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全日本プロレス8月27日両国国技館大会観戦記

 全日本プロレスの8月27日両国国技館大会を観戦してきました。興業の終了後にもいろいろ考えさせることが多かった大会だったのですが、各種報道やネット上での他の人の感想なども読んで回った結果として、私の感想も残しておきたいと思うに至りました。このブログでプロレスのことについて書くのはごくまれにしかないですが、今回は記録という意味も含めて残しておきたいと思います。
 ……と、言うのも……実は、今回の大会が始まる前から私が個人的にその動向に非常に注目していた人物が一人いました。そして、その人の行動を追っていた結果、なんとも驚くべき場面に遭遇してしまったのですが……少なくとも私が見て回った範囲内では、そのことに言及しているものは皆無なのでした。
 というわけで、そのことに関して書き残しておきたいのですが、この件は、少なくとも私個人にとっては、「人は全日本プロレスという団体とどのようにして関わり合うのか」ということをどこまでも考えさせられてしまう、衝撃的な事件であるのでした。


 さて、まずは、興業全体の感想はどうだったのかと先に述べておきますと、これは多くの全日ファンとだいたい同じだと思うのですが、「新日本プロレスと関わりのあった部分以外はほぼ全てよかった」というものでした。
 いや~ほんとによかったです、新日本プロレスと関わった部分以外は。ということなので新日本プロレスとはもう関わって欲しくないですし、それから、私個人としては、新日本プロレスという団体には、今後、何があろうとも1円たりとも落とさないと決意しました。
 そして、とりあえず興業全体の中から「新日本プロレスと関わった部分」を消去してみて、全日本プロレスという団体がどのような興業を目指していたのかを考えてみると……秋山社長の考えは、やはり、「90年代の全日本プロレスの日本武道館大会をいかにして復興するか」ということだったのだと思うのですよ。
 秋山社長が以前「週刊プロレス」にコラムを連載していたときに非常に強調していたのが、「90年代の全日本プロレスの興業が全体としてみたときに、いかによかったか」ということでした。興業全体を一つの流れとして観戦したときに非常にバランスがよく、観戦を終えたときの満足度が非常に高い。これはもちろん会場で観戦して全体を見ないとわからないことなのですが、94年以降は全日本プロレス中継が30分になってしまったこともあり、興業全体の最後の最後のクライマックス部分だけが抜き出された中継を見て「全日は大技だけで試合を組み立てている」とかほざき出すアホどもが続出することにもなりました。TVしか見ていなかったファンの方がはるかに多かった結果、この偏見はいまだに残っています。見てなかった人間が安易に「四天王プロレスは~」とか言い出すときはほぼ例外なくこれだということは注意しておくべきでしょう。例えば、(TV中継が入らずジャイアント・サービスから直販の映像しか世に出なかった)阪神大震災直後の川田対小橋の60分フルタイムドローの試合とか見れば、いかに四天王が基本に忠実で、クラシカルな攻防だけでも試合を成立させられるかなどということは、一目瞭然なのです。
 まあそれはともかく、秋山社長が目指している理想は、たぶん自分と同じなんだろうなあということを意識させられた出来事が、今年に入ってから一つありました。それは何かというと、3月27日の新木場大会です。私自身はその興業は見に行けなかったのですが、メインにトップレスラーばかりが集結した6人タッグが40分以上の死闘になったことを耳にし、「ああ、これは、あのころの全日本だ……」と感傷的になってしまったということがありました。
 あれは今から20年以上前のこと、チャンピオン・カーニバルの公式戦として、「スタン・ハンセン対スティーヴ・ウィリアムス」というカードが組まれていた後楽園大会がありました。ところがウィリアムスの突発的な来日中止によってこのカードは流れてしまったのですが、その代わりに用意されたのが、トップレスラーのみで編成された特別な6人タッグ。そして、過酷な公式戦の合間を縫っての試合にもかかわらず、出場したレスラーが全員全力を尽くした壮絶な死闘の末の60分フルタイムドロー。それを見ていた私は「全日本プロレスという団体はここまでやるのか!」と衝撃を受け、ますます全日にのめりこむきっかけとなったのでした。
 そして、今回の両国大会は、あのころの全日本のビッグマッチである武道館大会と全体のデザインが同じ方向であることが目指されていたと思うのです。技術が未熟な新人の熱い試合で始まり、前座にコミカルな試合があり、その後も色々なタイプの試合を楽しめた上で、メインの三冠戦では全日ならではの重厚な試合で締める。
 今回の両国に、全日の所属選手ではない外部からのゲストが多すぎたことに否定的な声もあったようですが、私はそれには異論を唱えたいと思います。……というのも、もともと全日は「外人天国」とまで言われた団体だったわけですが、これはあくまでも、「日本人と外国人」という分け方をしたときの見方だからです。
 もともとアメリカのプロレスはテリトリー制で、当たり前のことですが各テリトリーが異なるスケジュールで動いています。そのスケジュールのズレを調整して全米からトップレスラーをかき集めていたのが全日本プロレスだったのですから、「豪華には豪華だがツギハギの寄せ集め感」というのは、実はこれこそが本来の姿なのではないか、と。むしろこれに関しては、アメリカがWWFとWCWの寡占体制になってしまってトップレスラーの大量招聘ができなくなってしまった90年代の方が、全日としては例外的な状態だったはずです。
 そして、そんな豪華だが寄せ集め感が凄い雑然とした興業を締めるのはもちろん三冠戦であるわけですが、ここにもう一つ、興業全体の核となる試合があります。私は、この部分にこそ、興業全体をデザインする秋山社長の強い意志を感じたのですがーーそれは、中盤に組まれる世界ジュニアです。私は、今回の両国大会で、改めて「90年代の全日ジュニア」とはなんだったのかに思いを巡らせてしまったのでした。


 ……などということを考えていると、ほんとーに、「新日本プロレスとの関わり合い」さえなければ、全体として非常にいい興業になっていたのだと思います。……なのですが、実は、私が興業前から注目していたとある人物の動向は、まさにその「新日本プロレスとの関わり合い」の中にこそありました。
 セミファイナルに組まれた諏訪魔対小島の試合が物議をかもすような試合になってしまったことは、既に色々なところに書かれています。……その試合が終わった後、敗れた諏訪魔がまだリング上で大の字になって倒れていた時のことです。たまたま今回は奮発してリングサイドにいた私は、リング上にいるその人物を背中の側から眺めながら、「今この瞬間、この人はどんなことを考えているんだ?」と考えていました。
 もうすぐにリングから降りるであろう状況で、その人がリングの片隅から改めてリングの中央に向き直った次の瞬間、驚くべきことが起きました。
 ……海野レフェリー、謝ってましたよ……。
 無言のまま頭を下げる海野さんの先にあったのはリングの中央ですが、対角線上には、倒れたままの諏訪魔の姿がありました。ですから、それは「全日本プロレスという団体への謝罪」とも取れますし、「諏訪魔という個人への謝罪」とも取れます。いやそれ以前に、自分が所属しない他団体でレフェリングしたのだから、単に礼儀を尽くす意味でお辞儀しただけと取ることも可能です。……しかし、私には、あれは「謝罪」の仕草としか見えなかったのですよ……。
 海野さんは、いったい、この日、どんなことを考えていたのか。様々な偶然の巡り合わせが重なって古巣で再び仕事をすることになった海野さんの来歴を改めて思い起こしてみれば、「人は、いかにして全日本プロレスという団体と関わるのか」ということを考え込まずにはいられません。
 私自身もある程度の年月を生きてきて改めて思うのですが、自分の人生のどこかで「天龍源一郎と全日本プロレスのどちらを選ぶのか」とか「三沢光晴と全日本プロレスのどちらを選ぶのか」などという選択を迫られるのは、絶対にイヤです。……だから、それを迫られたことがある上で、あっさりとその後の進路を決めることができたのならともかく、悩んだ末になんとか決断を下さなければならなかった人間のことは、どちらの決断を下したのだとしても否定しないことに、個人的に決めたのです。
 だから、天龍を追って全日本をあとにした海野さんも、本当は仲間なんだと思いたい。……しかし、新日本の選手が出場する大会に帯同するレフェリーとして派遣されてきたということは、これはもう、全日本に向けて放たれた刺客に決まっているわけです。個人としての心情はどうあれ、仕事としてはその役割を果たさなければならない。
 ではなぜ、その海野さんが、新日本とは関係のない第9試合の世界ジュニア、TAJIRI対ウルティモ・ドラゴンのタイトルマッチを裁くことになったのか。……そんなん、全日の側の海野さん個人への配慮に決まってるでしょうよ。
 海野さんが全日を辞めた後、その先のSWSやWARでともに過ごしたウルティモ・ドラゴンとの思い出にまでわざわざ配慮して仕事を振ってもらえた。……そりゃあね、WARという団体の存在を覚えている人間なら、ウルティモ・ドラゴンが大舞台でタイトルマッチをやるのはもしかすると最後かもしれないというような状況で海野レフェリーがたまたま居合わるようなことがあったら、これは試合を裁いてもらわなければダメだと、誰だって思うでしょう。……しかし、そこまで気を使ってもらえたのだとしても、当の海野さん自身の役割としては、「全日本プロレスへの刺客」でしかない。いくらなんでも気の毒すぎるでしょう、これは……。
 だいたいさあ、海野さんがわざわざ「レッドシューズ」を名乗ってるのだって、別にレッドシューズ・ドゥーガン本人へのこだわりじゃないでしょう。これはあれでしょ、かつて京平さんが初めてレフェリーをやることになったときに、最初の練習で言われたのが「レッドシューズ・ドゥーガンの動きをやってみろ」ということだったことにちなんででしょ? WARもなくなり馬場さんも亡くなってしまって、海野さんの業界生活の前半生にあったものが全てなくなってしまったその後でわざわざ「レッドシューズ」と名乗ることにしたのは、偶然ではないと私は思ってます。
 そんな人物が、興業に関するどこかの時点で、どうしても謝りたくなってしまうような何らかの役割を果たさざるを得なかった。それも、よりによって京平さんの目の前で。これではあまりにも辛すぎるし、その後の海野さんは、京平さんとどんな風に接したのか、いや、そもそも会うことすらできたのか……。
 この試合を終えた後の小島が、「悲しい」だって? ……いやいや、それほどのことはないと思うよ、海野さんの置かれた状況に比べれば。だって小島の場合は、自分が置かれた状況について堂々と大っぴらにすることができるじゃない。その時点で全然違う。海野さんの場合は、自分が置かれた状況がどんなものであるのか気づかれることすらない。……いや、正確に言えば、この日実際には何が起きたのかということを知り得た上で、それに関わる人々の過去の経緯を全てわかっていて照らし合わせることもできる数少ない例外として小佐野さんがいたりするわけですが、まあさすがに、これはどこにも書けないでしょう。とうことは、結局のところ海野さんは、自分のこの日の気持ちを明らかにすることもできず、どんな役割を果たしたのかもまで含めて、たぶん墓場まで持っていかなきゃならない。
 今の海野さんの立場からすれば、確かに、リングを降りる直前に黙ったまま頭を下げるという以上のことはできないんでしょう。もちろんそれは、今の自分の役割の中で自分の仕事をすることを選んだということなんだから、それが海野さんの人生だということです。だから、仮に海野さんに責任がある何ごとかが明るみに出るようなことがあったとしたら、全日ファンから批判されてもしょうがない。……しかし、これは、あまりに悲しすぎる……。


 結局、こういうことを考えてると、「諏訪魔というレスラーにどのように接するのか」という部分に、その人が全日本プロレスという団体をどのようにとらえているかということがはっきりと現れると思うわけです。
 全日本プロレスを一度も辞めもせず、捨てもせず、裏切ることもせず、ただ守り抜いてきた……という点では、(今の全日の生え抜きの若手を除けば)現役のレスラーだと、もう渕さんと諏訪魔しかいないわけですよ。特に、諏訪魔がいなければ、全日本プロレスという名称自体が存続していなかったわけです。そしてそれを、天龍源一郎に心酔している男がやったということは、ほとんどありえないはずの奇跡的なことなわけですよ。
 もちろんそれは、諏訪魔が不器用な生き方しかできないからでしょう。全日ファンとしても、何でそういうときにそういうこと言うかな~みたいなことを思わせる言動も、正直ちょいちょいありますよ。……しかしですよ、全日本プロレスに何らかの形で関わり、何らかの事情で悩みながらも去っていった数多くの人々にしてみれば、諏訪魔の生き方にはどこかまぶしく感じさせるところすらあるんじゃないかと私は思います。あまりにも不器用すぎるし自分がそんな生き方を選ぶことはできないけれども、しかし、もし可能であれば、その生き方を選んでもみたかった、という。
 改めて考えてみるまでもなく、海野さんは龍原砲の両方の最後を看取った人であるわけですから、諏訪魔について何も思うところがないなんてことはありえないだろうってことですよ(……しかし、よくよく考えてみれば、私自身も、その二つの試合の両方とも、最後に海野さんが3カウント入れるのを直接見てたんだよな……)。
 実は、この文章を書くに当たって、だいぶ記憶も薄れていたので、阿修羅原が引退したころのWARの映像を見返してみたんですけれども。特に、阿修羅の最後の試合となった壮行バトルロイヤルは、それはそれは壮絶なものでした。
 最終的に龍原砲のパートナー同士が一対一でリングに残った状況で、天龍は、阿修羅をボッコボコのズタボロにしてしまいます。しかし阿修羅は、そもそも体がガタガタだから引退するはずなのに、天龍にやられるたびに、歯を食いしばって何度でも立ち上がってきてしまう。……そして、海野さんはと言えば、試合を裁くレフェリーであるにもかかわらず、「原さん、もうやめましょうよ!」などと叫び出してしまう。
 何ともいえない神妙な表情になりながらも、攻撃の手は全くゆるめない天龍。終盤になると泣きながらレフェリングしている海野さん。……改めてこの試合を見ちゃうと、海野さんに対しては、天龍革命によって全日本のその後の闘いを変えた男たちが出て行ってしまった先の終焉の地で、同じく全日本出身の人がちゃんと最後まで立ち会ってくれたことについては、ただただありがとうとしか言えないですよ。
 そして、ほんとはこんなことを改めて書かなきゃいけないこと自体がいやなんですが……龍原砲のために泣いたことのある人にとっては、諏訪魔こそが、本来なら同志になっていたはずの人間だっていうのは、当たり前のことのはずなわけです。
 だから、なんの躊躇も葛藤もないままに、無邪気に諏訪魔を罵倒したり頭から全否定したりすることのできる人間は、全日本プロレスが云々という以前に、それまで生きてきた中で何かを守ったり、守らなければならないはずのものを守りきれない自分に悩んだり……などという類の経験が全くないんだろうと、私なんかは思うわけです。


 ……ず~っとプロレス見てきて、なんでこんな悲しい思いをしなきゃならないんだ……と、そんなこともちらっと思いはしたんですが、ずっと見続けてきたからこそ、ある試合が実現するまでの昔からの背景にまでさかのぼって、深く深くわかることもある。今回の両国大会だと、(海野さんのことを除いても)世界ジュニアのタイトルマッチが、実にどこまでも味わい深い試合であるのでした。
 正直なところ、最初にこの「TAJIRI対ウルティモ・ドラゴン」というカードが組まれたときには、「ビッグマッチだから外部のビッグネームに頼っちゃうってことか~」くらいにしか思っていませんでした。……しかし、いざ試合を見終えた今となっては、おそらく秋山社長の興業全体のデザインの意志が最もズバリとはまったカードだったんじゃないかとすら思っています。
 そして、改めてここに書いておきたいのは、ここ最近の間、全日に定期的に参戦することになったTAJIRIの仕事は大変すばらしいものだったということです。6人タッグだろうがなんだろうが、一つ一つの試合にどのように取り組むのかを、毎回徹底して考え抜いて試合に臨んでいたと言いますか。
 ただでさえ、プロレスも最近はエンターテインメント性の側面ばかりが強調されることが多い。なおかつ、6人タッグのように勝敗の行方にあまり注目のいかない試合形式だと、さらにそのあたりはおろそかにされがちです。……しかし、全日本での試合に臨むTAJIRIの態度は、全日本の試合の前提となるPWFルールを尊重し遵守した上で、その枠内で勝利を目指すためにはどのように試合を構築するのかということが入念に考えて一つ一つの試合に丁寧に取り組んでいたように思えたのです。
 これは言い換えれば、プロレスの競技性を重視するということでしょう。例えば反則攻撃によって勝利への最短ルートを進もうとするのだとしても、試合の流れの中でレフェリーの死角を生み出した上で、その隙を活用して行わなければならない(……ヒールなのに、たったそれだけのことができないレスラーが、今やどれだけいることか……)。また、自分が最終的に勝利するために、ある試合の途中経過であるやり方を採用したとしても、また他の試合になると異なる選択肢を取ることもできるということをいちいち示していたりもしていました。つまり、自分の戦い方には複数の選択肢があり得るということも、一つの戦術としてきちんと提示していたということです。……結果として、同じ会場での異なる興業でTAJIRIの試合を続けて見ることになった同じ観客は、異なるタイプの試合を見ることになりました。……つまり、プロレスの競技性を重視するからこそ、結果として観客に何を見せるかという意味でのプロ意識もまた同時に満たすようなことが実現できていたわけです。
 では、そんな風にして、試合の構築の仕方、自分の見せ方を徹底して考え抜いていたTAJIRIは、ウルティモ・ドラゴンとの試合で何を見せるのか。……ウルティモ校長と言えば、最近はジャベを中心とした重厚なスタイルで試合を組み立てています。そして、それに対してTAJIRIが選んだのは、あえてグラウンド中心の戦いを選んだ上で、なおかつ寝技中心の攻防でウルティモ校長を圧倒するという離れ業なのでした。
 一方のウルティモ校長は、グラウンドで主導権を握られたと見るや、スタンドの攻防になると、ふだんよりも明らかにスピードを乗せた打撃を連打することで、寝技中心のゆったりとした試合展開を一気に変調させ、流れを完全に変えた上で高速で畳み込んで自分の側に勝利を引き込むという、これまたすばらしすぎる試合巧者ぶりを見せつけてくれたのでした。
 ……などという風に、全くもってすばらしい試合を堪能できたのですが、同時に、この試合がこのようなものになったことを最も喜んでいるのは秋山社長なのではないか、とも思えたのです。それはどういうことかと言うと、この試合は、90年代の全日本の武道館大会で、メインの三冠戦より前の中盤で実施される世界ジュニアが興業全体の中で持っていたのと同等の意味を持っているように思えたからです。
 90年代の全日ジュニアにおいては、渕やクロファットや小川のような職人的な選手によって、飛び技やら派手な大技やらなどといったものなどほとんどないままに、地味ながらも異様なまでにテクニカルな攻防が繰り広げられていました。……そして、まさにそのことによって、興業全体の中でいつも全日本プロレスは「プロレスの真髄」「プロレスの本質」のなんたるかを提示し続けていたように思うのです。
 既に書いたように、90年代の全日の試合を大雑把に「四天王プロレス」と呼んで「大技ばかり」などと言う者は後を絶たないのですが、これは、シリーズ全体の最終戦の興業の中でも最後の試合のクライマックスのダイジェストしか見ていない者の無知に基づく偏見でしかありません(WWEですら、レッスルマニアのメインならフィニッシャー乱発になることなんてよくあるんですけどね……)。しかし、興業全体の流れの中で見れば、まずは世界ジュニアでプロレスの本来のあり方に基づいた攻防がじっくりと見せられた上で、「プロレスの基本を突き詰めても勝敗がつかない、さらなる超越世界」として、終盤になるとどれだけ大技を投下しても決まらない三冠戦が提示されていたわけです。……つまり、90年代の全日において三冠戦の権威を担保していたのは、実は世界ジュニアの存在だった(ということは、細かいことを言うと、全日が馬場体制から三沢体制に変わって「小川良成の扱い」が変化したことは興業全体のデザインが変質する大事件だったということになるのですが、今回はこのあたりのことは掘り下げません)。
 そして、現在に至って、「90年代の全日ジュニア」が担っていた役割を、ウルティモ・ドラゴンとTAJIRIが担うことになる……このことには、私としては非常に感慨深いものがあるのです。


 日本のプロレスの歴史の中でも、90年代のジュニアヘビー級とは、ジュニアがジュニアならではの独自の価値を見いだされた初めての時代であったと言えます。……もちろん、それ以前にも、例えば初代タイガーマスクは大変な人気をもたらしたわけですが、それはあくまでもタイガー個人の人気がありきのもので、ジュニアという階級そのものが独自の価値を認められたというわけではありませんでした。
 一方、90年代の新日ジュニアは、もともとクリス・ベノワやエディ・ゲレロなどの超一流のレスラーを(なぜか意味不明のギミックを与えつつも)擁していたのみならず、獣神サンダーライガーの主導の元で多くの他団体と友好的な交流の輪を広げることで、巨大な流れを作っていったのでした。
 あまり交流のなかった団体同士でも「ジュニアのみ」という限定でなら垣根が取り払われ、新日以外のレスラーにも平等に脚光が当てられ、ユニバーサルから派生したみちのくプロレスの多くのレスラーが和製ルチャを評価されるようになり、ハヤブサという新たなスターも生まれ……そして、ジュニアのみの大会でも日本武道館や両国国技館すら埋まるほど、「ジュニアの独自の価値」が確立していったのでもありました。
 そんな中、「ジュニアのみ」という枠組みであってもかたくなに交流の輪に混じろうとしない全日ジュニアに非難の声が挙がることもたびたびありましたが……全日以外のほとんどの団体が交流戦によって切磋琢磨し、派手な飛び技や高度な攻防がエスカレートしていく中で、逆に多くのレスラーの試合が相互に影響を与えあって均質化していくようなこともあり……結果として、「ジュニアのみ」というくくりをすると、全日ジュニアはほとんど異次元世界のような異様な空間になっていたのです。
 だから、何年か前の全日の分裂騒動で選手もいなくなる中に参戦してくれたウルティモ・ドラゴンが、渕さんとの試合を強く望んでいたことに、私としては非常に嬉しい気持ちがしたのです。ウルティモ校長のような、90年代のジュニアという潮流の中での中心人物の一人にしてみれば、90年代の全日ジュニアについて「あれはいったい何だったのか」という疑問がいまだに残っているのに違いない、と。
 一方の、TAJIRI……というか、渡米する前、まだ線も細かった頃の田尻義博にしても、キャリアが浅い内からその才能は明らかなで、めきめきと存在感を発揮していました。そしてそれは、90年代の日本のジュニアの複雑で派手な攻防にあっさりと対応できるという意味でのものだったのですが……ある日突然、ふらっと海外へ旅立ってしまったのでした。


 ……しかし、こんな風に書いといてなんなんですが、90年代の新日ジュニアを中心とした動きには、実は私自身は、結構早い段階で冷めていたのです。そして、そのことには、はっきりとした原因があります。……実は、エディ・ゲレロのECWでの試合を見て、大きな衝撃を受けたからです。
 ECWと言えば、レスラーが自分のやりたいことの何をやってもいい団体です。団体のカラーや都合に合わせて、試合スタイルの変更を迫られたり、強制的にギミックを押しつけられることはありません。……そんな団体で、エディが例えばディーン・マレンコなんかと戦うときに見せるのは、グラウンドでの技術のしのぎ合いにこだわり抜き、あるいは、一見すると地味な基本技の精度を磨き合う、そんな試合なのでした。
 ぱっと見は地味でも実際には高度な技術が披露されると、会場全体で拍手喝采が送られる……そんな、ECWアリーナの観客たちの前でのエディの試合をひとたび見てしまえば、二代目ブラックタイガーというマスクマンとして新日ジュニアの派手な試合に完璧に適応した姿は、実はエディ自身が本当にやりたかったことではないであろうことは明らかなのでした。
 まあ、当時の新日ジュニアにも保永のようなテクニシャンもいたわけですけれども、「新日ジュニアの主流スタイル」に合わせていることは明らかでした。しかしエディの場合は、今にして思えば、団体の色に合わせてスタイルを根本的に変えてみせることなどいくらでもできるクラスの選手だったのでしょう……当時の私には、新日ジュニア向けにスタイルを変えてきていること自体にすら気づけなかったのです(……しっかし……改めてこういうことを考えていると、「レッスルマニア20」のラストにあんなとんでもないものを持ってきてくれたWWEのことは、やっぱり根本的に否定することはできんのですよ。私の考えとしては、あれは「90年代の日本のプロレス全体にとってのエピローグ」ですよ。泣きますよあんなん。ていうかアメリカのプロレスしか見てないほとんどの観客はよくわかってなかったでしょあれ。あれは私にとって、会場で生で見たわけでもないのに映像だけでもあまりにも感動してしまったプロレス二大場面の一つですよ。ちなみにもう一つは、エディ・ゲレロ対ディーン・マレンコのECWラストマッチです)。
 そして、世界の様々な場所で戦い、長い遍歴を経た末にたどり着いた場所は、ウルティモ・ドラゴンにしてもTAJIRIにしても、「エディ・ゲレロの本来の姿」に近かったのではないでしょうか。
 だから、もしも、この二人の中で「90年代の全日ジュニアとはなんだったのか」という疑問が未だに残っているのなら(さすがに渕さんも体力的にはキツすぎるから、戦っても当時のことはあんまわかんないと思いますし……)、全日ファンの私としては、お二人に伝えてあげたいことは、非常に簡単です。それはもちろん、「今のあなたたちがやってることです」ということになります。


 さて、それでは、この日のメインの石川対宮原が、全日本の看板たる三冠戦としてどうだったのかというと……もちろん、十分以上にいい試合ではあったわけですが、それでも、特に宮原の試合としてはそれほど上位にくるものではなかったかなあ、とも思いました。
 宮原健斗というレスラーに関して、棚橋との比較をするのは色々なところでしょっちゅう目にしてきましたが……まあ、そういうのからわかるのは、むしろそれ言ってる人々の方こそがパフォーマンスだけしか見ておらず、試合そのものは見てないってことですよね。さらには、試合前後のパフォーマンスにしても、最近のやつを見ていると、棚橋というよりかはアメプロの見せ方を相当熱心に研究して色々なところから取り込んできているのが明らかなんですけれども……。
 宮原の試合に関しては、昔からの全日ファンもわりと支持している人が多いのは、試合が始まるとパフォーマンスはほぼなくて闘いの動きだけで内容を見せており、なおかつカタいことも結構やるからでしょう。……そしてもう一点、宮原の試合スタイルの大きな特徴は、「タッグパートナーと対戦するときにも平然とえげつないことをする」ということです。これは全日の中で言うと天龍や川田や秋山の系譜なので、鶴田や三沢や小橋とは異なる流れなんですよね~。
 川田にしても秋山にしても、どこかの時点で「自分は三沢さんより下でいいや」「自分は小橋さんより下でいいや」と思っちゃったふしがある(というか川田の場合は、「ぶっちゃけ二番手ぐらいが一番おいしい」などと公言しだす始末)。そういう意味では、今の宮原を見ていると、「川田と秋山が本気で天下を取りにいっていたら、いったいどこまでいったのか」という夢想を重ねるという楽しみもあるわけです。
 で、そんな宮原の最近のシングルで特に重要な試合だと思えたのが、チャンピオン・カーニバル開幕戦での、ジェイクとの公式戦でした。この日のメインは諏訪魔と石川による公式戦で、すさまじいパワーがぶつかり合う肉弾戦が展開されており大評判でもあったのですが、実は私としては、宮原対ジェイクの方が面白く見ることができたのでした。
 まず、宮原の異常なまでに緻密にコントロールされた試合の組み立てにうなったということがあるのですが、同時に、タッグパートナーのジェイクにえげつない攻撃を連発して突き放していくスタイルが非常によかった。宮原のキャリアを振り返るときには、このジェイク戦と潮崎戦とはきちんとおさえておくべき試合だと思えたのでした。
 そんな宮原のシングルでも、諏訪魔戦とジョー・ドーリング戦と石川修司戦に関しては、それほど優れたものではないとも私は思っています。……というのも、この三人は今まで相手をぶっこわさないようにある程度パワーをセーブして試合をしてきたと思いますが、宮原だと受けきれるので、全力を出してくる。そして、宮原も受けきれることはできるのですが、試合をコントロールすることまではできていないのです(……そう考えると、体格は宮原よりさらに劣るのに、潮崎はいかにとんでもないことをしてたのかっちゅーことですな……)。
 一方、そういうことを考え合わせると、石川の三冠戦を見てて思ったのは「危険技を連発しすぎ」ってことでした。もともと、全日本で一線を越えた危険技が解禁されるようになったのは、体格で劣る三沢や川田が鶴田やハンセンと戦わなければならなくなり、その状況を打開するためでした。石川の場合は明らかに「鶴田やハンセンの側」なんですから、体格差を帳消しにして基礎体力以上のダメージを相手に与えることのできる危険技を使ってはいかんでしょう。石川の場合、飯伏とかと同じことやろうとしちゃダメですよ~(ついでになりますが、90年代後半に向けてさらに過激になっていった四天王の闘いについて後知恵で危険性ばかりを強調して批判する連中は、いったいなんなんですかね。鶴田も天龍もブロディもおらず、ゴディも離脱しハンセンもさすがに衰えてきているが、アメリカからトップレスラーを呼ぶことはできない……という状況での生き残り策として過激なプロレスがあったはずなわけですが、それがダメなら、じゃあどうしていたらよかったんでしょうか? 無策のままに全日本プロレスそのものが滅びていたらよかったんでしょうか。……いや、そういうことを言う連中は、本当に「滅びていたらよかった」とか思ってそうだな……)。


 今回の両国大会については、全体としてはおおよそ以上のようなことを考えていたのですが、なんせダークマッチを含めると14試合もあったので、それ以外にも色々と見所はありました。
 例えば、プロレスとは関係ないところで耳にして気になっていた、トランプ支持者ギミックのサム・アドニスが見られたのがよかったです。……で、実際にアドニスの試合を見てみると、「真面目な人だな~」という印象を持ちました。なんというか、「プロレスのヒールというものは、こういう状況ではこういうことをやるべきだ」というのをいちいち守り、律儀に「ヒールとしてやるべきこと」を積み上げていく人だったのです。そして、「今私はこういう悪いことしてますよ~」というアドニスの動きをいちいち拾って、律儀にブーイングしていく全日ファンも最高だと思いました。
 あとは、ね……う~~~~ん…………タイチ対青柳の試合なんですけれども。ネット上での感想を見ていくと、好意的な評価が結構多いようだったんですが、それに関しては、私としては理解に苦しみます。秋山社長は青柳くんのタイチ挑戦については「もういいんじゃないか」とのことのようですが……いや~、秋山さん、社長という立場じゃなかったらブチギレてますよね?
 私自身は、タイチの試合なんてずーっと見てなかったんですが、今回の試合を通して見た感想を一言で言えば、「日本人が根本的に勘違いしてできた偽アメプロの、ダメな部分のみを抽出・濃縮してできたような試合」ということになります。
 ……いや、正確に言えば、アメプロでもこういう試合はありましたよ。しかし、ダメだったから、淘汰されて滅びたんすよ……。なんで、今さらこんな試合ができるんだ……。
 しかも、アメプロの場合、こういう試合をするレスラーも、筋力だけ見れば化け物クラスであったりはするわけです。しかし、実際にタイチの試合を見ててすぐに思ったのは「基礎体力がねえなあ」ということだったんですよね。
 そんで、格上のはずなのに基礎体力の面で青柳くんについていけず、ろくにダメージを与えていない側のタイチが、「十分経過」のアナウンスを聞くやいなやフィニッシャーを出そうとしたのには、さすがに呆れかえりました。で、まだ突き放すことができていないと見るや繰り出したのが、ステップキックやらジャンピングハイやらパワーボムやらの、川田の技だったわけです。
 ……これ、「川田へのオマージュ」なんて、そんないいものであるんですかねえ? 私はむしろ悲しかったんですけれども。基礎体力がない人が川田の技を本当に型をなぞるだけで繰り出してくるなんつーことは、どう考えても、川田自身のプロレスとは対極にあります。
 川田が格下や若手相手にセミより前とかで試合をするなら、パワーボムを出してくるなんてことは絶対にありません。ジャンピングハイも出さない。ましてや、ジャンピングハイをつなぎ技に使うなんてありえない。ステップキックなら格下相手にも使うでしょうが、それがあまり効いていないようなそぶりをちょっとでも相手が見せようものなら、逆ギレしてさらにえげつない威力でステップキックを繰り返して、痛い目をみせてきます。
 映像ではあまり残ってもいないような、川田のセミより前とかでの格下相手のシングルって、あまり覚えられてないというか、そもそもあんまり見られてないんでしょうか……。川田がこういう試合を組まれると、まず、露骨なまでにものすご~く不機嫌そうな表情で入場してきます。タイトルマッチで羽織ってくるようなジャンパーとかを身につけてくることもなく、上半身裸のままで出てきてそのままリングに上がるだけです。そんで、いざ試合が始まると、チョップやキックなどの基本攻撃だけをひたすらカタく入れてきて(今思い出しましたが、若い頃のRVDが全日に初来日したときには、川田の蹴りが痛すぎて素で泣いてたことは有名です)、それだけで体力が削られます。
 で、先述したようなステップキック連打とかで相手が戦意喪失しかけてきたら、今度は起き上がり小法師チョップの連発でリング中を引きずり回します。倒しては起こし倒しては起こし倒しては起こし……をうんざりするほど繰り返し、もう相手が自分の力で立てなくなっても無理矢理引っ張っては立ち上がらせてはまた倒し、本格的に立てなくなったら、リングの中央にまでずるずる引っ張っていって、ストレッチプラムでありえない角度に体をねじって、相手にギブアップさせるか、見かねたレフェリーに止めさせるかします。
 そして、大の字になって倒れたままの相手には一瞥すらくれることはなく、さっさとリングから降りると、汗でも拭きながらすたすたと控え室に帰っていきます。……これこそが、川田の試合ですよ! これこそが、デビュー直後からスーパールーキーとして大きな期待を寄せられた秋山準を、一分で沈めた男ですよ! しかも、そんな試合をした理由を聞かれれば、「新人のくせにチヤホヤされまくっててムカついたから」などというだけのことなんですよ! そりゃあこんな試合ばっかしてたら、三沢にも素で嫌われますよ! そして、そんな風に三沢に忌み嫌われてこその川田なんですよ! 一方、川田のせいでプロレスやめたいとまで思い詰めた秋山さんはと言えば、のちには自らがKENTAをかつての自分と同じような心境に追い込むことになるわけですよ! 最高だろこの系譜!
 川田イズムを継承するということは、技の形をなぞるということではありません。むしろ、最近の試合で私が最も川田イズムを感じた試合と言えば……何年か前に全日の横浜ラジアントホール大会の第一試合で行なわれた、青木篤志対めんそ~れ親父です。この試合、たぶん試合前になんかあったんだと思いますが、のっけからなぜかブチキレていた青木が、めんそ~れ親父を一方的に攻めまくってボッコボコにしてしまいます。
 で、翌日の後楽園大会でめんそ~れ親父が泣きながらマスクを脱いで素顔の中島洋平に戻ったんですが、「そりゃ、一から出直したくもなるわ……」と思わせるのに十分な試合でした。それにしてもこの青木は川田っぽいな! と思いましたが、よくよく考えてみれば、川田はこういう試合はしょっちゅうやってたわ……とも思い直したのでした。
 そういう意味では、青柳くんなんかのさらなる成長に必要なのは川田イズムの注入ということ自体は正しいと思うんですけれども……秋山さんが「川田さんと闘って自分は成長した」という言葉は色んなところで引かれてますが、その前の部分の、「当時は大嫌いだったけれども」という部分も忘れてはいかんと思うのです。今の青柳くんもずいぶん成長してきたとは思いますが、それでも、全盛期の川田なら、確実に三分以内で仕留めにきますね。……そんで、試合後にコメントを求められると、タオル回しについてネチネチネチネチ嫌みを言い続けるわけです。


 ……まあ、そんなこんなで、なんだかんだで全体としては楽しめたのが今回の両国大会だったわけですけれども、やっぱ諏訪魔が微妙な感じだと、なんともモヤモヤしたものが残るのも事実ではあります。
 私、なんとなく以前から感じていたんですが、全日本プロレスにおける諏訪魔の位置づけって、『スラムダンク』の赤木みたいだな~と。身体能力の高さを買われてはいるんだけれども、あまり日の目の当たらない弱小チームに入って、あまりいい目ができるわけでもない。そんで、ようやくチーム全体の戦力が整ってきたと思ったら、今度は個人的に悩んで停滞し、不甲斐ない試合をしちゃったりする、という……。
 諏訪魔に対して「華がない」とか延々言い続ける連中って、ほんとにアホかと思いますよ。例えば『スラムダンク』を一読してみても、赤木や魚住に華があるわけないだろ! というね。流川や仙道みたいなキャラだけだったら面白くないだろ~!(……まあ、「流川や仙道みたいなキャラしか出てこない」というようなタイプの漫画もあるんでしょうけれども)
 私としては、諏訪魔がなんともふっきれない消化不良の姿を見せるたびに、「諏訪魔……!」「諏訪魔だ……!」「諏訪魔よ、全日本プロレスの魂はお前なんだ……!」などという観客の声が脳内に響くわけですよ。
 そういう風に考えてみると、両国とかの大会場に満員の観客が詰めかけるようになったときに諏訪魔が感無量の表情をしていても、横から「ずっとこんな仲間たちが欲しかったんだもんな……」とか声をかけてくれる人もいないわけですよ。……うう、雷陣はいったいどこに行ってしまったんだ~……
 宮原が潮崎の顔面を兼ね備えていたら、間違いなく流川だったのだが……などと思いつつ、他団体にまで目を向けてみると、思うところがあったのです。……あれ……岡林、もしかして魚住なの……?


 岡林「今日のお前は今までで最低だ諏訪魔! こんな出来のお前を倒してもなんの自慢にもならん。勝って当然だからな!」


 おお、岡林が活を入れてくれている……ん? それに続いて、どこからか声が聞こえてきたぞ……


 「たとえ諏訪魔が不調だろうと、全日本にはさらに手強い男がいることを忘れんなよ!」


 ……の、野村ーーーーーッ!? ……え、とうことは野村くん、もしかしてこんなことも言ってる……?


 野村「相手がWWEだろうと新日本だろうと、わが全日本は絶対勝ァーーーつ!」
 青木「お前……自分が何を言ってるのかわかってるのか?」
 野村「おめーらプオタの常識はオレには通用しねえ! シロートだからよ!!」


 ……やべえ、野村くん、めちゃかっこいい……。そうか……ということは、全日本プロレスの道場では、きっとこんなことが起きていたのに違いない……


 渕さん「ボディスラム2万本です」
 「なにいーーっ!!?」
 野村「2万で足りるのか?」
 「なにーーっ!?」


 初心者として全日本プロレスに入門して以来
 受け身・ロープワークなどの地道な基礎練習を続けてきた野村
 その彼にとって
 ボディスラムの練習は楽しかった


 (くそ……あんなに腰が痛そうなのに、なんで渕さんはあんなにきれいに投げられるんだ……?)


 ……などということからもわかるように、今の全日本プロレスの主人公は、野村直矢なのであります。今回の両国大会で私が最も感じたことは、実はそれだったのです(うぅ……ということは、いつか、野村くんが「渕さんの栄光時代はいつだよ……世界ジュニア14連続防衛のときか? オレは今なんだよ!!」などと言う日もくるのだろうか……)。
 しかしほんとに真面目な話、今の野村は、小橋が最強タッグに初優勝した頃より少し前ぐらいの状態には、既に到達していますなあ。





11・27両国は「全日本プロレス:リバース」になりうるか?

 ここ数年のアメリカン・コミックスの二大出版社の動向を見るにつけ、歯がゆい思いを感じるとともに、奇妙な既視感をも覚え続けざるをえないのであった。……会社の規模という意味でも、その歴史という意味でも群を抜く二つの老舗という勢力図のはずが、いつの間にかその均衡が崩れ……マーヴル・コミックスが勢力を拡大する一方で、DCコミックスは停滞を続ける。そんなことがなぜ起きたのかと言えば、マーヴルがなりふりかまわず新たな路線を打ち出し、それまでヒーローコミックの購読層として大きい数を占めてはいなかった女性読者などの開拓に成功したからだ。
 もちろん、マーヴルが新規読者の拡大に成功したこと自体は、喜ばしいことだ。だがマーヴルは、新規読者の拡大に少しでも障害になりそうであるならば、従来の読者が思い入れを持つような対象、それなりに歴史的蓄積があるような対象をも次々に破壊し取り除き排除することをも、なりふりかまわず押し進めたのだ(一応念のために断っておくと、これはあくまでも全体的な編集方針の話なのであって、現場のスタッフがみんなそうだという話ではない)。
 DCコミックスが、現在の情勢に合わせて勢力を拡大する方法が何であるのかわかっていても、大胆にマーヴルに追随することが遂にできなかったのは、アメリカン・コミックスの世界で常に保守的な立場を取ってきた会社だったからであろう。それなりに歴史的経緯がある自社のコンテンツを、現在の商売の都合だけで排除することなどできない……これは、DCにおいては、コミック制作の現場上がりの職人的存在が何人も経営陣に名を連ねていることとも無縁ではないだろう。
 もちろん、二大出版社の勢力の均衡が崩れることなど過去に幾度もあったわけではあるが、マーヴルのなりふりかまわない方針によってその差が引き離され続ける中、もはやDCが盛り返す目などないように思えた……だが、今年になってDCが大々的に打ち出したのは、マーヴルとは全く異なるヴィジョンを立てることであったのだ。
 DCコミックスが新方針の中核に据えたコミック「DCユニヴァース:リバース」において宣言したのは、マーヴルとはむしろ正反対に、過去の歴史の中で積み上げられてきた遺産の全てを全肯定することなのであった。DCの方でも、現代の情勢に合わせて切り捨ててきてしまった要素を全て復活させ、歴史的経緯があるからこそ今があることこそを、DCコミックスがDCコミックスとして成り立つための最も重要な要素として最大限に敬意を表する……マーヴルが決して取ることのなかったこのような方針は、売り上げ的にも内容的にも大成功を収め、DCが一気に盛り返すことになったのであった(……そして、「DCユニヴァース:リバース」の仕掛け人にしてドラマ「フラッシュ」のプロデューサーである、我らDCファンの切り札であるジェフ・ジョンズは、遂に映画版をコントロールする権利を掌握し、来年の『ワンダーウーマン』では遂に脚本にも参加する! 本当の闘いはここからだ~!)。
 ……ここ数年間というもの、劣勢に立たされるDCコミックスの現状を苦々しく見つめながら、同時に、既視感にとらわれ続けてきたのは、もちろん、その構図が、日本のプロレス業界にもほとんど同じように当てはまることであったからだ。……そして、今にして思うのは、マーヴル・コミックスの「現代社会に合わせた成功の方法論」を完全に無視してDCコミックスが成功を収めたのならば、全日本プロレスに同じことができないはずはないということなのだ。


 ……というわけで、このブログにはプロレスそのものを単独で扱った文章はほとんどアップしてこなかったのですが、今回ばかりは……今回ばかりは……書かせていただきます! はっきり言っておきますが、私がこの文章を書くのは、ここ数年間というもの、存続そのものを危ぶまれるほどの危機的な状況にあった全日本プロレスが、起死回生のビッグマッチとして久々に進出する両国国技館に駆けつける観客を、一人でも増やしたいからなのであります!
 ……まあ、そうは言っても、今回のチケットの売り上げ状況を確認してみると、ここ数年の窮状を知る者にしてみれば衝撃的なまでの売れ行きを見せているわけで、そういう意味では、秋山社長が借金を抱えて路頭に迷うような、最悪の窮地は既に脱してはいるわけです。……しかし……しかし……今回の両国は……様々な偶然の状況が重なり合った結果、もはや宿命としか思えない必然に至り……四十年あまりの歴史がある全日本プロレスの過去を振り返り、一度でも思い入れを持ったことがある人間ならば、なんとしてでも駆けつけなければならない、そんな試合が、少なくとも二つは組まれているのです。もしそのことに気づいていない人がいるならば、一人でも多くの人に伝えておかなければ……


 その試合として挙げられるのは、まずは、アジアタッグ選手権だ。日本プロレス界の最古のベルトであり、力道山が保持したこともある……しかし、いつからか、若手や中堅のための登竜門的な位置づけとされることが多くなったアジアタッグ。現在保持しているのは青木篤志と佐藤光留なのだが……この二人、第九十九代王者なのである。そして、最後の防衛戦を終えたとき、青木篤志が次なる挑戦者として指名したのは……まさかまさかの、渕正信&大仁田厚組……!
 もちろん、この二人をチャンピオンの側が指名したこと自体は、あるはっきりとした意志の元になされた行動であるだろう。しかし、偶然と必然がどこまで絡み合っているのかわからなくなってしまい、そのことに気づいて私が動揺したのは……両国での決戦が行なわれる11月27日が、ハル薗田さんの命日の前日であることに気づいたときのことだった。
 もともと全日本プロレスとは、日本プロレス内でのTV中継関連の利権などで発生したもめ事を元に独立したジャイアント馬場が旗揚げした団体だ。とはいえ、その経緯から旗揚げの時点で日本TVのバックアップがついており、日本プロレスから移ってきた多くのレスラーを受け入れることにもなった。
 そういう意味では、旗揚げの段階でフレッシュさのようなものはなく日本プロレスの延長上にあるというのが全日本プロレスの実像だったのだろう。そして、そんな状況において、旗揚げ直後の全日本にあくまでも新弟子として入門した最初期の生え抜きにあたるのが、「三羽烏」などと称された渕正信と大仁田厚とハル薗田であったわけだ……(全日ファンであるにもかかわらずこのあたりの事情に関して疎いというような人は、必ず両国までに、渕さんの超・名著『我が愛しの20世紀全日本プロレス史』を読まねばならんのですよ!)。
 だが、この三人は、それぞれがそれぞれ、あまりにも異なる命運をたどることになったのであった。若くして飛行機事故で亡くなったハル薗田。膝の怪我によって全日本を引退したものの、デスマッチを売り物をしたFMWを旗揚げし、日本のプロレス界でインディー団体の草分けとなり、信じ難いまでの狂い咲きを見せた大仁田厚。そして、全日本プロレスの度重なる分裂騒動・離脱騒動・トラブルなどの全てを経てもなお残留し続け、旗揚げ当初から現在までを知るただ一人のレスラーとなった、渕正信……。
 もはや交わることなどなかったはずの、全日本プロレスの始まりを知る男たちの命運が、日本プロレス界の最古のベルトの第百代王座をかけて、奇跡的にもう一度だけ邂逅する……! こ、こんなことがありうるのか!?
 先述した『我が愛しの20世紀全日本プロレス史』において、渕さんが20世紀の全日本プロレスのベストバウトとして挙げていたのは、94年のハンセン・馬場対三沢・小橋なのであった。あの試合は、80年代に激闘を繰り広げたジャイアント馬場とスタン・ハンセンが恩讐を乗り越えてタッグを結成し、現役バリバリの三沢と小橋に挑んでいったのだが……まさか、当の渕さんが、同じような意味合いを持つ試合に挑むことになるとは……(とりあえずリンクを下に張っておくので、見てない人は見ましょう! ……しかし、この試合、リアルタイムで見てた当時は三沢と小橋の側の視点で見てたんだけど、改めて最近になって見直したときには、小橋のパワフルなショルダータックルでなぎ倒された馬場さんが、ひどく痛そうな様子を見せつつ、「しかし、この痛みが嬉しい」というような表情を見せていて、思わず泣きそうになりました……あと、小橋のムーンサルト食らってる時点で、もう、凄いですよ! と言うしかないと思いました)。


https://www.youtube.com/watch?v=GM5Q5Xc2Pqw
   


 私自身は、大仁田が川崎球場で大々的に実施したFMWでの引退試合に駆けつけたクチなので、今の大仁田にはモヤモヤするものがまだあるのも事実ではあるのだが……しかし、今度ばかりは、渕&大仁田組を全力で応援する……というか、今度ばかりはもうホントになんでもいいから、はぐれ全日本軍団を率いるカシンが「大仁田とは対立してたけど、よく考えたらあいつもはぐれ全日本だった!」とかいって乱入してアシストするとかのめちゃくちゃでもいいから、奪取しても防衛不可能で即日返上とか、リマッチ即奪回とかになってもいいから、とにかく、渕&大仁田で百代王座を奪取してくれ~!


 ……以上のようなことを書いてきたが、ここで勘違いして欲しくないのは、11・27両国は、断じて懐メロなどではないということだ。懐メロというものは、現在の状況がどのようなものであるのかにかかわらず、過去のよい思い出だけを追想することによって可能になるものだろう(一応ここで念のために付け加えておくと、現在の全日本プロレスが名称は引き継ぎつつも会社組織は移行していることを持ち出して、「今の全日本プロレスは全日本プロレスではない」などとこざかしいことをぬかす輩がいろいろなところで見受けられるので、ここではっきりと書いておく。この手の連中は、日本のプロレスのことを完全に全く何もわかっていない。全日本プロレスの本質とは何か? ――それは、PWFなのである。興行組織としての会社が変化していても、実は、「PWFが認定するタイトルを運営する」という意味での連続性は、きちんと保持されているのだ。全日本プロレスの社禝は、PWFなんじゃあ!)。
 過去の出来事をふまえて現在につなげるためには、それがどれほど悲惨でありネガティヴであり目を背けたいことであろうとも、その全てをひっくるめて引き受けることしか始めるしかない。そして、現在を開拓して未来への道を切り開くためには、何らかの形で過去と対峙するしかない。
 そのような意味では――全日本プロレスが積み上げた歴史に対して、異なる形で責任を果たす異なる世代の二人が、それぞれが積み上げた価値観に決着をつけるために闘わなければならない――そんな今後の全日本プロレスの分岐点としての意味を持つ試合が行なわれるのは、「ジャンボ鶴田対三沢光晴」の一戦以来のことであろう。……すなわち、それこそが、宮原健斗対諏訪魔の三冠戦なのである。


 諏訪魔とは、全日本プロレスの負の遺産を全て背負い込んだ男だ。
 ……そもそもの話として、諏訪魔による一つの決断がなければ、三年前の時点で「全日本プロレス」という団体自体がこの世から消滅しているはずなのであった。……要は、当時全日本プロレスの経営に携わった白石オーナーが、プロレス業内を内部から見て納得のいかない部分を暴露しまくるという掟破りを敢行し、業界中からそっぽを向かれ、所属選手・スタッフは次々に離脱、団体の存続すら危ぶまれる状況で、エースである諏訪魔がいち早く残留を宣言したのであった。
 あの当時の私の印象としては……白石オーナーの言動を指示するわけでは全くないが、しかし、この年代の人からこういうことを言う人が出てくるのはわかる、というものだった。と言うのも、白石オーナーは、もともとは新日ファンだったわけだ。昔から新日本プロレスの選手・スタッフ・関係者一同が口をそろえて「全日本は弱いが新日本は強い」「全日本は練習しないが新日本は練習する」などと延々延々延々延々言い続けてきたわけで、遠巻きに眺めている程度の軽めのファンがそれを真に受けたまま業界のバックステージに入り込んだら、実態があまりにも自分の聞いてきたこととかけ離れすぎているのに怒り狂って暴れ出したということなのだから、私なんかにしてみれば「そりゃ暴れるわな」と思ったのだ。
 だいたい、あのころ大変なスキャンダルをもたらした白石騒動だったが、新日本のトップレスラーが堂々と諏訪魔とやり合ってボコボコにすれば白石オーナーが完全に黙り込んで一瞬で騒動が終結していたことは間違いなかったのだ。新日本が何十年もの間全日本に対して投げつけ続けてきた誹謗中傷の類に落とし前をつけ、自分たちの言ってきたことが嘘ではなかったことを示すのであればそうするほかなかったはずなのだから、過去の全てをなかったことにし目を背け何の責任もとらないのであれば、少なくとも、もはや新日本プロレスは「新日本プロレス」という団体名を掲げるべきではないと私は思う。
 つまり、私としては、白石騒動というのは「新日がなかったことにして切り捨てた昔のファンの残党の怨念が引き起こしたもの」という認識なのだが、なぜそれを全日が食らわなければなかったのだろうか……


 スキャンダルの渦中にあり、現在の業界中から見捨てられ、「今のレスラー」からも「今のファン」からも「今のマスコミ」からもほとんど支持を得られなかろうとも、それでも躊躇なく全日本への残留を諏訪魔が決断できたのは、過去の歩みゆえに今があるという強烈な意識を持っていたからだろう。……自分が子供の頃から見てきたプロレスというものに照らし合わせてみれば自分のファイトが間違っているとは思えないし、全日本プロレスとはそれが披露できる場所のはずだ。諏訪魔には、そんなブレない信念があるはずだが、その信念の強さこそが、「今の日本のプロレス業界」のトレンドとの折り合いのつかなさとして表れてしまうことにもなった。
 結果として、スキャンダルを経てもなお全日本プロレスを見る、言い換えれば、昔からのプロレスを知る観客からは支持を得ながらも、その絶対数はじりじりと経るばかり……という、負のスパイラルに落ち込んでいくことになったのであった。
 そんな、諏訪魔と「今の日本のプロレス業界」とのズレが最悪の形で露呈してしまったのが、昨年の両国国技館で開催された天龍源一郎の引退試合なのであった。80年代の全日本プロレスを牽引しつつも、結果として円満とは言えない形で去った天龍の引退試合に、現在の全日本プロレスのエースであり団体を存続させた張本人である諏訪魔が駆けつける。……ただこれだけのことでも、諏訪魔は既に手放しで賞賛されてしかるべきはずだ。しかし、この日の観客に、諏訪魔に対する敬意は微塵もなかった。
 天龍自身の希望によって諏訪魔と対戦することになったのは、アントニオ猪木の秘蔵っ子であり、新日本が方針を転換していなければ今でもその中枢にいたかもしれない、藤田和之である。……そして、この両者の対決に、この日の観客は盛大な罵声を浴びせかけた……なぜなら、両者が、オーソドックスな定石通りにロックアップしてから始める小綺麗にまとまって案客も程良く楽しめる、「ありがちなプロレスのお約束」に従わなかったからだ。
 両者のファイトスタイルとこの日までの経緯を知っていれば、そんな風になる試合ではないことは当たり前のことだ(……というか、この日の諏訪魔が披露したのはモロに「80年代の全日本プロレス」以外の何ものでもなかったのだから、天龍引退の日にそれをやる諏訪魔はむしろ正しい)。
 天龍源一郎という希代のレスラーが積み上げてきた過去の歩みに敬意を払うための興行の日に、なぜ、「今の観客の嗜好」を無視して過去のために闘う者が罵声を浴びせられなければならないのか。諏訪魔にしろ藤田にせよ、日本のプロレスの歴史が存続するために既に大きな功績を残している男たちなのであるが、なぜ最低限の経緯すら持たない者が、恥ずかしげもなくこんな場にいられるのか。
 だいたい、この日の興行は、諏訪魔と藤田が登場する以前から、私としては違和感ばかりが募るものなのであった。……リングから遠ざかっていた北原が天龍引退に合わせて姿を見せ、いいコンディションを整えてきた上でWARスペシャルまで繰り出しているのにたいして反応もせず、「ライガーのロメロスペシャル」やら「越中のヒップアタック」やら、「TVで見たことのある有名なムーヴ」を見たときにだけ、流れなど関係なく突然歓声を上げるクソども。休憩時間のBGMとして突如として「王者の魂」が流れた瞬間に私は動揺してしまったのだが、全く何の反応も示さないクソども。入れ込みすぎて興奮した結果、教科書通りのロックアップから試合を始めない諏訪魔と藤田に罵声を浴びせる一方で、その後レジェンドとして登場したスタン・ハンセンには声援を送るクソども。……ハンセンの試合なんて「そんなんばっか」だったんだから、ハンセンにも罵声を浴びせるんでなけりゃあ、テメーらのやってることの筋は通らんだろうが!
 だいたい、日本のプロレスの過去の歩みを本気で尊重する気があるなら、秋山と大森がシングルで闘う時には必ず会場に駆けつけろ! そして、秋山が初めてエクスプロイダーを公開した、あのあすなろ杯決勝を思い出して涙を流せ!
 過去を踏まえて今があるのではなくて、今のトレンド、今すぐに何となくその場で楽しめるノリが先にあって、過去の歴史は、現在から見て都合のいいところだけを切り張りし捏造する。それが「今の日本のプロレス業界」のトレンドなら、もうそんなもんはどうでもいい! 全日だけギリギリ存続すればいい! むしろWWEはプロレスの本質はリスペクトしてきちんと継承しようとしてるんだから、WWEが日本侵攻してくれて全然かまわない! ジョニーさん、全日だけは勘弁してそれ以外は全部滅ぼしてくれ~! ……などと、全日原理主義者じみた態度に染まっていってしまったのが、昨年の私なのであった。
 まあそれはともかく、「今の日本のプロレス」との折り合いのつかなさが極限にまで表れてしまったのが、昨年の諏訪魔なのであった。年が明けるとともに三冠王座を奪回し、ここからどんなスタンスで自分のプロレスを見せていくのか……と思いきや、その三冠戦の終盤でアキレス腱を完全断裂したまま戦い抜いていたことが発覚。王座を返上し、諏訪魔は長期欠場に入る……。


 全日本プロレスが混迷を極め、迷走し、リング外では暗く気が沈むニュースしかなかったこの三年間というもの、未来へとつながる希望の光をまばゆいまでに放ち続けたのは、宮原健斗という男なのであった。
 ある一時期からの宮原の試合を継続して見続け、驚き続けてきたのは――それは、「人は、これほどの短期間でここまで急速に成長できるものなのか……」ということなのであった。
 正面から闘えば自分にはまだまだ歯が立たない宮原を明確に格下と見なしていなしてきた諏訪魔、先輩であり同時にタッグパートナーとして、自分自身は凄まじい試合をやってのけながらも宮原を意識的に導き成長させてきたとは言い難い潮崎……そんな中、歳を取り体力も衰え、分裂騒動後の選手層も手薄な状況では第二試合や第三試合に出場することもたびたびで、しかし全力でのファイトを見せ続けてきた……そんな秋山と大森が、どう考えてもまだまだ青く未熟な宮原の成長のために体を張りまくる姿を見るにつけ、胸にこみ上げるものをおさえられなかったのだ。
 もはや自分の役割を隠そうともせず、「お前が今のままじゃあ、全日本に未来はねえなあ!」などと叫びながら宮原をボコボコにしていた秋山の姿は、ほんの数年前のことのはずなのにはるか昔のことのように思えて、思い出すだけで目頭が熱くなってくる……。
 そして、信じ難いまでに急速にして、信じ難いまでに高度な成長を遂げた宮原が完全にトップレスラーになり、その日のメインの勝者として興行を締めることも多くなったとき……そのときに断固として選んだのは、その日の興行に足を運んだ観客には、絶対にハッピーで楽しい気分にしかさせない、ということだったのだ。
 全日本プロレスのここ数年の状況を知らない人間が見れば、宮原は単に楽天的で何も考えていない人間のように見えるかもしれない。しかし、いつもいつも暗く気が沈むニュースにしか接する機会がなく、試合そのものは優れたものを見ることができた日でさえ、未来への不安を抱えながら帰路に就く……そんな経験だけを重ねてきた全日ファンに対して、「絶対に明るく楽しい思いしかさせない」と決断することは、プロとしての自分への覚悟と揺るぎない自信がなくして、できないことだろう。……というか、少なくとも私自身の場合、この先全日が潰れるのであろうと、何があろうとも最期は絶対に看取るという思いだけを抱え、全日原理主義者として憎悪と怨念に凝り固まりつつあった淀んだ心は、宮原によって救われたんだよ。
 ……自分の言動が観客にどう見え、どのような影響を与えるのかを徹底して考え抜いたであろう宮原の最大の変化は、完璧なまでに緩急の変化を身につけたことであろう。若いながらも、三冠王者として貫禄たっぷりにゆっくりとアピールしつつ入場し、ひとたびリングインするや、あっという間にコーナーポストに立って見得を切ってみせる。この緩急によって観客の視線を自在に操ってみせ……そして、誰でも使うような技であったはずのシャットダウン式ジャーマン・スープレックスも、静止して溜めてから高速で反り投げるまでの緩急によって観客の視線を釘付けにし、見事、金の取れるフィニッシャーにまで昇華させた。
 宮原健斗の三冠王者としての防衛記録が伸びれば延びるほど、それに合わせて全日本プロレスも勢いを取り戻してきたのである。



 ……そして、そんな二人が闘うのである。
 本来なら後楽園ホールで決着をつけるはずだった諏訪魔と宮原の三冠戦は、諏訪魔の欠場・王座返上によって流れ、宮原が王座に就くことになった。
 怪我も回復に向かい、久々に全日本プロレスの会場に姿を見せた諏訪魔が、ファンに向けての挨拶で述べた言葉は、「今の全日本プロレスへの挑戦」という謙虚な言葉だった。……もはや、諏訪魔は、宮原によって全日本プロレスの景色が変わったことを認め、その前提で戦線に復帰するというのだ。
 正直なところ、私自身は……アキレス腱断裂で欠場する以前の段階で既に、諏訪魔もさすがに体力も衰え、もう以前のような闘いはできなくなっているのではないかと思っていたのだ。
 分裂騒動の直後の諏訪魔が、全日ファンの内部では求心力を失わなかったのは、潮崎との間で凄まじい激闘をやってのけたからだ。しかし、潮崎が全日を退団してからというもの、諏訪魔にそれほどの激闘はなく……むしろ、私が思う「全日本プロレス」そのものを体現していたのは、諏訪魔ではなく、諏訪魔のタッグパートナーたるジョー・ドーリングなのであった。
 宮原もそうなのだが、それ以前の段階で、ジョーのここ数年の覚醒ぶりは、本当に目を見張るものがあった。それはもはや、スタン・ハンセンや
ブルーザー・ブロディやスティーヴ・ウィリアムスなど、全日本プロレスの歴史を彩ってきた怪物外国人たちと同等の域にまで達しているとしか思えなかったのだ。
 現在のプロレスではもはやつなぎ技としてしかほとんど使われない、クロスボディやスパインバスターの一撃でこれほどまでに血湧き肉踊るなどという経験をするなどとは、思ってもみなかった。……ジョーの試合を見るたびに、「ああ……オレンジ時代の小橋と闘わせてぇ~……」などと思い、そのカードは、私の頭の中での「あらゆる歴史を超越した全能の能力を手にしたら実現させるカード・統一ランキング」の第二位にまで浮上するに至ったのだ!(……ちなみに、不動の一位は「小橋健太対ブルーザー・ブロディ」であります……)
 しかし……ジョー・ドーリングは左足の怪我によって長期欠場。ようやく復帰のめどが立ったと思いきや、土壇場で脳腫瘍が発覚、という悲劇に見舞われる……。
 もちろん、ジョーの欠場を、諏訪魔が心苦しく思っていないわけがない。しかしその一方で、ジョーの欠場以来の諏訪魔のファイトが、ジョーを失った全日ファンの欠落感を埋めるものであったとも思えない。


 だから、さる九月の品川大会、王道トーナメントの一回戦、もちろんノンタイトルでの諏訪魔と宮原のシングルマッチに、期待のみならず不安の気持ちもない混ぜになっていたことは否定できないのだ。だが、そこで見たものは……それは、「今の全日本プロレスへの挑戦」と述べた諏訪魔の言葉、その言葉の答えだった。
 そこにあったのは、序盤から、凄まじいパワーで宮原を圧倒しまくる諏訪魔の姿だったのだ。……そう、諏訪魔は、プロレスを生業にしているにもかかわらず他のレスラーをぶっこわしてしまう、だから、相手が自分の力を受け止めきれることを確認できなければ、全力を出すことのない男だったのだ。その躊躇いこそが、諏訪魔をして熱戦と凡戦の両方を生ませることにもなっていたのだが……その底力は、いまだ健在であったのだ。
 諏訪魔は、今の宮原が、自分の方から挑戦すべき相手であると認めたからこそ、序盤からフルスロットルだったのだろう。「今の宮原」がたどり着いた高みを知っているからこそ、その宮原をなす術もないままに追い込んでいく諏訪魔の圧倒的な怪物ぶりを、改めて思い知らされることになった。……そして、激闘の末に、宮原を叩きのめした諏訪魔がフィニッシャーに選んだのは……ジョー・ドーリングの技である、レボリューション・ボムだった……。
 ……この試合は、諏訪魔のいいところが全部出た試合だった。だがこれはあくまでもノンタイトルであり、これに続くトーナメントの初戦に過ぎなかったのも事実である。……つまり、三冠王座をかけたタイトルマッチでは、まだまだこれ以上の、こちらが言葉を失うまでの死闘を見せてくれるはず!


 ……かくして、全日本プロレスの過去を背負う男と、未来を担う男とが決着をつける。……正直なところ、私人の気持ちを言えば、どちらにも勝って欲しいし、どちらの負けるところも見たくない(……しかし、今度ばかりは、「カクトウギのテーマ」は聞きたくない)。にもかかわらず、ここで決着をつけなければ、全日本プロレスは先には進まない(しかし……これほどの大会場での三冠戦は本当に久しぶりなのだから、選手入場前に一回全部照明を落としての、アレをやってくれねえかなあ……両国の設備だと難しいのかなあ……でもやってくれねえかなあ……頼みますよ木原さん……)。
 だが、これだけは言っておかなければならないのは……それは、諏訪魔が勝てば未来が閉ざされるのではないし、宮原が勝てば過去が消されるわけでもないということだ。少なくとも、宮原は、過去と対峙することなしには、未来へと進むことを許されてはいないのだ。過去を背負う男と未来を担う男の両者が闘わなければ今が築けないということにこそ、全日本プロレスという場所の本質がある。……つまり、この場所では、過去への追想に身を委ねる者と、未来に向けて思いを寄せる者との、どちらもが、そこにいていいのだ。
 だから、我々は、この三年間がどれほど醜悪で迷走を重ね忘れたいものであったとしても、それを「暗黒時代」などと呼ぶことはないだろう。道場からアントニオ猪木の肖像を撤去するのに類するようなことは、決してなされないだろう。……少なくとも私は、例えばシングルマッチなら、分裂騒動直後での大田区体育館での、三本のベルトのままで最後にかけられた三冠戦、諏訪魔対潮崎や、2015年の年頭に後楽園ホールであったドーリング対潮崎の三冠戦を、生涯忘れることはないだろう。
 しかし、だからこそ、宮原と諏訪魔にはそれを上書きしてもらわなければならないのだ。両者の死闘が、そこまでの域に達したとき――過去への思いと未来への思いとが複雑に交錯していたはずが、リングの中で形成されている「今」、今その場所にある熱気が生み出す興奮のるつぼが、観客の思いを融解させ「今」への思いだけへと飲み尽くすとき――そのときこそが、全日本プロレスが再生するときなのだ。









「小橋建太引退記念試合」を観戦して

 その日、おれは九段下にいた。
 地下鉄の九段下駅で降りて地上への長い階段を上り、緩やかなスロープの坂を登り、田安門をくぐり抜けると、北の丸公園に入る。だがその日は、地上に出てから田安門までの勾配がぎっしりと人で埋め尽くされ、ごくゆっくりとした足取りでしか進むことはできなかった。
 折悪しく雨が降りそぼり、視界は隈なく色とりどりの傘で埋め尽くされ、身動きもできない窮屈な状態を長時間に渡って強いられた。しかしその場を埋め尽くす人々には、いらついたり愚痴を言ったりする気配もなく、また大声で話すような者もあまり見あたらなかった。多くの人々が、ただじっと息をひそめ、ゆっくりとではあるものの一歩一歩坂を上り、北の丸公園を目指していた。
 以前、おれが誰かに聞いたところによると……北の丸公園を含む皇居は、かつては、もちろん江戸城だった。だから、城を攻撃されたときの防御のために、そもそも大人数が短時間で一気に入ることはできないように作られているのだという。
 なるほど、大人数が北の丸公園に入るときも、逆に出るときも、田安門の前までが混雑して人があふれ、門を過ぎると一気に人が流れる。もしこれが攻城戦なら、ここでもたついている内に一網打尽にしとめられる……ということか。
 北の丸公園を入ってすぐのところには、日本武道館がある。
 2013年5月11日。……今日という日に、そこで、プロレスラー・小橋建太の引退試合が開催されるのだった。……既に、興業が開始する時刻は刻一刻と近づいていた。北の丸公園に入ること自体に手間取り、前座の第一試合に間に合うかどうかも覚束ないような時刻になりつつあった。あとからわかったのだが、田安門の周囲は工事中で道が狭くなっており、人の混雑にいつも以上に拍車がかかっていたのだった。
 おれは、自分の迂闊さに半ば呆れていた。一昔前であれば、おれは、都内でプロレスが開催されるようなあらゆる会場、また東京近郊の主要な会場に関して、会場内の構造・会場までの交通事情・会場周辺の環境に至るまで完璧な知識を持ち、各会場にとって費用対効果が最適の座席を確保する術を身につけていたはずだ。……だから、日本武道館が満員になるような興業では、時間がある限りはギリギリに会場に入るようなことをせず、田安門までの混雑を回避し、早めに北の丸公園に入ってのんびり過ごしたりしていたのだ。
 しかし、自分の身の回りが忙しくなり生活に追われるのに連れて、あまり会場には行かなくなり、後から映像でチェックするだけですますようになってきていたのだった。
 自分の体からプロレスの会場に行く感覚が失われていたことを実感しながら……しかし、それでもなお、今日という日は何をおいても会場へ駆けつけざるをえなかった。
 およそ二十年間に渡って、おれは小橋の試合を見続けてきた。小橋が生きるのと同じ時代を生き、そして何かを共有しているのだという意識が、常におれの内部のどこかにあり、確かにおれという人間を形成するものの一つとなっていた。
 だから、小橋が最後にリングを後にするときには、自分にとってのけじめともして、おれはその場にいてその光景を見届けなければならない。
 相変わらず混雑したままの人混みの中でそんなことを考えていると、ふと、興業の開始に間に合わないかもしれないなどということは、どうでもよくなってきた。
 今日のおれは、自分が何かを楽しみにきたんじゃなかった。ただ、小橋が無事にリングから降りるところを見届けること。……いや、正確には、もう一つだけ、自分の目で確認しておかなければならないことがあった。
 ……果たして、あの男はやって来るのか。


 プロレスラーの「引退」というものほど、信憑性の低い言葉もあまりない。リングの上で注目を浴びる特別な瞬間が忘れられなくて……淡々と続く、息の詰まる日常生活に耐えられなくて……引退後の生活に困って、純粋に金銭的な問題で……様々な理由で、はっきりと引退を宣言したはずのレスラーが、性懲りもなくリングに戻ってくる。
 だがおれは、そんなプロレスやその周囲のいい加減さを単純に否定してしまうつもりはない。ほんの少しでも弱みを見せてしまえば次から次へと揚げ足を取ったり嘲笑したりする輩に満ち満ちているこの世の中で、みっともない姿や浅ましい姿をぶざまにさらけ出してもいい場所があってもいいではないかと思うからだ。
 ただ……小橋の引退は、そのような引退とはわけが違うのだということは強調しておかなければならない。単純に言っても、肉体に蓄積しているダメージが尋常なものではない。
 自分の将来のことなど考えずに目の前の一つ一つの試合に全力を出し尽くし、結果として肩を壊してしまい、プロになれなかった甲子園球児……そんな話は、まれに耳にする。言ってみれば、小橋という男は、そんな甲子園球児のような態度を二十五年間に渡って頑固に貫き続けたようなものなのだ。
 もう闘えない。いつ全身が砕け散ってもおかしくない。……正直に言って、ここ数年間というもの、おれは小橋には一日でも早く引退してもらいたいと常に思っていた。肉体への負荷を可能な限り小さく留めて、万が一の事態に至る前に第二の人生につなげ、長く幸せに過ごして欲しいと願ってやまなかった。
 今となっては有名な話だが……1997年、大阪で三沢光晴との三冠戦に臨む前日、小橋は母親に電話をかけ、おれが死んでも三沢さんを恨まないでくれ、と告げたという。
 試合前の煽りに使われた話題ではなく、試合からしばらくたって、事後的に漏れ伝わってきた話だったと記憶している。それより何より、こういうことを言うときの小橋は、冗談でも何でもなく、大まじめに発言しているのが常だ。
 全身全霊をプロレスにかけリングに捧げた小橋という男は、自分がリング上で死んでも構わないと思っていた。……しかし、十年以上の時が流れたとき、リングで命を落としたのは三沢の方だった。
 そのとき、小橋は言葉を失った。いかなるコメントを発することもできなかった。……一方で、その出来事の周囲では、当事者ではない者たちの野次馬根性に基づいた言葉が大量に発せられてメディア上を賑わせていた。
 おれの目に入った限りでも、トップレスラーがリング上で死ねたのだから本望だろう……というような趣旨の言葉がいくつもあった。
 そんなわけがあるか。死んで本望なはずがねえだろう。改めてここに書いておくが、いけしゃあしゃあとそんな言葉を口にできる連中は、全員クソ食らえだ。
 そもそも、三沢は、長く現役を続けることにこだわったレスラーというわけでは全くなかった。三沢の全盛期、細かく試合を見続けているファンでさえ、その驚異的な身体能力に息を呑んでいたあのころ……自分に納得のいく動きができなくなったらすぐに引退するのだと、三沢は公言していた。
 だが、プロレス団体の経営者をも兼ねることになった三沢は、興業上の必要から、レスラーとしての三沢という商品を失うわけにいかなかった。多忙ゆえに満足にコンディションを整えることすらできなくても、その状態は続いた。レスラーとしての三沢と経営者としての三沢、それぞれの願いは矛盾した。三沢の悲劇はそこにある。
 そのような現実があるのにもかかわらず、人は、トップレスラーがリングで死ねたのだから本望なのだという戯れ言をいともたやすく口にできる。それは、美しくきれいに完結した、わかりやすい物語だ。だからこそ、その物語はその言葉を発する人間自身にとってこそ心地よく、負荷がかからず、複雑な現実を簡単に処理して、容易に忘却できる安全なものへと変える。
 だがそれは、語られた側の現実を見る限り、卑劣な欺瞞でしかない。語る側の快適さのゆえに自分以外の何者かを踏みにじることを、他の誰が何と言おうとも、少なくともおれは許さない。
 だが……それと同時に、今にして思う。もし仮に、三沢の身に事故など起こらず、何事もなく過ぎていたとしたら。そのまま時が過ぎていたとしたら……いつの日か、リングで命を落とすことになっていたのは、他ならぬ小橋だったのではないか?
 そして、もしも小橋がリング上で死んでいたのならば、「トップレスラーがリング上で死んで本望だったろう」という物語は、嘘だとは言い切れなくなっていただろう。
 おれは確信している。……三沢が死んだ後のいずれかの時点で、小橋がこのことを考えなかったはずがないのだ。
 だからこそ、小橋は引退するのだ。死なないために、生き続けるために。身も心も捧げてただひたすらプロレスのことを考えていさえすればよかった、自分にとって最も心地よく完結した世界から己の身を強引に引き剥がし、またゼロから自分の人生を生き直し始めるために……


 ようやくにして田安門を抜けると、予想通りすいすいと歩けるような開けた状態になったとは言え……それでもなお、武道館の周囲には大変な混雑があった。
 少なくともパンフレットぐらいは買っておこうと思ったのだが、グッズを買うためだけにも長蛇の列ができている。なんとか試合開始には間に合う時間だったこともあり、すぐに館内に入ることにした。
 武道館の中は、全体として八角形をなしている。しかし、内部にいる体感としては、円筒形の空間の内部にいるような感覚がする。スタンド席が急な傾斜で内部に下っていき、円筒の底、その中央にリングがある。いざ興業が始まれば、リングの周囲のアリーナ席に座っているのでない限り、観客は傾斜の斜面から底を見下ろすことになる。だから、一階と二階のスタンド席に座る観客たちの目の前にあるのは、実は、リングの上にある中空である。
 おれが二階のスタンド席に自分の席を見つけると、もうすぐに興業が始まるところだった。と言っても、すぐに試合が始まるのではなく、開会宣言がされるのらしい。……ふと気がつくと、選手が入場してくる花道のところで、全身を松葉杖で支えながら必死に歩いて出てきている、マスクをかぶった男の姿がある。
 ハヤブサだった。……もうだいぶ昔、大仁田厚が「引退」した後のFMWで、まだ十分なキャリアもないままにエースとしての重責を担わざるをえなくなった男。集客能力の大幅な低下によって団体の存続すら危ぶまれる中、後楽園ホールで開催された興業のメインでは観客を熱狂の渦に叩き込んだあの日のことがありありと思い出された。
 そんなハヤブサが、突如として小橋との対戦の希望を表明したときには、唐突な印象を受けたものだ。何しろ、ハヤブサと小橋にはそれまで接点はなかった。だがそれ以上に、デスマッチを売りとするインディー団体のFMWの選手が全日本プロレスに上がることにゴーサインが出ることの方が、もっと意外だった。
 全日マットに何度も上がり、また、小橋をFMWの川崎球場でのビッグマッチに招聘することにまで成功したハヤブサ。今にして思えば、ジャイアント馬場さんにしてみれば、大仁田は家を出ていった放蕩息子のようなもので……だからハヤブサは、大きく育った後で初めて会った孫のようなものだったのかもしれない。
 だが、ある日突如として、ハヤブサのキャリアは絶たれた。試合中の大事故により、一命は取り留めたものの、立ち上がることすらままならない傷害を負った。
 そのハヤブサが、今、何とか自分の力で立ち、ゆっくりとではあるが、一歩一歩、必死に歩いている。
 小橋とハヤブサの間には、それほどまでに深い交流があったわけではない。だが小橋は、この興業の開始を宣言する役目を、わざわざハヤブサに託したのだ。その意味することを思い、おれの内には、既に何かがこみ上げて胸がいっぱいになりつつあった。


 第一試合は、小橋にとってすら先輩である、長い長いキャリアを持つ渕正信が、数ヶ月前にデビューしたばかりの新人・熊野と戦うシングルマッチだった。
 もちろん、若い方が体力があるに決まっている……しかし、リングの上での体の動かし方を知らずまだ体もできていない若手が、ベテランにいいようにいたぶられて、最後はキレも説得力もある大技一発で終わる(正確に言うと、この試合では大技は二発だったのだが)。……まさに、「これぞ全日本プロレスの第一試合!」と言いたくなるような試合だった。
 ぺーぺーの新人であれば、まだ、プロレスラーにはなりきらずに一般人との狭間にいるようなものだ。そのような選手にとって、一発の大技がどれくらいの重みを持つのかが示された上で、その日の興業がスタートし、徐々に華やかな試合に移っていく……。
 後日知ったのだが……小橋自身が直接渕に出場の交渉をすることによって、この試合が組まれたのだという。つまり、ここには、この日の興業全体をどのようにして組み上げるのかという、小橋の強い意志が働いている。
 興業を全体として俯瞰し構成する広い視野が小橋にあることが感じられた。そして、小橋のそのような側面は、ほとんど知られていないであろうこともまた、改めて感じられた。
 90年代の全日本プロレスは、怪物的な強さを誇ったジャンボ鶴田が肝炎を患ってセミリタイアしてからというもの……三沢・川田・田上・小橋が四天王と呼ばれてしのぎを削る時代に突入した。
 おれの考えでは、この頃は、全日本プロレスというものにとことん付き合って内側から見るファンと、距離を置いて外から見る人々とのギャップが広がっていった時期であったように思う。年に六回か七回開催される日本武道館大会は、いずれも超満員でぎっしりと席が埋まる。一方で、TV中継の視聴率はふるわず、深夜の深い時間帯に追いやられ、また一時間枠が三十分へと短縮された時期でもあった。
 純粋に試合内容を見れば、この時期こそが最も充実していた。だが、試合中継は三十分と言っても、CMやら何やらで時間がさっ引かれ、実際に試合が写っている時間はせいぜい二十分程度。そして、一試合が三十分や四十分、下手をすると六十分フルタイムドローの激闘が、その短い枠に押し込まれる。
 したがって、TV中継を見るだけならば、そこにあるのは、編集されて無理矢理短い枠に押し込まれた、不充分な形に変質した試合でしかなかった。しかし、全日に付き合っているわけではないが、なぜかその高い会場人気を否定したがる人々は、そんな不充分なTV中継だけを見て、要するにこいつらは大技を延々連発しているだけ、などという的外れな非難(とうか難癖)をしばしば投げかけた(そのような言辞を弄した者の中には、新日本プロレスの田中リングアナのような業界関係者も含まれる。また、全日のリングは異様に柔らかい、などという根拠のないデマを流す輩も多数いたことをよく覚えている)。
 実際に全日の興業を会場で通して見れば、全体として一つ一つの試合にきちんと意味があることは、すぐにわかる。既に書いたように、第一試合では、まだ体のできていない半人前の新人にとってはたった一つの大技であっても厳しい試練になってしまうことが示される。その上で、徐々に興業が展開し、そういった大技を駆使するメインイベンターたちは新人とは体の厚みや説得力がまるで違うことが、誰の目にも一目でわかる。
 そのような一つ一つの興業が全国各地を巡業する中で繰り広げられ、日本武道館で開催されるようなビッグマッチに最後にたどり着く。そして、タイトルがかけられるようなメインイベントでは、どれだけ大技が投入されても決定打とならず、長時間に及ぶ死闘が繰り広げられる……それまで巡業全体で展開されてきた流れがあるからこそ、「これだけやっても試合は決まらない」ということに説得力が生まれるわけだ。
 そして、そんなビッグマッチだけを不完全なTV中継で見て、「こいつらはポンポン派手な大技を出してるだけ」、ゆえにこれに熱狂しているファンはバカだしこんなものを真面目に見る必要はない、などと断定する輩が現れるわけだ。
 おれが思うに……何もプロレスに限った話ではなく、これこそが、自称・情報強者の実態ではなかろうか。素早く大量に情報を貯えることを望む者は、一つ一つの情報の精度を検証することがおろそかになる。そして、大量に処理することが可能なような情報は、えてして省略されすぎており、解像度が低く、へたをしたら実像からかけ離れたものになってしまってすらいる。
 そして、当時の全日本プロレスは(……いや、実は「今も」なんだが)、わかりやすくその魅力が「情報」として幅広く流通しやすいような体制ではなかった。
 ……というか、はっきりと書いてしまえば、外から情報を通して見かけ上の価値を測定しようとするような層に魅力を訴えかけるような姿勢は、ハナっから放棄されていた。ただ、実際に会場に足を運んだ観客には全力で満足して帰ってもらう姿勢が貫かれた。
 だから、あのころのおれは、時を追うごとに、会場へ赴く頻度が増えていった。後楽園ホールと日本武道館の興業には必ず行っていたのが、いつの間にか東京近郊であればちょっと遠出してでも行くようになり、やがては栃木あたりでも電車を乗り継いで行くのが普通になっていた。
 ちょうど学生にとって春休みにあたる時期には、総当たりのリーグ戦であるチャンピオン・カーニバルが開催される。これは、全日ファンにとっては非常に悩ましいシリーズだった。全ての会場で公式戦が実施されるが、当然、TV中継も入らない会場の方が多い。……だから、ある年のおれは、そろそろ小橋が三沢から初勝利を挙げてしまうのではないか……という深刻にして重大な悩みにとらわれた。それをおれが直接目の当たりにできないことはおろか、映像ですら残らないかもしれない。そんな、やむにやまれない衝迫にとりつかれたおれは、春休みを利用して、名古屋にまで三沢vs小橋を見に行ったのだった(正確には、その数日前から長岡と福井での巡業も見に行き、その足で愛知に赴いた)。……結局、この年に小橋の三沢越えが実現することはなかった……が、この悩みは、地方までは行けなかった翌年の長岡で現実化してしまうのだった……(しかしまあ、名古屋では、三沢がめったに出さない秘技であるダイビング・ネックブリーカードロップが見れたので、それはそれでよかった)。


 それだけ、当時の全日は、地方の小会場であろうがなんだろうが、一つ一つの興業が充実していた。顔見せだけのような手抜きの興業などというものはなく、見れば見るほど、もっと見たいという気持ちが募った。
 どのレスラーも、常に全力で緊張感を持って試合を繰り広げていた。……しかし小橋は、いつ見ても、むしろ「今日は小橋にとって何か特別な日なのか!?」と疑うくらいのテンションで出てくる。東京ドームであろうが、その百分の一しか観客がいないような小会場であろうが、小橋の姿勢は、本当に全くブレない。
 いつでもどこでも手抜きをせずに全力ファイト……などというのは、言うだけならば本当に簡単だ。しかし、言うことと実際にやることとの間にこれほど落差のある言葉も珍しい。
 今でも忘れられない、小橋の試合がある。それはビッグマッチでもなんでもなく、地方巡業中に行なわれた何気ない試合だ。だから、当日会場で見ていた数百人以外には、覚えている人もほとんどいないだろう。
 舞台となったのは、ユニー座間店駐車場特設会場。用は、スーパーの駐車場に急拵えで作られた会場だ。会場の周囲はブルーシートで覆われている。時刻は、徐々に陽も落ちてオレンジ色の夕焼けに包まれつつあるようなころ。ドサ回り感丸出しの、あまりにものどかなあたりの雰囲気。そして、ふと気がついて、向こう側に選手の控え室があるであろうあたりのブルーシートに目をやると、雲一つない夕焼け空を背景に、シートの上ににょきっと突き出している何かがある。田上明の頭である。会場の中を覗いて自分以外の試合を観戦しているんだろうが、どうも、熱心に研究しているような気配は微塵も感じられない。むしろ、暇つぶしといった風情である。そして、その光景があまりにもシュール過ぎて、こちらとしても観戦に集中できない……。
 そんな緩い空気の中、陽もとっぷりと暮れた頃に、小橋の試合があった。ジャイアント・キマラ(二代目)とのシングルマッチである。身長自体は小橋より低いとはいえ、でっぷりと肉厚な黒人の巨漢である。そして、小橋とのシングルという大一番に期するところがあったのか、試合が始まるや、かなりいい動きで軽快に小橋を攻め込んでいく。
 が、相手にやる気があればあるほど、相乗効果でさらに自分のやる気を増幅させてしまうのが小橋である。小橋の激しい猛攻によって責め立てられる中……キマラは、尋常じゃないほど凄まじいラリアットを喰らってしまう。
 ちょうどこのころは、小橋がラリアットを自分の必殺技として磨き上げていた時期だった。この日のラリアットを見ていたから、しばらくのちに小橋がラリアットで決める試合がポツポツと出始めたことには、大いに納得したものだった。
 とはいえ、膝へのダメージが蓄積していくに連れて、むしろ小橋のラリアットとは、試合の流れの中でベストなタイミングで放つことによって説得力を持つ技になっていったのだと言える。だから、技自体の説得力という点では、おれが直接見た中だと、この日キマラに放ったラリアットがダントツでナンバーワンである。あの一撃に限っては、スタン・ハンセンすら完全に越えていた。
 さて、小橋の凄まじいラリアットで吹っ飛ばされて轟沈したキマラの巨体。それに続くフォールはなんとかキックアウトしたものの、キマラは立ち上がれない。リング上にうつぶせに倒れているキマラに対して、小橋はコーナーからのダイビング・ギロチンドロップ。
 もはやぴくりとも動かないキマラのぶ厚い巨体をリングから無理矢理引っ剥がして反転させ、小橋はフォールに入る。カウントを取るジョー樋口。……が、キマラはぴくりとも動いていないにもかかわらず、ジョー樋口はなぜか2カウントでカウントを止める。どよめく会場。ジョー樋口はキマラの顔の方に駆け寄り、瞳孔の様子をチェックしている。そしてジョー樋口はその場に立ち上がり、ばばっと両手を交錯させた。裁定は……TKO。
 駐車場でテクニカルノックアウト! ……小橋、むちゃくちゃだ……。だいたい、小橋の師匠であるジャイアント馬場さんは、プロレスというものは互いに肉体の鍛えた部分を攻めあうものであって人体の急所を狙うものではない、と明言していた。そして、この日の小橋も、その意味で純粋なプロレス技しか使っていないのである。にもかかわらず、キマラが失神してぴくりとも動かなくなるまで、小橋は全力で打ち込んでいった。
 巡業の谷間、小会場での、言ってみれば消化試合のようなものである。手を抜くとは言わないまでも、流す程度に試合をしても、誰からも文句を言われることはないだろう(……少なくとも、こういう状況で田上が全力を出すことはまずありえない……)。だが小橋は断じてそれをしない。……だから、小橋の試合を見た者は……一回なら一回、十回なら十回、百回なら百回、千回なら千回、それぞれの見た回数に違いがあろうとも、自分が直接目にした小橋の試合は、常に全力が振り絞られたものであったはずなのだ。おそらく、手を抜いている小橋、妥協している小橋を目にしたことのある者などいないだろう。
 それぞれの観客の中に、それぞれがそのときそのときに目撃した小橋のイメージがある。それは千差万別なものだが……そのどこを切っても、見に行った会場で小橋に裏切られたという経験は、決して存在しないはずだ。
 小橋は、一日一日の積み上げを気の遠くなるほどの期間に渡って積み上げていくことによって、揺るぎのない信頼関係を観客との間に作り上げていったのだ。


 それは、何も観客に関してだけの話ではなかった。小橋が長いキャリアを積み重ねる中で、多くの男たちが強敵として立ちはだかったが……激闘を重ねた末には、誰もが、いつの間にか小橋のことを好きになってしまう。
 まるで、少年漫画の主人公が本当に肉体を持って現実世界に存在しているかのような男。小橋は自分を中心とする強い磁場を形成し、そこに独自の世界がうまれていったのだと言える。
 だが……だからこそ、おそらくはただ一人、最後まで小橋の世界に飲み込まれることを拒絶し続けた、いやもっと単純に言ってしまえば、小橋を好きにならなかった男の持つ意味が大きいのだ。
 小橋を中心とする世界にとっての、唯一の異物となった男。先輩として小橋を容赦なく叩き潰すだけでなく……小橋が急成長を遂げ、どれほどの輝きを放ち始めようとも、強さという面でも人気という面でも既に追い抜かれているかもしれないことを認めず、常に上から目線で叩き潰す立場を何が何でも譲らなかった男。
 川田利明。 
 川田は最後まで小橋を好きにならなかったし、小橋を認めなかった。自分の方が格上であることを見せつけるためだけに歯を食いしばるようなことも多々あった。試合でも、小橋にロープに降られて帰ってきたところを胸板に凄まじいチョップを叩き込まれ……しかし、「え、今何かしたの?」とでも言いたげなすました顔で、おそらくはやせ我慢しながら、その場にすっくと立っている。そんな川田が好きだった。
 足利工大附属高校のレスリング部で三沢の一年後輩として、三沢の後を追うようにして全日本プロレスに入門した川田。しかし、憧れや尊敬といった自分の感情を素直に出すこともできないであろう川田は、ずっと屈折した態度を取り続けていたのだろう(そして、三沢にはいつもウザがられていた)。
 屈折し陰影に帯びた感情を抱えながら三沢を追い続けた川田は、しかし、いつしか自分の後ろから小橋に追いまくられることになった。急激に自分の背後に迫っている、のみならず、真っ直ぐでひたむきな気持ちをてらいもなく表に出し周囲の誰からも好かれる小橋という男を、川田はいつだってボコボコに叩き潰さずにはいられなかった。
 だが、むしろ小橋の方が、そんな川田のことを必要としていたのだ。小橋がトップにまで上り詰め、若くしてプロレス大賞のMVPも受賞し、誰もが小橋を好きになる……それでもなお、川田だけは、小橋を認めず、上から目線でひたすらに叩き潰す態度を貫こうとした。だからこそ、小橋健太の作る世界は、小橋自身を中心として固定してしまうことはなかった。


 おれは、三沢のことも小橋のことも、ずっと熱心に追い続けてきた。だからこそ、改めてここに書いておかなければならないと思っているのだが……おれは、「三沢vs小橋」は、それほど優れたカードだとは思っていないのだ。やはり三沢にとっての最も重要なカードは「三沢vs川田」なのであり……小橋にしても、「川田vs小橋」というカードにおいての方が、より輝きを放っていたと思う。
 ジャンボ鶴田がセミリタイアしてから以後の全日本プロレスにおいては、「三沢vs川田」が絶対的な中心、全ての基準点となり続けていた。このカードが基盤に据えられた上で、その上にその他の全てが積み上げられることによって構築されたのが当時の全日本プロレスの世界なのであり……そして、この構図そのものを転覆することを本気で試みた唯一の男こそ、他ならぬ小橋であったのだ。
 だから、「三沢vs川田」には、常に、後から追いかけてくる小橋の姿があった。そして、「川田vs小橋」には、そこには不在の三沢の影が、いつだって投影されていた。
 一方、「三沢vs小橋」というカードには、余人の入り込む余地はなかった。強い信頼関係で結びつけられた二人であるゆえに、互いの限界をギリギリまで探り合い、高度な攻防が展開されることになった。だがそれは、逆に言えば、三沢と小橋の二人の間だけで、閉じた世界が完結してしまっているということでもあった。
 「三沢vs小橋」というカードは、回数を重ねるごとに、プロレスの攻防の技術が高度に昇華されていった。だから、「三沢vs小橋」の凄さは、わかりやすい。言い換えれば、容易に言語化することができる。
 一方で、「三沢vs川田」の素晴らしさは、たやすく言語化できるようなとっかかりはない。それは例えば、三沢とシングルマッチで闘うときの川田の表情は常に素晴らしい、ということだ。もちろん、それは、わかりやすく情報として広く流通させることができるようなものではない。
 だが、だからこそ、流通させる側が、正確に言語化する努力をしなければならないはずだ。大した努力をせずともキャッチーな情報を生み出せるものに飛びつく……それは、自分がなすべき仕事が楽になることを喜んでいることに過ぎないのではないか? そしてあのころ、全日本プロレス中継の若林アナや福澤アナのように、そんな安易な道を選ぶこと決してしない人々だって存在したのだ。
 だから、プロレス大賞の年間最高試合に「三沢vs小橋」が何度も選出されながら、「三沢vs川田」がただの一度も選出されなかったのは、選ばれる側の問題ではない。選ぶ側の問題である。それは、日本のプロレス業界そのものの恥辱なのだ(……逆に、その「三沢vs小橋」においても、おれには突出して素晴らしいと思える97年1月の大阪で試合、まさに小橋が「おれが死んでも三沢さんを恨まないでくれ」という言葉を残したその試合は、年間最高試合に選ばれてはいないのだ)。
 そして、改めて書いておきたい。三沢や小橋の側に寄り添うことを決めた者も、しばしば、「三沢vs小橋」を最高のカードに挙げてしまう……それは違うのではないか? 確かに、このカードの凄さは、外に向けて伝えやすい。だが、わかりやすくその凄さを伝えられるがゆえに支持してしまうのならば、それは結局のところ、わかりやすく言語化した上で貶める者たちと共犯関係を結ぶことになってしまうのではないか?


 ジャイアント馬場さんが死去してからしばらく後、全日本プロレスは内部で紛糾し、ほとんどの選手が離脱してプロレスリング・ノアを旗揚げすることになった。
 外部から見ていた一ファンにわかることなど限られているのだから、そのことの是非をどうこう言うつもりはない……ただ、ノアの旗揚げメンバーに川田の姿がなかったということは、長い間に渡ってタッグパートナーであった田上にとって以上に、三沢や小橋にとって痛手であったはずなのだ。
 だから、そのまま時間が流れたときに、ノアにおいては、小橋建太という個人を中心とする世界が強固に築かれてしまうことは、必然的な成り行きであったのだと言える。
 そして、「三沢vs小橋」よりも「三沢vs川田」を評価するのと同じ理由で、ノアになってからでも、おれは「小橋vs秋山」よりも「小橋vs高山」の方を高く評価する。三沢と小橋にせよ、小橋と秋山にせよ、タッグを組んで強敵に立ち向かっていった時の方が、おれの中では遥かに強い印象を残している。
 小橋は、自分の存在そのものを否定し、揺るがし、改めて自分の存在意義を主張する必要を迫ってくるような異物を失ったのだ。
 本来ならば、そのような役割は、秋山が担わなければならなかったはずだろう。意識的に、小橋に否を突きつけることもあった。しかし秋山は、根本的な部分で小橋のことが好きで好きで仕方がないことを隠せなかった(というか、ある時期からは、そもそも隠す気すらなくなっていた)。その結果、秋山さんは、おれたち小橋ウォッチャーにとっての首領とも言うべきお人になったわけだが……自分自身もレスラーでありながらそういうポジションにいることは、果たしてよかったのか?
 おそらく川田とは似たもの同士であり、ゆえに近親憎悪でいがみあい続けてきた秋山(のちに、この「川田‐秋山」の関係が「秋山-KENTA」の間で順調に繰り返されていることには、思わずニヤニヤしてしまうのだった)。だがその秋山も、こと「対小橋」という点に限っては川田とは決定的に異なり、ゆえに、小橋にとっての異物になることはできなかった(小橋大好きというベースは共有しながらも、少なくとも「対小橋」という側面に限っては、KENTAの方が秋山より一段上であると言わざるをえない)。


 だからこそ、この日の武道館に果たして川田が現れるのか否かということには、重大な意味があるのだ。
 もちろん、小橋が絶対的な不動の中心を占めることによって形成された世界だって素晴らしい。……しかし、今となっては……少なくともおれ個人にとっては、むしろ小橋がボコボコに叩き潰されていた日々の方が、懐かしく思い出されるのだ。
 小橋が勝つ。それはそれでいい。しかし、それは何かがひと区切りつくことであり、何かの終わりを表していた。一方、小橋が全力を出しても及ばずに叩き潰され、セコンドに両肩をあずけてがっくりとうなだれ、なんとか這いずるように退場していくとき……そんな光景を見るたびに、そこにはいつも、続きがあった。明日があった。
 たぶん今日の小橋は、「GRAND SWORD」をテーマ曲として入場してくるだろう。だがおれは、今になっても、小橋が若い頃に使用していた「SNIPER」の方が好きなのだ。この曲は、いつも小橋が顔をくしゃくしゃにして泣きそうになり、地べたを這いずっても相手にくらいつき、最後にはボロボロにされていた、そんな日々の記憶と不可分に結びついている。「SNIPER」、それから、全日の試合で引き分けの時に流れる「カクトウギのテーマ」……この二曲は、聞くたびに色々なことが一気に思い出され、もうそれだけで泣きそうになる。
 もう一度「SNIPER」を会場で聞きてえなあ……と、武道館の中で、改めて考えていた。
 試合は、第二試合が終わったところだった。そこで、小橋の引退記念のセレモニーが行なわれることになっていた。
 まだ最後の試合が残っているというのに先にセレモニーを終えてしまうというのも、変則的な話だが……その理由とは、試合が終わった後には、無事にリング上に立てているかどうかもわからないから、なのだという。いかにも小橋らしい理由だった。
 いよいよ、セレモニーが始まる……果たして、川田は来るのか。ただそれだけが気になった。
 全日本プロレスから主力が大量離脱した後にも渕とともに残留した川田のキャリアは、おれの目には、幸福なものには思えなかった。……しかし、広い目で見ると、そうは思われていなかったと思う。否応なく他団体に出撃していくことになった川田は、試合運びの巧みさが注目され、「名勝負製造機」などと呼ばれることにもなっていった。
 だがそれは、コアな全日ファンにとってはよく知られていたことに過ぎなかった(川田が実はお笑い好きであったりアニソン好きであったりするのに、それを隠して強面キャラで押し通したことなどと同じく)。三沢に「川田は本当は器用なくせに不器用なふりをするから嫌い」などと嫌味を言われたりもしていたわけだが……川田としては、プロレスの器用さなどというものはいくらでも見せつけることができるけれども、あえてそれをやらなかった、つまり、それは川田のやりたいことではなかったわけだ。
 未知の選手と対峙してもスイングする試合を繰り広げる川田の映像を見るたびに、おれには、川田の目に生気が感じられなかった。もちろん、天龍との再会のような喜ぶべき出来事もあったとは言え……むしろ大量離脱以前よりも幅広く高い評価を集めながらも、どこか空虚さを抱えこんで試合をしているように見えた。そんな川田を見るのはつらかった。
 だから――川田と小橋が私生活でもそりが合わなかったらしいことも十分わかってはいるのだが――それでも、最後に、二人の行く道がもう一度だけ交錯するのを見たかった。
 そんなことを考えていたとき……武道館の中に鳴り響いたのは、「SNIPER」だった。


 よくよく考えてみれば、セレモニーのときにも小橋は入場してくるのだから、「SNIPER」も使用することは、当然予期できるはずのことだった。だから、こんなことでいちいち驚いているのは、バカみたいなことなのかもしれない。だが……。
 開催宣言を、ハヤブサに託したこと。
 渕にオファーを出し、あのような第一試合を組んだこと。
 そして、武道館に「SNIPER」を鳴り響かせたこと。
 もうそれだけで、胸がいっぱいだった。……そして何より、小橋が、おれのようなファンもいるであろうことを十分にわかってくれていること……それが、何よりも嬉しかった。
 小橋に最初に花束を渡したのは、田上だった。力皇も来た、馳も来た。多くの関係者が訪れた。スタン・ハンセンと、現・WWEの偉い人ことジョニー・エースからはメッセージも送られてきた。それから、高校時代の恩師の先生もリングに上がった。そして、百田も来た、蝶野も来た……。
 そして……最後の最後に、場内には、「Holy War」、川田のテーマ曲が鳴り響いた。
 大きなどよめきが起こり、観客は誰もが花道を見つめた。だが、川田は現れない……そして、いつの間にか、川田はリング上にいた。
 既に現役を離れている自分が、現役レスラーが通る花道を使うことはありえない……と、その行動の理由を川田がコメントしているのを、おれは後日目にすることになった。自分のこだわりを貫き通すところが、いかにも川田らしかった。


 既に、今日見るべきものは見た……という感覚を、おれは持ってしまっていた。
 セレモニーが終わり、前座の試合は粛々と進んでいる。だがその試合を眺めながら、正直なところ、「ま、こんなもんだろう」という感想を持ってしまっていた。
 決して、つまらないというわけではない。だが、何が何でも自分のいる場所はリングの上しかないんだという、本気の熱意を発散している選手があまり見当たらない。
 学生時代の暇があるころには、おれは、様々な団体を片っ端から見て回ったものだった。しょうもない選手のしょうもない試合も腐るほど見て、それでも、それなりに楽しみ方を見つけようとしたものではあった。
 だが、仕事をするようになって忙しくなるのと、小橋が大きな怪我によって長期欠場を繰り返すようになるのが重なるようになってからというもの、会場まで赴いて生で観戦する機会が激減していた。
 そしてそれは、今日という日に、改めて納得された。クソ忙しい中で時間を割いてスケジュールを調整し、決して安くはないチケットを買って会場までやって来て、それでこの程度のものを見せられるんだったら、そりゃあ足は遠のくよ。
 最近思うのだが、本来は隠語であった「しょっぱい」という言葉が(某マスクマンの珍事件のせいで)ファンの間によく使われる言葉として広まってしまったのは、あまりよくなかったのではないだろうか。
 「しょっぱい」という言葉は、プロレスファンにはすぐに伝わるが、そのニュアンスを細かく説明するのはなかなか面倒な言葉だ。要は、強さとは全く別の次元の話で、試合運びがどんくさかったり、タラタラとしていて緊迫感のある空気を作れなかったり、観客を盛り上げることができないようなことを指す。どれだけ強いレスラーだろうと、しょっぱい者は容赦なく「しょっぱい」とファンからさえも言われることになる。
 そして、この言葉がプロレスファンの口に膾炙するようになってから後にデビューした世代のレスラーに、見受けられるのだが……「しょっぱい」と言われたくないことばかり意識して試合しているようなレスラーが、結構いるのだ。
 確かに、しょっぱくはない。技の組み立てや試合運びは、きちんとまとまっている……が、それは本当に「しょっぱい」と言われることはないというだけで、積極的に面白い部分は何もない。……客としては、しょっぱくない試合じゃなくて、凄い試合が見たいんだよ!
 だから、逆に言えば、空回りしてしまう若手レスラーに対して「あいつはしょっぱい」などとファンの方が言ってしまうのは、非常にまずいんではなかろうか。空回りするというのは……少なくとも、リング上で何ごとかをなそうとしている、しかしそれに見合った技術を持ち合わせていないから、そうなってしまうわけだ。
 おれの記憶にある限りでは、90年代の全日本プロレスにとって、日本武道館での興業は、ビッグマッチであるぶん、普段の興業よりも強く、非日常的なムードが漂っていた。一方、規模も小さい後楽園ホールでは、特別なカードが組まれることもあまりなく、むしろ日常生活の延長上にあるような空気だったと思う。
 だから、わざわざ後楽園まで見に来る観客は、ダメな試合には容赦なく厳しい野次を飛ばしたり罵声を浴びせかけたりしていた(……そして、90年代に、全日の後楽園で最も多くの罵声をその身に集めた存在と言えば……大森さん……)。
 しかし、よくよく考えてみれば、観客が怒るというのは、少なくとも期待があったから怒るわけだ。その怒りを飲み込んで、自分がやりたいことと自分の動きがかみ合うように努力することによって、レスラーはブレイクする。そのようにしてもがいている渦中にあるレスラーに対して、「しょっぱい」という烙印を押してしまうことは、むしろ未来の芽を摘むことではないか。レスラーを「しょっぱい」「しょっぱくない」で分類してしょっぱいレスラーを見下すような風潮は、たぶん、観客から「本気で怒る」という感情を奪うことに帰結するだろう。……一方、怒られたくない、しょっぱいと言われたくないことを最大の動機として試合しているようなレスラーには、そもそも未来はないだろう。もちろん、やる気もない上にしょっぱいという最低のレスラーもいるわけだが、しょっぱくないだけのレスラーというのは、そういうのよりはマシ、というだけのことになってしまうだろう。
 実際、しょっぱくないだけのレスラーが試合をするときの会場は、本当にシーンとしている。それで、ふつうに試合をしているだけでは観客を盛り上げることができないから、無駄なアピールを織り交ぜたり、異常にテンポの速い動きをしたり、技を過激な方向にエスカレートさせていくことによって、ようやく観客を少しは盛り上げる。
 こういう風潮を、90年代の全日の四天王プロレスの悪影響だなどとする言説もあるわけだが、冗談じゃないと言いたい。だいたい、川田の試合のどこをどう見たら、「技だけ」なんて言葉が出てくるんだ(……まあ、当の川田はと言えば、色々な技を試して試合スタイルを模索していた頃の小橋に対して「あいつは大技だけ」などとねちねち嫌味を言ったりしていたわけではあるが……)。
 むしろおれは、しょっぱくてもいいから、何かを本気でやる姿を見たい。


 だが、おれは、こんな風にして今のプロレスはダメになった……などということを言いたいのではない。所詮、どこの世界でも、心から熱意を持って仕事に取り組んでいる人間なんてほとんどいないのだ。誰もが、自分の目の前にあるタスクを適当にやり過ごし、楽をしようとし……怒られたり批判されたりしない体裁を取り繕うことだけに汲々とし……自分の成果に直接影響を受ける人間がいたとしても、その相手の顔を見ようとはしない。感情を剥き出しにして本気で怒る人間がいたら躍起になって圧力をかけて潰そうとする一方で、他人を冷笑したり侮蔑したりする行為は大人数で共有し、いわれのない優越感に浸る。プロレス界だけではなく、どこもそういう風にして世の中は回っている。
 ……そして、おれは、自分が忙しくなり、むしろプロレスを見る機会が減ってから、自分の中で改めて小橋に対する見方が変わったことを思い出した。
 仕事なんてものは、真面目にやる者の方が損をするものだ。自分の仕事としてやることの成果を直接受け取る人間がいるとき、それがどのような状況であっても、手を抜きたくはないとおれは思った。だが、やっても組織の内で評価も上がらないような状況では手を抜き、自分の手抜きによって弱い立場の人間が被るかもしれない被害にはあっさりと目を瞑ることができ、しかし自分が熱心に取り組んでいるかのような体裁を取り繕うことだけには長けている……そんな要領のよい人間が、すいすいと地位を得ていくのを目にしてきた。
 むしろ意地になってあらゆる状況を全力でやり抜き……それにともなって自分への肉体的負担も増すばかりで、にもかかわらず自分への評価は低いままで……なぜ、自分がやる気を振り絞っているのか、全くわからなくなった。そんな、自分が限界状況に追い込まれたと思えるときに、その底の底で、一つのことに思い当たった。
 小橋がいるじゃないか。
 この世がどれほど醜悪で汚辱に満ちた理不尽な場所であろうとも、少なくとも一人は、小橋のような男が確かに存在している。今日も小橋はリングに上がっている……あるいは、次にリングに上がるときのための準備に取り組んでいる。自分が忙しくて会場に行けないときも……あるいは、小橋が長期欠場に苦しんでいるときも……ストックしてある過去の映像を見返してみれば、いつでも小橋の姿勢は愚直なまでに同じだった。
 小橋がいるのは、環境が整備されたスポーツの世界ではない。全ての試合にキャリアの上での重要性があるわけではないし、体調を万全に整えられるようにはっきりとしたスケジュールが調整されているわけでもない。無茶な日程もたびたびある中、さびれた小さな会場をも巡業して回る、プロレスの世界なんだ。……なのに、なぜ、ただの一度も手を抜いたことがないんだ?
 観客は、わずか五百人しかいない……そうであっても、会場へ訪れた人々の状況は全て違う。生まれて初めてプロレスを生観戦するのかもしれない、十年ぶりにふと見に来たのかもしれない、あるいはその日を最後に二度と見るチャンスがなくなるのかもしれない。
 だから、TVが入っていなかろうが、重要な試合が組まれていなかろうが、小橋のやることは変わらない。小橋は……言ってみれば、五百人なら五百人の観客一人一人の顔が全て見えているのだ。そしてそれは、逆に、観客が一万人以上に膨れ上がっても変わらない。……あるとき、武道館での試合が終わった後に、小橋は希望してくる人全員にサインを書き続け……数時間がたっても、それでもなお延々書き続けていたことなどもあったという。
 そして、今にして思う。おれが小橋のことを見続けてきた二十年間の間……小橋が、遠巻きから冷ややかに見つける外野から馬鹿にされ侮辱されるのを、ずっと見てきた。それは、何も一般のプロレスファンからだけのことではなかった。他団体の関係者が名指しで侮辱し、批判ではなく単純に馬鹿にした内容の記事が雑誌に載り……全日が初めて東京ドームに進出したときには、著名な映画監督が最初から冷やかし目的で来場した上で冷やかすだけの観戦記を書き、それがメディア上に出回ったこともあった。
 だが小橋が、それらに対して腐ったようなそぶりを見せることはただの一度もなかった。小橋の試合に対する姿勢がブレることも、全くなかった。何があろうと自分の信じる道を愚直に頑固に貫き通し、押し通した上で徐々に周囲を認めさせ……いつしか、小橋を取り巻く空気は変わっていた。
 今となっては、そのような空気の変化があったことをわざわざ活字にしようとする者はいないだろう。小橋を馬鹿にした記事を大量に掲載していた雑誌出身の編集者が、現在携わっている雑誌に、小橋の引退記念の記事を載せる。……あるいは、一時は暗黒時代と呼ばれ低迷していた某団体が、三沢や小橋に特別参戦してもらって豪華なカードを組むことによって急場を凌いだ時期が確かにあった……三沢や小橋を誉め称える前口上を述べるリングアナに対し、本気で思っているはずもない前口上なんてどうでもいいから、テメーがリング上で三沢と小橋にこれまでのことを謝罪しろやと思った日のことを忘れない(ついでに書いておくと、その後興行的に盛り返して好調が伝えられるようになって以降の某団体を見るようになった若いファンが、ゲストとして呼ばれた小橋に無邪気に歓声を送ったりする一方で、様々な事情から苦しい状況に喘いでいる今の全日を小馬鹿にしているのを見たりすると、ほとんど殺意すら覚える)。
 少なくともおれは、そういうことがあったことを忘れない。だがたぶん小橋は、今後も、時代の空気の移り変わりに合わせて右往左往し態度を変えた人々のことを、今更とやかく言うことはないだろう。どれだけ罵られようとも、腐らず、ブレず、自分が信じることをやり抜き通し……長い期間に渡ってずっとそれを続けることで、自分の周囲の状況すら少しずつ塗り替えていく……。
 なぜ、そんなふうに生きられるのか?
 ……たぶん小橋は、そう聞かれたとしても、ファンのみんなが応援してくれたから、とごくあっさりと答えるだろう。だが、プロレス界だろうが他の世界だろうが、「ファンのみんな」に応援されながら、それに応えなかったり裏切ったりする連中ばかりではないか。
 そしておれは、ある一つの試合を思い出す。


 あれは、90年代の半ばのことだった。後楽園ホールで開催された、ファン感謝デー……もちろん、手が抜かれているというわけではないものの、変則的な試合カードが組まれたり、プレゼントが当たるカラーボールの客席への投げ入れが行なわれたりと、比較的緩い雰囲気で興業が進行する。……そして、その日のメインに登場する小橋は、実に久し振りに、ジャンボ鶴田と対峙することになっているのだった。
 90年代初頭、三沢や川田や小橋をズタボロに叩き潰し続けて猛威をふるった鶴田は、しかし、肝炎を患って長期欠場に入った。そして、欠場明けに復帰こそしたものの……既に全盛期の動きは失われており、前座の試合に顔見せ程度に出場するだけになっていた。
 小橋が若手の頃、鶴田との間には、一方的に叩き潰されるだけの関係しかなかった。そして、小橋の肉体も鍛えられ、トップに食い込んでいく頃には、既に鶴田の全盛期は過ぎ去っていた。ほんのわずかの行き違いで、それぞれが全盛の鶴田と小橋が全力でしのぎを削り合う機会は、遂に訪れなかった。
 そんな鶴田が、復帰後には珍しいことに、その日はメインに登場した。ジャイアント馬場・ジャンボ鶴田・田上明という三世代に渡る師弟トリオが組まれ、相手には、若手の秋山準と本田多聞を率いる小橋が対峙する。普段の興業ではメインには持ってこないようなファン感謝デーならではのカードであり、どこかほのぼのとした雰囲気に包まれていた。……だが、試合前から、小橋だけは、明らかに違う空気を発していた。
 いざ試合が始まり、鶴田と小橋が組み合うと……そこには、壮絶な展開があった。全身に力を漲らせて――いや、もちろんそれは小橋にとってはいつも通りのことではあるのだが――鶴田に渾身のチョップを叩き込み、険しい表情を保ったまま、一方的に攻め立てていく。信じられないことに……あのジャンボ鶴田が、いいようにいたぶられているのだ。
 おれは、あっけにとられた。もはや鶴田がかつての鶴田ではないことは、誰もが知っている。今日はファン感謝デーだから、お祭りとして鶴田も久しぶりにメインに出ているだけなのだ。もう無理はできない、だから前座にたまに出てきてはファンに顔を見せ、小橋のようなバリバリのトップ層と絡むようなことは久しくなかったのだ。
 茫然とするおれの目の前で……次の瞬間、信じ難いことが起きた。鶴田がキレたのだ。もはや鶴田は小橋の全力の攻撃にひるまず、それどころか、渾身の力を振り絞り、雄叫びをあげ、全盛期を思わせるようなど迫力の攻撃で猛然と小橋に反撃し始める……
 後楽園は、異様な興奮に包み込まれた。もちろん、その声援のほとんどは鶴田に向けられたものだった。鶴田と小橋が全力でバチバチやりあう姿を見て……まだ子供だったおれは、もうこれで鶴田は完全に最前線に復帰するのでは、とまで思った。
 もちろん、そんなことはなかった。その後の鶴田は、やはり、セミリタイアしたままの状態で……そして、この日の試合こそが、鶴田と小橋の最後の闘いとなった。
 セミリタイアだろうがなんだろうが、こうしてリングに立っている……そして何より、あんたはジャンボ鶴田だろう? そんな、小橋の心の声が聞こえてきそうな試合だった。……そして、おれたちは、全盛期の鶴田と小橋が全力でやり合う光景を、ほんの一瞬の夢として垣間見ることができた。
 小橋健太こそは、ジャンボ鶴田から最後に闘志を引き出した男である……その記憶は、おれの中にいつまでも残った。……そして、それから十数年の歳月が流れ……三沢が亡くなってからしばらくたった後に、小橋は、三沢に絡む一つの出来事を回顧することになる。
 小橋が腎臓癌に倒れ、それすらも克服して復帰し再びリングに戻ってきたとき……リング上で、小橋は三沢に完膚なきまでに叩きのめされた。そして小橋はそのことを振り返りつつ、語った。……自分が最も嫌なことは、手加減されるということだったのだ、と。だけどそういうことはなく、三沢さんは真正面から全力できてくれた……
 それが本当にいいことなのかはわからない。だが、小橋は自分がどちらの側になったときにも同じ姿勢で一貫していたし……なによりも、たぶん小橋には、そうする以外の選択肢は最初からなかったのだろう。
 ノア時代、長期政権を築いて絶対王者と呼ばれていた頃の小橋は、今の自分が全盛期の鶴田と戦っていたらどうなっていたのか……と考えることがあったのだという。そして、改めて思うのは……小橋という男は好漢ではあっても、謙虚でも何でもなく、自分の欲望にどこまでも貪欲で、望むことを何が何でも貫き通す頑固さがあるのだと言える(……だけど、小橋さん……自分が諏訪魔に対してかつての自分と同じ思いをさせたことだけは、どうか忘れないでいてください……)。
 そして小橋は、後に至って、今度は天龍と対峙することにもなった。小橋はやはり、天龍に対しても、以前鶴田に対してしたのと同じように、全力で向かっていった。天龍は年老いてもかなりよいコンディションを維持していたため、これは、結構な長期間に渡って続く抗争になったのだった。
 改めて思うのだが……小橋は、格上だろうが格下だろうが、ロートルだろうが若造だろうが、そして単なる一ファンだろうが、誰に対しても常に五分と五分で向かい合うことができる男なのだ。


 絶対王者と呼ばれた時代こそは、小橋の全盛期と思われがちだ。しかし、肉体的には既に様々な部分にガタがきていたのも事実である。そして、このころの小橋は、とにかく試合運びが巧みになっていた。何しろ、チョップとヘッドロックだけでも、十分に説得力のある試合を作ることができるのだ。
 巧みなインサイドワークを身につけた後の小橋の試合に見慣れた目で改めて若い頃の試合を見直していて、かなり驚いたことがある。既にトップに食い込んで武道館クラスでメインを張っていた頃でさえ、技の選び方や試合の展開の仕方などが、かなり雑なのである。
 小橋が成長し上昇していくのをリアルタイムで追っている頃には、そういう粗は気にならなかった。また、若い頃にはできることならなんでもかんでもやっていた小橋が、徐々に自分の使う技を絞り込み……全日に所属していた頃の末期には、意識的にハンセンやブロディの動きを取り入れて重厚さを強調するようなスタイルに変化していったことはよく覚えている。……しかし、試合運びの技術自体が、これほどまでに上昇していたとは、思いも寄らなかった。
 若い頃の試合を確認した上で判断すると、もともと持っているプロレス頭という意味では、たぶん小橋は四天王の中では一番下だろう。……こう書くと、「え、田上は?」と思われるかもしれないが、田上はああ見えて、状況に合わせて緩急をつけるのが異様に巧いのである。それは何も一つの試合の中だけのことではなくて、「ここで目立っておけば最大限の効果を発揮する」というポイントにぐわーっと力を入れて、一気に目立ってみせるような嗅覚が田上にはある。つまり、田上の才能は、必要最低限の労力しか払わないで最大の効果を発揮することに、主に注がれてきたのである。
 そんな田上に比べて小橋の方がはるかに多くの故障を抱えてしまったのは、必然的であるだけに皮肉な話でもあるが……だがそれでも、プロレスのことを考えて考えて考え抜き、そうすることによってどのようにして試合を展開するかというセンス中心の部分においてすら、着実に能力を磨き上げてきていたのだ。
 小橋には、何か特別な才能があるわけではない。ただ、やるべきであること、しかしふつう人はあまりやりたがらないであろうようなことを、ただひたすら愚直にやり続けてきたのだ。
 おれは、改めて言いたい。小橋は、特別な才能を持って特別な人生を歩んできた、特別な人間ではないのだ。誰もができるはずのことだけを、誰にもできないほどの情熱でもって取り組み、継続してきたのが小橋なのだ。
 小橋は、腎臓癌すら克服し、再びリングに立ちさえした。……だが、だから小橋は凄い、という物語を語ってはならない。何より、それは、順序が逆だ。
 小橋が癌を患う前の時点で既に、もし小橋がそんな目に遭うことがあったなら、そこで折れずに必ずや克服するであろうことを……おれたちは、もともとわかっていたはずなんだ。
 小橋の目には、おれたちに目には映らない何か特別なものが見えているわけではない。おれたちと全く同じ、淡々と続くただ平凡で味気ない日常を、小橋は生きている。
 小橋建太とは、「ふつうに生きること」を極めた男なのだ。


 この二十年間に起きた様々なことが脳裏をよぎる一方で、武道館の興業は、セミファイナルにさしかかるところまで進行していた。
 セミファイナルでは、大森と高山がかつての名タッグ「ノーフィアー」を再結成し、丸藤と鈴木みのるのコンビと対戦する。
 かつて全日本プロレスの次代を担う若手として期待を背負っていた大森は、しかし、同期の秋山に水をあけられ置いてきぼりにされる時期が長かった。くすぶり空回る大森に、いつも全日ファンはやきもきしていた。
 そんな大森は、全日に外部からやって来た高山と組むことによってようやくブレイクする。ダイナミックなファイトを展開する一方、小橋あたりを挑発してつっかかることによって怒りを引き出しようなこともあった(基本的にシャレが通じない小橋を本当に怒らせちゃって手がつけられなくなり、大流血の末に失神KOされてたが……)。
 しかし、ようやく上向きになってきたかと思えてきた大森のキャリアは、高山とのタッグ解消後、なんやかやで迷走。でかまる党党首に就任するような栄光を掴んだこともあったものの、基本的には迷走。そしてここ最近に至って、征矢学とのタッグ・GET WILDによってようやく再ブレイクを果たし、プロレス界全体に色々な意味で旋風を巻き起こしている。
 いざセミファイナルが始まってみると……高山とは友好的関係を保つ鈴木みのるは、さんざん大森の方を挑発し、おちょくっていく。
 が、大森はそれに対して怒りを爆発させるようなこともなく……なんとももやもやする、不完全燃焼ファイトを展開する。
 ああ、大森さん、今日はこっちの方が出ちゃったか……などと思っていたのだが、場内はすっかり緩い空気に。歓声もまばらでシーンとする中、「大森~、ノーフィアーよりGET WILDだ~!」などと一人で盛り上がる現時点での大森ファンの場違いな声援がこだまする(……しかし、この人も昔からず~っといるよな……。昔の全日の会場でも、悪ノリしてはしゃぎすぎてよく永源に怒鳴りつけられたりしてたのに……)。そんな状態がしばらく続くと、しびれをきらした他の客が、「ちっともワイルドじゃねえよ~!」などと怒って野次り始める始末。
 その瞬間、おれは気づいたのである。……場内の空気が、すっかり90年代の全日本プロレスの後楽園ホールの雰囲気そのものになっていることに。
 まあそうは言っても、「盛り上がらない試合で険悪な空気になっているときの後楽園」ではあるのだが……しかしそれでも、すっかり昔の空気に戻っていることは事実。
 そしておれは、ようやく、大森さんがこの試合に当たって追い込まれていた苦しい状況が理解できたのである。もちろん、GET WILDとしてプロレス界に旋風を吹き起こしまくっている大森さんにしてみれば、超満員の武道館をドッカンドッカン沸かしまくるようなワイルドな激戦を展開した上で丸藤・みのるを圧倒し、足腰立たなくなるまで叩きのめして葬り去ることなど、赤子の手をひねるよりたやすいことだ。
 だが、今日は小橋の引退試合。大森さんがセミファイナルでそんなことをやってしまったら、メインはどうなる。観客もすっかり疲れてヒートダウンし、いまいち盛り上がらない空気の中で小橋の試合が始まってしまう。
 大森さんは悩んだ。その結果、あえて、自分がノーフィアーとしてブレイクする前の不完全燃焼ファイトを展開することによって、場内の空気を昔にまで巻き戻し、90年代の全日本プロレスへのオマージュとしたのである。
 もちろん、迫力満点のワイルドなファイトが繰り広げられるのならば、それはいいことだ。しかし一方で、大森さんがひとたび不完全燃焼ファイトを展開しさえすれば、おれたちの気持ちはいつでも90年代にまでタイムスリップすることができる。
 実際、セミファイナルも終盤になると、場内は「もういいから早く終われよ……」的な雰囲気になり、決着がついた瞬間、「よし、ようやく小橋の出番だー!」的な空気になったのである。大森さんの計算通り、セミはあくまでもメインの露払いとしてのみの役割を果たし、最善の形でメインにつなげたのである。超満員の観客全員が、大森さんの掌中で転がされていたわけだ。……まあ、観客はおろか、対戦相手の丸藤・みのる、さらにはパートナーの高山にすら、大森さんの意図は全く伝わっていなかったようではあるが……。
 それにしても、大森さんのセミファイナルを見ていて、おれは、「セミファイナルに出るときの小橋」のことを考えていた。
 例えば、95年7月の日本武道館で行なわれた三沢vs川田の三冠戦。この試合に関して、おれは「三沢vs川田にしてはそれほどでもなかった……」という印象を長い間に渡って抱いていた。が、後日映像で見直してみると、自分の印象よりは良い試合だったのである。
 ではなぜそんな印象を持っていたのかと言うと、これは簡単で、当日のセミファイナルの田上vs小橋が大爆発したからである。前年の94年にはこのカードは30分一本勝負で三連続で時間切れ引き分けとなって注目を集め、しかしこの年のチャンピオン・カーニバルの開幕戦では田上がなぜか突如としてやる気を見せてブレイクして大暴れ、小橋を完全ノックアウトしていた。そのような流れを受けた上での、改めての再戦であったのだ。
 おれの考えでは、三沢vs川田というカードのピークは94年6月の三冠戦で、以後徐々にこのカードは訴求力を失っていった……と思う。そして、その94年の試合を見直していて、あからさまに画面に映っている、一つの事実に気づいたことがあった。
 この試合では、小橋が三沢のセコンドについている。……ということはつまり、小橋はこの日のセミファイナルには出場していない、ということだ。
 おそらくは、この日を最後にして、三沢vs川田が行なわれる興業のセミファイナルには、ほとんどの場合に小橋が出場しているだろう。そしてそのたびに、小橋は、三沢vs川田を喰うような激闘を展開してきているはずである(この流れは、三沢vs川田が最後に実現したノアの東京ドームで、セミファイナルに出場した小橋の佐々木健介とのシングルマッチがメインを喰ったことにまで続いている)。
 三沢vs川田というカードの栄枯盛衰そのものに、その影を追いつつセミに登場する小橋の姿が、常にからみついている……


 満員で膨れ上がった武道館でプロレスを見るたびに……セミファイナルが終わってから場内の空気が変わり、観客の意識が、ビッグマッチの大トリのメインに移り変わる……その瞬間を、何度も経験してきた。
 これでひとまずはセミが終わった、という共通認識が観客全体の中に行き渡る、その境界となる瞬間が確かにあるのだ。そして観客は、思い思いの声援を送り始める。
 メインに出場する選手のテーマ曲が場内に鳴り響けば、観客の声援はそれに合わせて組織し直され、声が合った応援のコールに変質する。だが、テーマ曲が流れるまでの短い間には、観客の声援が整理されず、奔流となって武道館の虚空をうずまく、そんな時間がある。……おれはむしろ、観客が声と拍子を合わせた選手のコールよりも、それぞれの観客の思いが未分化のままでうねりを起こす、その短い時間の方が好きだった。
 そしてこの日は、観客の思いは分散していなかった。雌雄を決する二人のレスラーのそれぞれに思いが別れるのではなく……誰もがそろって小橋だけを待望し、小橋を呼び込む声の渦だけが武道館を満たすのだった。
 そしておれは、会場の盛り上がりの中で、自分自身もまたわくわくしてしまっていることに気づく。
 自分が楽しむために来たんじゃない。内容に期待することで、最後に小橋の肉体に大きな負担がかかってしまうかもしれない……だから、ボロボロの小橋にこちらの期待を託してしまうのではなく、ただ、この場に居あわせるためだけにやってきたはずだった。
 そもそも、試合カードが発表された時点で、小橋の現状はうすうす感じられた。秋山準、それから、プロレス生活の後半生で関わりを持つようになった武藤敬司と佐々木健介と豪華チームを結成し、相手としては、小橋の歴代の付き人、金丸・KENTA・潮崎・谷口がチームを組む。
 シングルマッチは無理だろうとは思っていたが……8人タッグ。単純に考えれば、小橋がリング上に出ている時間は、試合時間の四分の一。……やっぱり、それだけコンディションが悪いのか。このカードを知った時にも、ただそう思うだけで、不満などはどこにもなかった。
 だが、いざ、次々に選手たちが入場し……そして、最後に、テーマ曲「GRAND SWORD」とともに小橋が入場し、武道館が巨大な小橋コール一色で埋め尽くされたとき、過去を回顧したり、余計な心配をする気は失せていた。……ただ、きらびやかな栄光に包まれ、いつも通りにリングに向かう小橋の姿だけがあった。
 予想通り、小橋は先発した。そして、試合が進むにつれ……小橋が、執念でなんとかコンディションを良い状態にまで仕上げてきていたことが実感できた。
 どれだけ全力を尽くそうとも体がついてこない、精神だけが空回りした結果、否応なく肉体の衰えが浮き彫りになってしまう……そんな姿はなかった。
 気がついてみれば、そこにいるのは、「いつもの小橋」だった。
 そして、8人タッグであるのにもかかわらず……小橋は、ずっと出ずっぱりだった。ひたすら小橋だけが試合に出続ける中、四人の弟子たちを次々に相手にしていく。
 試合が始まる前、少し不安に感じたことがあった。武藤にせよ健介にせよ、小橋を全力でサポートすることこそが生き甲斐である秋山さんのような奇特なお人とは違うのだから、自分の存在感をアピールするような場面も出てきてしまうのではないか、と。
 だが、そんなこともなく……組んだ三人は要所要所でのサポートのみに徹する中、ただ小橋だけが試合に出続けた(後日確認したところ、試合時間の三分の二は小橋が出ていた……)。
 小橋は、自分の試合の負担を減らすために大人数のタッグマッチを引退試合に選んだのではなかった。……そうではなく、最後に一人でも多くの自分の弟子と闘うために、このようなカードを組んだのだ。


 小橋にとって、この日の引退試合は、447日ぶりの復帰戦でもあった。
 その、最後から二番目の試合で、小橋は自ら放ったムーンサルト・プレスで昔からの古傷を抱える膝を強打し、大怪我を負うことになった。
 だから、最後の試合で……おれは、小橋にムーンサルトを打って欲しくはなかった。しかし同時に、小橋なら絶対にやるだろうとも思っていた。
 体重が軽いジュニア・ヘビー級の選手ならいざしらず、ヘビー級の選手がムーンサルトを使うことには、大きなリスクをともなう。他ならぬ武藤と小橋こそが、そのことを、自分たちの肉体でもって実証してきた。
 ムーンサルトを使い始めた頃、まだ若い小橋は、師匠であるジャイアント馬場さんから、その体重でムーンサルトを使うのはやめろとはっきりと言われたことがあるらしい。……だが小橋はこれに強く反発し、小橋としては珍しいことに、飲んだくれて荒れるような夜があったのだという。
 ……馬場さんに言われてもやめなかったのだ。もう、小橋を止める手段などあるはずもないではないか。小橋が最後のムーンサルトを打つ瞬間は、必ず訪れるだろう。あとは、そこで小橋が怪我を負わないことを祈るしかない……。
 だが、後日……小橋の試合後のコメントを読んでいて、おれは、自分が大きな思い違いをしていたことに気づいた。小橋は、無理をしてでもムーンサルトをなんとか打ちたい、などと思っていたのではなかった。……そうではなくて、小橋は、自分は絶対にムーンサルトを打たなければならない、と思っていたのだ。
 それはなぜか? ……もし小橋が最後のムーンサルトを打たないままに引退試合を終えてしまえば、膝に大怪我を負ったムーンサルトこそが最後のムーンサルトであったということになってしまうからだ。だから、小橋は改めてムーンサルトをやり直すことで、失敗を成功に書き換えなければならなかったのだ。
 いざそのことに気づいて振り返ってみれば……小橋ほど、リング上で何かに失敗しても堂々としているレスラーはいなかったということに思い当たる。
 例えば、何かの技を相手にかけようとする。失敗して、ぶざまに崩れ落ちた醜態をリング上でさらしてしまったとする。だがこのようなとき、小橋は、全く恥じいる様子もなく堂々としている。そして、すぐにその場で同じことを繰り返し、今度はきちんと成功させたりするのだ。多くのレスラーであれば、自分が失敗して醜態をさらしたことを恥ずかしがり、かえって醜態を目立ったものにしてしまうところだろう(……今、なぜか、困ったような顔でリング上をうろうろして困惑している、大森さんの姿が思い浮かんだ……)。
 失敗したら、一からやり直せばいい。いや、むしろ、失敗したからこそやり直さなければならない。……小橋は、ムーンサルトに関してそのような決意をもって、この日の試合に臨んでいたのだ。


 試合は、既に40分近く経過していた。金丸が孤立したところを捕獲され、武藤がシャイニング・ウィザードを放つ。そのまま小橋も金丸を攻め込み、ラリアットを放つ。さらには武藤が追撃してムーンサルト・プレスを放つ。そして起き上がった武藤は、小橋に何かをうながした。
 大きくうなずいた小橋は、いつものように握り拳を作り、そしてコーナーに登り……ムーンサルトを放ち、そのまま金丸から3カウントを奪った。


 終わってみれば……それは、完全に、「いつもの小橋」の試合だった。
 改めて、思うのだが……この日の小橋は、とことん「今」にこだわった。これをもって引退する最後の試合だからといって、その試合自体に過去への回顧などをまぎれこませるようなことはしない。ただひたすらに、自分が今その瞬間にできることを全力で積み上げる。
 興業全体の進行やマッチメイクまで自分の思うように設計した、この日の小橋は……細部の隅々に至るまで細かい配慮を行き渡らせ、訪れる観客を全力でもてなした。
 最善の興業の形態を組み上げ、出場選手の誰もが輝けるような場を創り……その上で、自分自身こそが最も輝きを放つ存在であることを強引に示し、最後に全てを持っていく。
 そこにいるのは、今日という日でリングを後にするゆえに謙虚に去り際を示そうとする男ではなかった。これまでもずっと続けてきたように、全力で駆け抜け、それを続けたとき、たまたまその先のある地点に存在するゴールラインという節目に到達する……。
 小橋は、最後まで貪欲だった。「今」にこだわり、「今」を駆け抜け、「今」を積み重ねることで終着点に到達した。
 そして、その全力疾走を通じて……ギリギリの最後まで、観客にメッセージを送っているかのようだった。プロレスは、こんなにも面白いのだと。プロレスには、ここまでできるのだと。
 ……おれは、小橋に言い返したい気持ちにとらわれた。……ふざけんな。そんなことはわかってるよ。……一人の観客としては、積極的に小橋のためにできることなんて何もない……だから、今日は、自分が何かを与えられようなんて微塵も思わなかったんだよ。ただ、その場に居あわせて見届けることが、それだけが、自分が小橋のためにできることだと思ったんだよ。……なのに、なのになんで、ここまでしてくれるんだ?


 試合が終わった後のリング上では、最後の試合で小橋と組んだ選手たちが揃い、健闘を称え合っていた。そして、小橋の弟子たちも、一人一人が小橋と握手をしていた。
 日本テレビの矢島アナが小橋にインタヴューをする。リングに小橋のお母さんと奥さんがあがり、花束を贈る。……そして小橋は一人でリング上に残り、最後に小橋を送り出すための10カウントゴングが場内に鳴り響いた。
 そして、今日の興業に登場したレスラーたちが、次々にリング上に上がっていく。全員で記念撮影をし、そして、一人一人が、小橋に握手を求めていく。もちろん、その中には、感極まったような様子で、うやうやしく両手を差し出して丁寧に何度も頭を下げる、大森さんの姿もあった(後日知ったのだが、自分の試合前のコメントでは、「なんでおれたちが小橋の相手じゃねぇんだよ! 小橋の引退試合、試合やらせろ!」とか吠えて暴れてたのに……大森さん、あんたって人は……)。
 このときの光景を、改めて映像で見直したときに、はっとしたことがあった。小橋の表情が、ちょっとこれまでにリング上で見た記憶がないほど、清々しく笑っているのである。
 小橋ほど、リング上での喜怒哀楽がはっきりとわかるレスラーもいない。たとえ会場の最後尾で見ていたとしても、小橋の表情は手に取るようにわかる。
 小橋が激勝して歓喜を爆発させるときには、その感情は膨れ上がって会場を包み込む。だが、このときの小橋の顔にあったのは、それとは違う、細やかな表情だった。……すぐにはわからないほど繊細で、柔和で……それは、全てをやり遂げた男の笑みだった。
 レスラーたちの最後に、タッグパートナーの本田多聞と握手し……西永レフェリーからも握手を求められ、そして改めて一人になった小橋は、いつものように、リング上から四方に向けて丁寧にお辞儀をした。
 だが、すぐにリングは去らずに……赤コーナーに歩み寄ると、コーナーポストに顔をうずめた。
 しばしの時が流れ、そして今度こそリングを降りた小橋は、花道を退場していく。……その姿は、もう、プロレスラーではなかった。今日の試合で見せた、いつも通りの姿が嘘であったかのように……膝の痛みもあらわに、ヨタヨタとバランス悪く歩いていく。
 花道が終わるところ、その果てで、再び小橋は場内の方に振り向いた。そして、最後の別れが名残惜しいかのように、しばらくその場に佇み、観客からの歓声に手を振って答えたりしていた。やがて小橋は、改めて一礼すると、意を決したかのように振り向き、バックステージへと消えていった。


 プロレスの興業が、はっきりとした形で終わる、その明確な境界となる瞬間がある。それまでは観客たちがリング上だけに集中して見つめていたのが、これで終わったという共通了解が生まれ、緊張が解け、非日常が終わり、ふと日常の時間に引き戻される、あの瞬間。
 だがこの日に限っては、ただ単に、一つの興業が終わるのではなかった。その境界となるまさにその瞬間には……この場所に積み重ねられてきた、無数の人々の全ての記憶が……興奮があり、歓喜があり、涙を流し、怒り、笑い……小橋がチョップを連打して相手の胸板から発するあの音が、しぶきとなって飛び散る汗が、腹の底から叫んだあの声が、それらの記憶の断片が次々に浮かんでは消え……初めて三冠に挑戦し、あまりに潔くていっそ清々しいまでに壮絶に玉砕したあの日、負傷した左足を執拗に痛めつけられ続けて、それでも雄叫びをあげて立ち上がったあの日、三冠を奪取して新時代を宣言したあの日……長い長い夢を見ていたことを実感し……そして、それら全ての記憶が奔流となって入り交じり……リングの上空、武道館の中央の虚空へ飲み込まれ、全ては幻となって消え去った。
 夢から覚めた。全てが終わり、一つの区切りがついた。そして、今になって自分の過去二十年を振り返り、改めて思う。
 小橋がいたから生きられた。
 小橋がいたから、なんとか今日という日までたどり着くことができた。
 おれは依然としてスタンド席に座っており、立ち上がらずにいる。立ち上がって、武道館から外に出ていけば、「プロレスラー・小橋建太のいない世界」で新たに生き始めなければならないのだ。
 そう考えると、自分の中で何かが締め付けられるようにキリキリと痛むのを感じずにはいられない。しかし、その痛みを否定するのではない。……ただ、今はなんとかして、少しでも今のこの時間を引き延ばしたかった。
 それに、いずれにしても、武道館を出れば、外は大混雑しているだろう。もともと、ここから帰ろうとするときは、車で来た観客も駐車場から出るのに苦労するし、駅から来た観客も、田安門にせき止められて、そこを越えるまでに足止めを食う。
 だから、武道館でプロレスがあるたびに、最後の試合の決着がついた瞬間に席を立ち足早に退出する観客が、一定数存在する。……しかし、さすがにこの日は、そういう観客はほとんどいないようだった。誰もが、小橋がリングを下り節目をつける最後の瞬間までを目撃しようとしていた。…ということはつまり、観客は一斉に同じタイミングで帰るのだから、武道館の外はいつも以上に混雑していることになる。
 こういうとき、おれはいつも……取り立てて急ぐ用事もないときは、客席に座ったまま、人の波が引いていくのを待っているのだった。リングが解体され、各種機材が撤収されていくのを眺めている。
 そしておれは、一つのことに思い当たる。今日は、観客が見たいものを何から何まで至れり尽くせりで見せてくれた興業だった……そう思っていた。しかし、ただ一つだけ、今日の興業に足りないものがあった。
 三沢光晴のテーマ曲、「スパルタンX」が場内に鳴り響くことがなかったのだ。
 もちろん、それは、主催者側の落ち度ではない。単純に言って、それはおれの方でのないものねだりと言うべきだろう。……だが、こうして武道館の中で座っていると……90年代、全日本プロレスが年に六回か七回の興業を武道館で打っていて、その全てに通い詰めていたあのころのことが思い出されたのだ。
 あのころには……メインの決着がついて立ち去る観客も出始めてから、自分は急がずに待機していて観客たちの中でも最後の方に帰るまでの、その隙間の時間……そんな時間に最も数多く耳にしていた曲は、他ならぬ「スパルタンX」だった……
 「スパルタンX」を聞く機会は遂になかったということが、今日の興業に、ただ一点の影、唯一の曇りを投げかけていたのだ。
 ……だから、おれは……依然として同じ場所に座り続けながら……ただ自分一人の頭の中でだけでも、「スパルタンX」を鳴り響かせようとし続けていた。










  

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