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絓秀実『タイム・スリップの断崖で』に見る、日本の文芸批評の問題点(下)

 蓮實と柄谷の少し下の世代として両者の多大な影響を受けることを回避できなかったの絓の批評には、両者に板挟みされた者に特有の逡巡があるように私には思える。
 小林秀雄の批評の最悪の部分には、自分の分析能力を超えた作品の分析を放棄し、作品に遭遇する体験を神話化して流通させるような面が確かにあった。……一方、絓より若い世代の聡明な批評家は、しばしば、単に作品の分析そのものを放棄する。明晰な理路を備えた単線的な言語からなる批評ならば分析を拒むようなこと自体がありえないため、そのような対象だけを選べば、高度な議論はどもることなく淀みなく展開される。
 絓秀実の批評にあるのは、この両極のどちらにも振り切れない態度だろう。作品の分析に手をつけるスガは、自身のそれ以上の分析を拒むような真に優れた作品に遭遇すると、その核にまで行き当たってしまう。良くも悪くも、そこに絓の批評の限界がある……そして、そのとき初めて絓は、自身の逡巡に対する照れ隠しの意味もあるのだろうか、フィクションとしての駄法螺を吹き始めるのだ。
 このような点で、絓秀実は、しばしば似たようなポジションにあると見なされる渡部直己とは決定的に異なっている。両者の決定的な違いは、それぞれの著作のタイトルを見ていけばすぐにわかる。……渡部は、作家名を冠し単独の(もしくはいくつかの)作家に冠する単著を幾冊も上梓してきた。これに対して、絓は、(とりあえず今のところは)このような著作を書くことはなかった。絓が自身の著作に固有名をまぎれこませるような場合、そこにあるのは常に、先行する批評家の固有名であったからだ。
 もちろん、このことは、渡部の優位を意味しない。というのも、渡部は、特定の小説家を取り上げ小説の具体的な内容に即した記述をするに際して、テクストそのものを平然と裏切るようなデタラメを何度も書き連ねてきたからだ。
 具体例を一つ挙げてみよう。これまで渡部は、いたるところで、大江健三郎の『万延元年のフットボール』を同趣旨で批判してきたが、これがなんとも愚かで無惨なものなのである。……渡部によると、大江が『万延元年のフットボール』の中核に置いているのは「表象不可能性」であり、それは「本当のことをいおうか」という言葉で何度も繰り返されているのだそうだ。決して表象することができず言葉にできないことを「本当のこと」として作中に配置することによって、時代状況に制約された素朴な疎外論的文脈を形成してしまっている、のだそうだ。
 しかし、大江が「本当のこと」という言葉の引用元とした谷川俊太郎の詩には、「本当の事を云おうか/詩人のふりはしているが/私は詩人ではない」と書かれているのにすぎない。また、『万延元年のフットボール』の作中でも、鷹四は確かに「本当のこと」の実態を述べずに意味ありげにほのめかしつ続けはするものの、いざその内実に言葉を与えてみると、蜜三郎によって一笑に付されてしまうような大したこともないこととされている(……というか、作中で鷹四は「オレハ本当ノ事ヲイッタ」というはっきりとした言葉を残してすらいるのに、なんでこれが「表象不可能」なんだろうか……)。
 本来なら当たり前のことのはずなのだが、「表象不可能なこと」と「表象困難なこと」とではまるで異なる。そして、多少なりともまともな作家であれば、当然のこととして、「表象困難なこと」をいかにして表象するのかに腐心する。その技術的な努力の部分をすっ飛ばして、あたかも作家が何でもかんでも「表象不可能性」のカテゴリーに放り込んでいるなどと見なすのは、「表象不可能なこと」と「表象困難なこと」の差異を見極めようとすることすらしない、怠惰な読み手の側の愚かさにすぎない。
 『万延元年のフットボール』を作品の具体的なテクストに即して見ていく限り、疎外論の文脈によって限定された表象不可能性の問題などというものは存在しない。それは大江の問題ではなく、渡部がもともと持っていた自分の問題を勝手に大江の小説に投影した挙げ句、大江の側の問題だと勝手に誤読して罵倒しているのにすぎない。渡部は、自分の内部の愚かさを勝手に外部のテクストに投影し、自らの愚かさの鏡像を叩いているのにすぎないわけだ。


 ……以上のようなことは、なにも渡部直己だけに限られることではなく、至る所で何度も繰り返されてきたことであるだろう。そういう意味では、絓なり後続する批評家なりが、安易な分析を拒むテクストの分析を回避しつつ明確に分析できる対象のみを取り上げることは、相対的には明らかに優位に立つことであるし、無駄に他人の作品を貶めないという意味では誠意のある行動であるとすら言える。
 とはいえ、絓の著作に即して見るとき、核心部分で特定の対象への分析を回避することが、著作の全体への影響をも及ぼしているようなこともあるのである。そのことを、少し具体的に見てみたい。
 非常にトリッキーでありなかなかに独創的であるゆえに、絓の批評のスタンスが明確に表れているように私に思えるのが、文芸誌「すばる」で連載されていたチャート式文芸時評である(単行本としては、『文芸時評というモード』に収録)。
 この文芸時評における絓は、その月に文芸誌に発表された小説を縦軸と横軸の二つの観点から点数化して評価し、その全体の位置づけをチャートとして提示し、一望する図を与えてみせる。
 その際、横軸は「技術」で一定しているのだが、縦軸はと言えば、正月には「おめでたさ」、ある時には「共産主義」、野球になぞらえたいときには「リーグ優勝可能性」、などと、テキトーきわまりないものである。
 もちろん、この毎月ころころと変わり続ける縦軸は、数値化の根拠などというものは何ら存在しない、駄法螺の類のものである。その意味で、この二元的に数値化されたチャート表が意味することは、ごくシンプルな一つのことでしかない。……すなわち、同じ月に文芸誌で発表された小説を完全に同一の基準で見てみれば、どんぐりの背比べにすぎない大半のゴミと、安易な分類を超えたごく一握りの優れた作品の二つが存在しており、その両者の決定的な溝は埋めがたい……ということである。
 以上のような性格を持つチャート式文芸時評を単行本化した『文芸時評というモード』は、絓の著作の中では最も「アジビラ」としての側面が強い(なおかつうまくいっている)ものだと思うが、しかし、ここには、実はかなり根深い問題が残っている。……絓による文芸時評は、実は、もともとは渡部直己が「物語内容」と「物語言説」の二つの価値基準から点数化することを前提とした文芸時評が非難轟々たる反応を得た後で、その数値化の前提を踏襲しておこなったものだったのである。つまり、絓は、「文学作品を厳密に点数化する」という形式を踏襲しつつも、実はその判断基準などいくらでも適当にこじつけることができるということをパロディとして実演しているわけだ。
 だが、絓がパロディを実演しているのだとして、それは何に対するパロディなのか。絓は、『文芸時評というモード』の冒頭に、そもそも文芸時評という日本に固有の奇妙な制度とは何なのかという原理論をも収録している。そこには、次のような記述が見られる。


 近年にいたるまで、日刊紙=全国紙における文芸時評の存在意義が、繰り返し疑問に付されてきた。しかし、寡聞にして、どこかの日刊紙=全国紙が文芸時評という制度を廃したという話も聞かない。これにはやはり理由があると考えるのが妥当なのであって、私見によれば、文芸時評とは――とりわけ、日刊紙=全国紙のものは――「天皇制」のごときものと位置づけることができよう。それは、まさしく「国民的象徴」なのであって、かつて湾岸戦争についての反対署名を「天皇制」の一語で総括しようとした者がいたが、彼がその批判の分析の対象を文芸時評に向けたとしたら、多少は実り多い成果が得られたのではないかと、今となっては惜しまれるのである。
 つまり、文芸時評なる制度が、新聞の配布先たる全国民に伝達しようとしているメッセージは、日本国民が、国民として付与された特質にもとづいて、月々自発的に、「文学」(=芸術)という富を算出しているということそれ自体であって、その意味において、文芸時評は「国民的象徴」なのである。この場合、時評に取り上げられた作品がどのようなものであるかは、さしあたり、問われる必要はない。文芸時評とは、天皇とおなじく、国民レヴェルにおいて、存在することに意義があるものなのである。確かに、こんなことが制度的に保証されている国は、ほかにはあるまい。(『文芸時評というモード』、p8~9)



 文芸時評という制度とは、天皇制のごときものである。絓は、はっきりとそのように述べている。ならば、そこに存在する前提を転倒しパロディによって全体像を覆すという作業をしているのだとしても、いったんは天皇制を受け入れていることは否定できない。
 文芸批評もまた何らかの制度の内にあることに自覚的でありつつその制度を内部から転倒してみせるようなパロディをテクストそのものの水準で実演してみせることに関しては、おそらく蓮實重彦の影響が強いのであろう。しかし、それぞれがどのような活動をしどのような発言をしてきたのかを照らし合わせてみれば、天皇制をいったんは許容した上で活動することに関して、どちらの方が批判されなければならないのかについては、言うまでもないほどに明らかだろう(……とはいえ、現在の時点での絓は、そういうことまで考えた上で、文芸誌からも大学からも収入を得ていないのかもしれないが……)。
 だが、問題は、絓の言行不一致にのみあるのではない。正直なところ、左派による天皇制の利用を生真面目に批判する絓より、『文芸時評というモード』において適当な駄法螺を展開する絓の方がよっぽど面白いとすら私は思う。……にもかかわらず、私が『文芸時評のモード』という著作を肯定しきれないのは、ここで実演されるパフォーマンスが、絓が本来なら論じるべきであるはずのことを覆い隠す煙幕として機能しているように思えるからだ。
 絓によるチャート式文芸時評は、ひとたびパフォーマンスを取り払ってしまえば、「同時代的に文芸誌で書かれ続ける大半のゴミ」と「一握りの小説家による真に読まれるべきテクスト」を選別することしかなしていなかった。そして、ゴミのゴミたるゆえんは、それなり以上に優れた批評家であれば、誰でも明快に述べることができる。
 一方、絓は、一握りの優れたテクストをテクストに即して念入りに分析する作業は、肝心の所で回避する。日本語という言語に対する自己言及的な分析に基づく文学作品であるならば天皇制という制度そのものに亀裂を入れることすらありうるのかもしれないのにかかわらず、絓はそれを正面から論ずるのではなく、自身の言説をもフィクションと化しつつ、パロディとして距離を取っているというエクスキューズをつけながらも、天皇制への加担に自らもまた加わってしまう。


 絓が、重要作家の重要作品に対して、肝心の部分での分析を回避してしまっているということは、文芸時評よりも主著での記述に即して見ていく方がいいだろう。もちろん、文芸時評においては作品の具体的な分析があるのだが、絓の場合には、分析しないことではなく、肝心な部分で核を回避するというところに問題があるので、主著の長い記述の方が例としてはよいわけだ。
 以前から私が気になっていたのは、『革命的な、あまりに革命的な』における、絓による大江健三郎への読解なのであった。……もともと、『革命的な、あまりに革命的な』という単行本にまとまる原稿は、鎌田哲哉が「進行中の批評」を連載していたのと同時期に、「早稲田文学」に連載されていた。そこで、鎌田の側から提出された批判と同時進行で進むのを読みながら、絓の大江の作品に対する扱いに驚くということが、私の中であった。
 『革命的な、あまりに革命的な』という著作の主眼は、1968年の日本で起きていた状況を分析することにある。そういう意味では、一小説家である大江への言及が主要なものとならないことは問題ではないのだが……絓が大江に関して言及するのは、主に、1968年の学生活動家たちに影響を与えた若い世代の小説家、という側面に注目してのことになる。
 当時の学生活動家より少し年長の世代の大江が後続する世代に影響を与えたのは、大江が学生時代に書いた初期作品『われらの時代』であるとされる。その上で、その内容が批判的に分析されることになるのだが……もちろん、『われらの時代』という作品そのものは、大江自身のキャリアの中では、若書きの初期作品にすぎない。
 では、当の大江は68年に何をしていたのかと言えば、「走れ、走り続けよ」「核時代の森の隠遁者」「狩猟で暮したわれらの先祖」などのその時期に書いていた中短篇を『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』として出版することなのであった。
 絓は、大江の初期作品『われらの時代』の、とりわけ作中での「われら」という言葉の持つ含意が68年の日本の学生活動家たちにもたらした悪影響について論じてみせる。しかし、大江自身が68年に『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』という連作集のなかでやっていたのは、自身が初期作品で提起した「われら」という言葉の迂闊さを自己批判し、解体してみせることだったのである。
 つまり、大江自身が68年になしていたことをの実態を作品に即して分析しようとするならば、同時代的な現実と同調するわかりやすい見取り図を描くことなどできなくなる、ということだ。だからこそ、絓の『革命的な、あまりに革命的な』という史論においては、「大江の若書きが68年に与えた影響」の記述はあっても、「大江自身が68年に出版したテクストの分析」は含まれない。
 とはいえ、このことについては、絓自身が著作の内でエクスキューズをつけてはいる。……絓によれば、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』に先立つ『万延元年のフットボール』の時点で、大江は同時代的に影響を与える知識人としての立場から離脱したのだという。それゆえ、『万延元年のフットボール』以降の大江は、同時代的な状況を分析する上では参照する必要がないのだ、と(ついでに言うと、大江の『万延元年のフットボール』の位置づけに関して、絓は、「疎外論的な文脈にある」という渡部の評価を共有している……のだが、むしろ、そのことによって同時代的な責任を放棄するデタラメさがあるということをこそ評価しているのである。こういうことを見て改めて思うのは、渡部が本人としては大まじめにテキトーなたわごとを述べだしたら、絓がとりあえずそれを引き受けつつパロディ化してギャグに作り変えてあげる、ということが繰り返されてきている、ということだ。……しかし……なんというか、これは、ボケとツッコミの役割が完全に逆転していると思うのだが……)。
 以上のような状況をふまえつつ、それでもなお絓の大江に対する対応にもどかしさを覚えるのは、絓が「読めていない」からではなく、むしろ逆に、「読めている」からである。
 何人かの文芸評論家が集まった座談会の席で、福田和也が大江について「クヌート・ハムスンやセリーヌなどの真の偉大さに比べると、その一歩手前にいる」という趣旨で評したことがある。それを受けて絓は、次のように述べているのだ。


 たとえば『狩猟で暮したわれらの先祖』のあたりは、これ意外とセリーヌに近い感じがしませんか。(「小説の運命Ⅰ」、『皆殺し文芸批評』所収、p128)


 ……いやいやいや、だから、やっぱり、わかってんじゃ~ん! 大江の核心がどこにあるのという話になると、真っ先に持ち出してくるのは、スガにとっては、やはり『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』から、ということになるのである。にもかかわらず、いざ68年の史論を書くとなるとこの作品には一言も触れないということにこそ、絓秀実という批評家の限界があるように思えてしまうのだ。


 絓秀実の批評を以上のようなものとしてとらえていくと、後続者としてそれを批判する鎌田哲哉の立場にも、従来とは異なる評価を下さなければならないように思える。
 鎌田の絓批判によれば、絓が同じ論旨での悪循環を繰り返しているのには、「翻訳」や「法廷=議論」という契機が欠如しているからなのだという。しかし、これらが、絓以前から繰り返されている「分析困難なテクストの回避」の一形態だと考えてみると、鎌田自身もそこから免れてはいないことが明らかになるのである。
 論争的な局面での舌鉾の鋭さと論理の切れと説得力という意味では、恐ろしいまでの強さを持つのが鎌田哲哉という批評家なのであった。……しかし、鎌田の批評のほとんどにおいて、何度も繰り返されるきまった型が存在していた。
 鎌田は、自分が批判する対象の弱点をえぐり出すと、いかにしてその弱点が成立していいるのかをギリギリまで論理的に記述する。……しかし、最終的に対象を否定する際にするのは、「そのような弱点を備えていない、豊かな価値を備えたテクスト」を持ち出し、否定する対象にぶつけることである。
 鎌田のデビュー作「丸山真男論」において、丸山の弱点に対してジョイスの『ユリシーズ』をぶつけて以来、鎌田はこのレトリックを何度も繰り返していた。しかし、「否定されるべき対象の弱点」を免れているものとして提示されるテクスト(その大半は著名な文学作品である)は、無条件に肯定されるべきものとしてのみ参照され、なぜそれが肯定されるのかはそれ以上分析されることがない。
 言い換えれば、鎌田にとっては、「肯定されるべきテクスト」はあらかじめ無謬なものなのであり、それ以上の分析は許されていない。……そういう意味では、その核心部分において、鎌田の批評は教条主義的なものであると言うほかないのだ。


 私自身、鎌田哲哉の批評の多大な影響を受けてきはしたものの、そういう意味では、やはり鎌田哲哉よりも山城むつみの方が優れた批評家であると言わなければならないだろう。山城は、向かい合うべきテクストに実直に向かい合い愚直に分析する批評をなすからだ……しかし、その帰結として、ぱっと見のわかりやすい面白さはない。
 このあたりのことに関して非常に良くないと思ったのが、既に引用したインタヴューの中で、蓮實が山城の批評を「まったく興味がわかない」「とにかく面白くない」とボロクソにおとしていたことだ。
 既に言及したように、同じインタヴューの中で、蓮實は、日本の文芸批評における具体的なテクストの分析の欠如を問題にしていた。とはいえ、もちろん、そのこと自体は誇張である。実際には、テクストを具体的に引きつつ作品を論じる批評家は掃いて捨てるほど存在するが、その大半は箸にも棒にもひっかからないものであり、どうしようもない単純素朴な誤読をなしており、そもそも取り上げるのにすら値しないということだ。
 そういう意味では、相対的に見れば、山城むつみは、まともにテクストが読めるという意味で希有な批評家であると言わなければならない。しかし蓮實は、今度はそれが「面白くない」と難癖をつけだす――それも、まともな分析ができていない側の渡部直己あたりを聞き手としながら、である。平然とダブルスタンダードを行使しているここでの蓮實には、党派性しかない。
 具体的なテクストの分析を愚直にやったところで、読み物として面白くなるはずがない。単純な面白さを求める多数の読者を呼び込むはずがない。現にというか、このインタヴューからしばらく後に蓮實は実際に『「ボヴァリー夫人」論』を出版することになったが、あの書物にはまともな読者などほとんどついてはいないではないか。
 実直な作品論であり、長大にして難解な議論をも含む『「ボヴァリー夫人」論』は、そもそも通読した者すらほとんどいないような書物であるだろう。蓮實の主著がそんなものであるのだから、蓮實の活動の全体像を俯瞰できる者などほとんど存在しないはずであるにもかかわらず、『伯爵夫人』のようなしょうもない小説が世に出ると、『「ボヴァリー夫人」論』については沈黙を決め込みんでいながらも、とりあえず小説だけ読んだら「遂に蓮實について語れるぞ!」とばかりに鬼の首でも取ったかのようにはしゃぎだすアホどもに対しては、私としては、呆れる以外の反応はない。しかし蓮實は、この手のアホどもをコントロールし煽動し動員することによって自分の権威を築いてきたことも今となっては否定できないだろう。
 『「ボヴァリー夫人」論』は、「面白くない」……それは山城むつみの批評が「面白くない」のと、同じ意味に置いてである。あるいは、かつての蓮實によって激しく否定された小林秀雄の「遭遇のメロドラマ」にしても、批評家として飯を食っていくために選択された方法論でしかなかっただろう。小林を肯定する者も否定する者も、その大半は、小林の人目に立つパフォーマンスやレトリックの部分しか見てはいない……それは、小林からしてみれば、そういう読者は動員されている側の者でしかないと言うことだ。そして、『「ボヴァリー夫人」論』と『伯爵夫人』の読者の配置を見る限り、蓮實もまた、結局は小林のあり方を繰り返している。
 そういう意味では、そのことに自覚的であろうとなかろうと、誰もが「日本の文芸批評」の磁場に囚われていることは確かだ。……だが、仮にも批評家としての道を選んだ者は、フィクションの分析が行き詰まった地点で、自らがフィクションの実演に逃げ込むようなことはやはりやめるべきだとは思う。少なくとも、絓秀実が『タイム・スリップの断崖で』という書物の核心で書いていたこととは、近代国家なりの天皇制なりの分析をするのに当たって、フィクションの分析こそが必要不可欠であるということなのだった。
 現実社会の分析という局面ですら、文芸批評にしかできないようなことが確かにあるのならば、なぜそれを回避する必要があるのだろうか。


 訂正 大江健三郎の小説についての書誌情報で微妙に不正確な表現があったので訂正します。大江が主に68年に執筆・発表していた作品群が『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』として単行本になって出版されたのは、翌69年になってからでした。失礼しました。









絓秀実『タイム・スリップの断崖で』に見る、日本の文芸批評の問題点(中)

 前回の続き。絓秀実の『タイム・スリップの断崖で』を読みつつ、絓がだいぶ以前の段階で鎌田哲哉によって批判されていたようなことが依然として繰り返されているのではと思う一方で、ここにはより大きな文脈での、日本の文芸批評全般に共通する問題点が潜在的にあるのでは、と考えたのだった。
 さて、そのような問題に関して、私の知る限り最も自覚的なのは蓮實重彦である。ではそれはなんなのかというと、一言で言ってしまえば、「文学作品の実体であるテクストの具体的な分析の欠如」である。
 小林秀雄以降をとりあえずの区切りとして見たときに、日本の文芸批評は、文芸批評であるにもかかわらず文学作品のテクストそのものの記述・分析を回避してきた。そのことをことあるごとに強調するのとともに、小林秀雄をも手厳しく批判してきたのが蓮實なのであった。
 例えば、蓮實は、小林が詩的言語を初めとする特権的な芸術体験との自分の初めての邂逅を語ってみせ多くの後続者を引きつけ多大な影響力を行使してきた独特の語り口を、「遭遇のメロドラマ」として切って捨てる。
 なるほど、小林がランボーなりモーツァルトなりとの自分の最初の遭遇を語ってみせる言葉の内実を分析してみれば、そんなことなどおよそ現実にはありえなフィクションであることは明らかである。小林は、ある特定の芸術作品と、それに出会った自分の体験とを特権化するフィクションを流通させ、それを周囲に現実だと信じさせることによって、自身の批評家としての決定的な影響力を築く。……少なくともこのプロセスでは、批評家が芸術作品を具体的に分析することがなしですまされている。
 しかし、小林秀雄の批評をおおよそ以上のような立場から批判する蓮實がどのような批評をなしてきたのかと言えば、これが非常に入り組んだ、なかなかに複雑な事情がある。
 まず前提としなければならないのは、とりわけ映画批評家としての蓮實は、作品の実体に即した具体的な分析に継続的に取り組み続けてきたということだ。しかし一方で、蓮實が小林に対して批判したような、分析のない独立したフィクションとしての批評をも継続して手がけてきたという事実がある。
 とはいえ、蓮實が提示するフィクションには、小林とは決定的に異なる特徴がある。……小林の提示するフィクションの特徴とは、それがフィクションであるにもかかわらず、影響を受ける人々がまぎれもなく真実であると信じていた点にある。言ってみれば、小林のフィクションは「神話」である。これに対して、蓮實が自らの批評に紛れ込ませるフィクションは、誰がどう見てもホラ話だとわかるようなものでしかない。誰もがフィクションだと自覚して接する状況を前提とするのが蓮實のフィクションなのであるのだから、ここにあるのは、「近代以降のフィクション」の問題であるだろう(これは言い換えれば、蓮實の批評こそが「近代以降の天皇制」の問題を内在させるものであるのかもしれないということでもあるのだが、このことについては後述する)。
 蓮實重彦という批評家は、日本の文芸批評における記述・分析の欠如を指摘し、分析をせずにすませながら批評家が自分に都合のいいフィクションを流通させて影響力を行使するような事情を暴露する。しかしそれと同時に、自分自身もまたフィクションを堂々と流通させるのだが、その際、それがフィクションであることを隠そうとすらしないようなものであるため、非常に大きな影響力を持つに至りながらも、その巧みに構築されたフィクションを批判するのは難しい。……さらに言うと、そのようにして自身の影響力を築いた文芸批評家としての蓮實が、文学作品を実直に分析した主著を予告し続けていてもそれを出版することなど遂にないだろうとばかり私は考えていたのだが、なんと蓮實の『「ボヴァリー夫人」論』は実際に完成し本当に出版されてしまったのである。このことが、事情をさらに複雑なものにしている。
 蓮實重彦の批評は毀誉褒貶激しく、肯定する者も否定する者も夥しく存在するのではあるが、肯定する側も否定する側も、ほとんどの場合、蓮實の周囲にある極めて複雑ない事情を把握していない。蓮實は、自身の置かれた文脈や状況によって細かく立場を変更させ続けており、その言説は状況ごとに全て異なる色合いを持つのである。
 大ざっぱに言えば、蓮實は、状況に応じてモダニストとしての立場とポストモダニストとしての立場を細かく使い分けている。この複雑な状況は、日本が文化的な後進国でしかないゆえのことであると思うのだが――いずれにせよ、結果として蓮實の批評の性格は、単一の立場から単純に要約して把握できるようなものではありえない。
 そのことの具体例として挙げることができるのは、蓮實の精神分析なりアカデミックな映画研究なりに対する両義的な態度だろう。絓と渡辺直巳と城殿智行によるインタヴューの中で、蓮實は次のように語っている。


 私の立場は非常にインパーシャルというか、ユング流の思想ばかりが意味もなく珍重されている日本では、フロイト流の精神分析がもっと盛んになってほしいという真摯な思いが一方にあるのです。勿論、本当に盛んになったら潰すつもりですけどね(笑)。ただ、本格的な精神分析は、現在の日本の大学にはほとんど存在していないでしょう。これは、知の平衡感覚という視点から大いに問題だと真摯に思っているのです。大学の映画学研究にしても同じです。アメリカ流のフィルムスタディーズがもっとさかんになったら、これも潰すつもりでいます。しかし、現状としては、精神分析も映画学も、やはりもっと盛んにならないと困る。(「文学と映画をめぐって」『「知」的放蕩論序説』所収、p103)


 ここにあるのは、前回のエントリで取り上げたような、例えばフランスの左派がマクロンに接する際の両義的な態度と同質のものであるだろう。……蓮實は、まず近代的な文化が成立する前提として精神分析なり映画学なりが制度として整う必要を痛感しているのだが、それが制度として確立し硬直した瞬間に、批判的に脱構築しなければならないともみなしているのである。……言ってみれば、モダニストとしての立場からもポストモダニストとしての立場からもまともに機能する者が存在しない以上、自身が両方の局面で機能しなければならないという継続的な態度変更が、蓮實重彦の批評の核心に存在するのである。さらに言えば、これは文芸批評の文脈においては、ニュー・クリティシズム的なものの存在が前提とされなければまずいが、それが盲信されてもまずいということだろう。結果として蓮實の立場は文芸批評の文脈においてもかなり複雑なものであるのだが、蓮實の立場を単純な言説で裁断できると思えてしまう愚かさは、困ったものである。


 もちろん、蓮實重彦の批評の以上のような複雑に入り組んだ状況に比べれば、柄谷行人の批評は、極めて単純な文脈の元にある、率直でシンプルであるゆえにどこまでも明晰なものであるだろう。
 同時代的に多大な影響力を持った両者の批評は、時を経るごとに、その乖離の度合いを強めることにもなった。蓮實は、少なくとも映画批評においては、実際に画面に映っているものに即した記述をすることから批評を始めることを根付かせることに成功した(蓮實の映画批評にも功罪の両方があるのは当然のことだが、映画批評の文脈での蓮實を単純素朴に批判している者は事情をまるっきりわかっていないので、基本的に単なる馬鹿である)。しかし、文芸批評での文脈においては、映画批評においてほどの影響力を持つことはできなかった。
 一方で柄谷はと言えば、自身の議論の形式化・明晰化を押し進める過程で、文学作品と具体的に向かい合うことが希薄化することが継続した。……その結果として現れた状況は、柄谷以降の活動を開始し柄谷の影響下にある批評家の大半は、抽象的な議論はと言えば洗練され高度な形で展開できるものの、文学作品を具体的に記述・分析するようなことは、ほとんど全くと言っていいほどしない、ということであった。もはや彼らは作品を批評するのではなく、他人の批評を批評する。そこには相互に環流する議論があり高度な内容も存在するが(「他者」も「交通」も存在するわけだ)、作品の批評はない。ただ、批評家同士による、互いの批評の批評だけが存在するようになったわけだ。
 かなり長い迂回をしてしまったが、おおよそ以上のような文脈をふまえて初めて、絓秀実の置かれた状況の面倒な背景が理解できるように思える。……そして、絓の『タイム・スリップの断崖で』という時評集を読み込むということは、小林秀雄以降の日本の文芸批評の問題点をその身に引き受けてきた批評家が現代日本の問題と取り組んできたときに何が見えるのか、ということにほかならないのだ。
 実際、日本の文芸批評に存在する以上のような乖離は、この『タイム・スリップの断崖で』という時評集にも、直接的にその影響を刻みつけているように私には思える。……例えば、絓は、「時評集という性格から外れるため」という理由を述べつつ、連載第一回の大西巨人論を単行本未収録としている。
 私自身は、その大西巨人論を未読のため、収録した場合に書物としての性格がどのように変わるのについては何とも言えない。……しかし、それ以前の問題として、「文芸批評」と「時評」は、本当にそのように区別できるものなのか。
 裁判員制度について論じる絓は、近代国家の前提をなす社会契約説を「フィクション」だと明言している(p156~162)。あるいは、現在の視点から総括した結語に至って、近代国家の「選挙」という行動を、有権者がその都度「自然人」と仮構されることによって成立する擬制であることを、改めて念押ししてもいる(p302~307)。
 つまり、絓自身は、近代国家の成立そのものが「フィクション」を基盤としていることを前提としつつ、その社会状況を分析する時評においては、フィクションの分析を「異なる性格」のものとして除外しているのである。
 フィクションの分析をしなければ近代社会を分析することは貫徹しないということこそが、絓の立場であるだろう。にもかかわらず、絓自身は、ごく単純な常識に則り、フィクションの分析と社会の分析とを区別する……この両義的な態度が、おそらくは日本の文芸批評の問題点がそのままに反映されたものであろうということは、既に述べたとおりだ。
 そして、以上のように状況を確認すれば、日本の文芸批評が取りこぼしてきたものがなんであったのかもわかると思う。……つまり、近代国家の日本におけるあり方、フィクションとしての天皇制をいかに記述するかということを、それ自体をフィクションの内部に処理しえた者は、確実に存在した。にもかかわらず、そこで何が起きているのかをフィクションの分析を通して明らかにするような、その核心部分を射抜くような文芸批評は、遂に存在しなかった、ということだ。



          (続く)











絓秀実『タイム・スリップの断崖で』に見る、日本の文芸批評の問題点(上)

 絓秀実の時評集『タイム・スリップの断崖で』を読んだ。この書物は、もともとは雑誌「en-taxi」に連載されていた時評をまとめたもの。もともとの雑誌が季刊誌であったため、いざ単著としてまとめてみると十年ぶん以上もの分量がある。そのため、今となっては過去のものとなってしまった事件に対する言及も多いため、単行本化に際して膨大な量の脚注が添えられている。また、各回の末尾には、絓の現在の視点からの短いコメントをつけてもいる。
 私自身は、初出の時点で読んでいる時評もあれば未読のものもあったのだが……以上のような、多くの時間軸が複雑にからみあい交錯するようなテクストが結果として実現しており、へたな小説などよりもよほど面白く読めるような書物になりえていると言える(個人的に民俗学はあまり詳しくないもんで、新刊の『アナキスト民俗学』を読むのは先延ばしになってしまっているのだが、そのうち読みま~す)。
 それにしても、そのような時評集の第一回を読むことは、確かに、わざわざ題名に「タイム・スリップ」と銘打たれているのがおかしくないと思えるほどに、奇妙な時間感覚を呼び覚ますことであった。もともとの連載の最後は2015年末だから、ほぼ現在と地続きのことであると言える――しかし、2004年の初回で言及されることはと言えば、イラク戦争下で拘束された三人の日本人人質に対するバッシングに関することなのである。
 これは、既にあまりにも遠く離れた過去の出来事であるかのように思える……しかし、いざ時評を読んでみると、そこで提出されている問題は、現在の日本においても悪無限のごとく何度も何度も繰り返し立ち現れている、われわれが全く抜け出ていない同一の問題であることも明らかなのだ。


 本来なら改めて言うまでもないことであるはずなのだが、武装勢力に拘束された人質たちには、法律的な意味でも道義的な意味でも、何ら責められるべき点はない。むしろ彼らを保護し擁護することこそが、イラク戦争への加担を決定した日本の「国益」に叶うのであり、感情的に気に入らない相手をヒステリックにバッシングすることは、ストレス解消にこそなりはすれ、誰の利益にもならない。
 だからこそ、当時のブッシュ政権下で国務長官であったコリン・パウエルが人質たちを擁護したことは、多少なりともまともな理性を備えた政治家が自国及び同盟国の利益を考えるならば、単に当たり前の行動なのであった。
 おおよそ以上のような状況をふまえた上で、当時の絓が問題としていたのは、パウエルの発言に飛びつき迎合した、日本国内の左派のことである。……なるほど、当時の日本国内で吹き荒れた、ひたすら感情的な罵詈雑言が飛び交い、近代国家の枠内で大前提として成立しているはずのルールすらわかっておらず、むしろそれに手を染める側の方こそが「国益」を損ないすらするバッシングの嵐は、単に愚かである。そこからすれば、パウエルの発言は相対的にはどう見てもまともであり、とりあえずはこれを支持しておく態度に、左派としてはあらがえない。……しかし、もちろんそれは、イラク戦争そのものに反対している左派の立場からすればありえないことなのであり、本末転倒な事態である。
 そして、絓は、以上のようなイラク戦争下での日本国内の左派の奇妙なねじれは、ベトナム戦争下での反戦運動の頃から、そのまま継承されてきてしまっていることをも指摘するのだ。
 ……以上のような連載第一回の内容を読むと、絓がこの時点で指摘していた国内の問題は、現在に至ってもなおそのまま繰り返されてしまっていることがわかる(絓自身が、現在の時点からのコメントとして「以後、出来不出来や幾つものブレはあるが、同じ事ばかり書いてきたような気がする」と書き添えてもいる)。
 ひたすらどこまでも、底などというものが存在しないかのごとく堕落し続け劣化し続ける言説が飛び交い続ける中で、近代国家が成立する枠組みはとりあえずふまえている理知的な発言がなされている数少ない例外があれば、とりあえずそれに飛びついてしまう――例えば左派にとっては、それが、ひとたびそれを支持してしまえば自らの存在意義の前提が崩壊してしまうような対象であってさえも。
 イラク戦争下の日米関係においてコリン・パウエルが果たした役割を、その後の日本国内の様々な問題の中で果たす存在として急速に浮上してきてしまう対象――そのようなものとして、連載が進むにつれ絓がたびたび言及することになるのは、もちろん、個人としての天皇なのである。


 絓秀実の『タイム・スリップの断崖で』という著作は、同時代的な状況についてリアルタイムで書き継がれてきた時評集でありながら、日本国内の様々な問題の核心的な部分――核心的でありすぎるがゆえに、それがそこにあることをわかっている者も、あえて明示的には語りたがらない部分――を、明晰に述べることに成功している。
 とはいえ、文芸評論家としての絓のこれまでの仕事とも照らし合わせて考えてみると、この時評集での絓の態度に疑問を覚えるのも事実ではあるのだ。……例えば、絓は、柄谷行人と福田和也との鼎談において文芸批評の全般的な問題を議論するような文脈においては、さかんに「アジビラ」としての批評のあり方を主張している。


 僕はもう少し志が低くて、アジビラを書くようにして批評を書きたいと思っていたんですね。そして、そのような批評から最も遠いように見えたのが戦後派文学の批評だったし、戦後派は小林秀雄とそんなに変わらないんじゃないかとも思ったんです。花田清輝の初期なんかは、いい意味でアジビラじゃないですか。
 そういう意味で、僕にとって一九三〇年代と現在は連続していますし、その意味では僕は未だに、柄谷さんにバカにされる全共闘なのです。『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』を読むと、ああ、これはアジビラ集だと思ってしまう。それは、たとえばベンヤミンを読んでも変わらない問題ではないかと思います。(「20世紀の批評を考える」、『皆殺し文芸批評』所収、p70)



 そこに書かれていることが人を煽動し動員するために誇張された駄法螺の類であったとしても、よくできた「アジビラ」であるならば、絓はとりあえずそれを支持するのであろう。
 実際、この著作におけるスガ自身が問題の所在を明確化する以外の、現状の改変のために提起できていることはと言えば、煽動的な「アジビラ」とも言えるような駄法螺を述べることだけである。例えば2006年4~6月の時評で、「誰も反対しない国民運動」としてのクール・ビズに対して、クール・ビズのモデルとは『はぐれ刑事純情派』であると言い張ってみるところなどがそれにあたる。
 このようなフィクションの提示の仕方は蓮實重彦の影響下にあるように思えるが、駄法螺としても蓮實に比べればはるかに弱く穏健なものでしかないし、時評を重ねるにつれてそんな駄法螺すらなりを潜めていき、単なる現状の告発のみが展開されることにもなる。……これでは、まるで絓がただの真面目な良識派であるみたいではないか。
 いずれにせよ、即座に改変しづらい複雑な現状へと提起される立場として、フィクションであることが自覚的なプロパガンダを容認するのであれば……当座の状況の改善のために、フィクションであることを承知の上で例えばパウエルをいったん支持するようなことも、絓の立場からすればそれを批判すべき理由は見あたらないようにも思える。
 もちろん、これがフランスのような場所であれば、とりあえずマリーヌ・ルペンの大統領当選という最悪の事態を回避し当座をしのぐためマクロンを支持しておきながら、マクロンが当選した瞬間に即座にマクロン批判に反転するような左派の立場も成立するだろう。そして、日本国内の左派にはそのような聡明なフットワークの軽さはなく、仮に同じ状況が日本にあれば、ルペンを阻止する運動の渦中でマクロンの「いい人」ぶりに感動してしまうような素朴さを見せたりもするだろう。おそらく絓がいらついているのはそのような日本の左派の愚かさなのであろうが、しかし、聡明さと愚かさの間にかなりの落差があるとは言え、その差は相対的なものにすぎず、本来なら批判するべき対象を状況に合わせていったん許容してしまっているという点で両者の行動は同じ基盤の上にある。……ならば、パウエルの言葉を逆手に取り換骨奪胎して自分たちに都合のいいアジビラに書き換えてしまい、自分たちの動員に利用できるような聡明な左派が日本でもありうるのならば、絓はいったいどのような立場を取るのだろうか。
 『タイム・スリップの断崖で』における絓秀実は、日本国内の複雑に入り組んだ問題に一貫し何度も回帰する問題を暴きつつ、問題の核心部分から目を逸らす国内の左派のインテリ層の欺瞞をもえぐり出す。しかし、ではどうすればいいのかということもよくわからないのだが、それ以上に、これまでの絓の活動で肯定的に述べられていたことは、時評集で厳しく批判される「日本の左派」の態度と根本的に違いがあるとも思えないのである。煽動的なアジビラを書く過程で事実は捨象されてもかまわないと事実上容認している絓の態度は、本来肯定するべきでないものと妥協して容認する「日本の左派」の態度と同類としか思えないということだ。


 絓秀実の文芸評論家としての活動をある程度まとめて追ってきつつ、絓の著作に加えられてきた論評をも読んできた読者であるならば、私が『タイム・スリップの断崖で』に関して述べているような絓の著作の傾向は、とっくの昔に指摘されていることを知っているであろう。それは、鎌田哲哉が「早稲田文学」に連載していた「進行中の批評」で一回を割いた「絓秀実は探している」で論じられていたことだ。
 鎌田によれば、絓の議論は非常に明晰でありながら、どのような異なる文脈の議論においても、同型の問題に回帰してしまうことを繰り返してきたのだという。鎌田は、例えば次のように書いている。


 処女作『花田清輝』以来、絓秀実の著作は分析の至る個所でつねに同型的な論理に貫かれている。通読の過程では、この反復は単に退屈でしかない。(「進行中の批評③ 秀実は探している」、「早稲田文学」2001年7月号所収、p68)


 分析の進行はすべてこうである。(1)事態A(引用順に、超越性/ロマン主義/表象代行作用/レギュラーな警察的知/故郷/詩)は、ある歴史的条件の下でその自明性を失い、事態B(具体的な世界/リアリズム/表象代行作用の失調/イレギュラーな探偵的知/故郷喪失/散文)に脅かされ動揺させられる。(2)だがより深いレベルでは、事態Bの作用は「知らず知らず」あるいは「徹底的な敢行」のうちに事態A'を回帰させ、以下動揺と回帰のループが言説の各水準で悪無限的に続く、と。
 明らかに、「奴の悪循環」(『小説的強度』)への洞察こそ
秀実の批評の核=定数である。私の知る範囲で、この定数が絓の意識を離れたことは一度としてなく、いかなる事態を解析しても同じ光景しか彼は見いだしえていない。(同、p69、ルビは省略)


 ……おそらくは、このような怜悧な指摘が存在したことも、絓が自らの時評集を現在の視点で振り返りつつ「同じ事ばかり書いてきた」と述べたことの一因なのではなかろうか。
 そして、絓の著作を巡る以上のようなもろもろをふまえて、改めて現在の視点から見てみると、私としては、鎌田が絓の批評の問題として指摘したことは、実は、より大きな文脈、「日本の文芸批評」の全般に共通しているかなり致命的な問題点にその根があるように思えるのだ。……加えて言えば、鎌田が指摘する絓の問題は、その大きな文脈であれば、鎌田自身もまた犯してしまっている失策であるとも私は考えている。




          (続く)











文学におけるポストメディウム概念の矮小化について――ロバート・クーヴァー『ようこそ、映画館へ』

 しばらく間が空いてしまったが、ロバート・クーヴァーの『ゴーストタウン』について書いた文章の続き。……前回の文章で、私は、クーヴァーの『ゴーストタウン』という小説は、小説とそれ以外の分野(主に映画)とを横断しつつ作品を構成していく部分に、大きな問題があるように思えることを示唆していた。そして、このことに関しては、これまた最近邦訳が出た『ようこそ、映画館へ』の方にこそよりはっきりとした形で問題が表れてしまっていると思えるので、この短篇集について検討してみたい。
 さて、原書では1987年に出版された『ようこそ、映画館へ』は、西部劇やミュージカルやコメディなど様々なジャンルの映画を題材とした短篇小説を集めた書物である。ここで取り上げられている個々の作品を見ていくと、それぞれの小説で、全て異なる技法を用いて言語と映像の関係を作品化しようとしており、技術的には相当に高度なことがなされていると、とりあえずは言うことができる。
 さて、そんな『ようこそ、映画館へ』の中でも、言語と映像の相関関係の処理の仕方という点で致命的な欠点が最もわかりやすい形で露出してしまっているのが、「ルー屋敷のチャップリン」である。まずはこの短篇の、冒頭部分を見てみよう。


 彼はまるで驚いたかのように、しばしそこに佇むが、タップダンス用のスラップシューズは外向きに広げ、だぶだぶのバギーパンツはウェストまで引きあげ、ぼろぼろのジャケットは、入念に一つ残らずボタンを留めて、そう、そこはまぶしくシャンデリアが煌めく玄関ホールの真ん中で、すぐそばにかしこまった肖像画の額ぶちのように磨き立てた手すりが頭上にくねって上にのびる大きな階段があった。やがて黒色の山高帽の下で、瞼をカメラのシャッターみたいに閉じたり開いたりする。竹でできた杖や肘、膝を曲げながら、あたりを見まわすが、ちょこんと鼻の下に乗っかったみずぼらしいチョビ髭が、何かを期待してぴくぴく動く。腰を屈めて、階段の片側の縁沿いに飾ってある大きな葉を持つ観葉植物に鼻を近づけて、くんくんと匂いを嗅ぐと箱の蓋を取りあげ、絵画の背後を覗く。階段のそばのドアの上のほうに飾られていた、大きな枝角を持つ鹿の頭を竹の杖でこつんと叩くと、広間の鏡に向かって葉を見せて笑って見せる。山高帽をちょっと前に傾けて、ぴかぴかにワックスを塗られた、チェッカー盤みたいに四角い黒と白の大理石の床を、風に流されるようにぴょんぴょんと踊りながら進む。床や絵画の表面、鏡、磨き立てられた階段の手すり、水晶のシャンデリア、それらすべてが、出所の分からない明るい光で煌めいている。この光の中を怖じけずに気取って進むが、帽子掛けに喧嘩を挑んだり、つづれ織りのカーペットに向かって鼻水を飛ばしたり、山高帽を脱いで甲冑にかぶせたりする。杖をチョッキのポケットに引っかけ、ホールのテーブルの上の箱から小さな葉巻を一本取りだし、甲冑に向かって、どうぞと差しだす。何、いらないの。それでは、我が輩が、とばかりに自分自身に差しだし、葉巻を受け取り甲冑に愛想笑いで感謝の気持ちを示す。(「ルー屋敷のチャップリン」、『ようこそ、映画館へ』所収、越川芳明訳、p110~111)


 ……以上のような描写が読者にもたらす効果は、それぞれの読者の置かれている状況によって決定的に異なってくる。実は、タイトルに堂々と提示されている通り、ここで描かれている「彼」の動きは、喜劇役者チャーリー・チャップリンのありうべき動きを極めて精密に描写したものなのだ。
 チャップリンのイメージをもともと保持している読者の観点からすると、クーヴァーの描写は非常に高度なものである。この小説内でいきいきと描かれるチャップリンの動作や表情を、ありありと鮮明に思い浮かべることすらできる。……言い換えれば、「元ネタとしてのチャップリンのイメージを持つ読者」の間では、ここでの描写を構成する言語の指示する内容は、ぴたりと一義的に固定される。
 とはいえ、私が問題としているのは、チャップリンのことを知らない読者が排除されているということではない。この先の展開を追えばわかることだが、チャップリンのイメージと小説の言語をぴたりと同期させることによってしか、この小説のここから先の展開は意味を持たないのだが、しかし、私が問題とするのは、この小説で何が起きているのかをきちんと読み取った読者にとってすら、これは問題含みの小説であるということだ。
 ……主人公の行動の一挙手一動作が、読者の内部でチャップリンのイメージと完全に同期したまましばらく作品が展開したしばらく後に、次のような描写が現れ始めるのである。


チャーリーは調子に乗って、帽子から煙草を取りだすと、婦人の前でそれを上に掲げ、二つに割る。ズボンを上まで持ちあげ、肘でズボンを押さえる。二つになった煙草の吸いさしを肩ごしにパチっと指ではじくと、両足をあげてジャンプし、空中で二つを同時に蹴りあげる。ズボンも同時に脱げる。吸いさしのひとつは帽子でキャッチ。もうひとつのほうも追いかけるが、落ちたズボンが足かせになって、よろめいて、はからずも若い貴婦人の体にぶつかって、婦人を欄干から下に叩き落としてしまう。最初、チャーリーには何が起こったのか分からない。あたかも婦人の姿が突然、宙に消えてしまったかのように、くるくるまわって必死に婦人を探す。チャーリーは恐る恐る手すりの下を覗きこむと、彼女が下にいて、輪なわの部分を捻ったり引っ張ったりしているが、うまく逃れられない。あっと驚いて、手を伸ばし、彼女を引きあげようとするが、できない。力が足りない。欄干の結び目を手探りするが、手が震えて仕方ない。階段を駆けおりて、下から婦人のほうに手を伸ばすが、彼女の足は一メートル以上頭上にあり、じたばた動いている。(同、p131)


 ……このあたりまで読み進めれば、「ルー屋敷のチャップリン」という小説が何をしようとしているのかは、既に明らかになっているだろう。
 つまり、読者の内部でチャップリンのイメージを精密に固定する描写を展開したその上で、実際の映画ではチャップリンが決して展開しないような、ありえないはずのイメージを生み出すことである。あのチャップリンは、どれほど荒唐無稽なドタバタを繰り広げようとも、そのことが周囲の人間を無惨にして陰惨な血みどろの暴力に巻き込むようなことは決してなかった。だからこそ、読者にチャップリンのイメージをありありと喚起したその上で、そのチャップリンの姿をおよそありえなかったはずの状況に投げ込み、生み出されるはずのなかった映像を読者の脳内に再生してみせているわけだ。
 ……しかし、である。果たしてこれは、文学的な意味のあることなのだろうか。これを書いた時点でのクーヴァーには思いも寄らなかったのだろうが、現時点での技術水準においてならば、ある程度コンピュータに詳しい個人ですら、実際のチャップリンの映画を編集して改竄し、クーヴァーがしているのと同様のパロディを小説ではなく実際の映像で制作することは、たやすくできる程度のことだ。
 言葉による描写のみでこれほどまでにチャップリンの動作をいきいきと描き出すこと自体は非常に高度な達成であるのだが、しかし、その達成は、実際の映像が実現してしまえば無意味なものでしかない。それがなぜかと言えば、この小説でのクーヴァーの言葉は、正確にただ一つの映像を指示するために構成されており、完全に一義的な意味しか持たないように志向されているからだ。
 既に引用した冒頭部分のようなクーヴァーの言葉は、元ネタのチャップリンのイメージを知る読者の間では、完全に一義的なイメージを指示する言葉として、いっさいの異なる解釈の余地がなく固定される。つまり、この小説には、言葉と映像との間を行き来することによってそれぞれの側の意味が豊穣になるような効果は全くない。単に、言葉と映像という異なる手段が同じ対象を指示していることを明らかにすることによって、両者の指示効果が同期しているだけである。言い換えれば、言葉が言葉として、映像が映像として、それぞれが独立して存在していたならば当然あったはずの多義的な意味が、むしろ縮減されてしまっているのだ。さらには、言葉の指示する内容が完全に一義的に固定されてしまう以上、同等の内容を示す映像と置き換え可能なものでしかなくなってしまうわけだ。


 「ルー屋敷のチャップリン」における、以上のような問題は、技法面では異なる書かれ方がしている「きみの瞳に乾杯」においても、そのままに存在してしまっている。
 さて、その、この短篇集の末尾に置かれた「きみの瞳に乾杯」という短篇なのだが……解説を読む限りだと、『カサブランカ』を元ネタにしたこの小説がなぜ末尾に置かれているのか、翻訳・紹介に携わっている人々はそもそもよくわかっていないのではないか、という危惧の念を覚えている。
 解説によると、この「きみの瞳に乾杯」という短篇は、『カサブランカ』を扱いつつ「完全にポルノ映画に変身を遂げている」のだという。……のだが、この説明だと、この短篇で何が起きているのかも分からないし、説明している側がわかっているのかもよくわからない、というのが正直なところだ。
 実は、「きみの瞳に乾杯」という短篇は、『カサブランカ』という映画の作中では省略されており、省略されているがゆえに議論を呼び続けることになった空白のシーンの、ありえたかもしれない出来事を再現することによって成立しているのだ。
 つまり、この「きみの瞳に乾杯」という短篇は、単に『カサブランカ』を見たことがあるというだけでは、作中で何が起きているのかわからない。それのみならず、「『カサブランカ』の作中であいまいにしか描かれず何通りかの解釈が可能なある特定の場面があり、長年に渡って論じられ続けてきた」ということまで認識していないと、そもそも読解できないような形で構成されているのだ。
 『カサブランカ』の主人公であるリックは、モロッコのカサブランカで、かつての恋人であったイルザと再会する。時は第二次大戦中、ドイツに対するレジスタンスの重要人物であるラズロがイルザの夫であり、カサブランカからの脱出を試みている。ラズロを助けることができるのはリックなのだが、この夫妻に対して協力的な態度を取らない。そして、イルザが決死の思いでリックに協力を頼むやり取りがあったその後で、場面が変わると、リックはイルザに協力的になっている……。
 問題となるのは、この場面である。リックとイルザの間に、映画で描かれている後にどれだけのやり取りがあったのかは、省略されている。有り体に言ってしまえば、二人の間に性交渉があったのかなかったのかということによって、その後の展開の意味は変わって解釈できる……のだが、この映画は、どちらとでも取れるようにままになっているということだ。


 クーヴァーの「きみの瞳に乾杯」という短篇は、ここでの二人の関係を「あったもの」と特定した上で、そこでありえたはずの性交渉をあからさまに描写する。……だが、単にそれだけで終わるのではない。この短篇がどのように成立しているのかということを、リックの独白を通して、自己言及的に提示してみせもする。


空港の誘導灯が一つづきのフィルムの齣みたいに部屋の中を移動していくたびに、彼女のお尻は、カフェアメリカンのネオンサインのように、ぱっと光るように見える。時間というのも、これと同じかもしれない、とリックは思う。時間とは、終わりのない流れというより、むしろ、連続していない断片のあいだの小さな隙間をすばやく、連続して飛んでいく電子の飛躍だと。それこそ、時間に関して、よく彼が「連結=かぎ爪理論」と呼ぶものだった。もちろん、その理論は彼が発明したものではないが。(「きみの瞳に乾杯」、同、p230~231)


彼は濡れたタオルで煙草を消すと、ぽいっとわきに投げ捨て、両手で彼女の太股に手をまわし、彼女のお尻を(彼の頭は、まだ連続して動くフィルムの齣としての時間のことを考えている。その齣、その古びた役に立たない内容というより、むしろ齣と齣とのあいだの隙間だ。なるほど二次元的に見ると極小だが、三次元的に見ると、宇宙のごとく深みがあり神秘的でもあるその世界を)自分の顔のほうに引き寄せ、まるで子どもが蒸気で曇った窓ガラスから外を見るように、顔をお尻に押しつける。キスをして、洗い立てのふたつの尻肉をそっと噛み(万が一、ふたつの齣のあいだに滑り落ちたらどうなるのだろう? そう彼は思案する――)、舌で彼女のアヌスを(――どこにいることになるんだろう?)舐めながら、二本の指を使って、硬いキャンディの塊のような恥丘のふくらみをマッサージしてやる。(同、p231)


 ……もちろん、この「きみの瞳に乾杯」という短篇小説そのものが存在している場所こそが、「齣と齣とのあいだの隙間」、実際に存在している『カサブランカ』という映画のフィルムの連続体の中でのある一点、リックとイルザとの関係が省略されつつ次の場面へと転換される、「二次元的に見ると極小」な、まさにその場所にある。
 この小説は、映画と関係を切り結びつつ書かれる小説が存在しうるような場所はどこなのかを明確に描いているからこそ、映画を題材とした短篇集の末尾に置きうる。……のだが、しかし、それでもやはり、このような形で映画と小説とが結合されたとは言え、そこで素材とされた作品がより豊かなものになっているかどうかは、また別の話なのだ。
 現実に存在している『カサブランカ』という映画の特に後半の展開は、二人の男女の関係性の機微について、幾通りもの解釈をなしうる。もちろん、ここには、当時のハリウッドにはプロダクション・コードが存在していたゆえに直接的な性描写ができなかったという事情もあるのだが、そうは言っても、「きみの瞳に乾杯」という小説の依って立つ解釈を採用した場合、リックとイルザとの関係がそれ以上解釈の余地のない形で固定されてしまい、作品の持ちうる意味がやせ細ってしまうのだ。


 ロバート・クーヴァーによる一連の小説、『ようこそ、映画館へ』や『ゴーストタウン』は、小説の根本的な部分に映画の問題を混入させることによって言語と映像との間を行ったり来たりするような経験を成立させようとしてはいるのだが、その代償として、素材となる小説のテクストと映画のテクストとの双方が貧困になってしまっている。……というか、映画と小説とを一つの作品の内に混在させるにあたって、双方を貧困化することによってしか共存させることができていない。
 もちろん、その後のクーヴァーは、映画を題材としつつも最終的には言語によってしか成立しえないような作品として『ノワール』を完成させているのだから、ここにあった問題を突破しているとは言えるだろう。しかし、そのことが意味するのは、『ようこそ、映画館へ』や『ゴーストタウン』は明確に失敗作であったということだ。
 では、なぜクーヴァーはこのような失敗をしてしまったのだろうか。……私の考えでは、小説においてこのような無惨な失敗が起きてしまうのは、美術批評の文脈において提起された「ポストメディウム」という概念を文学の方面によく考えずに転用してしまった場合に起きることだと思う。ポストメディウム論がもともと置かれていた文脈をよく見てみると、そのままの形で文学に転用することはまず無理であるのにもかかわらず、そこでなされている議論がよくわからないままに転用してしまうとき、このような無惨な作品が現れてしまうということだ。
 もちろん、クーヴァーが『ようこそ、映画館へ』を出版したのは一九八七年であり、ロザリンド・クラウスによって「ポストメディウム」概念が提起されたのはそれより遅く一九九九年以降であるという、タイムラグは存在する。その意味では、クーヴァー自身が美術批評の既存の文脈を参照して自作に取り込んだというわけでは全くないのだが、しかし、それでもなお、ここには同時代的な問題系があると言える。
 そのことは、ロザリンド・クラウスの「ポストメディウム」に関する議論がそもそもどのような文脈でなされていたのかを確認すると、問題は明確なものとなってくる。……クラウスの議論は、その前提として、クレメント・グリーンバーグのモダニズムに関する議論を批判的に検討しつつ乗り越えるためのものだったということがある。
 では、グリーンバーグによるモダニズムの議論とは、どのようなものであったのか。……それは、一言で言えば、「メディウム・スペシフィシティ」を中核とする議論だ。グリーンバーグによれば、芸術におけるモダニズムとは、その芸術の属する分野に固有の、その依って立つ基盤となるメディウムの扱いが純化され、そのメディアにおいてしか成立しえない自律性を獲得したものだという。例えば絵画であれば、絵画が絵画として存在しうるメディウムの特徴、絵画にとっての本質である平面性にまで純化が進められるものこそ、モダニズムである。
 だからこそ、グリーンバーグは、例えば次のように書いている。


 あらゆる芸術において、そのミディアムに起こったこと、私はこれこそがモダニズムの起源を確定するのに最も重要であると考える。モダニズムを美的質の革新とし、それによって自己が正当化されたのは、ミディアムの直接知覚できる実体の革新による。そうした革新を離れてしまえば、モダニズムは消散する。(「モダニズムの起源」、藤枝晃雄訳、『グリーンバーグ批評選集』所収、p52)


 芸術のモダニズムは、いかなる領域においても、自身の依って立つメディウムの自己純化によって成立する。……だからこそ、モダニズム以降、複数のメディアを横断するような芸術が可能になったことを踏まえて、クラウスは「ポストメディウム的状況」なる概念を持ち出すことにもなったわけだ。
 メディウム・スペシフィシティを前提とするモダニズムに対して、ポストメディウム的状況は、異なるメディウムの間での領域横断・異種混淆性を前提とする。……以上のような要約はあくまでも大ざっぱな要約にすぎないのだが、この程度の粗雑な理解しかない状態だと、「文学は言葉をメディウムとする、映画は映像をメディウムとする、ゆえに両者を横断して混淆するのがポストメディウム的状況である」と楽天的に考えてしまうような誤謬も生まれてしまうのだろう。
 そう、これは、はっきりと「誤謬」なのである。なぜか。……それは、議論のそもそもの前提となるグリーンバーグのモダニズムに関する分析の中で、ジャンルとメディウムの関係性の中で、文学だけはその特性を定義することが難しい例外であることが、はっきりと述べられていたからだ。
 先に引用した評論の他の場所で、グリーンバーグは次のように書いている。


 一九世紀中葉以降、ある芸術は、多少なりとも、他の芸術よりも根本的にミディアムの革新を強く求めてきた。いま、散文小説のミディアムが質を維持するのに刷新兼革新を比較的必要としなかったということに注目すべきである。ジョイスの存在は措くとして、D・H・ロレンスも、トーマス・マンも、そしてプルーストですらそうではない。ただしここでは、ミディアムそれ自体に属するものと、そうでないものとの区別は余りにも微妙であるし、おそらくミディアムそれ自体という概念も狭すぎるであろう。詩の場合、同様の区別が小説よりも大きいか小さいかを見分けることができるかどうかは独立した話題としての議論の場を要するだろう。さらにおそらく、文学において何がミディアムで、何がそうでないのかを区別することは、いずれにせよ甚だ学的で、アレクサンドリアニズム的であり、実際の文学経験からかけ離れすぎていて、労を取るわけにはいかない。文学においては「内容」と「形式」、技術あるいはミディアムは、他のどの芸術におけるよりも、直接にお互いを統御する――もっとも究極的には、他のあらゆる芸術においても同じである。(同、p53)


 芸術の多くのジャンルがある中で、文学だけは、何がメディウムであり何がそうでないのかを定義するのが非常に難しい。グリーンバーグは、明確にそう述べている。しかし、この評論はあくまでも美術評論であり、グリーンバーグの議論も、主に絵画のモダニズムを検討することに主眼があるから、文学については軽く触れるだけで、上に引用した議論が深められることはない。
 以上から導き出される結論は、はっきりと述べておかなければならない。……すなわち、クレメント・グリーンバーグによるモダニズムの議論と、それを批判的に前提したポストメデゥウムに関する議論とは、(少なくともそのままの形では)文学に転用することはできない。
 既に英語圏なんかでも、ポストメディウムの概念を安直に文学に転用した論文は書かれているし、(ロバート・クーヴァーをはるかに下回る水準で)映像を小説に安易に組み込んで「異種混淆性」を実現した気になっている愚にもつかない小説は、さらに多くの数が書かれてしまっている。
 なぜそんなことが起きるのかと言えば、これらの人々は、「文学が前提となるメディウムは言葉である」という安直な定義に、何の疑問も持っていないからだ。「メディウムの純化」がモダニズムの前提であるならば、「言葉の純化」がポストメディウム状況の以前に成立しているはずなのだが、この種の人々がそんなことを考えている節はない。……一方、議論の流れの中で軽く触れただけにすぎないにもかかわらず、やはりグリーンバーグは非常な炯眼の持ち主だと言うしかない。……そう、文学において何がメディウムであるのかということは、実はそれほど明らかなことではないのである。
 ……では、グリーンバーグが突き詰めることのなかった議論を深めてみれば、どうなるのか。文学においてメディウムと言えるものを正確に定義しようとするならば、それは何なのか。さらには、文学のメディウムを自己純化した果てにある文学のモダニズム、さらにその先にある文学のポストメディウム的状況とは、いったいなんなのか。


 ロザリンド・クラウス以降のポストメディウムをめぐる議論は、
芸術作品を構成するデータがデジタル処理に還元しうるという技術的状況を前提している。例えば映画であれば、コンピュータ上で処理すれば、言語記号に変換して処理することが可能である。
 ……ということは、言い換えれば、芸術作品の言語記号への変換可能性がこの議論の前提となっている。そして、文学作品は最初から言語記号でできているのだから、この議論の例外となるのは、よくよく考えてみれば当たり前のことなのだ。もちろんコンピュータの人工言語とは異なる仕方によってではあるが、映像も音響も匂いも味覚も、言語として文学作品の内部に取り込まれている。だから、例えば「言葉」と「映像」を越境することは、メディウムを横断し異種混淆性を実現することにはならない。同じ表現が異なる階層で異なる形態を取っておりいつでも変換は可能であるというだけの状態を、異なるメディウム同士の相互の関係性と取り違えてしまっているのにすぎない(だいたい、古今東西の物語文学において挿絵が添えられることなど無数にあるのだから、言葉と映像が場合によっては変換可能であるなどというのは、当たり前のことである)。……以上のような部分が明快にならなければ、メディウム・スペシフィシティなりポストメディウムなりに関する議論を文学に転用することはできない。
 文学作品の素材とは言葉である、とは言える。しかし、クレメント・グリーンバーグの言う意味でのモダニズム、ある芸術のジャンルが依って立つ基盤としてのメディウムが自己純化され、そのメディウムの特性と作品の質が結びつき、そのメディアを用いることによってしか成立しない状況にまで純化が進むとは、文学においてはいかなる事態なのか。
 文学作品の成立しうる限界地点、そのメディウムにもともと備わる法則に作品の成立が依存し、その特性と不可分に結びついてしまう事態――文学にそのような影響を必然的にもたらすものだという意味でメディウムと呼べるものは、確かに言葉ではあるのだが、そのように言うだけでは正確ではない。より厳密に言わなければならなかったのである。文学作品にとってのメディウムとは、その作品を構成している言語の文法構造である。
 日本語が用いられているなら日本語の、英語が用いられているなら英語の、それぞれの文法構造の限界を、文学作品は超えることはできない(文法構造を破壊するときですらそうである)。その意味で、単に個々の「言葉」が文学作品にとってのメディウムなのではなく、共時的にとらえられる言語体系そのもの(ラング)こそがメディウムだったのである。
 そのように考えてみると、モダニズムとはメディウムの本質と結びつく自己純化の過程であるというグリーンバーグの議論は、文学にも当てはまることがわかる。その上で、それをモダニズムを前提としつつ批判的に乗り越えるためのポストメディウム的状況とは、文学にとってはなんなのかを考えることもできるだろう。
 その作品が所属する固有の言語の文法構造に、作品の成り立ちは依存する。このような意味で純化された閉域の外部とは、異なる法則によって支配されている、異なる言語体系であろう。……つまり、文学作品にとってのポストメディウム的状況とは、複数の言語間での異種混淆性のことなのである。
 以上のように考えてみれば、文学におけるポストメディウム状況とは実は目新しいものではなく、ヴァルター・ベンヤミンやジョージ・スタイナーなどによる既存の翻訳論をきちんと参照すればよいだけのことだったのである(ここでくれぐれも注意しておかなければならないのは、ここでの言語的異種混淆性とは、単なる翻訳可能性の問題ではなく、「翻訳不可能性を前提とした上での翻訳の問題」であることだ)。
 また、この視点は、従来の文学史に対する批判的な読み直しという点でも有用だろう。なるほど、グリーンバーグの議論を以上のような形で文学に転用すれば、エズラ・パウンドやT・S・エリオットの詩作の歴史的意味を位置づけることは用意になる。……一方、モダニズムのような純化された詩作を評価する価値判断が定着すると、例えばウォルト・ホイットマンやアレン・ギンズバーグなどを評価する価値判断がどのようにして成立しうるのか、それぞれが全く異なる価値判断の体系が単に無関係に存在しているように見えていたことも、統一して理解する視座が開けるだろう。ホイットマンやギンズバーグなどはアメリカ文学史の枠組みの内部では不動の位置を与えられながらも、同じ詩としてモダニズムとどのような関連にあるのかは、今一つわからなかったのである。しかし、ホイットマンやギンズバーグなどの本質が言語的混淆性ととらえるならばより広い文脈に一般化した議論が展開できるし、また、パウンドやエリオットにも「自己純化」という枠組みに収まらない言語的混淆性を評価する捉え方をすることもできるようになる。
 ……まあ、一つ言えることは、私が「文学作品に映像を安易に取り込むのは非常に危険である」と考えているのは、以上のようなことを踏まえているからである(別にその前提で文学をやってもいいんだけれど、そうなると、ゴダールの映画とかと完全に同一基準で勝負することになる上に、惨敗している地点からのスタートになるということをわかってるのだろうか……)。少なくとも、私が触れてきた「映像を取り込んだ文学作品」の大半は単に愚かなものでしかなかった。その中でも数少ない例外の一つが大江健三郎の『取り替え子』だったのだけれども、このことについては、いずれ詳述することもあるだろう。










『大江健三郎全小説』の刊行は日本の文学史に残る事件だが、それは必ずしも喜ばしいことではない

 『大江健三郎全小説』が全十五巻で刊行されるということを、私は大きな驚きとともに受け止めた。この作品集においてなによりも重要なのは、初出の「文學界」に掲載されて以来一度も単行本化されてこなかった「セヴンティーン第二部 政治少年死す」が、遂に書籍の形で初めて出版されるということ、のみならず、それらが収録される第3巻がわざわざ初回配本になることが予告されたことだ。……さらには、第4巻の収録作……『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』と『みずから我が涙をぬぐいたまう日』に加えて、『水死』! ……うおー、そうきたか~。この第4巻、これは完全に、およそ日本語で書かれたあらゆる文学作品の最高到達点が結実してしまっている凄まじいものだ。

 収録内容についてだけでも感想はいろいろあるのだが、いずれにせよここにあるのは、著名な小説家が過去の自作を異なるフォーマットで改めて出版するというただそれだけの純粋に文化的な活動が、同時代的な政治状況への強烈な意思表示にもなりえているという事態だ。

 現在の日本で進行しつつある状況は、極めて無惨なものだ。何年か前に、大江自身が中野重治の言葉を引いて「わたしらは侮辱のなかに生きています」と述べたことがあるが、それ以降、さらに状況は日に日に悪化しつつある。端的に言って、もはや日本に住む我々は、近代的な法治国家の体制を最低限維持することすらできていない。権力者の都合で刑事犯罪の被害者であることがなかったことにされるということは、単に一個人の問題ではない。潜在的にはそれが任意の誰にでも起こりうるということは、日本国民は成文法による保護を既に受けていないということだ。我々の人権は、既に不等に剥奪されている。クーデターは、既に成し遂げられているのだ。

 そんなことを考えつつ暗澹たる気持ちで日々を過ごしている中であったからこそ、おそらくは長年の苦渋の果てにこの時点で決断を下した大江健三郎という小説家の存在は、少なくとも私にとっては、一縷の希望となった。自らの作家生命の全てを投げ出すリスクを負ってもなお、現在のこのタイミングでなしておかなければならないことがある。……そう、既に我々の人権は剥奪されているのなら、既にあって当たり前の何かを守るための闘争などというものは既に存在しない。単純に、もはや何ものをも持たざる者として、自分の生存を勝ち取るために最初から最後まで捨て身で闘えばいいだけのことだ。

 大江健三郎が、若き日に書いた「政治少年死す」という作品の磁場に再び立ち戻るということには、人にそう思わせるだけの威力があるのだ。





 大江健三郎の「政治少年死す」という作品は、単に小説としてのよしあし、その美学的判断の問題だけを取り出して論じることができるようなものではない。だからこそ、改めてこの小説を再版することがそれだけで政治的意味を持ってしまうのであるが、にもかかわらず、大江を論じるにあたって政治的問題を勝手に留保して小説としてのよしあしだけに言及する(ことが可能だと思いこんでいる)者は後を絶たない。

 軽くネットを検索してみたところ、今回の『大江健三郎全小説』の刊行にあたっても、既に同様の反応はちらほら発生しているようだ。たいてい、この手の者は(自分の見識眼の優越性を示すためであろうか)書誌的な体裁の部分になにかしら難癖を付けるところから入るのであろうが、まず間違いなく、的外れなことしか言わない。……まあ、そもそも政治的問題を切り離せない作品を取り上げておいて政治的問題を切り捨てて語ってしまうようなことを平気でする者は初手からして間違えているのだから、何かしらの有益な言説を期待する方がそもそも無駄なのであろう。

 「政治少年死す」という小説は、単純にそれを読もうとアクセスするだけの段階ですら、既に政治的問題をはらんだ状況に多かれ少なかれ巻き込まれずにはいないような作品としてあり続けてきた。そのことを具体的に示すために、私の個人的な体験をここに記録しておこうと思う。

 それは、私が「政治少年死す」の初出の「文學界」一九六一年二月号の現物を閲覧しようと、広尾にある都立中央図書館に赴いたときのことであった。当然のことながら開架されてはいない古い雑誌の閲覧を申し込んだところ、私に対応した図書館員が、くどくどとこの雑誌の取り扱いに関する注意事項を並べ続けることになった。それは主に、古い雑誌であるゆえに破損しかねないからコピーを取ることは厳禁、ということであったのだが、そこからの流れとして、なぜか私が座る座席も明確に指定され、一挙主一動作を図書館員に監視されながらでなければ閲覧できないということになった。

 その時点でもなんとも言えない胡散臭さを感じてはいたのだが、そのまま「文學界」を読み進めてしばらく後に、何が起きているのかにようやく気づき、自分のうかつさを思い知らされる出来事があった。私を継続して監視していた図書館員が交代する時間になったらしく、他の人物がやってきたのだが……その引継の際、「あそこにいるあの人、例のアレを読んでるから」と小声で囁くのが聞こえてきたのである。

 よくよく考えてみれば、雑誌の保存状態を理由としてコピーを禁止する措置が取られているというだけのことなら、閲覧のために座る座席まで指定されるということが、およそおかしな話であったわけだ。……国内で商業出版された雑誌を調べるというだけの個人の活動を公共の図書館が妨害し、特定の作品の流通を阻止するーーそれも、対象が、よりによって自国が輩出したノーベル賞作家の作品であってさえもーーなどということは、もちろん、あってはならないことだ。そして、あってはならないことだからこそ、建前の上では、図書館が言論弾圧や自主規制をなしたのではなく、あくまでも雑誌の保存状態を維持するためのしかるべき措置がなされているだけのことなのである、その建前を建前として貫き通すことすらできていないわけであるが。

 この出来事自体は既にだいぶ以前のことであるが(「これが、都の公務員がやることなのか……さすがは石原の手下どもだぜ!」と思ったことは覚えているので、石原都政の時代であったことは確かだ)、その後の日本がたどった道筋は、このような、「自主検閲であることそのものがなかったことにされた上でなされる自主検閲」がより一層強化されていくことであったと言えるだろう。

 そして、現在起きつつあることは、そこで最低限度維持されていた建前すら、破壊し取り除こうとすることであるわけだ。





 改めて繰り返すが、以上のような状況において大江健三郎が「政治少年死す」を初めて書籍化する、それをわざわざこのタイミングで発表するということは、それ自体が大きな政治的意味を担う行為である(……改めて、発表された表紙を見てみると、「セヴンティーン」が「セブンティーン」と表記されていることに不安を隠せないのも事実なのだが、校正の段階すらすっとばして、わざわざ現在の状況に合わせて発表を急いだのかもしれないと、とりあえずは好意的に考えておくことにする)。

 「政治少年死す」という作品において、その小説としての純粋に美学的・技術的な価値と社会的な文脈の内部での政治的意味とは分離できないという旨のことを、既に私は何度も記した。ではこの作品は、そもそもいかなるものなのか。

 中篇小説「セヴンティーン第二部 政治少年死す」は、もちろん、「セヴンティーン」の続編である。そして、大江のキャリアを振り返ってみるならば、学生時代にプロの小説家としてデビューして以来の活動が「セヴンティーン」において最も見事な形で結実しており、大江初期の集大成とも言える仕事になっていることは確かなことだ。

 だが、大江が大江たるゆえんは、そのような仕事の続編でありながら、「政治少年死す」において自分のそれまでの歩みの集大成を自ら粉々に破壊し、小説家としての自分が依って立つはずの足場を完全に解体しているということにある。少なくとも日本語で書かれた小説の中で、こんなことがなされたことは唯一無二のことであるはずだ。

 初期の大江健三郎と言えば、当初から確立されていたその特殊な文体の美徳がしばしば取り沙汰される。当時二十代前半の大江自身と重なる部分が多い語り手が一人称の形式を取ることによって作品は成立するーーそして、そこで語られる内容はと言えば、フランスの実存主義に大きな影響を受けつつ戦後世代の内面を描き出し、武田泰淳を始めとする第一次戦後派が取り組んだことを「政治的人間」としつつ、そのようになりきれない自分の世代を「遅れてきた青年」と呼び、その実存を「性的人間」として「政治的人間」へと対置したのであった。

 「セヴンティーン」が題材とするのは、現実に起きた社会党の浅沼稲次郎委員長の暗殺事件の犯人たる右翼の少年の来歴である。一人称の視点からなるこの小説は、右翼となる以前に、現実世界で何のヴィジョンもなくみじめな生活をおくるこの少年が、右翼へと目覚めることによって脆弱な自我を鎧で固めることになる、そのプロセスを暴き出していく。

 ここでは、ある一個人の内面の変化を丹念に追うことで、「政治的人間」と「性的人間」という異なるあり方の間での揺れ動きを統合することに成功している。だからこそ、私はこの作品をして初期の大江の集大成とみなすわけだが……これに続く「政治少年死す」において大江自身がこれを自ら打ち砕いたとするのならば、なぜ大江はそんなことをしなければならなかったのか。

 「セヴンティーン」という小説は、単に自分の弱く臆病な自我を塗り固めるためだけに右翼に目覚めるような人間の醜悪さを徹底して暴き立てている。しかし、その内面は主人公自身が話者となって一人称の形式で語られるものである以上、話者とは区別される作者の審級にいる大江自身は単に一方的に作品をコントロールしているだけである。……つまり、大江は他人の弱さを暴きそれをあげつらってはいるのだが、他社の内面に裁断を下す自分自身がいかなる資格においてそれをなしうるのか、一方的にメタ的な立場に立っている作者自身のあり方が問われることはない。

 初期の大江健三郎とは、単に才能で書いているだけのよくできた物語作者にすぎない。そこには、小説の形式性に対する自己言及的な検討はない。むしろ初期の大江だけをよしとする言説には私もこれまでさんざん触れてきたが、残念ながら、初期の大江作品は、その主要な元ネタの一つであるピエール・ガスカールなんかと比べてしまうと、全く大したことのないものだと言うほかない(とはいえ、サルトルの小説の模倣として書きながらサルトルを凌いでしまうような部分なんかはやはり凄いのだが)。

 そんな大江が、小説の形式性に自覚的であることを初めて強いられた作品こそが「セヴンティーン」であったのだと、私は考えている。……なるほど、確かに一人称小説としては「セヴンティーン」はよくできている、しかし、何も考えずにただ素朴に一人称の形式を選択している限り、作品が対象とする個人に一方的に裁きを与えることにしかならない。

 ……だからこそ、「政治少年死す」において大江がなしているのは、むしろ自己批判なのである。その媒体が小説であれジャーナリズムであれ、特定個人の内面を暴き立てその立場に非難を加える者は、いったいいかなる資格でそれをなしえると言うのか。己の立場をいっさい不問に付し一方的な攻撃だけがなされるのは、小説にせよジャーナリズムにせよ、最初から型が固定したただの武器として用いられているのにすぎない。

 右翼の内面の弱さを暴くのであれば、それと同時に、それを暴く側の内面の弱さをも暴かれなければならない。書く側と書かれる側とは同一平面上に置かれるのでなければならず、あくまでその立場を前提として、それでもなお否定されるべきものがあるのならば、そこから改めて否定がなされなければならない。

 しかし残念ながら、この時点での大江は、そのようなことをなしうるだけの小説の技術を持ち合わせていない。結果として、「政治少年死す」の作品としての構成は、無惨に破綻する。

 純粋に技術的・美学的にのみ見た場合、「政治少年死す」は、端的に言って、小説として成立していない。しかし、作者自身が過去の集大成たる自作を破壊したその残骸の中に現れたのは――右翼であれ左翼であれ、政治的立場の依って立つところの言葉を突き詰めるのならば、詩の言葉との必然的な結びつきが現れてくるということなのであった(大江が小説の言葉と詩の言葉との相関関係そのものを小説化することに技術的に成功するには、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』まで待たなければならないだろう)。

 単に個人の内面の閉じた世界を問題にするのではなく、現実世界の流動するありさまをも見据えて自分がなすべきことをしようとするのであれば、小説家は、自らの用いる言葉のあり方を自己言及的に不断に検討しなければならない。大江がそのような第一歩を記した初めての作品であるゆえに失敗作となったのが「政治少年死す」であったのだ。

 だから、私は、大江健三郎という小説家の実質的な出発点は「政治少年死す」であるのだと見なしているし、大江の作家活動の総体を肯定するためには、そのような立場しかありえないと考えている。





 大江のその後のキャリアをたどってみると、「セヴンティーン」と「政治少年死す」の間でなされたことは、『万延元年のフットボール』とそれに続く『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』においても繰り返されている。……大江がどのようなことを成し遂げて世界的な水準で仕事をする小説家となったのかを知るのは『芽むしり仔撃ち』「セヴンティーン」『万延元年のフットボール』を読めばおおよそのことはわかると思うが、しかし、むしろ「政治少年死す」と『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』で自分の依って立つ足場を自ら破壊するその姿にこそ、大江の核心があると私は考える。

 そういう意味では、『大江健三郎全小説』の発行によって、ようやく、大江のキャリアの真の姿が公式に確認できることになる……などと思っていたところだったのだが、刊行案内を改めて読んでみると、この全集には「わかりやすい解説を付して」出版することになるのだとか……。

 「わかりやすい解説」などという言い回しにも、妙に引っかかるものがあるが……それ以前の問題として、これを見た瞬間に反射的に思い浮かんだ本音を書いてしまうと、「おれに書かせろやぁー!」というものであった。

 はっきり言って、現在の日本で、大江健三郎の小説を精密に読解しつつ全集に公式に書く資格もしくは能力を備えた書き手などというものは、ほぼ皆無であろう。仮に全十五巻の全てに解説を付けてなおかつそれぞれ別人が担当するのだとすると、まともなメンバーが揃うことなど絶対にあり得ない。間違いなく、悲惨なラインアップになることが目に見えているのである。

 このことに関しては、大江自身にもなにがしかの責任はある。まともな読解力がない、もしくは、基礎的な最低限の文学に関する素養がない、もしくは、その両方、などという人々が「小説のプロ」であるということになんとなくなっていっても、とりわけ下の世代に厳しくあたってプロの水準を保つようなことを大江はしてこなかったのだから。

 こういう状況で私が思い出すのは、大江がノーベル賞を受賞した際にナディン・ゴーディマが記念に寄せたエッセイである。群像の増刊号に邦訳が載ったその文章を、ゴーディマは次のように書き始めている。





 一九九四年のノーベル文学賞受賞者が大江健三郎氏であると知ったとき私は歓喜した。氏の受賞はここ数年来私が願い続けてきたことであった。彼はノーベル賞を受けるに値する基準を満たして余りある作家である。彼の洞察力と想像力は変貌しつつ輝き、ごく身近な人間的な言葉で、われわれの在り方をわれわれに向けて明らかにし、現代の精神状況を描き出している。これこそ人類の前進への貢献である。(「偉大な芸術への変容」、「群像特別編集 大江健三郎」所収、大西直樹訳、p81~82)





 ……まあ、お祝いの文章だから、これくらいのお世辞は言うだろうな……などと思いつつエッセイを読み進めると、ゴーディマの賞賛は続く。

 ところが、その結末に至って、ゴーディマは次のようなことを言い出すのである。





 最後に大江氏の人柄について述べよう。数年前、東京で大江健三郎氏と会ったときのことだ。私はノーベル・フォーラムに招待され東京にいた。そのとき大江氏は日本の若い作家たちの作品、とくに私の知らなかった女性作家たちの作品を私に紹介しようと一生懸命だった。その気前よい優しい心遣いには心暖まる思いがした。彼はその目的意識が自分の文学の枠を超えている作家であり、他の作家の意図を理解する点でも私は多いに感心させられた。しかし、今や他の作家たちが彼自身より面白い仕事をしているという彼の見解に私は賛成できない。帰国するときにこれらの作家の翻訳をできうる限り持ち帰り、またイギリスやアメリカでも他にいくつか手にいれた。確かにこれらには私の興味を引いたものもあったが、大江健三郎氏の示すオリジナルな視野の強烈さと、書き手としての絶妙な技量に迫るものはまったくなかった。(同、p83)





 ……ゴーディマ、単に本音を述べただけだったのか……。

 それにしても、気の毒なのはゴーディマである。大江の国内作家への甘い評価を真に受けて、時間を無駄に浪費してしまったのだから。

 こういう甘さは、大江はその後も継続的に続けている。例えば、尾崎真理子という読売新聞の記者がなぜかインタヴュアーをして刊行された『大江健三郎 作家自身を語る』という書物は、まさに最悪であった。……なにが最悪かって、なんとこの書物で、大江が南米に赴いた際に完全な偶然からフアン・ルルフォに遭遇してやり取りすることがあったという驚くべき挿話が語られているのだが、それはあくまで大江が一方的に語り出しただけのことで、聞き手の側は全く何の反応もしていないのである。

 いやいやいやいやいやいやいやいや、それ、もの凄い大事件だから……。おそらくこの聞き手はルルフォの名前すら知らなかったのだろうが、そもそもの話として、ルルフォすら知らんような者が一人前面して重要作家のインタヴューなんかするなって。そして、仮に知らなかったんだとしても、書籍化するんなら自分の無知に基づく甘い部分を調べ直し、大江に聞き直し、万全を期してからにしろやと。

 さらに驚くべきことは、私の知る限りの話ではあるが、この後、大江に直接話を聞ける立場の者がこのルルフォとの一件の詳細を確認しに行ったということも聞かないのである。後代のまとまな批評家なり研究者なりが大江の評伝を書く際にはとんだ災難としか言いようがない悲惨な事態なのだが、文学史の貴重な財産ともなりうる知見が失われかねないという認識すら、どうやら誰も感じてすらいないようなのである。

 それに、商業誌上で「小説のプロ」として大江自身に話を聞く者も、あるいは作品の批評を書く者も、小説の技術的な分析・検討をするということがほとんどないというのも困ったことである。例えば、ある一時期以降の大江が小説内の会話を鍵括弧でくくることがなくなったのは、まず間違いなく、バフチン的な意味での自由間接話法をいかにして日本語で成立させるかということがあるはずなのだが、私の知る限り、たぶん誰も言及していない。そういう小説の技術論について最も詳細に語っているのが大江自身で、全く何もわけわかっていない人々がなぜか大江の小説に裁きを下し、結果として完全なデタラメを流通させているわけだ。大江の直面する政治的問題は回避しておいて、純粋に審美的な話に限っておきながら、なおかつ純粋な技術の問題を掘り下げることの方もできないという、どうしようもない人々が、「小説のプロ」として大江作品を論じるなどということが平気でまかりとおっているのだ。大江健三郎という人は、本来、三島賞受賞会見の時の蓮實重彦とかより以上にブチキレていないとおかしいはずなのである。

 ……と、いうようなことを踏まえた上での、「おれに書かせろやぁー!」なわけですよ。





 そういう意味では、最低限度の基準にすら達しておらず「小説のプロ」の水準を押し下げる人々に全く厳しく当たることのない大江に比べれば、やっぱ蓮實重彦の方が教育者としては偉いな~と。だから私としても、解説の仕事をあえて蓮實にふるぐらいの飛び道具を出してくるんなら、納得もしますけれども。

 ただ、まあ、おそらくそういうことにもならないだろうと思うんで、これに関してはちょっと本気で取り組んでみようかな~などと思い始めました。なんか評論の賞とか取った上で、「おれに書かせろやぁー!」と吠えまくったら、刊行までまだだいぶ間がある以上、なんとかなりませんかね?

 というか、解説のメンツが発表されたとして、それが私の予想通りの悲惨なものだったら、それらの書き手がこれまで大江に書いてきた文章を念入りに検討し、どこがどうダメなのかを徹底的に糾弾し、大江の全集に公的な解説を書く資格などないことを自覚させ、個別に心を折っていき、自ら辞退に追い込めばいいんじゃないですかね? ……それか、刊行が始まっても、全巻の刊行が終わるまでにはだいぶ期間があるのだから、解説そのものを同時進行でボコボコにしていってもいいのかな?

 以前、私はこのブログでも文芸評論家(ということに一応はなっている人)をつかまえてボコボコにしたら、私の方が全力を出しているわけでもないのに全く相手にもならず向こうが逃亡しちゃったという件があったのだけれども、今回は、あの程度のことではすましませんぞ。

 そうやって、書く人が全くいなくなった状態でなら、「おれに書かせろやぁー!」も通りませんかねえ?

 ……まあ、いずれにせよ、小説の問題に関してそこまで仮借のない立場を取るということこそが、「政治少年死す」を本当に読み自分の中で消化したときに起きることでもあると思う。少なくとも、今回の『大江健三郎全小説』の刊行の発表でわかったのは……『芽むしり仔撃ち』の話者、あのあまりにも無謀にして無防備な少年の心は、やはりいまだに大江の内に残っていたのだということなのであった。
















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