
 破壊されつつある都市の粉塵の中で、逃げまどう人々とは完全に逆方向に、破壊の中心へと向かって何の迷いもなく突っ込んでいくブルース……。そう、それが見たかったんだよ! ブルースならそうするはずなんだよ!(こういうことを書くと、またぞろ「原作コミックのことしか認めないのか~」とか言い出すアホが出てくるので先に言っておくと、そもそもの前提として「幼い頃に強盗に両親を殺害され、自分と同じ境遇に陥る人をなくすことを決意した」という絶対的な大前提を持つ人物であれば、細部の人物造形の違いを越えて、こういう状況でどんな行動を取るかは一択で、選択の余地なんてねーだろって話。逆に、基本的な前提からしたらありえないような行動をわざわざ取らせるんだったら、そもそもなんでこのキャラクターを使うことにしたんだってことになるわけだ)
 ……いや、これは、どうしたことだ。今までのワーナーのヒーロー映画がどんなものであったかを考えてみれば、ヒーローの本来のあり方を真摯に反省するようなことを盛り込むはずなどない……しかし、ならばこれはいったい……?
 そんな不可解な疑念にとらわれた私は、『バットマンvsスーパーマン』の関係者のリストをチェックしてみたのです。すると……
 おいおいおいおいおい。
 いやいやいやいやいや。
 待て待て待て。落ち着け、俺!
 この映画の関係者として名前を連ねている中で、そんなことを考え出して、それまでの話の前提を再解釈によって土台から書き換えてしまうようなことをするのって……どこからどう考えても、ジェフ・ジョンズしかいないやろうがーーーーっっっ!!!
 ……っていうか、ジェフ……いつのまに、この映画の「製作総指揮」なんてポジションについてたのーーーっ!?(……いや、私が興味を持ってなかっただけか……)


 ……そんなことがありまして、いざ、最近公開された予告編の第三弾を見てみると、ですよ。「偽りの神」として糾弾されたスーパーマンが、バットマンと対立するようなことになると予告されている……はずなのに、そこには、互いに軽口を叩き合いつつ共闘し、立ちはだかった圧倒的な強敵(ドゥームズデイ)に立ち向かっていくスープスとバッツの姿が……!
 ワーナーのDC映画にコミカルな要素が取り込まれそうな気配など、もうず~っとなかったのに、これはいったいどうしたことだろう?
 そして、予告編の中で最も気になるのは……スーパーマンが、発射に失敗したらしき宇宙ロケットの事故を救っている場面。
 ……そう、これは……「宇宙船を事故から救うスーパーマン」、それは、ジョン・バーンが『マン・オヴ・スティール』においてスーパーマンの生誕を語り直した際、スーパーマンがスーパーマンとして人々に知られることになる最初の事件として描いたものであり、その少し前に現実のアメリカで起きていたチャレンジャー号爆発事件をコミック内に取り込んだものだった。それをわざわざ改めて映画の方にも取り込むということは……そ、そうか! ジェフ、わかったよ!
 映画の『マン・オヴ・スティール』におけるスーパーマンは、スクールバス一杯の子供たちの命を救っても「正体がばれるかもしれないようなことはやめなさい!」とか言われたらあっさりその後の人命救助を断念し、育ての親の命も言われるがままに救わずに見捨て、テンパったらあっさり殺人によって事件を解決し、戦闘によって巻き込まれる一般市民への二次被害にはいっさい注意が向かない……そんなヘタレとして既に描かれてしまっていた。
 そんなヒーローが実際にいたら、巻き込まれた人々によって「偽りの神」として糾弾されてもしょうがない。……というか、そんな方向性を捨てて新たなヒーロー像を確立するためには、いったんそのイメージを粉々にぶち壊すしかない。ぶち壊さなければ、次に進めない。そしてジェフは、今までの映画版にすっかり打ちひしがれてきたようなDCファンに向けて、きっとこう語っているんだ……「みんな、もう大丈夫だ! みんなわかってると思うが、仮にも『マン・オヴ・スティール』と名付けられたストーリーにおいて、スーパーマンが真にスーパーマンになるのは、「宇宙船の爆発事故を救った事件」が起きた時点だ。だから、それまでに起きたことは、全部ノーカンだ!」、と。
 ……そうかあ~……ジェフ、さすがだぜ!


 いや~、それにしても、かつて映画化に際して権利関係がぐっちゃぐっちゃに入り乱れおかしな脚本が上げられたりする中で「スーパーマンは俺が守る!」と宣言した上でクリストファー・リーヴ主演の『スーパーマン』を監督したリチャード・ドナーその人の弟子にして、DCコミックスのお偉いさんであるのにもかかわらずなぜか映画『マン・オヴ・スティール』に対して孤独に喧嘩を売っていた男ことジェフ・ジョンズが改めてスーパーマンの神話を救うことになるのであれば、これほど痛快なこともないですなあ。
 もともとリチャード・ドナーが『スーパーマン』を監督したときも、「こんな脚本は使えん!」とか言ってドナー自身が友人のトム・マンキーウィッツとともに脚本をリライトしたんですが、権利関係の問題で二人とも脚本家としてはクレジットされていません。……というようなこともかつてあったことですので、今回の『バットマンvsスーパーマン』にも脚本家としてのクレジットはないですが、間違いなくジェフ・ジョンズが脚本に手を入れた部分があると私は確信するに至りました。
 ……と、いうことはですよ? いやこれ、マジでブースター・ゴールド登場もワンチャンあるぞと。
 それにしても、ジェフ、結構本気でワーナー内での権力を取りにいってたんですなあ……ジェフがDCコミックスの要職についたようなときには、かつてマーヴルのエディター・イン・チーフに就任こそしたものの、「こんなことしてたらコミックのライティングができねえ!」とか言ってあっさり辞めちゃったロイ・トマスみたいになるんじゃないかと思ってたんですが、ちゃんと権力持てる方にいってくれたのは結果的に良かったですな。……まあ、ぶっちゃけた話、アメリカではもはやシリアス路線のダークヒーローものは飽きられてて、マーケティング的にも将来性は全くないことが明らかになってるんで、コミカル路線も交えつつ王道ヒーローのチューニングができる人材が求められてるところにうまくはまったということなんでしょうけれども。ことそういう点に関してはアメコミ業界で現役最強の男をDCコミックスはもともと擁していたわけですから、マーヴルにいいようにやられる必要も本来ならなかったわけです。
 あと、非常にいい傾向だと思えるのが、ベン・アフレックとジェフ・ジョンズの間で信頼関係が築かれつつあるらしい、ということ。というのも、『バットマンvsスーパーマン』を受けてベン・アフレックの監督・主演で製作する新たなバットマン映画の脚本をジェフが書き下ろすに当たって、「バットマンとはいかなるなキャラクターなのか」という点についてミーティングした際、両者の意見は完全に一致したらしいのです。
 おそらく、現在のアメリカで原作リスペクトをベースにした実写版バットマンを製作するのならば、それができるような監督はまさにベン・アフレックしかいないでしょう。そこに共同脚本としてジェフが加わるとか……正直なところ、私が何かの間違いで石油王とかになって、何でもかんでもやりたい放題に好き勝手に金を使えたらやるであろうような企画なんですけど!


 ……以上のようなことを考え合わせるにつけ、今回の『バットマンvsスーパーマン』という映画は、「ノーラン=ゴイヤー体制」と「ベンアフ=ジェフジョン体制」という、根本的な部分から異なるヒーロー観を持つ異なる体制が相互に乗り合わせたものになっているのではないか、と。……まあ、従来の体制から新たな体制へと切り替わるような転換点が作品内にも取り込まれるのであれば、新たな体制の方がポジティヴに描かれることになるだろうとは予想できますが。
 結局、全ては、「ジェフ・ジョンズはいったいどこまで手を入れているのか」ということにかかっているということに尽きるでしょう。私が喜ぶようなシーンが多ければ多いほど、ジェフの権力が大きいということになるわけです。
 例えばその指標の一つとなるのが、「ゴッサム大のアメフトチームが登場するのならば、そのクォーターバックはどんな人物なのか?」ということですね。花形クォーターバックのファーストネームが「マイケル」である(もしくは、そのニックネームが「ブースター」である)ならば、「いやそれ、ジェフの仕業やろ」と。
 あるいは、経験を積んだ熟練ヒーローとしてのバットマンが、経験の浅さゆえに無駄な動きをしたり無様な醜態をさらしたりしたスーパーマンに対して「このアマチュアがぁ!」と罵る場面があれば、「いやそれ、ジェフの仕業やろ」と。
 ……などというようなチェックポイントは無数にあると思うのですが、そもそもの問題として、ジェフが全体の構成にもタッチしているのであれば、予告編などで既に明らかになっている要素の作中での順番は特定されてくるように思えます。すなわち、


 「偽りの神」として糾弾されるスーパーマン
 → スーパーマンの未熟な点をあげつらう先輩ヒーローのバットマン、「君、ヒーローたるものそんなことしてたらアカンやろ。人助けって、そんな甘いもんとちゃうんやで?」などと説教して対立する
 → スーパーマン、反省
 → 再生したスーパーマン、宇宙船の爆発事故を救う(←スーパーマンの真のオリジン)
 → スーパーマンとバットマン、軽口を叩きながら共闘できるような対等の仲に
 → 圧倒的に強力なドゥームズデイの脅威が迫る
 → 続々と結集する、その他のヒーローたち
 → ジャスティスリーグ爆誕!

 ……という順番に、ジェフが手がけていれば間違いなくなっているはず!
 まあ、いずれにせよ……スーパーマンとバットマンのキャラクター造形がめちゃくちゃなことにされ、それまでそれぞれのキャラクターがたどってきた長い歴史とかどうでもよくてその場のノリで楽しめて消費できればいいだけのファッションアメコミファンがはしゃぎ回り、さんざん踏みにじられコケにされたその後でもなお、スーパーマンとバットマンというキャラクターが本来持っているポテンシャルが消えることはないということです。
 よくよく考えてみれば、ジェフ・ジョンズという人は、様々な状況や思惑の絡み合いの結果としてぶち壊されてしまったキャラクターを奇跡的に復活させ再生するようなことばかり繰り返して、現在の地位を確立してきたわけです。……正直、映画の『マン・オヴ・スティール』が既に語られてしまったその後でなお、そこから話が続いている後日談という前提を守った上で、誰もが素直に尊敬できるヒーローとしてスーパーマンを再生できるような道筋もありうるなどということは、考えてもみませんでした。
 もうこうなったら、『バットマンvsスーパーマン』を見た後どう反応するかは……これに関してだけは、先に決めておきます。面白かったら「全部ジェフのおかげ!」、つまんなかったら「ジェフに全部任せなかったせい!」、っつーことです!


 とはいえ、現時点で、いくつか不安要素もあるのも事実。……まずは、今回の『バットマンvsスーパーマン』よりもむしろその後のバットマン映画に関することで、「果たして、ジェフ・ジョンズはバットマンのストーリーでも優れた仕事ができるのか?」ということですね。
 私の考えでは、スーパーマンとバットマンの両方のストーリーを語るに関して、どちらにおいても優れた仕事をできる人というのはそもそもいません。スーパーマン派にはバットマンの魅力は描けず、バットマン派にはスーパーマンの魅力が描けないものなのです。例えばアラン・ムーアなんかでも、一見するとスーパーマンとバットマンの両方で歴史に残る仕事をしているように見えますが、実は『キリング・ジョーク』の場合は実質的にジョーカーの話で、バットマン自身の描写はほとんどないからこそうまくいっていたのだと思うのです。
 とはいえ、例外もないわけではなく――本当に限られた例外の一つだと思えるのが、カート・ビュシークによる『アストロシティ:コンフェッション』です(まあこれは実はバットマンではなく別キャラによるバットマンパロディなんですが、実質的にはバットマンの話であるということで)。どう考えてもスーパーマン派であるカート・ビュシークがあれほどまでのクオリティのバットマンのストーリーを語ることができたというのは奇跡的なことだと思うんですが……明らかにスーパーマン派でありつつ、明らかにビュシークの仕事の影響も受けているであろうジェフ・ジョンズが、ああいうクオリティのものができるのかどうか、ということですね。ただこれに関しては、ジェフ単独の脚本ではなくベン・アフレックも共同脚本に参加するとのことなので、犯罪ものやノワールものには強いであろうアフレックが、むしろジェフの弱点を補強してくれることにもなるのかもしれないなあ、と。あまり認知されていないかもしれないですが、ベン・アフレックの脚本に関する能力は実はめちゃくちゃ高いので、あまり心配もいらんのかなあ、と。
 それから、これは日本ローカルの話として、アメリカン・コミックスに関して別に識者でもない人々が識者ヅラして誤解や偏見をまきちらすのはいい加減やめて欲しい、ということもあります。……既に、ちらほら見かけるんですが……今回の『バットマンvsスーパーマン』、どうも、「スーパーマンを信仰する新興宗教」のようなものが登場するらしいんですな。で、それを紹介する「アメコミ情報通」が、そういう要素に「(?)」とか「(笑)」なんかをつけて、さも不思議なことであったり奇妙なことであったりするかのような記事を商業誌上に書いているのを、複数目にしました。
 
 いや、あのね……スーパーマンを信仰するカルト集団って、それ何年か前にコミックの中でふつうにあったネタだからね(正確には、あれはスーパーマンではなくスーパーボーイが信仰の対象でしたが)。こういうことも何度も言ってますが、それでも改めて繰り返しますけど、


  「スーパーマン(スーパーボーイ)を信仰の対象とするカルト集団」が原作コミックの既出ネタであることを知らない
  → アメリカン・コミックスの「識者」ではない


  自分が知らなかったネタの詳細を調べる手間を省いて、さもそれが奇妙なことであったり嘲笑えるものであったりするかのような誤解・偏見を拡散する記事を平気で書けちゃう
  → そもそもの前提として、プロの物書きとして失格


 ……と、いうことですね。こんなんで金とってプロとして仕事しちゃうのはおかしいんで、廃業しましょうよ、廃業。


 しかし……ここに、私個人にとってはそんなことよりさらなる圧倒的な不安要素があるのです。と、いうのもですね……コミック以外の仕事忙しすぎるであろう現在のジェフは、月に一本の「ジャスティスリーグ」しかライティングをしていません。で、その「ジャスティスリーグ」で現在進行中の『ダークサイド・ウォー』が超絶的にすばらしく、毎月万歳三唱しながら読んでいるのですが……ジェフがこれまでのライターとしてのキャリアで手がけてきたあらゆる要素が集大成されるような作品になっており、これ最高傑作なんじゃないかなどと思っていたところ、ふと、「もしやジェフ、この作品で自分のキャリアをいったん総括して、ライターとしての仕事に一区切り就けて現場から退くつもりなんじゃ……?」などと思えてきたのです。
 ……そ、それだけは困る! だいたい、「ジャスティスリーグ」にしても、バットマン&レックス・ルーサー&キャプテン・コールド&ブルービートル&ブースター・ゴールドによる愉快な路線をジェフにやってもらうのをこっちはずっと待ってるんです! もし万が一、ジェフ・ジョンズがヒーローコミックのライティングを辞め、ジョー・ドーリングも全日本プロレスに来日しない……などということになったら、日々の生活を生きる気力が微塵もわきません……。
 こちらにとっては死活問題となるため、いろいろ考えたのですが……今後、ジェフにはこういう道筋をたどってもらうのはどうでしょうか。


 ワーナーのヒーロー映画で好き放題やりまくる
  → 師匠のリチャード・ドナー同様、ワーナーと揉めた挙げ句追放される
  → ついでにDCコミックスの役職も解任
  → 一介のフリーランスに戻り、月に5~6本はライティングをするように


 ……こ、これだ! それに、たぶんジェフの場合、DCコミックスを辞めた瞬間にワーナーのことをボロクソ言いまくるであろうと私は踏んでるので、早いとこそれを耳にしたいというのもあるのですが。


 ……というわけで、いろいろと書いてしまいましたが、最も重要なのは、おそらくは今回の『バットマンvsスーパーマン』において、前作の『マン・オヴ・スティール』にかなり大がかりなレトコンがかまされるのではないか……ということですね。
 というか、以上のように整理してみると、私は非常に大きな勘違いをしていたのかもしれません。……いや、私だけではなく、二年前に映画の『マン・オヴ・スティール』を見た観客の全員が、あまりにも巨大な勘違いをしていたのかもしれないのです。
 そう、我々観客は、劇場でそれなりの長時間を過ごし、エンドクレジットを目にし、それから劇場から出てくるという経験を、確かにしました――しかし、しかしです。『マン・オヴ・スティール』と名付けられたストーリーにおいて、「スーパマンが真にスーパーマンになる時点」は「宇宙船の爆発事故を救う事件」の時点においてのはずなのにもかかわらず、そのような場面はありませんでした。しかし、その続きの『バットマンvsスーパーマン』にはそのような場面がある……。さらには、『マン・オヴ・スティール』には、ジミー・オルセンもレックス・ルーサーも登場しません。さらにさらに、スーパーマンが自らスーパーマンと名乗るわけでもなければ、世間一般の人々からスーパーマンとして認知されることすらないのです。
 ……な、なんということでしょう……。そう、我々観客は、一本の独立した映画を既に見終えたものだとばかり信じていました。しかし、そうではなかったのです。ワーナーでどういう事情があってそのようなことになったのかは私にはさっぱりわかりませんが……あの映画ではそもそもまだ本編が始まってすらおらず、ある程度の長さを持ったプロローグの部分だけが、なぜかそこだけ抜き出して先行公開されてしまっていたのです(……そういえば昔、アニメの『エヴァンゲリオン』の劇場版でなんかそんなことが起きてませんでしたっけ?)。
 以上のような衝撃の事実が明らかになりましたので、今年の一発目のエントリでは、謹んで、次のような説を提唱させていただきたいと思います――すなわち、「映画『マン・オヴ・スティール』、そもそもまだ本編が始まってすらいなかった説」、を。








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コメント

アローバースもジェフですよ。

はじめてまして、テレビドラマのアローも、フラッシュ
もジェフが関わってますし、特に
フラッシュシーズン1の音声解説で
フラッシュリバースの裏話聞けたり
凄いことなっていますよ

Re: アローバースもジェフですよ。

 はい、存じ上げております……

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