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デニス・オニール期のアイアンマン

 今週は忙しくてどうしても新しい記事を書く時間が取れなかったため、以前に書いてからストックしておいた文章をアップします。そのため、アメコミ関連のエントリが連続してしまうことになりますがご了承ください。


 少し前のことなんですが、デニス・オニールがライティングを担当していた時期の「アイアンマン」をまとめて読んでおりました。第一シリーズの中でも、158号及び160~208号と結構な長期間に渡るものなのですが、アンソロジーなんかに再録されたものをちょこちょこ読んだだけであったのでした。
 なぜデニス・オニール期の「アイアンマン」を読んでいなかったのかというと、そこには明確な理由があります。「どうせそれって『デーモン・イン・ア・ボトル』の二番煎じでしょ?」という先入観があったからです。……もともと、トニー・スタークがアル中になってからの苦悩が描かれたのは、デヴィッド・ミッチェリーニのライティングによる『デーモン・イン・ア・ボトル』。デニス・オニールが担当している時期にはトニーのアル中が再発した上でアイアンマンの役割はローディが交代したこと自体は知っていたので、まあ、既に有名な展開の焼き直しなんだろうな~、と。さらには、デニス・オニールのキャリアで見ても、『グリーンランタン/グリーンアロー』で既に描かれていたヤク中の描写の焼き直しであろう、と。つまり、「アイアンマン」誌にとってとデニス・オニールにとってとの二重の焼き直しじゃねえか! とばかり思っており、食指が全く伸びなかったんですね。
 ところが、あにはからんや、いざデニス・オニールが担当していた時期の「アイアンマン」をまとめて読んでみると、これが非常に面白かったのであります。


 商売敵であるオブディア・ステインにあの手この手で追いつめられて心がポッキリ折れちゃったトニーが再びアルコールに手を出してしまうのが、167号のことです。その後の展開を大ざっぱに整理すると、おおよそ次のような感じになります。


 アイアンマンの役割を放棄したトニー、「そのアーマーさえ身につけてりゃ誰だってアイアンマンだ」「私はもっとリラックスしたい、人生をエンジョイしたい」とか言い始め、装備一式をローディにぶん投げる


 → ステイン、スターク・インターナショナルを買収にかかる。トニー本人が対処しなければどうしようもない事態になるも、トニーは行方をくらまして酒浸りの生活をしているためどうにもならず。スターク・インターナショナルは買収されてステイン・インターナショナルへ社名変更


 → ステイン・インターナショナルを辞めたローディ、アイアンマンとしてボディガードのバイトをしてなんとか暮らす。装備が故障してもトニーは行方不明のために修理できる人もおらず、というかそもそもアーマーの使い方自体よくわからないまま無理矢理活動しており、涙ぐましい苦闘を続ける


 → ローディ、協力者であるアーウィン姉弟とともに西海岸に移住し、バイトしてコツコツ貯めた金で小規模なヴェンチャー企業を立ち上げることに。「アル中は直ったよ!」とか言うトニーが合流(ステインに資産凍結されていたために、金は出さず)


 → ローディ、原因不明の頭痛に悩まされるように。「しまった! アイアンマンのアーマーはあくまで自分用のもので、ローディ用の調整なんていっさいしてなかったから、脳波が合わなかったかも!」などと突然言い出すトニー(後に、ローディの頭痛の原因は別にあったことが明らかになるものの、どっちにしろ酷い話だ……)


 → 頭痛に苦しみ錯乱気味のローディ、いつの間にか悪者扱いされるようなポジションへ。トニー復活待望論的な空気が漂い始める(ただしトニーは、「私はもうアイアンマンは辞めたんだ、今はアイアンマンとはローディのことだ」などとぐちぐち言い続け、ちょいちょい予備のアーマーを装着してるくせに正式な復帰は拒否し続ける)


 → トニーとローディが内紛ぎみの情勢の中、ステインが潰しにかかってくる。遂には爆弾を送りつけられ、ローディは怪我のみで一命を取り留めるものの、アーウィン弟が爆死する


 → 遂に決起したトニー、新たなシルヴァーセンチュリオンアーマーを装着して出動すると、アイアンモンガーを駆るステインと最終決着戦へ


 ……と、おおよそ以上のような展開になっているのでした。
 で、これの何が面白いのかというと、「トニーのクズっぷりの執拗な描写が本当に凄い」ということにあるんですね。……よくよく考えてみれば、『デーモン・イン・ア・ボトル』はアル中になったトニーがいかにしてそれを克服していくかというストーリーであったので、一連の展開の中でトニーの復活までが描かれるわけです。一方、『グリーンランタン/グリーンアロー』のヤク中描写なんかにしても、主人公の側のハルとオリーはそういう人々を見て回るだけなのであって、彼らの方が堕落しているというわけではありません。
 それが、この時期の「アイアンマン」になると、トニーはローディに一方的にアーマーを押しつけて行方をくらまし、アイアンマンとしての役割はローディが引き継ぐことになるので、トニー自身はただひたすらに飲み歩くだけ。それも、最初の内は豪華なパーティとかして遊び呆けていたのが、部下に呼び出されたりするのがいやで行方をくらまし、その間に会社は買収され、資産は凍結され、手持ちの金も尽きた結果として、ニューヨークの路地裏をホームレスとしてうろつきつつひたすら酒に浸るだけの生活へ。この急激な転落ぶりが半端ないわけです。
 トニーを捜索して訪れてきたキャップが、へべれけでまともに話も通じないのでとりあえず正気に戻そうとしてビンタするも、「ぶ、ぶつの……? アーマーなしの僕だったらアナタの相手にならないのなんてわかってるでしょ……?」とか視線の焦点も定まらずに卑屈に言い出すトニー。「ダメだこりゃ」と匙を投げたキャップに見捨てられるトニー。ニューヨークの路上で、警らの警官に「四六時中酔っぱらってるアル中かよ」とか呆れられると、「酔ってるわけじゃないやい! 今は神経衰弱なだけだい!」などとなぜかムキになるトニー。じゃあということで、日付が変わる深夜零時にシラフだったら五十ドルやるとかいう賭けをもちかけられるトニー。五十ドルという大金目当てにがんばって酒抜きするトニー。約束の時間にシラフで現れたトニーを目にして、「五十ドルくらい、喜んでやるよ……おれの親父はアル中で死んだんだ……」などと泣き出す警官。神妙なトニー。……でも翌号になると、その金でまた飲んでるトニー。
 ……いや、もう、クズの中のクズですよ! しかも、どこまでも墜ちていくトニーの描写と交互に、新米ヒーローとして苦労しつつもひたすら真面目に活動するローディの姿も描かれていくので、トニーのクズっぷりが否応なしに際だつことになります。
 これは要するにですね、『デーモン・イン・ア・ボトル』の場合だと「アル中への転落→どん底からの復活」までがひとまとまりのストーリーラインの中での規定路線であったために、どん底描写はあくまでもその後の展開までの一つの流れにすぎなかったのが、デニス・オニール担当期になると、トニーのクズっぷりは長期の連載の中でただただ延々と描写されるだけなので、常軌を逸して突出したものになっているのであります(アイアンマンとしての活動は全てローディがやっているのも結構な長期間に渡るので、このころ、ウェストコースト・アヴェンジャーズ創設へ参画したり、『シークレット・ウォーズ』でバトルワールドへ赴いたりしているのはローディの方です)。
 デニス・オニールの場合、『グリーンランタン/グリーンアロー』ではアメリカの暗部を描写するという明確なテーマがあったわけですが、それを外部の視線から観察するのではなく、主人公の側をそういう状況に追い込んでおいて、そこから逃れ出る出口などもいっさい示さず、ストーリー展開の一つの局面としてのみ利用しているようなことも全くなく、ただ底辺の人間の底辺の描写それ自体が目的化して延々と続くので、えらいことになっているのでした。
 ……で、最終的な展開としては、アーウィン弟が爆死したあとになって、ブチギレた姉ちゃんに「アンタが予備のアーマーまで持ってるくせにいや自分はアイアンマンじゃないとかうだうだ言って役割果たさなかったからウチの弟が死ぬ羽目になったんじゃろがあァァァァ!!!」と至極もっともな非難を浴びせかけられたことによって、ようやく目が覚めたトニーは真人間に復帰します。
 それがちょうど200号で、この号が初出となるシルヴァーセンチュリオンアーマーを装着したトニーがステインの元に向かうわけですが……この号自体は有名なので、私も単発で読んだことがあったのですが、ここまでの流れを押さえた上で全部読むと全く印象が違うなあ、と。……なにしろ、連載当時にリアルタイムで読んでた読者にしてみれば、三年近くもの長期間に渡ってず~っと最底辺のクズ野郎としての描写が続いていたトニーがようやく復活して、正式にアイアンマンとして大バトルを展開することになるので、そのカタルシスが凄いことになっているのでした。ステインの最期の描写がなぜああいうものになっていたのかということも、そこまでの展開で丁寧に伏線が敷かれていたということがわかりましたし。
 ……まあ、冷静に考えてみると、爆弾事件によって一線を越えたとはいえ、基本的には合法的な活動の範疇でトニーを追いつめていたステインとの最終決着戦が、一般企業に殴り込んでの、アーマーを装着した企業家同士のシバき合いでいいのだろうか……という疑念が一瞬頭の中をよぎるものの、ま、とりあえずすげー面白いからいっか、ということになるのでありました。
 それにしても、このあたりの展開ってつい最近に至るまで全然単行本にまとまってなかったんですが……これはやっぱり、トニーのクズ描写が酷すぎるからあんまり再版はしたくないってことなんですかねえ。
 ついこの間、ようやく『アイアンマン:デュエル・オヴ・アイアン』というTPBに178号から195号まで(およびアニュアルの6号と7号)の展開が収録されたんですが……これの場合、トニーのクズ描写はたっぷり描かれつつも最後の最後に決起するところまでは入っていないので、これ読んでもモヤモヤしてしまうのでは、などと思ってしまうのでもありました。







バットマンの神話を裏返す――『バットマン:スーパーヘヴィ』






  『バットマン:スーパーヘヴィ』(単行本とkindle版)


  ライター:スコット・スナイダー
  アーティスト:グレッグ・カプロ


 「バットマン」誌において41号から50号までという結構な長期に渡って展開されていた『スーパーヘヴィ』が完結しました(なお、『スーパーヘヴィ』というのはコミック・ブックでの連載時には全体の題名でしたが、単行本化された際には41号から45号まで収録の前半が『スーパーヘヴィ』、46号から50号まで収録の後半が『ブルーム』というように変更されています)。
 『スーパーヘヴィ』完結直後の51号においてスコット・スナイダーとグレッグ・カプロは揃って降板(と言うか、『リバース』によってDCユニヴァースのほぼ全てのタイトルがいったんキャンセルされるため、現行の「バットマン」誌自体がいったん終了)。スコット・スナイダーに関しては今後も新創刊の「オールスター・バットマン」誌のライティングを担当することがアナウンスされてはいますが……スナイダー自身は、自分はどのアーティストと組むかによって作風を変えることを明言していますから、多くの有名アーティストが順繰りに担当すると発表されている「オールスター・バットマン」の方は、「豪華な番外編」というような趣が強いのかもしれません。そういう意味でも、スナイダー&カプロによって長く続いた、バットマン関連のストーリーの中心としての体制はこれにて完結、とみなしておいた方がいいのでしょう。


 さて、そんな『スーパーヘヴィ』のストーリーの発端となるのは、『エンドゲーム』終結後のゴッサムに起きた大きな変化です。最後の決戦の中でともに行方不明となり、バットマンとジョーカーは揃って死亡したと思われていた中、残されたゴッサムの人々の中から、「バットマン」という象徴的な存在をゴッサムに存続させる動きが出てきます。非常に強力なロボット型アーマーを装着することによって新たなバットマンが誕生することになり、ゴッサム市警本部長の座を退いていたゴードンがその任にあたることになるのでした。
 一方、死亡したとばかり思われていたブルースは、生き延びていました。しかし、『エンドゲーム』の最後の事件の影響によって、ブルースの脳からはバットマンとして過ごした日々の記憶は完全に抹消されていました。単なる常人に過ぎないバットマンの能力や知識の全ては一個人の脳に蓄積されたものでしかなく、その器たるブルース・ウェインの身体はごくふつうのものです。したがって、ブルースの記憶がひとたび抹消されれば、当然のことながら、バットマンという存在は跡形もなく消滅することになります。
 バットマンとしての過ごした日々の記憶を失い――それどころか、両親を悲劇的に失った事件の記憶すら失ったブルースに、アルフレッドはそれまでブルースが過ごしてきた人生を語り伝えます。それら全てを完全な人事としてしかとらえられず何の現実感も持ち得ないブルース。『バットマン・エターナル』の渦中の出来事でその資産をも失っていたブルースは、何の取り柄もない平凡な一市民としての穏やかな生活を始めることになるのでした。
 そんなブルースの姿を遠目に見守り、なんとかブルースを元に戻す方法はないものかと案じていたスーパーマンは、アルフレッドの元を訪れることになります。するとアルフレッドは、ブルースが記憶を失う前の最後の日々に、まさにそのような最後の手段の開発を密かに進めていたことを明かします。
 バットマンは単なる常人に過ぎない、しかし同時に、常人の域をはるかに超越したヒーローである。それは常人であるがゆえに、かえってありえない存在であるように思え――しかし、常人の人生の移り行きの中からバットマンという驚異の存在が誕生したのであれば、その経緯を記述し分析し再現することは常に可能なはずである。……そう考えたブルースは、自分自身の人生の体験の中からバットマンが誕生しえた条件を解析し、仮想現実の内部で「バットマンが生まれうる世界」を無数にシミュレートするシステムを考案します。どのような精神であれ、ひとたびこのシステムの生み出す仮想現実の内部に入り込み、「バットマンが誕生するのに必要な試練」をくぐり抜けるのであれば、バットマンは何度でも生まれうる……。
 『スーパーヘヴィ』の発端となる出来事をおおよそ以上のように整理してみるならば、ここで展開されているテーマがなんであるのかは明らかだと思います。……つまり、バットマンを失ったゴッサムの人々がその再現を願ったときに必要だと思ったのは、バットマンの強力な身体と同等の力を実現することだった。一方、バットマン自身が何度でも自分を存在させるために絶対に必要なものだと考えたのは、その精神だけを抽出し再現することだった。……では、バットマンをしてバットマンたらしめている、その本質とはなんなのか?
 ……さて、以上のようなシステムの存在をスーパーマンに明かしたアルフレッドは、しかし、結局のところブルースはそのシステムの開発に頓挫したのだと言います。バットマンの精神を再現するシステムは完成せず、ブルースの脳からはバットマンの秘密は完全に抹消された。したがって、あのバットマンが再び誕生する可能性はもはや存在しない……。
 実は、ブルースを元に戻そうとするスーパーマンに対してアルフレッドが非常に非協力的なことには、明確な理由がありました。……と言うのも、『ゼロ・イヤー』のラスト、ブルースがバットマンとしての活動を継続することを決意したまさにその瞬間、ブルースが平凡に生きごくふつうに平穏に暮らしていたとしたら享受していたかもしれないその後の人生を、アルフレッドは幻視していたのでした。……しかし、今や、闘争の日々の記憶も悲劇的な試練も心に負った深い傷をも全て失って完全に新たな人物としての生を生き始めたブルースは、まさに、かつてアルフレッドが幻視した人生を歩み始めていたのです。そういう意味では、アルフレッドにとっては、かつて幼いブルースがクライムアレイに足を踏み入れて以来過ごしてきた長い長い年月の方が悪夢なのであり、現在のブルースこそが本物のブルースであるのでした。


 さて、そんなストーリーが展開されることになる『スーパーヘヴィ』なんですが、正直なところ、中盤あたりまで読んでいた段階では結構かったるくて、「今回はレヴューを書かんでもいいかなあ?」くらいに思っておりました。
 と言いますのも、ゴードンがロボバットマンと化して展開される活劇部分にもいまいち乗り切れず、ブルースが平凡な暮らしをしている部分はほんとに平凡な暮らしをしているだけで、なおかつ二つのパートはそれぞれがあまり関係もないままに交互に進んでいくからです。
 そんな感じのストーリーが結構な長丁場で展開されていくので正直なところ飽き始めてもいたのですが……終盤に至って、それまで展開されていたことがなんのためのことであったのかがわかってくると、急速な盛り上がりを見せてきたのです。
 ゴッサムに現れたミスター・ブルームなる新たなヴィランにゴードンが対処することができず、破滅的な状況が迫る中……単なる一般人としてのブルースが、かつて自分がそうであったところのバットマンを甦らせるのでなければならないのだと決意するに至ります。しかしアルフレッドは、バットマンが再生するためのシステムは開発途中で頓挫した、だから、バットマンの復活はあり得ない、今やバットマンと言えばゴードンのことなのだと拒絶します。


 You keep saying that. But if Batman was what everyone says he was, he would have had a backup. There would have been a way to activate--
 君はそう言い続けているな。しかし、もしバットマンが、本当に誰もがそう言っているような存在であるならば、予備の手段を備えていたはずだ。起動する方法があったはずなんだ――



 ……果たして、ブルースは、開発が頓挫していたかに見えたシステムの起動に成功します。……そして、仮想現実の内部に出現したのは、様々な状況に置かれた様々なブルース・ウェインが悲劇的試練を乗り越えてバットマンになるという、無数のパラレルワールドが同時に現れたような状況であるのでした。
 ある意味で、これは、バットマンの神話を構成する要素を、個々のパーツの水準にまでいったんバラバラに分解することであると言えます。全てのパーツが解体され、バットマンがバットマンであるために必要不可欠な要素とそうでない要素が区分けされたならば、必要不可欠な要素だけを残してそれ以外の要素を別物に置き換えることで、本質は同じであるままに変奏を実現することができるわけです。
 そして、そのようにして無数に変奏されたバットマンの神話の群れの中に、ひときわ目立つものがあります。……それは、バットマンがバットマンであるために必要不可欠な最低限の要素が残されたまま、それ以外の要素がことごとく反転された世界。浄化されたゴッサムの市長となったブルースは、家族と平穏に暮らし、それでもなおバットマンとしての活動を継続し、白いコステュームを身に纏う……しかし、最も驚くべきことは他にあります。この世界でのバットケイヴでバットマンに忠実に仕えるのは、ジョー・チルなのです。
 ……なぜ、「白いバットマン」の腹心は、アルフレッドではなくジョー・チルなのでしょうか? そのことが明らかになるのは、仮想現実の世界で自身の人格を上書きしバットマンを再生しようとする、ブルースの次のような言葉によってです。


 He doesn't kill, but he does! He has to. For Batman to live, Bruce Wayne always has to die!
 バットマンは殺しをしない、しかし、殺しをする! バットマンが生きるためには、いつだってブルース・ウェインは死ななければならないんだ!



 スコット・スナイダーが担当してきた「バットマン」において一貫した前提となっていたのは、「ブルース・ウェインとバットマンとは異なる存在である」ということでした。ブルース・ウェインはただの常人である、しかし、バットマンはそれを越えた存在である……。そのことを前提とした上で、相互に反転された「黒いバットマン」と「白いバットマン」を比較対照すれば、明らかになることがあるのです。
 それは……バットマンがバットマンであるため、その起源に存在した原初的な殺人事件は、実は一つではなかったということです。クライムアレイにおいてウェイン夫妻がジョー・チルに殺害されたからこそ、バットマンは生まれた――しかし、それと同時に、不殺を誓ったはずのヒーローであるバットマンは、ブルース・ウェインという個人の人格を抹殺することによってしか存在できない。……ならば、ウェイン夫妻殺害事件においてジョー・チルが果たした役割をブルース・ウェイン殺害事件において果たしたのは、アルフレッドに他ならないということになる……。バットマンの神話を反転させたとき、アルフレッドはジョー・チルと重なり合う存在であることが明らかになるのです。
 そして、今や、仮想現実の世界に自ら無謀にも飛び込んだ、単なる無垢な好青年としてのブルース・ウェインの人格を抹殺しなければ、バットマンを再生することはできません。つかの間の時間、何のトラウマも抱えないブルースが平穏に過ごした日々の幸福な記憶は、跡形もなく抹消されてしまうことになります。……そして、仮想現実の内部に入り込んだブルースに対して、システムの外部にいる協力者が最後の引き金を引かなければ、それは実現できないことであるのでした。


 I have spent my entire adult life with the hopeless task of fanning the glimmers of light, the faintest traces of the boy that Bruce Wayne was inside of what he became.
 私は、成人して以降の全ての生涯を、望みのない任務に費やしてきました……かすかな光をかきたて、ブルース・ウェインが変貌しその内部に囚われてしまった、そんな少年のわずかな足跡をたどるのです。



 I spent my life waiting for you. The real you. The one who never set foot in crime alley.
 私は生涯の間、あなたを待っていたのです。本当のあなたを。クライムアレイに決して足を踏み入れることのなかったあなたを。



 And now...you're asking me to play the part of Chill. To pull the trigger. Not just twice, but three times.
 そして、今……あなたは、私にジョー・チルの役割を果たせと言う。引き金を引けと。二度のみならず、三度までも。



 しかし……アルフレッドが頑なに拒絶することになった「ジョー・チルの役割を果たす」ことを受け入れる人物が現れたとき、スナイダーが「バットマン」において語ってきた全ての要素が収束し、ストーリーの「円環が閉じる」ことになるのでした。


 ……正直なところ、私としては、バットマン関連のことでここまで心打たれたのは、『フラッシュポイント』の結末以来です。これはやはり、「バットマンこそが究極のヒーローである」と本気で信じている人物でなければ書きえないストーリーだなあ、と。
 そして、『スーパーヘヴィ』を最後まで読んだ上で改めて振り返ってみれば、ここで語られていた内容は、きちんとテーマと一致していたことに気づかされます。バットマンをしてバットマンたらしめているギリギリ最低限の要素とはなんであるのかが追求されているからこそ、ロボットアクションやらスーパーコンピュータでの仮想現実やらといったおよそバットマンらしくない要素がぶちこまれ、それでもなお全体を通読してみるとバットマンでしかありえないストーリーに仕上がっているわけです。
 無数の平行世界を貫く存在としてのバットマンの有り様を明らかにするのは、ニール・ゲイマンやグラント・モリスンなんかがバットマンを通してやったことに連なろうとしたことであったのかもしれません。ゲイマンが'Whatever Happened to the Caped Crusader?'でやったのは、(おそらくは短篇であるゆえに)すべてを幻想の内部に処理してしまうということでしたが、SF的なガジェットを持ち込んで長篇ストーリーとしてきちんと処理しきったのは大変な技量だと思います(……そして、根本的な発想自体はモリスンの影響下にあるんだとしても、いざそういうアイディアをどうやってストーリーに落とし込むかという点については、明らかに、モリスンよりうめぇ……)。
 それにしても、バットマンの復活を決意したブルースに対して泣き叫んで抵抗しまくり、挙げ句の果てには両手で両耳を塞いで「あーーあーー聞こえな~い聞こえな~い」とかやり出して醜態をさらすアルフレッドを見て「いくらなんでも見苦し過ぎるぞ!」とか思ってたんですが……いざ無垢なナイスガイのブルースの人格が抹消されてみると、そこにいたのは、凄まじい目つきをした、一見しただけでそれとわかるほど明からさまなまでにヤバい人だったので、「そりゃ、アルフィーも泣くわ……」と納得してしまったのでした。


 ……などと書いてみるとベタ褒めのようにも見えるでしょうし、実際のところ、私もバットマン復活のところまでを読んだ段階では「こ……これはついに、スナイダー版バットマンはバットマン史上の最高峰にまで並んだのではないか!?」とまで思ったんですが、いざバットマン復活後の最終決戦が展開される50号を読んでみると、ややトーンダウンしてしまったのであります……。
 スナイダーのやっている内容を理性的に分析していくと、もうここでなされている高度な内容は既に史上トップクラスのものと言えるのではないかと思いながらも、同時に、何かが足りない、どこかほんのわずかだけ物足りない……という後味が残ってしまうのです。
 で、そんなモヤモヤを抱えていたのですが、いざ『スーパーヘヴィ』の最終回を読んでみると、それは、「バカをやらなければならないときに、インテリ過ぎるスナイダーは、バカに徹しきれない」ということなのではなかろうかと思えてきました。
 この『スーパーヘヴィ』の最終回って、巨大化して手に負えなくなったヴィランを相手に、超巨大バットマンロボが出動してきてゴッサムを舞台にした怪獣大決戦開戦! というものなんですが……なんでバットマンを延々担当してきて最終決戦がそれやねん! という、どう考えても正気の沙汰ではないような内容が展開されつつも、どこか上品な空気が保たれていて、決してバカ丸出しにはならないんですな。
 で、特に最近のスナイダーの「バットマン」誌でのライティングを読んでいると、ジェフ・ジョンズとかなり細かい打ち合わせをしているんだろうなあという印象を受けます。『エンドゲーム』を「神と人との相克」と書いたこともそうなんですが、ジェフ・ジョンズが展開しているのと同一のテーマをスナイダーが同時期に扱っているようなことも結構あるもので。
 そういう意味で、今回の『スーパーヘヴィ』と同時に進行していた『ダークサイド・ウォー』にも、『スーパーヘヴィ』と同じようなテーマが出てきていると思います。ただ、あちらの場合は、ここ四十年くらいのヒーローコミックに対するジェフなりの総決算という意味合いもあるのではないかと。……それは、「凡人にも神話を語ることはできるのか?」、もっと具体的に言えば「ジャック・カービイではない我々が、それでもなおカービイのように語ることはできるのか?」ということだと思います。
 ジェフ・ジョンズが自身のこれまでのキャリアを総括しつつ、それをアメコミの歴史に接続しつつ、なおかつその最終回は(たぶん)そのまま『DCユニヴァース:リバース』につながる……(ジョーカーの正体も明らかにされるとか)。ということでもありますので、『ダークサイド・ウォー』に関してはガチモードで書いてみようかと思っております。


 ……まあ、いろいろ不満も述べてしまいましたが、『スーパーヘヴィ』の最終回にいいところも多々あったのも事実ではあります。特に、50号の冒頭において、記憶を取り戻したブルースが、身に纏うコステュームを探す場面……バットマンの様々な時期の様々なタイプの衣装がずらりと出てくるだけでも感涙モノなわけですが、ブルースは次のように独白します(ふつうなら「バットマンの独白」は黒地に白抜きの文字で表現されるわけですが、あえてそうしておらず「ブルースはまだバットマンになってはいない」ということを表現しているのも心憎い演出です)。


 They need their Batman back.
 人々は、バットマンの復帰を必要としている。



 You left them when they needed you, though. So, if you do this...if you come back...you better give it everything you've got.
 だがお前は、必要とされたときに彼らを置き去りにした。だから、もしこれをするなら……もし復帰するなら……持てる全てを与えるべきだろう。



 You better give them what they've been waiting for, and then some.
 人々が待ち続けたものを与えるべきだろう、そして、そこにさらに何かを付け加えるのだ。



 Give them something they've never seen before.
 人々がいまだ見たことのないものを与えるのだ。



 Give them the Batman they deserve.
 人々に、それに相応しいバットマンを与えるのだ。



 Yes. That's right. I'm talking to you...
 そう。その通りだ。私は、君に言っているのだ……



 いかにも読者への直接的な呼びかけに見えるこの独白は、しかし、ゴードンに向けられたものであることが次のページで明らかになります。
 しかし……50号におけるゴードンの役割が、ここでの関係をさらに複雑なものにしています。人々が、象徴としてのバットマンが存続することを願ったからこそ、ゴードンはその役割を果たすことになりました。しかし、ゴードンは、バットマンとは現実的な存在ではなく、人々との願望が投影されているだけなのであり、希望こそ与えてはくれるものの、本当に現実を改変するのは個々の凡人なのだと思うに至ります。そして、ミスター・ブルームとはジョーカーのような特異なヴィランではなく、誰もがなりうるヴィランである、だから、ミスター・ブルームに対するゴードンの戦いとは、凡人が現実世界の中で何をなしうるかという意味での戦いであったのだと。
 つまり、『スーパーヘヴィ』におけるゴードンとは、読者をも含む単なるふつうの人間の代表として描かれていたのですから……ということは、バットマンからのゴードンへの呼びかけとは、やはり、読者へのダイレクトな呼びかけでもあるのでした。







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 読んだ本、見た映画の感想をつづるブログ。基本的にネタバレありです。

 

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