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早稲田の学生がtwitter上から罵倒してきたので反論したらこうなりました

 先日、どうやら早稲田の学部生らしいのですが、このブログにtwitter上からリンクを張った上で罵詈雑言を浴びせかけるという者がいました。
 まあそういう連中自体は珍しくもないわけですが、そのあまりの内容に完全にぶち切れてしまったため、思わず即座にtwitterのアカウントを作成して反論してしまいました。……で、その結果として、なんと言うかあまりにもアレなことになりましたし、私のアカウント自体は既に削除してありますので、記録としてここにまとめておきます。
 さて、以下のような内容のtweetが、ことの発端でした。


ノムさんfeat.HBK @nomuvo     ·   11月2日
   「批評の必要性について」
http://howardhoax.blog.fc2.com/blog-entry-46.html
批評の必要性について論じている前半は「ふむふむなるほど」と思いながら読んでいたが、後半は公と私の区別をつけないで好き勝手特定の知識人の悪口(とても批評とは言えない!)を言っているだけじゃないか。



ノムさんfeat.HBK @nomuvo     ·   11月2日
先の記事の中で特にナンセンスなのは二つ。1、ドゥルーズの論争嫌いへの批判としてプラトンやヒュームを持ち出すこと。 2、テロリストと荒らしを同列に扱うこと。この二者に対する「排除」は性質を異にしている。


ノムさんfeat.HBK @nomuvo     ·   11月2日   
イライラしてるのかもしれない。普段ならくだらないと切り捨てられるものにも腹をたててしまう



ノムさんfeat.HBK @nomuvo     ·   11月2日   
文学を甘く見るな。そんなものは批評でも哲学でも思想でもない。すなわち文学ではない…



 ……まあ、私もそれなりの年月に渡って生きてきたわけですが、さすがに、いまさら学生から、真上から罵倒されるとは思ってもいませんでした。
 もちろん、この短いtweetの時点で、既にこの学生がまともな知識の持ち主ではないことは明らかなわけです。……だって、「悪口」は「批評とは言えない」などとのたまってますが……日本国内だけで見ても、小林秀雄にしても坂口安吾にしても花田清輝にしても吉本隆明にしても柄谷行人にしても蓮實重彦にしても、辛らつな文体による悪口や当てこすりのうまさによって世間的影響力を獲得してきたことは明らかなわけです。もちろんこれは国内に限った話ではなく、古今東西の文学史の無数の局面で繰り返されてきた、単なる事実です。……こういう学生が文学研究に従事しているなどと堂々としているとは……人ごとではありますが、早稲田の文学部は、大丈夫なんでしょうか?
 まあ、今でこそ冷静に書いていますが、これを言われたときは完全にぶち切れていたので、発作的にアカウントを作成して反論し始めたという次第です(……しかし、そう考えたら、以前、私がアカウントを持っていないということで、同様のケースでこのブログを読んでいただいている方に伝言をお願いしたのは、申し訳なかったですね……)。


howardhoax @howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo 今まさにあなたにリンクを貼られた上で罵倒された者です。「文学を甘くみるな」とまで一方的に断定した以上、論理的な説明を求めてよろしいでしょうか。


ノムさんfeat.HBK ‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 「文学を甘く見るな」はあなたにではなく、もっと幅広い私が腹を立てているものに向かってのツイートです。明らかに誤解を招く配置をしてしまったので、その点謝罪します。その他の点においては、詳しい説明を致します。


 いきなり腰砕け(笑)。まあ、私に当てた具体論ではなく一般論だというのなら、「そんなものは批評でも哲学でも思想でもない」と「そんなもの」と指示しちゃってる対象はなんなんだっていう話ですけどねえ。……まあ、それは流しました。


howardhoax ‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo  それはまあ了解しました(納得はしませんが)。特に優先的に説明していただきたいのはヒュームについてです。(プラトンはそもそもドゥルーズ批判のためには言及していません。)ドゥルーズのヒューム論の問題構成だと対話篇の収まる位置がないのは…


howardhoax ‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo そもそもドゥルーズが議論嫌いだからなのではないか、と。ただこれだけの(論理的に著しくおかしいとも思えない)指摘が、「ナンセンス」とまで言われるのはどういうわけなのか、是非ご教示いただきたい。


 ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax まず公と私についてです。記事で批判なされている、ブロックばかりしていて、且つ批評家の呼称を取り下げた人物が誰を指すかはわかりませんが、私の知る限り東浩紀がその具体例として適切ですので、東浩紀を念頭においた上での批判です。


ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 公と私の最大の違いは、「責任」であると考えています。これは、責任の大きさは権力の大きさによって決まるというテーゼを念頭においているからです。確かにテロリストか否かを主観的に判断する国家と荒らしかそうでないかを主観的に判断する知識人は似ています。


 
私自身の、ドゥルーズのヒューム読解に対する意見を「ナンセンス」などと全否定するからそのことを聞いているのに、なぜかすきあらば東浩紀の話に変えようとしてくるので途中から軌道修正したため、そのあたりのやり取りは大幅に省略しますが、上記の引用部分は残しておきます(理由は後述)。
 それ以前の問題として、そもそも私はテロリストの問題と荒らしの問題は「同型」であると言っているのであって、「同じ」だなんて言っていない。だから、「似ている」と認めちゃった時点で、「ナンセンス」だと全否定した論旨は既に崩壊しているんですが……。
 それから、ドゥルーズに批判的に言及するためにプラトンを持ち出すなんてことは元の文章では一切やってないんですが、人がやってもいないことに「ナンセンス」とか言っておいて、それを指摘されると以後だんまりっていうのもね……。
 まあ、この後、こんなやり取りが続きます。


howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo あなたは、ドゥルーズのヒューム論に関する私の評を「ナンセンス」の一言で切り捨てたわけです。ですから、ドゥルーズが実生活でどうだったというような話ではなく、ドゥルーズのヒューム論のどのような部分が対話的なのかご教示いただきたいわけです。


howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo ヒューム研究の文脈では、複数の対話者の中でもヒューム自身の意見は誰のものなのかという議論が延々続けられました。つまり、あなたの言う意味での論争的な著作ではないわけです。そういう著作の検討を回避しているからこそ、ドゥルーズのヒューム論はモノローグ的だと言っています


 
……と、ここで、珍プレー炸裂!


ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax ヒューム論はモノローグ的でしょう。しかし経験論や超越論について語る『経験論と主体性』やガタリとの共著は対話的です。先に述べたように議論の拒否と対話的であることは両立します。ドゥルーズの議論嫌いとヒューム論のモノローグ性をつなげることには違和感を感じます。


howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo ちょっと待って下さい、ドゥルーズのヒューム論がモノローグ的なのに、ヒューム論である『経験論と主体性』が対話的、ですって? あなた、『経験論と主体性』を読んだ上で言っていますか? それと、共著が対話的なのは当たり前ですね。


howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo それから、あなたが全否定したから、こちらとしては論理的な説明を求めているわけですから、今さら違和感を持ったことなど改めて表明されても困ります。あなたの気分ではなく、ロジックを求めています、最初から。


howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo それと、超越論性を議論する哲学においては超越論性と超越性は厳密に区別するので、さきほどから使われている「経験論と超越論」という言葉の意味もよくわからないのですが…


 
ドゥルーズがヒュームについて論じた中でも最もまとまった著作が『経験論と主体性』なのに、そもそもそれがヒューム論だということすらわかっていなかったことが発覚!(笑)
 そして、これ以降も、なぜか『経験論と主体性』について自信満々でご高説をたれる学生さん……


ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 『経験論と主体性』は対話的ですよ。カントのヒューム批判を別の平面に定位し直して(論争を対話的に直して)論を組み立てているのですから。そしてガタリとの共同作業は、彼の哲学が論争を忌避しつつも対話的であることの証左です。つまり議論を避けていても対話は避けてない


 howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo ドゥルーズの「ヒューム論はモノローグ的」と認める人が、同時に、(ヒューム論である)『経験論と主体性』は対話的であるという、そのおかしさを問いただしているのに、それはスルーですか?


 ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax ヒューム読解はモノローグ的でしょう。しかし、同じ著作の本筋で対話的に論が組み立てられている、ということです。


 
く、苦しい……。だいたい、「本筋」ってなんなんだ……


 howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo そもそも『経験論と主体性』においてはヒューム読解しかなされていない(つまり、全てモノローグ)のに、本筋では「対話的」…? もう一度お聞きしますが、『経験論と主体性』を通読されているんですか?


 ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 第五章をお読みください。


 ……ん? どうも、何か臭うぞ……?
 自分が読んでもいない書物を読んだふりをして他人に説教をたれ、するとところどころぼろが出るから具体的説明を求めると、「これを読んでおけ」で誤魔化そうとする……
 福嶋だッ! 福嶋臭がするッ!


 howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo 「私の読解」を全否定した上でなされているのが「あなたの読解」なのです。「これこれこれを自分で読んでおけ」で説明をすませることが許されるとお思いですか?


 ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 先に述べたとおり、ドゥルーズのヒューム読解はカントのヒューム批判を定位し直している。つまり批判(論争)から別の平面への並置(対話)の移行が行われており、ヒュームの対話性を無視すると同時に対話的な論の組立もなされている、ということです。


 howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo ドゥルーズが対話的な読解をしているのから、一方でカントの読解が無条件にモノローグ的と前提されているのもおかしいですね。カントのヒューム読解とドゥルーズのヒューム読解の本質的な差とはなんなのでしょうか?


 
これ以降、こちらがテクストに即したことをいくら聞いても、機械仕掛けのように同じことしか答えなくなります……


ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 何時間も同じことを何度も書くことに疲れたので、ごくごく簡単に批判の内実を説明します(これも何度目か)。ドゥルーズの論争嫌い発言と彼のヒューム論のモノローグ性は関係がない。なぜなら共同作業や著作の論理などが対話的であることがあり、論争きらいであっても…


ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 対話嫌いとは言えない。優劣をきめ相手に納得させることが目的の論争と、互の意見を違う平面に定位し、優劣を決めることを「目的としない」対話は違う。ヒュームの対話性が無視されていても、違う水準で対話は行われている。以上です。


howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo 私が違うことを聞いているのに、あなたが延々同じことを書いてるんですが…。私はさっきから、ドゥルーズのヒューム論がカントのヒューム読解とどのように対話的であるのか、その具体的な説明を求めています。


howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo そもそも、なぜ、『経験論と主体性』を通読しているかはスルーし続けるんですか?


 
こんなやり取りをしていたら、ついに新しい用語が登場します。



ノムさんfeat.HBK ‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 既に答えています。超越論的経験論の話をしているのです。


howardhoax
‏@howardhoax  · 11月2日 
@nomuvo ドゥルーズは確かに超越論的経験論という言葉を用いていますが、ヒュームに対してはその用語を用いることはありませんでしたよね? 私の記憶違いでしょうか? それとも、やっぱりドゥルーズのヒューム論を読んでないんですか?


ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax 超越論的経験論は間違いなくカントとヒュームを別の平面に定位し、対話させることによって生まれていて、私はその話をしていました。そのことへの言及があったのが、経験論と主体性だったと記憶していたのですが、後ほど確認します。私の記憶違いでしたら…


ノムさんfeat.HBK
‏@nomuvo  · 11月2日 
@howardhoax この長々としたすれ違いの責任は私にありますので、どのテクストにあったのかを調べ直し提示します。ですが、私がヒュームとカントの対話だと言っているのは一貫して超越論的経験論のことで、一度わかるように示していますを


 
自分が他人の読解を全否定した書物を通読しているかどうかについて何度も聞かれたら、最終的に出てきた言葉が、「調べ直」すだとは……。
 そもそもねえ、ドゥルーズがヒュームを読み込む過程で「超越論的経験論」という着想を得たこと自体は確かなんですが、一方でヒューム自身の哲学に関しては「いかなる意味での超越論性もない」と明言している(これはまあ、ヒューム研究の文脈からしたらごくごく当たり前のこと)んですが……。
 で、いったいどんな証拠が「提示」されて私の論外のナンセンスぶりが明らかになり、この人の「責任」が果たされるのかと、楽しみにして待っておりました。
 ……が、どうせtwitterのアカウントを作ってしまったこともあるので、待っている間、暇つぶしに、思ったことをつぶやいてみました。


howardhoax
‏@howardhoax 
私がドゥルーズのヒューム論について述べた短い言葉にリンクを貼り、罵倒して全否定するという人物がいました。しかし実際にやり取りすると、ドゥルーズの『経験論と主体性』がヒューム論であることすら知らない。なのに、5章を読んでくださいとか言ってくるから、これはどうも妙だぞと。


howardhoax
‏@howardhoax   
で、手持ちのドゥルーズ関連の文献をひっくり返してみて、國分功一郎が『ドゥルーズの哲学原理』で超越論的経験論について述べているのと照らし合わせた時の衝撃たるやね……まさか、原典読まずにこれだけネタ本にしてるようなことはないよねと。


howardhoax
‏@howardhoax 
まあ、それはいくらなんでも邪推だと思います。対象が私ではないとしても、「文学を甘く見るな」とかのたまう人物が、自分が通読してないテキストの読解について、他人の解釈を鵜呑みにした上で罵倒するなんて、ありえないことですからねえ。


howardhoax
‏@howardhoax 
しかし、原典読まずにネタ本だけ参照してると仮定すると、何度聞いても同じことしか言わないことも腑に落ちちゃうんだよなあ。おっかしいなあ。


howardhoax
‏@howardhoax 
だいたい、「経験論と超越論」などというおかしな用語の使い方をしている時点で、専門家の國分さんの議論の要約としては間違ってるので、これは私の邪推ということで間違いないでしょう。


howardhoax
‏@howardhoax 
そもそも、私は國分さんの『ドゥルーズの哲学原理』は連載時から精読しているので、まさか今更その不正確な粗述を聞かされるようなことはないだろう。私の愚かなナンセンスぶりがどのように暴かれて学習できるのか、楽しみでしょうがないなあ。


howardhoax
‏@howardhoax 
そもそもの大前提として、最低でもヒュームの主著『人間本性論』とカントの『純粋理性批判』を精読していなければ、ドゥルーズの『経験論と主体性』のような専門書を読みこなせるはずもないわけで。


howardhoax
‏@howardhoax 
当然、それら全部を読み込んでいなければ、國分さんの『ドゥルーズの哲学原理』だって読み解けるはずがないわけですね。


 
……こんなことをつぶやきながら待っていたのですが、待てど暮らせど何の応答も無いままに時間が過ぎていきます。
 ついに、しびれを切らした私は、こちらからリプライを送ってみました。


howardhoax
‏@howardhoax 
@nomuvo あなたがご自分で「調べ直し提示」すると言われたのに、いくら待っても「提示」されないので、こちらから最後に質問します。さすがに、今日は長々とやり取りする気はありませんので、手短に何点か。


howardhoax
‏@howardhoax 
@nomuvo あなたの発言を改めて確認しても、『経験論と主体性』及びその研究対象たる『純粋理性批判』『人間本性論』などを通読した上でなされたものに思えません。私に対する全否定は、これらの参照先を通読した上でなされたものなのですか?


howardhoax
‏@howardhoax 
@nomuvo また、あなたの発言を確認してみて、國分功一郎のドゥルーズ論のほぼ受け売りしかないのでは、という疑念をいだきました。これは単なる邪推ですが、この疑念は正しいですか?


howardhoax
‏@howardhoax 
@nomuvo 仮に全ての必要な資料を通読した上でなされた批判であったのだとしたら、これ以上の説明はいりません。その批判にある程度の妥当性もあったのだろうと納得することにします。ただし、本当に読んでいるのか、証拠を確認することはさせていただきます。


howardhoax
‏@howardhoax 
@nomuvo 逆に、もし仮に、自分以外の存在に対して「文学を甘く見るな」などと宣言されたあなたの様な方が、自分が読んでいない書物の他人の解釈を全否定し罵倒したというのであれば……いったい、どのように落とし前をつけるお積もりなのか、是非教えていただきたい。


howardhoax
‏@howardhoax 
@nomuvo 以上、あなたに罵倒・全否定された私には、当然答えていただく権利があると考えております。くれぐれも申しますが、最早私が知りたいのは、あなたの全否定が、専門知識の裏打ちのある、妥当なものだったのかということだけです。基礎的な用語すら間違えた哲学議論はいりません。


 
……で、このあとどうなったのかと言いますと……


 逃げました。


 ……えーっ!? リョータじゃん!(笑)



 
このあと、何度こちらから応答を求めても、完全に無視して、全く何事もなかったのかのように、いっさい何も反応せず……
 いやいやいやいや、そもそもこの人、私に対して、「責任」とはどうたらこうたらとかお説教をたれようとしてましたよね? その上で、このやり取りに関しては自分に「責任」があるのだと認めてましたよね?
 その上で、自分の「責任」は全て放棄して、逃走するのみ!?
 ……つまり結論としては、この人は、他人に対しては「文学を甘くみるな」などと大上段に構えて宣言する一方で、自分自身は、通読すらしていない書物の他人の解釈を全否定する……そういう人物だった、と。
 結局、「ナンセンス」とか言ってたのも、「ボクがネタ本にしている國分さんのドゥルーズ本と言っていることが違う! ナンセンス!」ということだったわけですね。……しかし、そもそもあのエントリは、「國分功一郎のドゥルーズ観はこうこうこういうものだが、それだとこういう部分が見落とされないか?」という疑問からドゥルーズに言及していることが明言されているので、根本的に本末転倒ですな。……ていうか、それ以前に、あのエントリ書いたのは、『ドゥルーズの哲学原理』の連載が始まる前なんですけどね。でも、そこで書かれているドゥルーズ観と違うことを書いたらダメなんですね!
 それからこの学生、「論争と対話は違う! 相手を言い負かすような論争相手を排除する人が対話性を拒絶しているとは言えない!」という主旨のことを延々言ってたんですが……これにしても、「相手を言い負かそうとする邪まな意図だけを持って論争しか頭にない人」をどうやって明確に判断するの? っていう話ですよね。結局、それはどこまでいっても主観的・恣意的判断でしかないから問題だってことを、あのエントリでは最初から書いていたんですけどね。
 つまりこの学生の言っていることって、本末転倒なことばかりなわけで、要するにまともな読解能力がないということですね。なのになんでこんなに自意識過剰なんだろうね。


 しかしあれですな、やっぱり私ぁ、twitterは性に合わんなあと改めて思いました。
 なんとなくその場で思ったことがすぐさま形を持った言葉になってしまい、それがこうして残ってしまいますからねえ。
 で、twitterの外部に容易にリンクを張れて、それに対して好き勝手に物言いできる一方、twitterのアカウントを持っていない人間からは、システムの問題として、反論されてもほぼ目に入らないようにできている。そのため、自分が上の立場にあるかのように勘違いして、強者ぶった振る舞いが出来てしまう、と。……例えばこの人の場合、ひとたび反論されるや否や、こんなにもろくも崩れ去ってしまうのにねえ。
 注意深い人ならいいんでしょうが、軽率な人間に使わせたら、やっぱりtwitterってのはろくなもんじゃねえなあと思いました。
 ということで、今回は思わず衝動的にアカウントを作成してしまいましたが、既に削除してありますので、やっぱり私はtwitterはやりません!



 
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コメント

通りすがりです。
勉強になりました。
私も国分ドゥルーズぐらいしかドゥルーズ論は読んでいないので、原典の重要性を再認識した次第です。
いやはやお恥ずかしいですが。
差し支えなければ教えていただきたいのですが、哲学科を出た方ですか?
哲学書の学び方というか、訳書という条件付きではありますが、原典を精読するためにすべきことと言いますか、どれだけ読み込めば精読したことになるのか、何か基準となるものを教えていただきたいと思いまして。
身勝手な申し出で申し訳ないのですが、気が向かれましたら御返事いただけるととても助かります。

Re: タイトルなし

> 差し支えなければ教えていただきたいのですが、哲学科を出た方ですか?

 哲学科出身です。学部しか出てないですが……
 まあ、そもそも研究していたのがヒュームであったため、さすがにカチンときてしまったという次第です。

> 哲学書の学び方というか、訳書という条件付きではありますが、原典を精読するためにすべきことと言いますか、どれだけ読み込めば精読したことになるのか、何か基準となるものを教えていただきたいと思いまして。

 結論から言いますと、ヒュームやカントの主著というクラスのテキストになりますと、「終わり」はないと思います。

 「原典を読む」→「無数にある研究・注釈を読む」→「原典に戻り、改めて読み直す」

 ……というサイクルを、(特に、研究対象とする場合)一生かけてやり続けるというのが、基本的な哲学読解のスタイルかと。
 ただ、当たり前の話ですが、主要な哲学書に限ってみても、全てに対してそれを行うことはできないわけで。そのため、とりあえずは、「どの研究者の言うことも、原典と照らし合わせて、言っていることが分かる」という段階で、とりあえずは精読しえたことになると言っていいんではないかと。逆に言うと、既存の解釈について大体のことがわかっているため、自分なりの解釈を述べることも出来る……という段階ですね。


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