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遅れてきた老人――蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読む(番外編)

 さて……というわけで、いよいよ、『「ボヴァリー夫人」論』の本編にわけいって読み解いていこうと思っておりました。
 また改めて書いていきますが、この著作、実際にはテクストに書いていないことに基づいて読者が恣意的な読みを展開してしまう事態を厳しく禁じ、数々の論者を糾弾し、あくまでもフローベールの『ボヴァリー夫人』の「テクスト的な現実」に徹底して即した読解が展開されます。
 そのような著作を読み解いていくわけですから、もちろん、その読者の方としても、蓮實が禁じているような「テクスト外」での身勝手な憶測は避けるべきでしょう。
 以上のようなことを考えつつ、この著作についてネット上を検索していたのですが……おそらくはこのブログについて書いているのであろう、何とも無惨なtweetを発見してしまったのでした。


よくわかんないんだけど、たぶんこの方は、蓮實重彦の(まあ昔の)ある種の本しか読んでいないんだろうな、ということが朧気ながら察せられるブログを斜め読みするなど。
From: decomoon at: 2014/07/27 01:41:35



 なぜ上記のtweetがこのブログについてのものであると考えたのかといえば、それは、ごく端的に、現時点において『「ボヴァリー夫人」論』についてある程度まとまった分量で書かれたブログは、このtweetを発した人物自身の手になるもの以外には、当ブログくらいしかネット上に見あたらないという、ごく物理的な事実によっている。
 とはいえ、該当tweetが揶揄している対象が当ブログであるのかどうかなどということは、ひとまずどうでもよろしい。対象が何であるのかにかかわらず、該当tweet自身が、極めて滑稽かつ醜悪な自己矛盾を露呈しているからだ。
 該当tweetを発した人物は、自分が読んだ対象たるブログに関して、「斜め読み」しかしてはいないのだと、こともなげに述べている。そして、自分が「斜め読み」しかしていない――いい換えれば、まともにそのテクストに接していない――文章の書き手の持っている背景知識について、「朧気ながら察せられる」などと、涼しい顔で述べ立てる。
 対象が何であれ、自分がたかだか「斜め読み」しかしていない、粗雑にしか接していないテクストをつづる主体に備わる知識の多寡など、読み手が推測できるはずもあるまい。そのようなことが「察せられる」はずもないのだということについてさすがに自覚はあるのか、該当tweetを発した人物は、「朧気ながら」などという、ごく曖昧な表現で事態をぼかし、周到に断定を回避しているかに見える。
 あるテクストが何らかの対象を論じているとき、その議論の背景にある知識が必要充分なものに達しておらず、ゆえに論旨に誤りが含まれている――というのであれば、その場合、テクストをつづる主体の知識の多寡は、その「テクスト的な現実」に即してていねいに検証するならば、明確に確定できる、いい換えれば、「察せられる」ものであることは、いうまでもあるまい。そこには、「朧気に」などという、事態をぼやかしてみせる曖昧な表現の介在する余地はなかろう。
 該当tweetを発する人物は、自分が「斜め読み」しかしていないテクストに関して、そのテクストが形成する「テクスト的な現実」は軽々と飛び越え、書き手の知識が欠乏していることを揶揄し、自分はそのことを見抜いている――「よくわかんない」やら「朧気ながら」やらといった曖昧な言辞で留保を置くことによって安全地帯を確保しつつ――かのような立場を取っている。
 もちろん、それ自体は、世の中にいくらでも見受けられる愚行に過ぎぬというほかない。にもかかわらず、該当tweetが「無惨」なものであるとまで断言できるのは、該当tweetを発した人物が、自己矛盾に気づく素振りすら全く見られないことによっている。
 該当tweetを発している人物は、その前後のtweetを確認する限り、蓮實重彦の『「ボヴァリー夫人」論』を擁護し、それゆえに、(自分が理解する限りでの)蓮實に批判的な言説が、取るに足らぬものであると強調しているかに見える。しかし、テクストに則さずにテクスト外での身勝手で根拠のない推論によってテクストの書き手を裁断するような行動こそ、まさに『「ボヴァリー夫人」論』の著者が徹底して糾弾し、自身に禁じている振る舞いなのである。これほどまでに滑稽な愚挙も、滅多に見られるものではあるまい。


 ……とまあ、それが一番嫌味かと思って、あえて蓮實文体でぶった斬ってみました。書かれてる内容とは別に、蓮實文体の模写として結構完成度が高いと思うんですが、どうでしょうか。
 しかしほんと、こんなtweetを垂れ流してる人は、何がやりたいのかさっぱりわかりませんな。書かれている内容がおかしいというのであれば、きちんとリンクを張った上で、どこがどうおかしいのか、具体的に指摘すればいいだけのこと。それをやらずに、具体的な証拠もなしに「蓮實重彦の(まあ昔の)ある種の本しか読んでいないんだろうな」とかネット上に垂れ流して、自己満足以外の効果が何かあるんですかね?
 だいたい前のエントリでも(別にそれ以外のエントリでもそうだけど)きちんと引用元の出典を細かく示し、その扱いが適切かどうかを検証できるようにしてるんだけどねえ。それと同じ意味で、わざわざ蓮實の過去の著作から年代的にも分野的にもなるべくばらけたところから引用してきて、蓮實の活動のどこか一部だけに焦点が当たっているわけではない、ということが明らかなになるようにもしてるんだけどねえ。
 それにこれから続きのエントリで書くつもりだったんだけど、例えば近年の『「赤」の誘惑 フィクション論序説』なんかでも、フィクションに関して原理的な議論が展開されつつ、欧米の主要な論者の欠点が厳しく指摘されていた。しかし、肝心の蓮實自身の本論が本格的に展開されていたのではなかった。それが今回の『「ボヴァリー夫人」論』ではきちんと蓮實自身の本論が議論に組み込まれていたことが以外だったので、ああいう書き方をしたわけよ。それを、昔の本しか読んでないとか決めつけられてもねえ。
 ……まあ、該当tweetをしている人物が、自分が揶揄している先を明示していない以上、「自分が批判されているなどと考えるのは被害妄想だ」という逃げを常に打てるように保険をかけた上でのtweetではあるわけですが。
 繰り返しますが、それって、揶揄している対象が私のブログであるのかどうかにかかわらず、『「ボヴァリー夫人」論』が提示する「テクスト的な現実」という概念を踏みにじる振る舞いですからねえ。あの本を読んだ上で平気でそんなことができるんなら、読んでもしょうがないんじゃないですかねえ? なんも学んでないわけですから。
 自分が評している対象がそもそも何であるのかということ自体を隠しているからこそ、自分の方が優位にあるかのような優越感に浸ることができるわけですね。わざわざ自分の言説を検証不可能な領域に追いやることで保たれている自意識に過ぎないわけですから、なんともせせこましく卑劣なやり口です。……だいたい、自分がろくに読んでもいない文章を書いた人物に比べて、自分の方が「知識が無い、もしくは、頭が悪い、もしくは、その両方」という可能性を最初から排除しているように見えるのはなんでですかね。
 まあ、ご自身にもその責任の一端はあるとはいえ、『「ボヴァリー夫人」論』を読みつつ平気でこんなことをしでかしてしまうような読者を持つようじゃあ、蓮實先生も報われませんなあ。
 ……ということで、脱線しましたが、次回の更新からは、きちんと本筋に戻ります。









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